ジャワ沖海戦/マカッサル海峡海戦

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ジャワ沖海戦マカッサル海峡海戦

戦闘参加戦力

大日本帝国連合国
第一一航空艦隊
(司令長官:塚原二四三中将)
ABDA部隊(指揮官:カレル・ドールマン少将)
・第二一航空戦隊(司令官:多田武雄少将) 重巡洋艦【ヒューストン】(米)
 鹿屋航空隊 軽巡洋艦【デ・ロイテル】(蘭)
 第一航空隊 軽巡洋艦【トロンプ】(蘭)
 高雄航空隊派遣隊 軽巡洋艦【マーブルヘッド】(米)
零式艦上戦闘機 96機 駆逐艦【バンケルト】(蘭)
九九式艦上爆撃機 9機 駆逐艦【ピート・ハイン】(蘭)
一式陸上攻撃機 71機 駆逐艦【ファン・ゲント】(蘭)
その他 13機 駆逐艦【バーカー】(米)
  駆逐艦【ブルマー】(米)
  駆逐艦【ジョン・D・エドワーズ】(米)
  駆逐艦【スチュワート】(米)
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軽微な海戦も、以後の快進撃を支えた重要な足止め

日本は1942年に入り、事実上の敵対関係となっていたオランダが支配する東インドへの侵攻を決める。
東インドには石油資源が豊富にあり、またゴムやボーキサイトなどの資源にも恵まれていたため、1月11日に日本軍は蘭印作戦を開始。
一方オランダはアメリカ・イギリス・オーストラリアとともにABDA司令部を設置し、これに対抗したが、連携不足と日本の怒涛の進撃によって大した足止めもできずにいた。

1月24日、連合軍は隙を狙って日本の輸送船団を崩壊させた(「バリクパパン沖海戦」)。
しかし当時の日本は輸送船団の1つが崩壊したところで数日の進軍の遅れ程度の抵抗に過ぎず、陸海ともにその勢いを失うことはなかった。
そのためABDA連合軍は引き続き輸送船団の襲撃を目論み、次はケンダリ沖に集まっていた輸送船団をターゲットとした。
今度は「バリクパパン沖海戦」よりも強力な、重巡1隻、軽巡2隻、駆逐艦7隻という顔ぶれで、指揮はオランダのカレル・ドールマン少将が執ることになった。
艦隊はケンダリ沖を目指し、1月31日にスラバヤを出撃した。

しかし偵察の結果、背後にも別の日本の輸送船団が発見された。
護衛の艦隊にはさみうちにされることを恐れたドールマンは航路を変更し、仮泊後に反転して2月4日にはバリ島にほど近いマカッサル海峡の南方入口付近にいた。

それを捉えたのは日本の偵察機だった。
スラバヤへ向けて航行している艦隊を発見した偵察機の報告を受け、海軍はすぐさまケンダリの第一一航空艦隊に出撃命令を出す。
「一式陸上攻撃機」36機が急ぎ出撃、同時に24機(「九六式陸上攻撃機」の可能性あり)が第二波の出撃準備に入った。

9時49分、第一一航空艦隊は連合軍艦隊を発見、攻撃を開始する。
しかし「一式陸攻」は急降下爆撃ができないため緩降下爆撃となったが、命中率は良くなかった。
恐らく陸上や港湾の爆撃の準備をしているところに艦隊発見の報が入ったため、魚雷へ換装する余裕がなかったと思われる。
第一波の攻撃では結局【オマハ級軽巡洋艦 マーブルヘッド】に対して2発の命中弾と4発の至近弾を与えたに過ぎなかった。

続いての第二波の攻撃でも【ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】に命中弾1発、【蘭巡洋艦 デ・ロイテル】に至近弾1発。
結局7隻の艦隊に対して小破3隻という、出撃機数合計70機の戦果としては非常に寂しいものとなった。
しかし「バリクパパン沖海戦」の二の舞を防ぐことはでき、日本は引き続き破竹の勢いで進撃を続ける。
大本営の予測はジャワ島陥落まで120日だったが、最終的に1ヶ月前倒しの92日でジャワ島を手中に収めた。

日本の勝利

両者損害

大日本帝国連合国
小 破
 【ヒューストン】
 【デ・ロイテル】
【マーブルヘッド】
喪 失・損 傷
一式陸上攻撃機 未帰還1機