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陸奥【長門型戦艦 二番艦】
Mutsu【Nagato-class battleship Second】

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①大正10年/1921年竣工時
②昭和11年/1936年(大改装完了後)

起工日 大正7年/1918年6月1日
進水日 大正9年/1920年5月31日
竣工日 大正10年/1921年10月24日
退役日
(爆沈)
昭和18年/1943年6月8日
(柱島泊地)
建 造 横須賀海軍工廠
基準排水量 ① 32,720t
② 39,050t
全 長 ① 215.80m
② 224.50m
水線下幅 ① 28.98m
② 34.60m
最大速度 ① 26.5ノット
② 25.3ノット
航続距離 ① 16ノット:5,500海里
② 16ノット:10,090海里
馬 力 ① 80,000馬力
② 82,000馬力

装 備 一 覧

大正10年/1921年(竣工時)
主 砲 45口径41cm連装砲 4基8門
副砲・備砲 50口径14cm単装砲 20基20門
40口径7.6cm単装高角砲 4基4門
魚 雷 53.3cm魚雷発射管 4門(水中)、4門(水上)
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 混焼6基 重油16基
艦本式ギアード・タービン 4基4軸
昭和11年/1936年(大改装)
主 砲 45口径41cm連装砲 4基8門
副砲・備砲 50口径14cm単装砲 18基18門
40口径12.7cm連装高角砲 4基8門
機 銃 40mm連装機銃 2基4挺
(⇒のち25mm連装機銃 10基20挺)
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 10基
艦本式ギアード・タービン 4基4軸
その他 水上機 3機

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姉に続け 完成と言いはり、陸奥誕生

【長門】が起工した翌年、今度は横須賀で、妹の【陸奥】が起工されました。
大正9年/1920年に竣工した【長門】の登場が世界を驚かせたため、【陸奥】にも同様、いやそれ以上の期待感が込められて、建造は続けられました。

しかし、そんな【陸奥】が突如廃艦の危機に襲われます。
日本の台頭と世界的な軍拡機運を抑えるために、大正10年/1921年に「ワシントン海軍軍縮会議」を開催し、軍艦の建造数を制限することにしたのです。
この軍拡の波は各国の国家財政を破綻させかねないという理由ではありましたが、その裏側に日本の成長を阻害したいという思いがあったのは、対米英比率から見ても明らかです(日:米英=3:5)。
そして その条約の中には、「未完成艦は廃艦とする」という条文がありました。
誰とは言いませんが、【陸奥】を意識した条文であることは明らかでした。
(米英側も廃艦対象になる艦はいました。)

当時【陸奥】の完成度は6~8割ほどと言われており、進水はしていましたが、装備品の配備がまだできていませんでした。
日本としては、ここまで建造した【陸奥】をたった一文で廃艦にされてはたまったものではありません。
日本側は【陸奥】が完成していると言いはり、突貫工事を行い、強引に海軍へ引き渡すなど、あらゆる手をつくして【陸奥】を守りました。
米英側はそれでも未完成としての認識を改めず、立入検査をするなどしてなんとか証拠をつかもうとしましたが、日本は妨害工作でこれを阻止。
ついにその尻尾をつかむことができず、【陸奥】は無事、本当に完成することができました。

艤装工事中の【陸奥】

しかしその代償として、米英はそれぞれ「英ネルソン級」2隻、「米コロラド級」3隻の保有が認められ、日本の1隻を守った結果、敵艦を5隻増やすことになってしまったのです(条約では軍艦保有比率が決定されていたため、日本の保有数が増えれば、その分米英の保有数も必然的に増えます)。

41cm連装砲を装備する「世界のビッグ7」は、条約以前は実は【長門】とアメリカの【コロラド級戦艦 メリーランド】のみでした(【メリーランド】は計画時は35.6cm連装砲だったものを、【長門】を意識して40.6cm連装砲へ換装)。
しかしこの【陸奥】の完成によって、廃艦予定だった【コロラド級戦艦 コロラド、ウェストバージニア】の建造は続行(【ワシントン】は廃艦)となります。
当然主砲は40.6cm連装砲です。
イギリスの【ネルソン級戦艦 ネルソン・ロドニー】は、条約後に建造が始まり、やはり40.6cm連装砲を装備。
(ただし、「ネルソン級」は英戦艦史の中ではわりと失敗作です。条約の内容も含め、イギリスの世界的地位はこの時点でアメリカに並ばれてしまいました。)
二大巨塔の一角になるはずだった【長門】は、妹たる【陸奥】の誕生により、その地位を捨てたのです。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

なんとか完成にこぎつけた【陸奥】は、その瞬間から日本中で大ブームを巻き起こします。
まず、【陸奥】は進水式の際に皇后陛下にご臨席賜り、その豪華絢爛な光景は教科書にも掲載されていました。
少年たちはその教科書で【陸奥】を知り、みんなが【陸奥】の絵を書いて乗員になることに憧れを抱いていたのです。
また、先のような廃艦の危機は連日日本でも話題となっており、より【陸奥】の名は知れ渡るようになりました。
さらには、建造は人口の多い横須賀とあって、呉で竣工した【長門】よりも大勢の国民が【陸奥】を一目見ようと各地から集まってきたのです。

「陸奥と長門は日本の誇り」
カルタでも歌われたこの言葉通り、誰もが【陸奥】【長門】に日本の未来を託していたのでした。

さて、【陸奥】は妹思いの戦艦でもありました。
先の「ワシントン海軍軍縮条約」によって、実は守ることのできなかった戦艦がいます。
【加賀型戦艦 加賀、土佐】です。
「加賀型戦艦」は、「長門型」の三番艦、四番艦として登場する予定でしたが、「ユトランド沖海戦」を教訓に、より重厚で最新鋭の技術を取り入れることになったため、「加賀型」として独立することになりました。

ところが、条約によって戦艦の保有数は制限され、未完成だった【加賀、土佐】はともに廃艦が決定してしまいます。
【加賀】【天城型巡洋戦艦 天城】の大損傷により急遽空母へと改装されたため、延命していますが、【土佐】は遂に未完成のまま、標的実験艦として沈んでしまいました。
【陸奥】は昭和11年/1936年の大改装の際、この2隻が搭載する予定で作られていた41cm連装砲改良版を換装し、妹達の意思を継いでいます。
また【長門】も、大改装時に主砲をこの41cm連装砲改良版へ換装しています。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

大改装後の公試中の【陸奥】

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日本戦史の大きな謎 陸奥、突然の爆沈

昭和9年/1934年からの大改装の内容については【長門】を参考にしていただきたいですが、それよりも前に、【陸奥】にだけ施された変更があります。
それは艦首形状です。
「長門型」の独特のスプーンバウは、自軍が敷設した1号機雷を乗り切るためと凌波性の向上というのが目的でしたが、これの凌波性は改善されませんでした。
波は砲塔光学装置を曇らせ、また艦首が被弾したら最悪大浸水が発生する危険があったようです。
そのため【陸奥】は先にこの艦首形状を変更したのですが、残念ながら変更後も大した効果がなく、これは【長門】には施されていません。

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

そして昭和16年/1941年12月8日、太平洋戦争の開戦。
いざ本職となると、【陸奥】は姉同様に出番のない日々に悩まされることとなります。
「ミッドウェー海戦」【長門】とともに後方待機している最中の航空戦で、世界最強の機動部隊は一気に壊滅してしまいます。
続いて「第二次ソロモン海戦」に出撃する【陸奥】でしたが、今度は重巡洋艦の速度についていけないため、護衛の白露型駆逐艦3隻とともに後方でまたもや待機。
25ノットは決して遅くはありませんが、この時編制されたのは高速の重巡洋艦部隊。
彼女らはみな30ノットを超える速度が出せたため、編制するなら高速戦艦の「金剛型」以外になかったのです。
「お国のために」と勇んで戦地に赴いた兵士たちの落胆ぶりは、はたから見ていても気の毒で、かける言葉の一つも浮かばなかったほどだといいます。

結局「第二次ソロモン海戦」も出番のなかった【陸奥】ですが、その最期は唐突かつあまりにも呆気ないものでした。

昭和18年/1943年6月8日、広島湾の柱島泊地にて停泊中の【陸奥】の3番砲塔が、突然大爆発を起こします。
その衝撃はあまりに凄まじく、360tもの砲塔が艦橋の高さほどまで吹っ飛び、船体は真っ二つ、あっという間に沈没してしまいました。
隣で停泊していた【長門】は、【陸奥】の突然の爆沈を米軍の潜水艦魚雷によるものと判断し、すぐさま離脱、のちに救助艇を送り出しています。
同じくおよそ1kmほど南で停泊していた【扶桑】からも「陸奥爆沈ス。一二一五」と発信され、爆沈の時間がおよそ12時10分頃であることが判明しています。
死者数のべ1,121人、死者の大半が溺死ではなく爆死であることから、いかにこの爆発の衝撃が恐ろしいものであったかがわかります。

爆沈後、様々な検証が行われましたが、どうしても原因は突き止めることができず、諸説のすべてが推測の域を出ていません。
一時【陸奥】の浮揚と再戦力化が検討されましたが、海底にある【陸奥】の姿は見るも無残であり、とても復活できそうな状態ではなかったそうです。

【陸奥】の爆沈には緘口令が敷かれます。
当時日本の戦況は急激に悪化し、その上国民的人気であった【陸奥】が、戦地ではなくあろうことか日本国内で爆沈とあっては、国民の心情やいかにという配慮がなされたためです。

日本の誇りであった【陸奥】は、その期待に応える機会もないまま、誰もが想像もしなかった最期で歴史に幕を下ろしたのでした。

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戦 艦
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※1 当HPは全て敬称略としております。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
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勝手ながら本HPの参考文献、引用文献はすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
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