友鶴事件 | 大日本帝国軍 主要兵器

友鶴事件

用 語

第四艦隊事件

【第四艦隊事件】とは、海軍艦艇の重大な脆弱性が露呈した、艦艇史上重要な海難事故である。 【友鶴事件】とともに、以後の艦艇建造に多大な影響を与えた。 1934年、日本は【千鳥型水雷艇 友鶴】が設計の半分程度の傾斜で転覆し、100名の死...
用 語

友鶴事件

【友鶴事件】とは、海軍艦艇の復原力に重大な欠陥があることが露呈した、【千鳥型水雷艇 友鶴】の予期せぬ転覆事故である。 【第四艦隊事件】とともに、以後の艦艇建造に多大な影響を与えた。 1934年3月12日、【友鶴】は佐世保警備戦隊旗艦...
その他の艦船

迅鯨【迅鯨型潜水母艦 一番艦】

起工日 大正11年/1922年2月16日 進水日 大正12年/1923年5月4日 竣工日 大正12年/1923年8月30日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年10月10日 (十...
駆逐艦

白露【白露型駆逐艦 一番艦】

「特型駆逐艦」が「ロンドン海軍軍縮会議」によって建造を断念することになり、軽量型となる「初春型」が建造されますが、その結果は日本の駆逐艦史上でも最悪と言っていい失敗となってしまいました。 トップヘビーによる復原力不足、強度不足、バランスの悪さが災いし、結局「初春型」は「特型駆逐艦」よりも重いのに「特型駆逐艦」よりも攻撃力が劣化、速度も33ノットという平凡な姿に成り下がります。
駆逐艦

初春【初春型駆逐艦 一番艦】

難産、そして登場後も様々な改造が施された「初春型」ですが、そのあまりの失敗ぶりから14隻の建造計画は着手していた6隻で打ち止め。 急遽「白露型」の建造が決定します。 当時はこの「初春型・白露型」の区別が曖昧で、書籍には「有明型」が2隻存在する表記もあれば、「白露型」も「初春型」に含まれることもあったそうです。
駆逐艦

求めすぎた結果、大損した初春型

日本が誇るべき駆逐艦である「特型駆逐艦」、その優秀な存在は、徐々に海軍にとって重すぎるものになってきました。 それは、建造コストです。 「特型」は強すぎるのでとにかくたくさんほしいのですが、工程が多く建造コストは予算に大きく...
その他の艦船

【鴻型水雷艇】

鴻型水雷艇【鴻】 起工日 昭和9年/1934年11月8日 進水日 昭和10年/1935年4月25日 竣工日 昭和11年/1936年10月10日 同型艦数 8隻 次...
その他の艦船

【千鳥型水雷艇】

千鳥型水雷艇【千鳥】 起工日 昭和6年/1931年10月13日 進水日 昭和8年/1933年4月1日 竣工日 昭和8年/1933年11月20日 同型艦数 4隻 次...
軽巡洋艦

龍田【天龍型軽巡洋艦 二番艦】

【天龍】同様、高速の水雷戦隊旗艦を務める目的で【龍田】は建造されますが、やはり小さすぎたため、時代の変化に追いつくための強化をすることができませんでした。 【龍田】は最後に潜水艦の魚雷によって撃沈されるのですが、逆に潜水艦を沈めたこともあります。 ところがそれは、帝国海軍の潜水艦でした。
重巡洋艦

熊野【最上型重巡洋艦 四番艦】
Kumano【Mogami-class heavy cruiser Forth】

5月には、「最上型」4隻をはじめとする第七戦隊に所属して「ミッドウェー海戦」へ出撃します。 ところが「ミッドウェー海戦」はまさかの大敗北。 主力の航空母艦4隻をたった一日で失った連合艦隊ですが、司令部はこのまま戻ってなるものかと、夜に乗じて当初の作戦通りミッドウェー島を砲撃するつもりでした。 しかしやっぱり止めだと命令は撤回、第二艦隊は撤退することになります。