トラック島空襲/ヘイルストーン作戦

広告
広告

トラック島空襲
(海軍丁事件)
ヘイルストーン作戦

戦闘参加戦力

大日本帝国連合国
第四艦隊(司令長官:小林仁中将)○トラック空襲任務部隊
軽巡洋艦【阿賀野】(司令官:レイモンド・A・スプルーアンス中将)
軽巡洋艦【那珂】第58任務部隊
練習巡洋艦【香取】・第1群
駆逐艦【追風】 航空母艦【エンタープライズ】
駆逐艦【文月】 航空母艦【ヨークタウン】
駆逐艦【野分】 航空母艦【ベロー・ウッド】
駆逐艦【舞風】 軽巡洋艦【サンタフェ】
駆逐艦【山雲】 軽巡洋艦【モビール】
駆逐艦【太刀風】 軽巡洋艦【ビロクシー】
駆逐艦【時雨】 駆逐艦【クラレンス・K・ブロンソン】
駆逐艦【松風】 駆逐艦【コットン】
駆逐艦【秋風】 駆逐艦【ドーチ】
駆逐艦【春風】 駆逐艦【ガトリング】
水上機母艦【秋津洲】 駆逐艦【ヒーリー】
工作艦【明石】 駆逐艦【コグスウェル】
潜水艦【伊10】 駆逐艦【ケイパートン】
潜水艦【呂42】 駆逐艦【インガーソル】
【第二十四号駆潜艇】 駆逐艦【ナップ】
【第二十九号駆潜艇】・第2群
【第十号魚雷艇】 航空母艦【エセックス】
他特務艦など 航空母艦【イントレピッド】
  航空母艦【カボット】
  重巡洋艦【ボルティモア】
  重巡洋艦【ウィチタ】
  重巡洋艦【サンフランシスコ】
  軽巡洋艦【サンディエゴ】
  駆逐艦【オーウェン】
  駆逐艦【ミラー】
  駆逐艦【サ・サリヴァンス】
  駆逐艦【ステフェン・ポッター】
  駆逐艦【ヒコック】
  駆逐艦【ハント】
  駆逐艦【ルイス・ハンコック】
  駆逐艦【スタック】
  駆逐艦【ステンブル】
 ・第3群
  航空母艦【バンカー・ヒル】
  航空母艦【モンテレー】
  航空母艦【カウペンス】
  重巡洋艦【ミネアポリス】
  重巡洋艦【ニューオーリンズ】
  駆逐艦【イザード】
  駆逐艦【シャレット】
  駆逐艦【コナー】
  駆逐艦【ベル】
  駆逐艦【スタレット】
  駆逐艦【ラング】
  駆逐艦【ブラッドフォード】
  駆逐艦【ブラウン】
  駆逐艦【コーウェル】
  駆逐艦【ウィルソン】
 第50任務部隊
  戦艦【アイオワ】
  戦艦【ニュージャージー】
  戦艦【マサチューセッツ】
  戦艦【アラバマ】
  戦艦【サウスダコタ】
  戦艦【ノースカロライナ】
 他潜水艦 9隻
広告



無数の黒点と火柱がトラック島を埋め尽くす 米軍の総力が集結

トラック島(現チューク諸島)、太平洋戦争における日本の南方海域一大拠点。
第一次世界大戦終結後、ドイツの植民地であったトラック島は日本の委任統治領となり、しばらくは平穏な日々を過ごしていた。
しかし国際連盟の脱退と「ワシントン海軍軍縮条約」の失効後は要塞化が進み、日本の南方方面における司令塔となったのである。
トラック島はグアム島の南島にあり、本土と南方海域を結ぶ中継地点として非常に重要な存在であった。
すなわち、アメリカにおけるハワイ島と同様の役割である。

1943年11月の数度にわたるラバウル空襲によって、日本は南方海域における航空戦力の多くを失った。
基地防衛はおろか、艦隊の護衛や敵地攻撃すら満足にできなくなったのである。
制空権を失うことは、制海権を失うことと同義であった。

この作戦が成功するや、アメリカは次なる目標をトラック島に定める。
ここを潰せば輸送ルートは南シナ海に限られる上、奪われたグアムやエニウェトク環礁奪還の障害の除去、さらには日本本土攻撃のための足掛かりにはうってつけだったからである。
日本にとってトラック島は絶対国防圏であった。

アメリカは2月4日から偵察機や潜水艦でトラック島周辺の情報収集を開始した。
すでに潜水艦による通商破壊は効果を出していて、1943年後半からの物資不足は防衛力強化を大きく妨げていた。

そんな折、2月4日の偵察機を発見した日本は、ついにトラック島もアメリカの目標となったことを知る。
日本はあくまで偵察目的として、第七五五海軍航空隊、第七五三海軍航空隊の陸攻や「天山」「九九式艦上爆撃機」をテニアン島、トラック島の両航空基地から飛ばして警戒を続けていた。

一方で海軍戦力については空襲に太刀打ちできないとされ、【武蔵】はじめ多くの艦船が2月10日にトラック島を脱出した。
しかし全艦船がトラック島を去ったわけではなく、上記のようにいまだ非常に多くの艦船がトラック島に滞在しており、また11日は【海鷹】「天山」26機をトラック島まで輸送している。

アメリカは現地の偵察情報を分析の上、12~13日にメジュロ環礁を出撃、攻撃決行日を17日・18日の2日間とした。
この攻撃は機動部隊による空襲だけでなく、【米アイオワ級戦艦 アイオワ】をはじめとした大量の水上攻撃部隊も出陣し、圧倒的な攻撃力で2日間でトラック島を壊滅させるつもりであった。
空母はトラック島から100海里ほど離れたところで艦載機を飛ばし、それより前に戦艦らが出てくることで空母への被害の可能性を退け、かつ大量の艦船による精神的な圧力を与える狙いがあった。
1ヶ所の攻撃目標に向かう艦船の数としては、アメリカ海軍史上指折りの規模の攻撃作戦である。

これだけの物量での壊滅的破壊を狙っているアメリカに対し、露ほどの戦力しか残されていない日本だが、こちらは逆に不可解な出来事が起こっている。
1日2回の索敵が行われていたのだが、15日、16日の夕方の索敵は命令によって行われなかったのである。
連合艦隊旗艦の【武蔵】が去ったあと、トラック島の指揮権は第四艦隊司令長官の小林仁中将が握っていた。
この時すでにトラック島ではアメリカの通信回数が増えていることを知っていた。
この索敵中止が、いったいどれだけの人命と艦船の歴史を捻じ曲げることになるか、彼は知る由もない。

15日夜、損傷して【明石】の応急処置を受けていたためにトラック島に残っていた【阿賀野】が、危機に備えて随伴艦【追風、第二十八駆潜艇】とともにトラック島を脱出した。
しかしすでに周囲を潜水艦に取り囲まれていたトラック島を抜け出した【阿賀野】の姿は【米バラオ級潜水艦 スケート】によって補足されていた。
16日午後4時45分、【スケート】が放った魚雷は2本が【阿賀野】の右舷に直撃し、17日午前1時45分に【阿賀野】は沈没。
【那珂】が曳航のためにトラック島から出撃したが、到着する前に【阿賀野】は沈没したため、【那珂】は悲報をトラック島に持ち帰った。

17日早朝、小林中将は釣りをしていた。
前日は危機感の薄れから陸海軍参謀の宴の一方で航空隊の人員らも警戒を解いて酒を飲んでいたという。
それはまるで、戦争なんてこの穏やかな海で起こるわけがないと、旧式の戦艦を整備し、敵機を撃つこともないだろうと思いながら飛行訓練に励むハワイ島のアメリカ兵のようであった。

17日未明、トラック島東北東約90海里ほどの距離。
9隻もの空母からなるトラック島空襲任務部隊から、整然と、そして続々と艦載機が発艦した。
目指すはトラック、果たすは真珠湾の復讐である。

そして7時14分、長閑な朝をけたたましい空襲警報が打ち破った。
レーダーには次から次へと反応がある。
前日の酔いも瞬く間に消し飛び、一目散に持ち場へと向かう。

なんとか米軍到来の前に60機の「零式艦上戦闘機」が離陸し、戦闘中にもさらに60機ほどが増援に出ることができたが、何分相手はすでに「零戦」を過去のものへと追いやっている上、あまりにも多勢に無勢であった。
加えて「零戦」は基本的にはパイロットの腕次第の機体であり、防御を捨てた設計はいくら防弾性を高めたところで数発の被弾で確実に堕ちる。
そしてそのパイロットの腕は磨かれる前に戦場に出ているため、日増しに衰える一方であった。

一方のアメリカは、数で勝る上に「F6F ヘルキャット」の高速性と頑丈な機体、そして「零戦」と遜色ない高い運動性を備えており、またパイロットの育成も順調に進んでいた。
堅牢な機体は戦死者を減らし、戦死者が減ればより強靭な精神と得難い経験をした強い戦士が戦に舞い戻る。
17日の空襲は、撃墜された機体そのものも少なかったが、パイロットは全員が生還している。
アメリカの攻撃は苛烈容赦なく、計9波という悪夢としか思えない波状攻撃を行った。

それに対して、この空襲によって生還した「零戦」はたったの1機であった。
空中で火を噴き、海中に落ち、山へ突っ込み、陸上で燃え盛る「零戦」
トラック島にあった総数の4分の3にあたる270機がこの空襲で喪失している。
「零戦」との戦い、いや、蹂躙はあっという間に終結した。

アメリカの当初の目標は、まずは航空設備を徹底的に破壊することであった。
しかし奇襲がまんまとはまり、早期に次なる目標、蠢く海上戦力に攻撃を行うことができた。
トラック島およびその周辺には【那珂・香取】に、アメリカの中でも特に危険視されていた【明石】がいた。
そして多くの駆逐艦と輸送船が、多くの目標が、多くの獲物がトラック島には揃っていた。
選り取り見取りである。

「SBC ヘルダイバー」が、「TBF アヴェンジャー」が、次々と襲い掛かる。
【香取】【赤城丸】が被弾し、【赤城丸】沈没。
多数の被弾がありながらも大型だった【香取】は懸命に【赤城丸】の救助に当たった。
【舞風】も被弾し、【香取】【舞風】は大きく炎を上げていた。
周辺にいた【野分】は被害をまぬかれたが、そこへ次なる脅威が現れたことを彼女は爆撃では起こりえないほどの巨大な水柱で知ることになる。

レイモンド・スプルーアンス大将は、この攻撃に水上艦による砲撃を何としても実施したかった。
今や戦場の主役は空母であるとはいえ、戦艦の恐ろしさというものはわかっていても拭えない。
かつて各国は戦場に出ることがなくとも戦艦の建造だけは疎かにしなかった。
海軍力を顕示する上で、戦艦に勝るシンボルはないのである。
ただ、この砲撃が果たして本当に必要であったかどうかは意見が割れている。
いつまで経っても発射されることのない砲弾を抱えながら日々を過ごしている戦艦に対し、活躍の場を与えるという配慮もあったのだろう。

スプルーアンス大将【香取・舞風・野分】の三隻への航空機による攻撃を中止させた。
そして【アイオワ】16インチ三連装砲が唸りを上げる。
爆音が轟き、次の瞬間【香取】に砲弾が見事に直撃した。
爆撃機とは比べ物にならない衝撃は【香取】を沈めるには十分すぎる一撃であった。
【香取】は意地の砲撃を続け、また【アイオワ】をヒヤリとさせる距離にまで魚雷を放ったが一矢報いることはできなかった。
(アメリカ側の記録では「【舞風】の魚雷が【ニュージャージー】へ向けて」とある。)

【舞風】もこの集中砲火によって船体は断裂、やがて撃沈され、さらに【香取・赤城丸】から脱出した乗員には慈悲もなく絶命の機銃が浴びせられた。
【野分】は辛くも戦艦群の砲撃を回避し続けてトラック島を脱出した。
【阿賀野】救助に向かったものの間に合わなかったために引き返していた【那珂】も、午後の空襲の際に発見されて沈没した。
そして大量の輸送船が至る所で炎を上げていた。

17日夜、未だ松明のように海上には燃え続ける船がいる。
陸上空母からは逆襲の「九七式艦上攻撃機」が4機、またテニアン島からも陸攻5機が離陸した。
たった9機で、月も雲に覆われている中での出撃であったが、うち1機が幸いにも憎き空母を発見した(艦攻か陸攻かは不明)。
【米エセックス級航空母艦 イントレピッド】である。
夜襲を仕掛けた攻撃機の魚雷は見事に【イントレピッド】の舵を破壊し、【イントレピッド】は6隻もの護衛を受けながら後退した。
この戦いにおける日本唯一の戦果であった。

しかし夜間攻撃を仕掛けたのは日本だけではなかった。
息の根が止まるまで攻撃をやめる姿勢のないアメリカは、夜にも夜間攻撃用のレーダーを搭載した「TBF」12機を出撃させ、健在だった輸送船がまた海の藻屑となっていった。
この時は48発もの爆弾が投下された。
大破しながらも踏ん張り続けていた歴戦の旧式艦【文月】もこの夜間空襲によって力尽きた。

翌18日、太陽はどれだけ願っても無遠慮に昇ってくる。
そして悪夢を振り返るように、再び空は目障りな黒点と耳障りなプロペラ音によって支配された。
この時日本は戦うすべを何一つ持っていなかった。
全くの丸裸、なすがまま空襲を浴び続けた。

擱座状態であった【太刀風】が沈没し、また【阿賀野】沈没後にトラック島の空襲の報告を受けて一時退避しながらも、救助のために戻ってきていた【追風】にも危機が迫っていた。
【追風】は艦長、【阿賀野】砲術長、【阿賀野】機関長、【阿賀野】艦長と次々に引き継いだ指揮官が倒れていき、最終的には【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】「TBF」によって船体が引き裂かれて沈没した。
生き長らえた艦もあったが、アメリカは2日間計12波に及ぶ攻撃によって軍艦・補助艦合わせて40隻という前代未聞の撃沈数を記録した。
アメリカの損害は機体25機と【イントレピッド】の中破撤退のみであった。

日本はこの損害について、大本営が珍しく被害状況をかなり実情に近い数値で発表した。
それほどトラック島の壊滅的打撃は日本にとって由々しき事態であった。
このトラック島崩壊によってラバウルの復興は絶望的となり、ラバウルにあった少ない航空機は全てトラックへと移された。
同時に拠点もパラオへと移されたが、結局パラオもトラック島の二の舞となり、3月30日からの大空襲で同じように壊滅している。
この2回の空襲による輸送船の沈没がもたらす影響は計り知れず、さらに「海軍乙事件」も発生するなど、より一層日本の防衛ラインと防衛力は低下することになる。

一方アメリカはトラック島の無力化に成功したが、占領には踏み出さなかった。
日本が再びトラック島に戦力を集中させ、反撃の玄関口として活用するのであれば占領は必要であったが、今回のアメリカの出撃はその行動に対するリスクが大きすぎるということが日本にも染み渡ったであろう。
ならばトラック島は放棄される可能性が高く、すなわち無駄に兵力と時間をトラック島に割く必要はないという判断となったのである。

トラック島の無力化はトラック島北東にあるエニウェトク環礁の制圧に大きく貢献し、同18日の「エニウェトクの戦い」ではアメリカは日本の航空支援がない中2日で奪還に成功した。
そしてやがては「マリアナ沖海戦」へとつながっていくのである。
孤立し、補給路が寸断されたトラック島にかつての賑わいはなく、空襲に怯えながら終戦まで自給自足が続いた。

空襲後、国内では空襲前夜の警戒弛緩について糾弾があったが、絶対国防圏が壊滅状態で突破され、かつ敵に対する戦果が皆無に等しい国辱的敗北にもかかわらず責任者の更迭程度で済ませている。
この更迭によって東條英機内閣総理大臣兼陸軍大臣嶋田繁太郎海軍大臣がそれぞれ陸軍参謀総長と軍令部総長を兼務することになったが、非常事態による権力集中を行うにはあまりにも遅すぎた。
東條英機内閣は次なる絶対国防圏として挑んだ「マリアナ沖海戦」大敗後の7月18日に総辞職した。
「トラック島空襲」は日本では「海軍丁事件」と呼称される。

トラック島の機能を完全停止させる

両者損害

大日本帝国連合国
沈 没
【阿賀野】 
【那珂】 
【香取】 
【舞風】 
【太刀風】 
【追風】 
【文月】 
【明石】 
【第二十四号駆潜艇】 
【第二十九号駆潜艇】 
【第十号魚雷艇】 
【辰羽丸】 
【五星丸】 
【平安丸】 
【愛国丸】 
【麗洋丸】 
【西江丸】 
【清澄丸】 
【桑港丸】 
【天城山丸】 
【第三図南丸】 
【富士山丸】 
【花川丸】 
【夕映丸】 
【山鬼山丸】 
【神国丸】 
【富士川丸】 
【瑞海丸】 
【赤城丸】 
【伯耆丸】 
【松丹丸】 
【北洋丸】 
【宝洋丸】 
【大吉丸】 
【長野丸】 
【りおでじゃねろ丸】 
【山霧丸】 
【第六雲海丸】 
【桃川丸】 
【大邦丸】 
【乾洋丸】 
【日豊丸】 
(陸海軍・民間船混在) 
中 破
【松風】【イントレピッド】
【秋津洲】
【羽衣丸】 
小 破
【時雨】
【春風】 
【伊10】 
【呂42】 
【宗谷】 
喪 失・損 傷
航空機 25機 損失
【白根丸】 
【白鳳丸】 
航空機 約300機 喪失・損傷