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アッツ島沖海戦/コマンドルスキー諸島海戦

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アッツ島沖海戦
(非公式名称)
コマンドルスキー
諸島海戦

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
主隊(司令官:細萱戊子郎中将) 警戒部隊
第ニ一戦隊 (指揮官:チャールズ・マクモリス少将)
 重巡洋艦【那智】  軽巡洋艦【リッチモンド】
 重巡洋艦【摩耶】  重巡洋艦【ソルトレイクシティ】
 軽巡洋艦【多摩】  駆逐艦【ベイレー】
第ニ一駆逐隊  駆逐艦【コグラン】
 駆逐艦【若葉】  駆逐艦【モナガン】
 駆逐艦【初霜】  駆逐艦【デール】
第一護衛隊  
・第一水雷戦隊(司令官:森友一少将)  
 旗艦:軽巡洋艦【阿武隈】  
 駆逐艦【電】
 駆逐艦【雷】  
 輸送船【浅香丸】  
 輸送船【崎戸丸】  
・第二護衛隊  
 駆逐艦【薄雲】  
 輸送船【三興丸】  
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揺らぎつつある北方占領 アッツ島死守に向けた輸送部隊

1942年5月、快進撃を続けていた日本は、次の本命をミッドウェー島にする「MI作戦」と同時に、北海道の北東に位置するアリューシャン方面の島々を占領する「AL作戦」を立案する。
アリューシャン方面は米ソ間の航路となることから、開戦当初よりこの海域の重要度は増していた。
主力の大半は「MI作戦」に参加していたが、「AL作戦」も第四航空戦隊を始めとした機動部隊や水雷戦隊が多数動員されている。

6月3日から「AL作戦」は実施され、「ダッチハーバー空襲」を皮切りに、アッツ島、キスカ島の占領が完了した。
両島には守備隊が存在せず、無血占領を達成している。
しかし「MI作戦」「ミッドウェー海戦」の大敗によって中止となり、同時に「AL作戦」もまた、キスカ島以東の侵攻が中止となった。

これは第二次世界大戦において、アメリカが自国の領土を侵略された初めての例だった。
アメリカはこの侵略に危機感を覚えたものの、「ミッドウェー海戦」での勝利と、北方海域の戦力が未だに充分でないことから、すぐに積極的な反攻には移らなかった。

しかし7月5日、【ガトー級潜水艦 グロウラー】が、周辺に停泊していた【霰、霞、不知火】を雷撃によって1撃沈、2大破という戦果を上げ、また8月7日には【ポートランド級重巡洋艦 インディアナポリス】を旗艦とした9隻の艦隊でキスカ島を艦砲射撃している。
さらに9月にはアダック島に飛行場が造成され、両島への空襲が開始された。

「ガダルカナル島の戦い」の結末が見えてきた1943年、アリューシャン方面でもアメリカは本格的な反攻を行うようになる。
1月12日、アダック島よりもよりキスカ島に近い、アムチトカ島にアメリカは飛行場を用意。
空襲はさらに激化し、輸送船の沈没も相次いだ。
日本は孤立化しかねない過酷な群島、アッツ島、キスカ島への輸送を強化するとともに、その護衛に強力な水雷戦隊を配備することを決定。
第五艦隊の【那智】を旗艦とした輸送艦隊は、まず3月10日に輸送を成功させる。
続いて3月22日、再び輸送船と護衛艦隊がアッツ島を目指して幌筵島を出発した。
この輸送船には、アッツ島守備部隊隊長の山崎保代陸軍大佐も乗っていた。

一方アメリカも、日本の輸送艦隊に対して艦隊を準備させていた。
両軍はまだまだ寒い3月27日の未明に火砲を交えることになる。

日本の輸送艦隊は、アッツ島への突入を3月27日とした。
しかし別働隊であった第二護衛部隊【薄雲】【輸送船 三興丸】との合流ができていなかったため、反転をする。
一方アメリカも、闇夜に紛れて突入すると予想されている輸送艦隊の捜索を数日前から続けていた。

午前3時頃、【オマハ級軽巡洋艦 リッチモンド】のレーダーが前方の輸送艦隊を補足した。
10分頃には日本も【浅香丸】【阿武隈】の報告によって米艦隊の存在を確認。
日本は【浅香丸、崎戸丸】の護衛に【電】をつけて退避させ、残りは米艦隊撃退のために反転。
追尾してくる米艦隊に対して北東より迎え撃った。

午前3時40分頃、砲撃とともに「アッツ島沖海戦」が勃発。
この時初めてアメリカは輸送艦隊に重巡が2隻所属していることを知ったとされる。
アメリカの目的はあくまで日本の輸送阻止のため、まずは輸送船の捜索に当たるが、しかし射程の長い重巡がいる輸送艦隊の砲撃を回避しながらの輸送船への攻撃は困難だった。

アメリカは【那智】に向けて砲撃を開始。
【那智】【ソルトレイクシティ】の砲撃を受けて艦橋が黒煙に包まれたという。
この砲撃によって【那智】の射撃指揮装置が故障している。
【那智、摩耶】も負けじと砲撃と同時に魚雷を発射したが、魚雷はいずれも命中しなかった。
しかし砲弾は【ソルトレイクシティ】の甲板を貫き、機関室に大きなダメージを受けた【ソルトレイクシティ】は短時間ではあるが行動不能となっている。
アメリカの駆逐艦は煙幕を炊いて【ソルトレイクシティ】を守っている。

一方水雷戦隊は、燃料節約のためにボイラーの火を1つしか入れていなかったことから対応が遅れた。
その後も攻めきることができず、水雷戦隊は大きな見せ場もないまま重巡同士の砲撃戦が続いた。
【多摩】は別ルートからアメリカに奇襲を試みたものの、回り込むことができず失敗に終わっている。
午前5時頃に米艦隊は退却を始めたが、この際にも【阿武隈】に砲撃が集中し、水雷戦隊の指揮が不十分となっている。

退却を続ける米艦隊に対し、優勢と見た日本は追撃を開始するが、輸送艦隊は最短ルートを選ばずに同ルートを追尾したため、距離はなかなか縮まらず、不毛な砲撃戦が続いた。
6時頃にようやく水雷戦隊の魚雷が放たれたが、接近しきれずにいたために魚雷は全て外れている。

アメリカは魚雷や煙幕を巧みに利用して日本の追撃を妨害し続けていたが、再び【那智】の砲弾が【ソルトレイクシティ】を直撃。
これによって【ソルトレイクシティ】は一時航行不能に陥ったが、残念ながら日本の艦隊はこの事実を発した偵察機の無線を受信することができなかった。
【ソルトレイクシティ】の停止を受けて、アメリカは【ベンソン級駆逐艦 ベイレー、コグラン、ファラガット級駆逐艦 モナガン】が煙幕から飛び出して囮となった。
3隻の駆逐艦の飛び出しに気を取られているうちに、【ソルトレイクシティ】の復旧が完了し、日本は最大のチャンスを逃してしまう。

再び鬼ごっこが始まったが、すでに海戦が始まってから4時間近くが経過。
間もなく日も昇り、空襲の危険度が上がる。
また残弾も残り少ないことから、日本はやむなく米艦隊への追撃を中止。
輸送も断念することとなり、アメリカは不利な状況からも逃げ切りに成功した。

「アッツ島沖海戦」の影響で、日本はアッツ島への輸送をする機会を1つ逸したことになる。
そして何よりも、アッツ島守備部隊の隊長であった山崎大佐が到達できなかった影響は大きく残る。
この海戦により輸送は停滞し、山崎大佐は4月18日に【伊31】に乗ってようやく同島に到着している。
山崎大佐が到着してから1ヶ月もしない5月12日、アメリカはキスカ島を飛び越えてアッツ島へ攻め込んできた。
そして山崎大佐含め、5月29日にアッツ島守備隊は玉砕するに至る。

結局「アッツ島沖海戦」で日本は【那智】の被弾以外は大きな損害がなく、アメリカは特に【ソルトレイクシティ】の被害が大きかった。
しかしアメリカは不利な戦力差の中で当初の目的である輸送阻止を達成し、逆に日本は輸送未達の上に様々な反省点を残して米艦隊を取り逃している。
下記の通り日本は戦術的勝利を、アメリカは戦略的勝利を達成して入るものの、中身を見れば日本の敗北と言ってもいい。
両国の重巡からはそれぞれ800~900発の砲弾が発射されたものの、命中はわずかであり、魚雷にいたっては日本は43発もの発射が記録されている。
精度を著しく欠いた「アッツ島沖海戦」は、「月月火水木金金」という過酷な訓練の内容の悪さを露呈させた海戦の1つである。

日本の戦術的勝利 アメリカの戦略的勝利

両者損害

大日本帝国 連合国
大 破
【ソルトレイクシティ】
小 破
【那智】  
喪 失・損 傷
戦死者 14人 戦死者 7人