キスカ島撤退作戦 後編

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キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)
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後編(奇跡)

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参考資料:「キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯」(将口泰浩)他

作戦参加戦力

日 本
司令官:木村昌福少将
 軽巡洋艦【多摩】
 軽巡洋艦【阿武隈】
 軽巡洋艦【木曾】
収容駆逐隊
・第一〇駆逐隊
  駆逐艦【夕雲】
  駆逐艦【風雲】
  駆逐艦【秋雲】
・第九駆逐隊
  駆逐艦【朝雲】
  駆逐艦【薄雲】
 駆逐艦【響】
第一警戒隊
・第二一駆逐隊
  駆逐艦【若葉】
  駆逐艦【初霜】
 駆逐艦【長波】
第二警戒隊
 駆逐艦【島風】
 駆逐艦【五月雨】
補給隊
 海防艦【国後】
 タンカー【日本丸】

本日の天佑我にありと信ず

7月28日、日付が変わり、いよいよ突入を明日に控えた。
【阿武隈】艦内は相変わらず霧の発生状況に全神経を傾けていた。
すでに一度撤退し、そして今回の出撃でも突入日を延長している。
傍受によれば敵は同士討ちをしたというが、しかしそれだけ向こうも警戒を厳にしている現れとも言える(実際は補給のため一時撤退)。
再延長は考えたくない、しかし霧がなければ如何ともし難い。
予報通り濃霧が発生することを願う、今はそれしかない。

午前1時「29日曇り」
午前6時「29日曇り霧断続」
キスカ島からの報告も「空襲5回 視認計29機と少数 視界2~4m」と現地の状況も良好だった。

木村少将は覚悟を決めた。
木村少将は各艦に陣形を整え突入体制に入ることを指示した。

しかし今回の突入の決定権は彼にはない。
突入の命令を下すのは第五艦隊司令長官の河瀬四郎中将である。
そしてその彼はまだ決断を下せずにいた。
先の出撃で突入の判断をくださずに撤退を決めた木村少将の気持ちを彼はここで初めて知る。
曇りという、霧は出るという、キスカ島の視界も狭いという。
しかし、それで100%か?
絶対に成功するか?
今回は攻撃ではない、撤退だ。
かつてない作戦の決断に河瀬中将はたじろいでいた。

午後10時を回った。
本来であればこの時間までに命令を下して【多摩】は退避するはずだった。
しかし河瀬中将からはまだ命令がおりてこなかった。
【多摩】は引き続き同行し、天候の変化に神経をとがらせた。

29日、午前1時。
いよいよ突入予定日である、河瀬中将は判断を迫られていた。
そこに飛び込んできた報告は、
「午前濃霧または霧雨、午後曇りとなり霧揺らぐ」
河瀬中将は腹を決め、木村少将へ向けて熱い信号を送った。

霧の状況、行動に最適、天祐神助なり

ついに命令が下った。
【阿武隈】の乗員は全員身を引きしめる。
いよいよだ、一度離れた地に、今度こそ上陸する。

午前7時、木村少将からの信号
本日の天佑我にありと信ず 適宜反転されたし

河瀬中将からの返信
鳴神(キスカ)港に進入の任務を達成せよ成功を祈る

奇跡の撤退作戦

キスカ島でも撤退の準備が着々と進んでいた。
今日は必ず来る、午後五時まで後少し、後少しで撤退だ。
そこへ飛び込んできたのは、「ユ・ユ・ユ」の信号だった。
その受信紙を見た瞬間、誰かが受信紙をひったくって飛び出していった。
電信室も大きな喜びの声で満たされた
「ユ・ユ・ユ(繰り上げ入港 4時間)」
午後1時には入港という信号である。
早速守備隊は撤収準備を始めた。
もう二度とここには戻ってこない。

喜びに湧くのもつかの間、電信室はなおも任務が続く。
彼らは日本からの信号を逐次受け取るのが任務であり、そして同時にアメリカ通信の傍受も任務である。
もし、もし万が一艦隊がキスカ島に侵入するような通信を受ければ、すぐさまそれを報告しなければならないのである。
一方では電探員も哨戒機探知のためにまだ残っていた。

彼らは次に29日はアメリカの航空機が飛ばないことも傍受する。
これで大丈夫、この過酷なアメリカ領からおさらばだ。
「救援艦隊入港の予定、成功間違いなし、これにて電信室を爆破す、艦隊のご苦労に感謝す」
キスカ島からの最後の通信であった。
南高地からはラジオビーコン電波が送られる。
濃霧の中、救援艦隊も守備隊も合流地点に向けて進行した。

今回救援艦隊は最も近いキスカ島南東ではなく、迂回して北西から突入する。
日本に近い南東の警戒が厳しいのは当然だからである。

距離が定まらない中、ビーコンを頼りに救援艦隊はキスカ島北西を目指す。
そして午後1時7分、艦隊は南下。
到着まであと少し。

その瞬間、【阿武隈】の甲板にいた分隊長が叫ぶ。
「敵らしきもの、左艦首前方!」
事ここに至って奇襲はまずい、作戦中止どころか艦隊の壊滅もありえる。
しかもこの霧の中、双方衝突は避けられない。
木村少将はためらわずに魚雷発射を命令した。
【阿武隈】が4本、【島風】も複数の魚雷を発射した。

発射直後、霧が急速に晴れ、敵艦の正体が判明した。
巡洋艦か、戦艦か。

その正体は小キスカ島であった。
救援艦隊はキスカ島と小キスカ島の間にあるキスカ湾に入るため、艦隊の航路は間違っていない。
魚雷は小キスカ島に見事命中。
当然被害などありはしない。

「一番が 敵だ敵だと わめきたて さっと打ち出す二十万」

水雷長の石田捨雄中尉(後に第9代海上幕僚長を務める)が即興で詠んだ一首である。
見張員(一番)の言葉で1本5万の魚雷を4本打ち出したため、合計20万。
5万円は現代の価値に換算すると5億円ほどするという。
無駄な発射ではあったが、誰も叱責することなく、緊張感が失われていないことを再確認した。
キスカ湾は目と鼻の先だ。

この爆発音は、キスカ湾で救助を待つ守備隊にも聞こえていた。
敵艦に捕まったか、砲撃戦か、上陸か、絶望か。

そして数分後、いよいよキスカ湾からも艦影が徐々に見えてきた。
敵か?
否、敵艦ではない!
菊の御紋をつけた【阿武隈】が見える!
続々と船が見える!
助かった!
皆生を噛み締めた、涙が止まらなかった、蜘蛛の糸は再びキスカ島へ垂らされた。
ああ、駆逐艦とは、あんなに大きい艦だったのか。
巡洋艦とは、あんなに美しい艦だったのか。
曇りきっていたキスカ湾の視界は、救援艦隊の到来と同時に晴れ渡った。
まさに奇跡であった。

そしてついて午後1時40分、救援艦隊はキスカ湾に突入。
警戒隊の【島風・五月雨・長波】は湾外で哨戒活動、残りの船からはすぐさま大発が放たれた。
隊列を乱さず、整然と大発に乗り込む。
まだ陣地に残っていた者たちも続々と兵器を破壊してキスカ湾へ向かった。
天皇のご加護を受けた「三八式歩兵銃」が次々と海に捨てられる。
木村少将樋口中将の決断が撤収時間の短縮を生んだ。
遺品・遺骨のみ例外として持ち込みが許された(一部銃が持ち込まれているので、完全に徹底されたわけではない)。

一方でまだ戦っていたのが電探員である。
彼らは電信室から受け取った飛行中止という通信を受けたあとも時折反応のある哨戒機を見張るために残されていた。
そんな中、キスカ湾から一番艦、二番艦が出港した。
入れ替わりに駆逐艦が入ってくる。
電探員は焦りが隠せなかったが、任務は果たさなければならない。
ここで中途半端に任務を放棄した結果、艦隊が空襲を受ければ腹一つだけでは責任を果たせない重罪だ。

やがて哨戒機が離れたことを受け、電探員にも無事撤退命令が下る。
彼らはすぐさまキスカ湾へ移動し、最後の大発に乗り込んだ。
すでに他の面々は撤収が完了している。
キスカ湾には電信兵と海軍第五十一守備隊司令官の秋山勝三少将が残っていた。
他にはいない、残されたものは一人もいない。
犬3頭がついてこなかった(残された?)が、兵士たちは皆大発に乗り込んだ。
全員だ、全員が助かるのだ。

秋山少将が縄梯子を登る。
【阿武隈】に乗り込む。
そこには今回の作戦を指揮した木村少将の姿があった。
逞しいカイゼル髭を蓄えた木村少将と、ボロボロの服と全く手入れのされていないボーボーの髭姿の秋山少将が固く握手をした。
今回の作戦は、完全に達成されたのである。

午後2時35分、救援艦隊はキスカ島を出発。
撤収時間は55分、計画どおりであった。
ひとえに訓練の賜であった。

彼らを送り出したと同時に、キスカ島は再び深い霧の扉に閉ざされた。
救援艦隊は再び浮標を目当てにしなければ艦隊運動ができない程の霧の中を航行した。
どんどんキスカ島は見えなくなっていく。
もう、1年間苦しい戦いを続けたキスカ島に戻ることはない。
霧が晴れれば大海原である。
奇跡は達成されたのである。
気象状況の確認のために派遣されていた潜水艦にも帰投命令が下った。

しかし帰路の途上、午後4時35分、突如サイレンが鳴り響く。
【阿武隈】からたった2kmの距離に潜水艦が発見されたのである。
潜水艦は浮上航行中であった。
お互い自由な航行が難しい濃霧の中だ、急速潜航されれば面倒なことになる。
【阿武隈】の主砲は潜水艦を狙った。

しかし木村少将は砲撃の命令をくださなかった。
「触らぬ神に祟り無し。手を吹いて疵を求めるな」とだんまりを決め込むことにした。
やがて潜水艦は発光信号を放ち、潜航していった。

ここで役に立ったのが煙突の塗装である。
米艦は2本煙突、1本白く塗れば敵艦には見えない。
まんまと目論見通りに事が進んだのである。
ありとあらゆることが日本に有利に働いた。

この後、艦隊は速度を28ノットへ上げて逃げ出す。
そんな中、誰かがアッツ島の方角を聞いた。
アッツ島は航路の真横、つまり北側にあった。
誰ともなく、アッツ島に向けて頭を下げ、黙祷を捧げた。

特にキスカ島守備隊の面々は、この「ケ号作戦」の成功の要因の一つにアッツ島守備隊の英霊の加護があったと信じている。
アッツ島守備隊の玉砕は凄まじかった。
圧倒的不利な中、守備隊は徹底的に反抗した。
日本軍は何をしでかすかわからない、不利な戦況でも絶対に向かってくる。
特に玉砕の瞬間を目にした者たちは日本軍に対して得も言われぬ恐怖を覚えたという。
どう見ても勝ち目のない武器と、明らかに残されていない体力。
なのに彼らは銃口を向けても、降伏を求めても歩みを止めない。
先頭にいる山崎大佐がアメリカ兵の銃弾を受けて倒れた。
しかし誰も立ち止まらない。
山崎大佐も立ち上がる、そして足を引きずりながらも迫ってくる。
山崎大佐は左腕を撃ち抜かれた。
腕が垂れ下がる。
それでも右腕の日の丸は離さない。
絶対に勝てる戦力差なのに、アメリカ兵は一刻も早くこの恐怖から逃げ出したかった。
そしてついに集中銃撃によって彼らは皆動かなくなったのである。

この玉砕は、アメリカの侵攻を慎重にさせた。
単純な物量では日本に勝てない、もし勝ったとしても被害は甚大になる。
なので無茶な突撃はしない、万全の準備をして、霧の晴れた8月にキスカ島に攻め込む。
アメリカは最後の一兵卒になっても我々に牙を剥いてくると信じ込んでいた。
よもや日本がキスカ島をもぬけの殻にして全撤退しているとは夢にも思わないのである。

【阿武隈】では夕食におにぎりが振る舞われた。
7月31日午後1時30分、敵哨戒圏を脱出。
木村少将は第五艦隊に入電をした

「全員収容帰投中、異常なし」

作戦完遂

両者損害

大日本帝国連合国
喪 失・損 傷
犬 数頭上陸後の同士討ち・混乱

史上最大の最も実践的な上陸演習へ