イサベル島沖海戦 | (正式名称なし) |
戦闘参加戦力
大日本帝国 | 連合国 |
○第一次ガ島撤収部隊 (司令官:橋本信太郎少将) |
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エスペランス隊 | |
・警戒隊 第三水雷戦隊 | |
駆逐艦【巻波】 | |
駆逐艦【舞風】 | |
駆逐艦【江風】 | |
駆逐艦【黒潮】 | |
駆逐艦【白雪】 | |
駆逐艦【文月】 | |
輸送隊(司令官:木村進少将) | |
・第一〇水雷戦隊 | |
第十駆逐隊 | |
駆逐艦【風雲】 | |
駆逐艦【巻雲】 | |
駆逐艦【夕雲】 | |
駆逐艦【秋雲】 | |
第十七駆逐隊 | |
駆逐艦【谷風】 | |
駆逐艦【浦風】 | |
駆逐艦【浜風】 | |
駆逐艦【磯風】 | |
カミンボ隊 | |
・警戒隊 | |
駆逐艦【皐月】 | |
駆逐艦【長月】 | |
・輸送隊 | |
第十六駆逐隊 | |
駆逐艦【時津風】 | |
駆逐艦【雪風】 | |
第八駆逐隊 | |
駆逐艦【大潮】 | |
駆逐艦【荒潮】 |
ケ号作戦の第一次 巻雲の犠牲は13030名の救出へつながる
1942年12月31日、太平洋戦争開戦から1年と半月がすぎ、「ミッドウェー海戦」に続く同戦争の大きな分水嶺が訪れた。
ガダルカナル島からの転進(撤退)が決定されたのである。
開戦前から日本が要所として挙げていた南方諸島の最東方の群島にあるガダルカナル島は、8月から陸海空で激しい戦闘が繰り広げられていた。
制空権を奪われてからの日本は苦しい戦いを強いられ、特に陸軍兵士達はアメリカ兵よりも飢えとの戦いに敗れて次々と斃れていった。
大晦日に大きな決断を下した日本は、ガダルカナル島に残る兵士たちを救出すべく、計画を練る。
餓島と呼ばれたガダルカナル島にいる兵士たちは、もはや戦うどころか生きることすら困難な状態にある。
後にわかることではあるが、ガダルカナル島での陸軍兵士の死因第1位は餓死・病死である。
一刻も早く救助しなければ、犬死の兵士の骨が積まれるだけだ。
しかし闇雲に輸送部隊を送れば、これまで同様空襲などで虎の子の艦船が沈められてしまう。
そしてそれが撤収であることが露呈すると、日本に戦う意志がないことが伝わってしまい、一気呵成に進軍されるだろう。
この作戦はアメリカを欺き、更にはアメリカに進軍を躊躇させ、その隙きを突いて兵士たちを収容するという、非常に困難なものであった。
まずはじめに、日本はアメリカへの抗戦強化を伝えるべく、1943年1月15日からガダルカナル島やポートモレスビー、ラビの飛行場に連日夜間空襲を行った。
加えて被害の増大から一時中断していた鼠輸送や潜水艦の輸送を再開し、被害を負いながらも日本は撤収の気配を気取られないように攻撃の手を緩めなかった。
そんな中、1月29日に日本の偵察機がガダルカナル島の南東に位置するサンクリストバル島(現マキラ島)の南海上を航行する輸送艦隊を発見した。
日本は【九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機】を向かわせて「レンネル島沖海戦」が勃発。
10機の機体を失ったが、【ノーザンプトン級重巡洋艦 シカゴ】を沈没させ、「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」の準備は整った。
2月1日に、計20隻という大撤収艦隊がショートランド泊地を出撃。
ソロモン諸島に近づくに連れ、灰色の雲が空を覆い、艦隊は荒れる海を航行していった。
これまでの日本の行動を知っているアメリカが、この大艦隊を発見しないという楽観的な思考はない。
いずれくる空襲に備えて各艦曇天から目を話すことはなかった。
その航空支援として、【零式艦上戦闘機】40機、【九九式艦上爆撃機】13機が、ガダルカナル島北にあるサボ島付近を飛行していた。
そこで、輸送部隊として【米フレッチャー級駆逐艦 ニコラス、ド・ヘイヴン】と高速輸送艦、また2隻の戦車揚陸艇が航行しているのを発見。
(索敵機の報告を受けて出撃という可能性もあり。)
この時の認識は「巡洋艦2隻、駆逐艦3隻」であった。
【九九式艦上爆撃機】は直ちに目標に向けて急降下を始めた。
この輸送部隊は予め敵機襲来の可能性があるという報告を受けていたため、即座に襲撃に反応。
機銃掃射によって第一次攻撃の6機中3機を撃墜した。
しかし全機、つまり6発の爆弾は全て投下に成功し、そして見事に3発が【ド・ヘイヴン】に命中した。
この被弾に耐えきれなかった【ド・ヘイヴン】はやがて沈没。
【ニコラス】も至近弾を受けて小破した。
【ド・ヘイヴン】の生存者は戦車揚陸艇によって救助された。
いわゆる「イサベル島沖海戦」と呼ばれるのは、大部分をこの空襲で占める。
しかし戦闘地域はサボ島とガダルカナル島の間にある「アイアン・ボトム・サウンド」であるため、地理的にはこの呼称は誤っているとも言える。
「ケ号作戦」中の戦闘の総称という扱いも多いが、本項では以下の戦闘を含め、2月1日の戦闘を「イサベル島沖海戦」と考える。
【ド・ヘイヴン】が沈みゆく中、20隻の駆逐艦はサンタイサベル島を西に認め、ガダルカナル島へと航行を続けていた。
そこへ、今度は日本の艦隊がアメリカの航空部隊に捕らえられた。
計41機という数は20隻に対して決して多くはないが、こちらの直掩機は【零戦】18機と分が悪かった。
この空襲により警戒隊旗艦の【巻波】が被弾して大破、航行不能に陥ったが、幸いにも艦の被害は【巻波】1隻に留まった。
【巻波】は【文月】に曳航されてショートランドまで引き返すことになった。
旗艦は【白雪】へ変更され、艦隊は引き続きガダルカナル島目指して航行を続ける。
アメリカはこの遭遇を受けて、日本の「東京急行」が性懲りも無くガダルカナル島へ突入してくることを知る。
そこでアメリカはガダルカナル島の北西の先にあるエスペランス岬、まさに【ド・ヘイヴン】達が空襲を受けた近くで防御陣を築いた。
しかし砲雷撃戦の要となる駆逐艦は日本の空襲によって配備を諦めざるを得なくなり、機雷255個と魚雷艇でこっそり妨害する方法へ転換している。
敷設から3時間後、夜の帳も降りた頃に18隻の駆逐艦がそれぞれエスペランス、カミンボに接近。
いよいよ増援、ではなく撤収という時に、待ち構えていた魚雷艇11隻が襲いかかっているが、直掩機の護衛もあって4隻を撃沈し返り討ちにしている。
しかしもう一つの敵に日本は気づいていなかった。
撤収中、突然【巻雲】から爆発音が発せられたのである。
敷設した機雷に接触してしまったのだ。
【巻雲】は【夕雲】に曳航されて隣のカミンボ沖まで移動したが、船体の歪みと浸水が酷くなる一方で、止む無くここで雷撃処分されることになった。
道中で【巻波】が引き返し、到着寸前で【巻雲】が沈没してしまったが、計5,400人あまりの撤収に成功。
そして以後2回の作戦でも沈没艦はなく、艦艇だけで計算すれば日本は【巻雲】1隻の犠牲で合計13,030名の兵士を餓島から救い出すことに成功したのである。
日本の作戦成功 |
両者損害
大日本帝国 | 連合国 |
沈 没 |
【巻雲】 | 駆逐艦【ド・ヘイブン】 |
喪 失・損 傷 |
航空機 13機 喪失 | 航空機 14機 損失 |