ニューギニア沖海戦

広告
広告

ニューギニア沖海戦ニューギニア沖海戦(?)

戦闘参加戦力

大日本帝国連合国
第二四航空戦隊(司令官:後藤英次中将)第11任務部隊
 一式陸上攻撃機×17機(指揮官:ウィルソン・ブラウン中将)
  航空母艦【レキシントン】
  重巡洋艦【インディアナポリス】
  重巡洋艦【ミネアポリス】
  重巡洋艦【サンフランシスコ】
  重巡洋艦【ペンサコラ】
  駆逐艦×10隻
広告



護衛なしの決死の出撃 占領直後のラバウルを守れ!

太平洋戦争の開戦以後、日本は想定以上の戦果を収め続け、各地の攻略を進めていた。
緒戦の攻略目標は各地にあったが、その中でひときわ重要だったのが、オーストラリア委任統治下にあったニューブリテン島の攻略であった。
ニューブリテン島はソロモン諸島の入り口に当たる場所に存在している。
その南端のラバウルには飛行場があり、日本はここを奪うことで南方諸島攻略の航空戦力の拠点にしたいという思惑があった。

ラバウル攻略は開戦前から南洋部隊である第四艦隊司令長官の井上成美中将が訴えていた。
当時日本が統治していたトラック島防衛のため、また米豪の連絡を遮断する上でも、このニューブリテン島周辺には航空基地が必要だったのである。
隣接する、ポート・モレスビーがある英領ニューギニアもオーストラリア自治領であり、ニューブリテン島やニューギニア島などの攻略は南方資源を確保しつつ連合軍の勢力を分断させる役割を果たすことになる。
いきなりの戦線拡大となるが、一気呵成に侵略を進めなければ米豪連合軍の反撃が早まってしまう恐れがあった。

1942年1月4日、日本は陸上攻撃機によるラバウルへの空襲を開始。
ラバウルのオーストリア航空戦力は非常に乏しく、十分なダメージを与えている。
一方で、艦船戦力も着々とトラック島へ集結した。
しかし第四艦隊は以後の激戦地となる南方海域の攻略部隊とはとても思えない、「古鷹型」「天龍型」「睦月型」と、旧式艦ばかりであった。
そのため無敵の機動部隊である第一、第五航空戦隊を始め、【比叡・霧島】の第三戦隊などが支援艦隊としてトラック島に向かっていた。

1月20日、ラバウルへの空襲を皮切りに、ニューギニア島のラエ、サラモア空襲、そして各地の上陸と制圧をスピーディーに進めた日本は、早速ラバウル飛行場の整備を始め、抵抗拠点として残っているポート・モレスビーへの攻撃体制を整える。
近距離であるポート・モレスビーからの空襲は厄介で、「B-17重爆撃機」の硬い機体に対抗するには戦闘機の増備は欠かせなかった。
もちろん、さらなる侵攻のための陸上攻撃機の配備も怠っていない。

一方、ここまでやられっぱなしの連合軍はアメリカの機動部隊がこの流れを堰き止めるために派遣されることになった。
水上攻撃部隊は「真珠湾攻撃」によって壊滅的打撃を負っていたが、空母は難を逃れたため、【レキシントン】が真珠湾から出撃した。
狙いはもちろんラバウル飛行場の空襲である。
決行日時は2月21日、午前4時とされた。

2月15日、井上はシンガポールの陥落という、真珠湾攻撃の成功に次ぐと言っても過言ではない大戦果を聞く。
シンガポールはイギリスの東洋における要塞であった。
12月10日の「マレー沖海戦」に続いてイギリス軍の戦意を失墜させるこの偉業に、第四艦隊の面々も奮い立ったことだろう。
なので、「真珠湾より米機動部隊出撃」の報告を受けた井上と兵士たちは、来る空母との戦いに身を引き締めたに違いない。
その意気のせいか、19日午後には国籍不明の駆逐艦を発見したという報告があったものの、後に誤報と判明する。
しかし、この偵察は奇襲を防ぐ大きな役割を果たすことになる。

索敵のために派遣された偵察機のうち、「九七式飛行艇」2機が駆逐艦ではなく空母1隻を始めとした機動部隊の存在を確認。
残念ながら2機はその後消息を絶ってしまったが、駆逐艦2隻発見の誤報が、本命の機動部隊の存在を詳らかにしたのである。
井上は直ちに隷下の第二四航空戦隊に攻撃を指示し、「一式陸上攻撃機」の出撃準備が急がれた。

しかし護衛の戦闘機に問題があった。
「一式陸攻」は長大な航続距離を誇るが、戦闘機は増槽がなければこれに随伴できない。
そして現場の「九六式艦上戦闘機」用の増槽がなく、このまま飛行したところで陸攻の護衛はできなかった。

陸攻も、艦船への攻撃よりも陸上基地攻撃が第一目的だったため、搭載する兵器は陸上爆弾のみで、対艦魚雷はまだラバウルへ届いていなかった。
爆弾も陸上爆弾のため、艦船へのダメージは徹甲弾より少なくなる。
しかし相手はいつ何時でも潰せるだけ潰したい空母である、士気も高かったために護衛機無しで強攻することになった。

「九七式飛行艇」「零式水上偵察機」の先導により、「一式陸攻」は17機がラバウル飛行場を飛び立った。
曇天の下、一直線に【レキシントン】を目指す。

アメリカはすでに索敵機を撃墜しているため、警戒態勢に入っている。
そして【レキシントン】にはレーダーが搭載されており、陸攻と偵察機の襲来に対して迎撃用の「F4F ワイルドキャット」14機も艦隊周辺で待ち構えていた。

ひときわ大きな【レキシントン】の姿が風防から見える。
しかし同時に黒い点が一気に襲いかかってきた。
「ニューギニア沖海戦」の勃発である。

護衛がなく、「ワンショットライター」と揶揄された「一式陸攻」で攻めている日本は圧倒的に不利であった。
14時35分、第二中隊9機は瞬く間に2機が撃墜され、それを掻い潜った7機の爆撃も【レキシントン】には命中しなかった。
そしてその7機も撃墜され、第一波の攻撃は何の成果を上げることもできずに全滅した。

全機撃墜を達成したアメリカだったが、警戒は緩められることはなかった。
なので15時すぎの第二波で日本はまたも苦戦を強いられる。
第一中隊8機は第二中隊同様「F4F」と対空機銃の攻撃に晒されながら、命を懸けて【レキシントン】に迫った。
しかし爆撃前に3機が撃墜され、残る5機の爆撃も至近弾を1発与えるにとどまり、【レキシントン】には被害がなかった。
さらには爆撃後に撃墜された2機は最期に突撃を敢行したが、これも衝突前に撃墜されている。
結果、17機のうち帰還できたのは第一中隊の2機で、戦果は「F4F」2機撃墜のみ。
完敗であった。
日本は最期の特攻寸前で撃墜された時の爆発を実際に直撃したと誤認し、「空母1隻の撃沈と他数隻に被害」と判断している。
この時、撃沈した空母は【ワスプ】と考えられていた。

なお、航空機の出撃と同時にこの敵艦隊を撃滅させるべく、第四艦隊も正午にトラック島を出撃した。
しかし第四艦隊唯一の空母である【祥鳳】は当時トラックにはおらず、航空機の輸送中であった。
機動部隊の攻撃へ向う艦隊に航空戦力はなく、航空隊同様明らかに分が悪い出撃だった。
だが、結局機動部隊は発見には至らず、第四艦隊はトラック島へ帰還している。

発見できなかった理由は、アメリカの機動部隊が退却したからである。
日本の攻撃は排除したものの、今回の攻撃は空母1隻による奇襲であった。
複数の空母がいれば、これまでの敗北続きという側面からも突き進む判断があったかもしれないが、ラバウルの日本戦力は不明であり、さらに第四艦隊のような水上部隊との交戦もあるかもしれない。
奇襲が失敗に終わった以上、執着せずに撤退を決めたのである。

海戦の勝敗はアメリカ勝利で間違いない。
しかし日本はラバウルの占領直後、まだ航空戦力が整っていない状態での空襲を回避できたのは大きかった。
当時井上が支援を要請していた機動部隊は「ポート・ダーウィン空襲」に出撃しており、ラバウルの防御態勢は甘かった。
アメリカが引かずに突撃していれば、【レキシントン】と重巡4隻、駆逐艦10隻に対して、ラバウルの航空隊と第四艦隊による大海戦になっていた可能性もあった。
勝敗はともかく、甚大な被害は免れなかっただろう。

日本は大きな犠牲を払ってラバウルを死守したが、アメリカはこの海戦で大きな教訓を得た。
空母1隻の機動部隊の戦力不足である。
【レキシントン】は78機搭載という非常に大きな空母ではあるが、飛行場を徹底的に叩くには余裕が無いという判断だった。
以後、機動部隊による空襲は2隻を基幹として行われることになった。
この経験が、今後日本を大いに苦しめることになる。

損害軽微 アメリカの勝利

両者損害

大日本帝国連合国
喪 失・損 傷
一式陸上攻撃機 15機 喪失F4F戦闘機 2機 喪失
水上偵察機 1機 喪失F4F戦闘機 7機 被弾
飛行艇 3機 喪失