友鶴事件

その他の艦船

迅鯨【迅鯨型潜水母艦 一番艦】

起工日 大正11年/1922年2月16日 進水日 大正12年/1923年5月4日 竣工日 大正12年/1923年8月30日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月10日(十・十空襲) ...
その他の艦船

【鴻型水雷艇】

鴻型水雷艇【鴻】 起工日 昭和9年/1934年11月8日 進水日 昭和10年/1935年4月25日 竣工日 昭和11年/1936年10月10日 同型艦数 8隻 次...
その他の艦船

【千鳥型水雷艇】

千鳥型水雷艇【千鳥】 起工日 昭和6年/1931年10月13日 進水日 昭和8年/1933年4月1日 竣工日 昭和8年/1933年11月20日 同型艦数 4隻 次...
軽巡洋艦

龍田【天龍型軽巡洋艦 二番艦】

【天龍】同様、高速の水雷戦隊旗艦を務める目的で【龍田】は建造されますが、やはり小さすぎたため、時代の変化に追いつくための強化をすることができませんでした。 【龍田】は最後に潜水艦の魚雷によって撃沈されるのですが、逆に潜水艦を沈めたこともあります。 ところがそれは、帝国海軍の潜水艦でした。
重巡洋艦

熊野【最上型重巡洋艦 四番艦】

5月には、「最上型」4隻をはじめとする第七戦隊に所属して「ミッドウェー海戦」へ出撃します。 ところが「ミッドウェー海戦」はまさかの大敗北。 主力の航空母艦4隻をたった一日で失った連合艦隊ですが、司令部はこのまま戻ってなるものかと、夜に乗じて当初の作戦通りミッドウェー島を砲撃するつもりでした。 しかしやっぱり止めだと命令は撤回、第二艦隊は撤退することになります。
重巡洋艦

鈴谷【最上型重巡洋艦 三番艦】

「友鶴事件」、そして「第四艦隊事件」と、相次いで船体設計の不備が発覚する中、「最上型」の三番艦【鈴谷】はこれらの問題を解消した上で建造されることになります。 そのため、【最上・三隈】とは設計が異なり、「改最上型」や「鈴谷型」と分類されることもあります。ボイラーが大型8基、小型2基の予定だったものを、大型8基にしぼり、その結果煙突を少し細くしています。
重巡洋艦

三隈【最上型重巡洋艦 二番艦】

【最上】と同じく、将来的に重巡洋艦として20.3cm連装砲を装備することを前提に建造された軽巡洋艦【三隈】です。 「バタビア沖海戦」では日本の輸送船団を狙う連合軍と対峙し、【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】、【豪パース級軽巡洋艦 パース】を撃沈させます。 日本の輸送船団にも損傷が出ますが(【最上】の誤射含む)、この海戦では一応の勝利を手にします。
重巡洋艦

最上【最上型重巡洋艦 一番艦】

昭和5年/1930年になると、日本は軽巡洋艦の老朽化に伴う代替艦の建造を計画していました。 「天龍型」は竣工してから10年になり、しかも3,500t級の小型設計。 「球磨型」の【球磨・多摩】も5,000t級ではあるものの大正9年/1920年、21年竣工でした。 軍縮の流れがあるとはいえ、このままでは国家を守る軍備が滞ってしまいます。
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