基準排水量 | 32,720t |
全 長 | 215.80m |
水線下幅 | 28.98m |
最大速度 | 26.5ノット |
航続距離 | 16ノット:5,500海里 |
馬 力 | 80,000馬力 |
世界が日本を脅威に感じた瞬間 長門型誕生
多数の欠陥に頭を悩まされるも、戦艦を建造するスキルを身につけた日本は、いよいよ本格的に軍艦の増備を行います。
【長門】は、明治40年/1907年に立ち上がった「八八艦隊計画」の一隻として、大正9年/1920年に竣工します。
これまで世界は米英が最新鋭軍艦を建造・所持し、それに西欧が続き、さらにあとから日本が追いかける構図でした。
しかし、この【長門】の誕生は、米英をはじめ、世界を震撼させる大事件となったのです。
「長門型」の設計で最も重要とも言えるのは、「ユトランド沖海戦」の教訓が設計段階である程度反映されている点です。
過去の戦艦は全て竣工後に防御力を無理やり上げていますが、「長門型」はこれまでの戦艦に比べて格段に強固な船になりました。
また、イギリスの傑作「クイーン・エリザベス級戦艦」というお手本もあったことから、日本は再びイギリスの戦艦を参考に戦艦の建造に取り掛かります。
『「長門型」と言えば』という枕詞は「長門型」には使えません。
「長門型」はとにかく特徴だらけでした。
世界初の41cm連装砲を4基搭載、加えて巡洋戦艦に肉薄する26.5ノットの最高速度を誇り(戦艦としては世界最速)、防御性もトップクラスを実現、さらに加減速性能の向上、近代的な艦橋、居住区環境の改善等、非の打ち所のない戦艦でした。
なお、日本は当時、このスペックを正確に公表しておらず、全長を「201.0m」、最高速度を「23ノット」としていました。
しかし少なくとも速度に関しては、当初からアメリカにはあらかた嘘であることがバレていたようです。
採用されている機関と煙突の大きさから、目測はたてることができました。
それぞれ少し細かく見ていきます。
主砲の41cm連装砲は大正4年/1915年に開発されていて、これはアメリカが近い将来16インチ(40.6cm)砲を採用することは容易に想像できたため、それを上回る口径として設定されました。
35.6cm連装砲はイギリスの毘式35.6cmを元に国産化されましたが、この41cm砲はまさに日本のオリジナルで、実際性能もよく、やがて現れる他国の近似値16インチ砲よりも性能は良かったようです。
ちなみに、当初こそ「41cm砲」ではありましたが、のちに締結される「ワシントン海軍軍縮条約」によって主砲の最大口径が16インチと決められた際、このままでは若干ながらサイズオーバーになることから名称だけ「40cm砲」に修正しています。
主砲と速度に関しては「扶桑型」の時のように複数案ありましたが、特に主砲については12門や10門とのせめぎあいがありました。
アメリカ戦艦が12門であったことからこの主張は当然ではありましたが、速度と排水量、そして片門斉射のバランスと方位盤照準装置の開発完了が間近だったことから、連装砲4基8門となりました。
つまり、これでも攻撃力は最大のものを選んではいませんでした。
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ
副砲は「伊勢型」と同じく14cm砲を20門としましたが、「伊勢型」のように20門搭載できればなんでもいい、という状態からは脱し、全て砲塔化、両舷にきっちり収まっています。
また水雷兵装はこの時点でもまだ搭載されていて、これが実は「伊勢型」の6門から8門へと増えています。
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ
速度は26.5ノットで、これは諸外国には隠されていましたが、後述する「ビック7」と呼ばれた戦艦たちに比べると、「米コロラド級戦艦」が21ノット、「英ネルソン級戦艦」が23ノットでしたから、相当速い部類でした。
「ユトランド沖海戦」を踏まえた防御設計はどうだったでしょう。
実は「長門型」の防御設計は万全ではなく、この点においては次の「加賀型戦艦」の設計こそが戦訓を最も反映させたものでした。
しかし各国「ユトランド沖海戦」を踏まえた設計では、○○で勝り、△△で劣るという状態で、日本は同じく「ユトランド沖海戦」で求められた戦艦の高速化の実現と、運用上問題がない程度の防御力を実現させました。
「長門型」においては、これまでの戦艦で疎かにされていた防御力を海軍大国レベルにまで引き揚げたことが評価されるべきでしょう。
艦橋はこれまでの三脚マスト型から七脚檣型となり、最終形の塔型ではないものの、防御力と射撃指揮所などの施設の集中を加味した設計となっています。
これは「扶桑型」で問題になった爆風対策でもありました。
艦橋の堅牢さは他の戦艦と比べても全く異なる点でした。
また、居住区は全幅が広くなった上に主砲塔が1基分減ったことにより居住スペースが増加。
艦内設備も充実しており、一気に居住性が改善されました。
操艦もしやすくなり、ありとあらゆる面で「長門型」は乗りやすい・乗りたい戦艦になったのです。
当然日本最強、世界も【長門】と二番艦の【陸奥】の登場により、「終わりのない大艦巨砲主義に歯止めをかけるべきだ」という機運が一気に高まりました。
これがのちの「ワシントン海軍軍縮会議」の開催につながることになりました。
それほど世界は「長門型」を脅威とみなしていたのです。
(この条約と、国内の予算不足により、「八八艦隊計画」は断念されています。)
「ワシントン海軍軍縮条約」締結後、41cm連装砲を装備する戦艦は世界で7隻にとどまります。
その7隻を「世界のビッグ7」とし、日本はそのうちの2隻を占めるほどの力を手に入れたのです。
(残りは「ネルソン級戦艦」2隻と、「コロラド級戦艦」3隻)
出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ