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『白露型駆逐艦』

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艦型と個艦の説明を分けましたが、単純に分割しただけなので表現に違和感が残っていると思います。
基準排水量 1,685t
垂線間長 103.50m
全 幅 9.90m
最大速度 34.0ノット
航続距離 18ノット:4,000海里
馬 力 42,000馬力
主 砲 50口径12.7cm連装砲 2基4門
50口径12.7cm単装砲 1基1門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃 40mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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初春型の改良型も、未だ発展途上の白露

「特型」が予算不足だったり「ロンドン海軍軍縮会議」の締結だったりといくつかの理由によって建造を断念することになり、代わって軽量型となる「初春型」が建造されますが、その結果は日本の駆逐艦史上でも最悪と言っていい失敗となってしまいました。
トップヘビーによる復原力不足、強度不足、バランスの悪さが災いし、結局「初春型」「特型」よりも重いのに「特型」よりも攻撃力が劣化、速度も33ノットという平凡な姿に成り下がります。
その後、「初春型」は意外なほど活躍をするのですが、それは後の話。

「初春型」のあれこれは『求めすぎた結果、大損した初春型』をご覧いただきたいのですが、そのあれこれの結果、「「初春型」の問題を解消し、61cm四連装魚雷発射管を積んで速度が出る駆逐艦が必要」ということになって設計しなおしたのが「白露型」です。
本来であれば【白露】以下は「初春型」の7番艦以降として建造予定でした。

「白露型」「ロンドン海軍軍縮条約」下での建艦計画の第一弾である「マル1計画」(昭和6年度~11年度まで)で6隻の建造が、「マル2計画」(昭和9年度~12年度まで)で4隻の建造が決定します。
しかしこれは歴史を振り返ってみた場合の見方であり、上記のように当初は「白露型」は存在せず、「初春型」(及び「有明型」)計12隻の計画でした。
「マル2計画」に関しても、14隻の計画だったうち10隻が「朝潮型」となっています。

「友鶴事件」発生後、最大で22隻となる可能性があった「有明型」は幻となり(一時艦艇類別等級別表では【有明、夕暮、白露~春雨】までが「有明型」にちゃんと分類されている時がありました)、復原性をしっかり確保した形で「白露型」の建造が決定します。
前述の通り61cm四連装魚雷発射管が完成していたため、これが新型のメインとなります。
ちなみに「白露型」は昭和10年/1935年の「第四艦隊事件」を受けて、設計段階から強度補強を行った【海風】からの4隻が「改白露型」と称されます。

「白露型」で知っておきたいのは、【白露】前後の起工日の関係です。
【有明】の起工日は昭和8年/1933年1月14日、【夕暮】は4月9日、【白露】は11月14日です。
【子日】が昭和8年/1933年8月に公試を行っていて、「初春型」の問題が初めて明るみに出るのはこの頃です。
そして「友鶴事件」が昭和9年/1934年3月12日ですから、これは【白露】起工から4ヶ月後の出来事です。
この時の【白露】【夕暮】と同じような船体設計に加えて61cm四連装魚雷発射管2基、連装砲3基搭載の武装だったはずです。

つまり、【夕暮】はもう間に合わなかったが、【白露】は起工後4ヶ月で全部チャラにしてもう一回考えなおすことができるギリギリのラインだったということです。
もう少し起工日が早ければ、【白露】「初春型」に属する可能性もあったのでしょうか。

まずトップヘビーを解消するために艦橋がめちゃくちゃコンパクトになりました。
平面が多く角張っており、指でつまみやすそうなシンプルな形状になっております。
「特型」以来羅針艦橋の上に射撃指揮所や魚雷発射指揮所などが配置されていましたがこれもありません。
羅針艦橋の上にはのちに「暁型」「初春型」でも改装時に設置された3m測距儀付きの九四式方位盤射撃塔が置かれ、3層構造となっています。

船体にはこれまでの高張力鋼から上甲板などにもDS鋼を用いて電気溶接ができる範囲を拡大し、水線上の軽量化を狙っています。
しかし電気溶接は「第四艦隊事件」で裏目に出てしまい、改修時に張りなおすことになってしまいます。

攻撃力に関してはやはり61cm四連装魚雷発射管2基と次発装填装置の組み合わせが目を見張ります。
「初春型」は改装前の雷撃力が三連装×3+次発装填装置という【島風】を上回りかねない強力なものでありましたが、この威力を発揮する機会を得る前に三連装×2に減じてしまいました。
日本は次発装填装置の開発によって、9射線を忍んで8射線を短時間で2回攻撃できる能力を優先しました。
やっぱり3基は場所を取りすぎます。
そしてこの四連装魚雷発射管が以後【島風】を除いた全ての駆逐艦で採用され続けます。
駆逐艦としてはもちろん初めて、海軍全体で見れば「妙高型」に次いで採用された艦となります。

61cm四連装魚雷発射管には3タイプがあり、「白露型」では2型が使われています。
1型では旋回が人力だったのが機力式に代わり、全周旋回が25秒と即応性に優れ、また15度程度の傾斜でも旋回・発射が可能となりました。

次発装填装置の配置ですが、「初春型」では次発装填装置を置くために艦橋の後ろの構造物は発射管含めてとにかく左右非対称が多く、大変不格好なものでした。
2番煙突は右舷寄り、1番、2番、3番魚雷発射管は左舷、中央、右舷寄りと斜めになり、さらに魚雷発射管の高さも違う。
「吹雪型」であった美しさは武装強化によって徐々に損なわれていき、それが極まったのが「初春型」で、そしてその結果が「友鶴事件」です。
とにかく「白露型」は復原性を確保するのと同時に、バランスを保つためにスマートなデザインとなりました。

魚雷発射管はいずれも中心線上に置かれ、次発装填装置は1番魚雷発射管に対しては2番煙突を挟む形で2本ずつ斜めに、つまり右から2本、左から2本装填する形へ。
2番発射管にはそのすぐ後ろに置かれ、わかりやすい配置となりました。

しかし四連装を搭載するということは、1基あたりの重量が大幅に増えてしまうことが確実視されていました。
開発の段階では造兵部が三連装並みの重量に抑えると約束したそうですが、1本分の追加スペースなり材料なりが全てイコールになるわけもなく、結局1基あたり4tも重くなってしまいました。
まぁ重いから三連装にしようってなっちゃうと「白露型」はほんとに「初春型」を造り直しただけの艦になってしまいますから、重くても四連装を載せるのは致し方ないとは思います。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

主砲は「初春型」と同じく12.7cm単装砲1基連装砲2基の5門となり、2番主砲が単装砲でした。
ただ【有明、夕暮】もそうですが、12.7cm連装砲B型に関しては仰角75度の必要性が重量に見合っていないとのことで、軽量仰角55度の制限を持たせたC型へと変更されています。
間違ってはいけないのは、55度「制限」であり、C型でも75度まで仰角を上げることは手を加えれば不可能ではありません。

単装砲については調べる限りでは2つの説があり、仰角75度のA型改一の仰角を改造して40度に制限した説と、仰角40度制限のB型を搭載した説です。
つまりB型という単装砲が存在したのかどうかという違いです。
少なくとも【白露】のみはA型改一であることがわかっておりますが、見る限りでは【白露】以後はB型搭載説が多い気がします。

主砲でややこしいのは連装砲もです。
なぜか【夕立】の連装砲だけでB型改二なのですが、これもB型改三だという資料もあってはっきりしません。
外観からB型であることは確実なのですが(砲塔後部が丸みがある)、B型改二とB型改三は内部構造の違いによる分類であると思われます。
【夕立】の連装砲2基は【真鶴、初雁】から撤去されたものを使用していて、B型改三の場合はB型改二に加えて方位盤受信装置が新設されているようです。
【夕立】以外はみんなC型を搭載しています。

機銃は変わらず毘式40mm機銃が2挺のみ。
時期的には国内でも【蒼龍】の建造計画が進んでいる時なので、もうそろそろ増強してもよさそうなものですが、重心を下げることを第一とした弊害でしょうか。
ちなみに「改白露型」からは13mm連装機銃2基を搭載したらしいですが、これが初期からなのか毘式40mm機銃から換装されたのか、これもまたはっきりしません。

対潜兵装も強化され、「初春型」では1基ずつだった九四式爆雷投射機と爆雷装填台が2基ずつに増えています。
その代わりに舷側に配置されていた手動投下台がなくなっています。

「白露型」で最も不満となったのは、航続距離の短さと速度の遅さでした。
18ノットで4,000海里は「特型」よりも劣る数字で、水雷戦隊をあらゆる海域で活躍させるためにはやはりこの数字では納得いかなかったのです。
実際は5,000海里ほど航行することができましたが、それは運用して初めて判明したものであり、計画時点では知る由もありませんでした(この頃から機関関連の計画と実績の乖離が続きます)。
速度も34ノットと決して速くなく、後ほど他の艦も強度補強の工事を行った結果速度が落ちるとはいえ、駆逐艦の利点を大きく損なう速度でありました。
そもそも「白露型」「初春型」で失われた雷撃力と速力を底上げするための駆逐艦だったので、低速なのは非常に問題でした。

さらに「白露型」はあくまで損なわれてきた復原性を取り戻すために新しく設計された駆逐艦であって、強度不足を補う取り組みがメインではありませんでした。
「白露型」が取り組んだのは、あくまで復原性を高める構造に改めることでした。
甲板上の構造物の軽量化を追求し、艦底外板を厚くして重心を下げた設計が、とんでもない爆弾を抱えていたことを知るのは、「第四艦隊事件」まで待たなければなりません。

「第四艦隊事件」が発生した時、「マル1計画」の6隻はすでに進水済みで、艤装中に発生したこの事件は「白露型」も容赦なく飲み込みました。
「白露型」はバランスよくコンパクトになったとはいえ、引き続き1,500t以下に抑えるため、また重心を下げるために軽量化を重視した設計でした。
しかし予測し得ない嵐の中で行われた演習によって多くの艦が大小さまざま損傷を負い、特に電気溶接を採用している艦には被害が目立ちました。
電気溶接の技術力が不十分なまま多用したツケをしっかり払わされることになり、「白露型」の工事は中断、多くの艦同様強度補強のための工事が行われました。

想定外の補強工事を行った結果、登場した「白露型」の排水量は1,685t、公試では2,075tと目も当てられない数値に。
できあがってみれば1,500t級には遠く及ばず、重さは「特型」とほぼ同じになってしまいました。
この重量は「初春型」の1,700tとともに諸外国には伏せられており、次の「朝潮型」はもともとオーバーすることも覚悟の上で建造され、結局日本には「ロンドン海軍軍縮会議」の排水量基準を満たした駆逐艦が登場することはありませんでした。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

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