標的艦

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【標的艦】とは、砲撃や爆撃の訓練の際に標的として使われる艦のこと。
一線を退いた艦が用いられるケースが多いが、一部標的艦として建造された船もある。
また、標的に確実な攻撃を行い、標的艦をそのまま海没処分する場合もある。

日本初の標的艦は戦艦だった【摂津】である。
1912年に竣工した【摂津】だったが、ちょうどこの時期はイギリスで【ドレッドノート】が誕生し、戦艦の常識が大きく変わった。
「河内型戦艦」【摂津】【河内】は弩級戦艦ではあったものの、時代はすでに【ドレッドノート】をベースとした超弩級戦艦建造に移っており、2隻は弩級戦艦であることと性能の悪さも含めて、活躍の機会は殆どなかった。

【河内】は1918年に火薬庫爆発によって爆沈しており、【摂津】は1隻だけで時を過ごしていた。
やがて1922年に「ワシントン海軍軍縮条約」によって各艦の艦艇保有制限がかけられると、【摂津】は戦艦保有枠から外されることになった。
主力艦から退いた艦のうち1隻は【標的艦】として活用することが認められていたため、翌年から【摂津】【標的艦】として、戦艦時代よりも遥かに長い22年を【標的艦】として過ごすことになる。
ただし当初は攻撃後処分する艦を曳航する役割がメインで、自身が標的となることはなかった。

1937年からはドイツの無線操縦技術を用いて【摂津】の標的艦としての役割を拡大させた。
【摂津】は駆逐艦【矢風】に操縦されて目的地まで移動、その後砲撃訓練や爆撃訓練に用いられた。
やがて改造によって装甲が厚くなり、更には爆撃回避などの操艦技術を学ぶための練習艦としても活躍。
終戦間近に空襲によって大破するまで長きに渡って海軍に貢献した。

また、【摂津】を操縦していた【矢風】も開戦後は【標的艦】となり、【矢風】は国内ではなく遠征先での【標的艦】として活躍。
また通常任務にも就き、船団護衛に多く従事している。

他にも最初から【標的艦】として建造された【浜勝】【大浜】が存在した。