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神風【神風型駆逐艦 一番艦】その2

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潜水艦vs神風 海軍の宿敵との一騎打ち

シンガポールを巡る航行の中心となった【神風】
連合軍としてもたかがボロい駆逐艦1隻なのですが、過去の報告からそう侮れる相手でもないことがわかっており、通商破壊をより安全に確実に行うためにも、この【神風】を排除することが優先されました。
何しろ【神風】は開戦以来膨大な数の船団護衛をこなしており、連合軍の戦果を抑え込んできた張本人なのです。

7月15日(17日)、【神風】は輸送船3隻を特設掃海艇3隻ととも護衛してシンガポールを出撃。
一行はベトナムとカンボジアの国境の港であるハッチェンを目指します。
18日の昼過ぎ、船団はプロテンゴール沖に差し掛かります。
とにかく陸沿いに進むことが潜水艦対策として重要なので、輸送船はマレー半島へ向かい、【神風】は之字運動を繰り返しながら周辺の警戒を続けました。
【神風】はこの輸送に関して、唯一の邪魔者である自分をまず狙ってくると確信していました。

その船団をはっきりと捉えている存在があります。
【米バラオ級潜水艦 ホークビル】です。
潜望鏡でもソナーでも【神風】の姿は筒抜けでした。
普通はこの【神風】をやり過ごし、掃海艇しか護衛にいない輸送船を襲うところなのですが、連合軍としては輸送船3隻よりも【神風】撃沈のほうがより重要な戦果だと判断しており、【ホークビル】艦長のワース・スキャンランド少佐【神風】を沈めるように下命します。

【ホークビル】は一瞬戸惑います。
通商破壊に出ている潜水艦が、護衛の薄い輸送船ではなく駆逐艦を沈めるように命令されたのです。
しかし相手はあの【神風】、すでに周辺海域ではその名が行き届いていて、相当な邪魔者扱いされていたようです。
【ホークビル】は去り行く輸送船ではなく狙いを【神風】に定め、之字運動を続ける【神風】の動きを粘り強く捉え続け、攻撃のチャンスを伺いました。

一方【神風】も潜水艦が現れるとすればこの辺りであることは予測しており、ソナーの感知がよくなる10ノット前後の速度で丁寧に哨戒を続けます。
確証はないもののソナーにも探があり、目という目が白い雷跡と潜望鏡を追い続けていました。
来るぞ、抜かるな、【神風】は張り詰めた空気で充満していました。

【ホークビル】はなかなか隙を見せない【神風】に対し、放射状に魚雷を放つことでとにかく命中させることにします。
回避先にも魚雷が飛んできていれば、旋回中に命中するかもしれません。
午後4時ごろ、【ホークビル】は6本の魚雷を放射状に発射します。

それ見たことか、まだ半分ほどしか距離を詰めていないのに【神風】は見事にその雷跡のうち3本を捉えます。
右舷から迫りくる魚雷に対して【神風】は華麗な舵捌きでそれらを全て回避、そのまま速度を上げてソナーの捉える前方1500m付近に突っ込んでいきます。

【ホークビル】はたちまち命の危機に直面します。
もちろん想定していたことですが、あまりにも迅速な対応だったため全速力で逃げるしかありません。
この海域は浅瀬なので【ホークビル】も潜航できる深さに限度があり、潜望鏡深度で航行することになります。
しかし全没している状態だとフルスロットルでも10ノット程度が限界なので、逃げ切れるわけありませんでした。

一方【神風】は前述のようにソナーの性能をより高めるため、30ノットに迫るような速度は出せません。
しかし【ホークビル】を逃してしまっては元も子もないので、15~16ノット程度の速度で、ゆっくりと着実に探知している目標に向けて接近していきました。

【神風】の経験は【ホークビル】をじわりじわりと追い詰めていきました。
【ホークビル】の潜望鏡から見える【神風】の姿はみるみる大きくなります。
ついに【ホークビル】は7~800mまで接近され、潜望鏡を格納しながら次の一手を取るべく全力で動いていました。
三十六計逃げるに如かずとだんまりを決め込んでいたわけですが、ここまで追いつめられると反撃するしかありません。
しかし追尾魚雷は近すぎて信管のセットができず、後部魚雷を3本一気に発射します。

【神風】にはその雷跡が見えましたが、高速で進む【神風】が生み出した波のおかげかうち1本の魚雷の進路が傾きました。
【神風】はその隙間を逃さず、寸分のずれもなく魚雷を回避し、【ホークビル】の必死の攻撃も無効化します。
かわした魚雷との距離は目測2mほどだったと言われています。
【神風】はゆっくり沈んでいく潜望鏡を右舷に捉えながら爆雷をどんどん投下しました。
そして【ホークビル】の直上を通過し、やがて水柱がドーン、ドーンと【神風】の後方で発生しました。

この距離で魚雷を回避された【ホークビル】ですが、そんなショックに心揺さぶられる暇すらありません。
爆雷の衝撃によって激しい振動を受け、注水装置の故障によって持ち上げられた【ホークビル】が、後方2~300mの距離で鯨のように艦首を上げて突如海面に飛び出しました。
ついに敵艦の姿を露わにした【神風】は、ソナーを引き上げ【ホークビル】に向けて艦尾の機銃をぶっ放します。
機銃程度では撃沈には至りませんが、潜水艦の主砲は甲板に上がらなければ撃てませんから、砲撃戦となればその砲撃手などを仕留めることにもなりますし、穴をあければ上手くいけば浸水にも繋がります。
近距離で海上に浮かぶ潜水艦はまな板の鯉同然なので、【神風】は爆雷・砲撃の準備を進める一方で機銃掃射を続けました。

【ホークビル】ではもはや刺し違えるしかないという逸った空気が垂れ込めます。
「バラオ級」は12.7cm砲を搭載していますから、砲撃で【神風】に打撃を与えることも十分可能です。
しかし当たり前ですが砲撃戦で水上艦に敵うわけがありません。
諦めるのはまだ早い、ベント開放によって急速注水に成功し、今度は艦尾から海中に引きずり込まれるようにどんどん沈んでいきました。
この指示が艦長のものか、副長のものか、航海長のものかよくわかりませんが、とにかく【ホークビル】はやけくそにならず助かる最善の手段を取りました。

とは言うものの、依然【神風】の有利は変わりません。
沈んだ場所はわかっていますから、舵を返して執拗に爆雷を投下。
ぐるぐる回り、ソナーを確認して投下を繰り返し、息の根を止めたと確信が持てるまで数時間もそこに留まり攻撃を続けました。

【ホークビル】はひたすら沈黙を貫き、この攻撃を耐え忍ぶしかありません。
【ホークビル】は海底30mに着底しており、ここ以上の安全な場所もなかったのです。
幸い爆雷による浸水はなかったため、【ホークビル】は浸水しないことを神に祈りつつ、断続的に起こる爆発音を聞いていました。
日が沈めば駆逐艦といえども視認しづらい潜水艦との戦いを続けることはしないだろうし、船団の護衛任務もあることから必ず立ち去る。
それまでの辛抱でした。

祈りは通じました。
幸運にも【神風】の爆雷はなぜか直撃には至らず、衝撃はあっても【ホークビル】の沈没につながるような致命傷はついに与えることがなかったのです。
浮上してきた木片や油膜を見て、【神風】は撃沈成功と判断。
やはり船団護衛の任務が残っていることから、【神風】は戦域を離脱していきました。
ここにいるのは【ホークビル】ですが、この先に潜水艦がいない保証はどこにもないのです。

爆発もスクリュー音もなくなってきたので、恐る恐る、【ホークビル】は浮上を開始します。
すでに5時間以上海底に留まっていて、酸素も少ないし塩素ガスも充満しつつあり、このままでは窒息してしまいます。
日付は変わって19日となっていました。

ザパッと小さな波をたて、【ホークビル】の司令塔が海面に現れました。
それを見る者は誰もいません。
【ホークビル】は九死に一生を得たのです。
ジャイロや減速機、無線装置など多くの損傷がありましたが、奇跡的にいずれも大きな損害ではなく、このまま再び船団の脅威となることすら可能でした。
【ホークビル】は応急処置を終えると、今度こそ【神風】を仕留めるために船団を追い始めました。

しかし【ホークビル】は船団を発見した時に、同時に上空に飛び交う哨戒機も目にします。
船団の護衛が強化されている中、すでに手負いの状態で攻撃を強行すべきか迷いましたが、結局【ホークビル】は攻撃を諦め、修理のためにスービック湾へと向かいました。

その後、船団にはもともと張り付いていた上に【ホークビル】から報告を受けていた5隻の潜水艦が襲い掛かりました。
19日から20日にかけて何度も襲撃を受け、特に【ホークビル】同様第一の標的となっていた【神風】には幾度となく魚雷が襲い掛かりました。
しかし【神風】はこれらも全て回避し、遂に被害を全く追わずに輸送を終えたのです。
ですが船団そのものが無事だったわけではなく、アメリカは意地で【タンカー 第三共栄丸】を沈めています。

そして8月15日、日本は終戦を迎えました。
太平洋戦争でひたすら護衛を続けてきた【神風】でしたが、その甲斐空しく日本に神風を吹かすには至りませんでした。

それでも【神風】はまだお役御免とはなりません。
武装を解かれた【神風】はまだまだ復員船として働いてもらう必要があったのです。
戦場を駆けずり回った【神風】は、今や気を張って南シナ海を航海する必要はありません。
こちらを沈めようと接近する敵はいなくなったのですから。

しかし敵というのは戦う相手だけではありません。
船にとっての敵は、いつも天候であり障害物です。
昭和21年/1946年6月4日、御前崎付近で同じく復員輸送に従事していた【国後】が座礁してしまったのです。
その救助に【神風】が向かったのですが、何と作業中に【神風】もまた座礁してしまいました。

賢明に離礁作業が続けられたのですが、潮の流れとかねてからの酷使による老朽化がそれを拒みます。
やがて【神風】【国後】も傾斜が激しくなり、救助は極めて困難となりました。
八方手を尽くしたものの、遂に救助活動は打ち切り、開戦から終戦まで絶え間なく働き続けた【神風】の最期としては、あまりに非情な結末でした。
2隻は放棄が決定され、終戦後も指揮を執り続けた春日艦長もその職を降りることになってしまいました。
そして昭和22年/1947年10月31日、【神風】の解体が完了します。

昭和28年/1953年11月、春日元艦長の元に1通の手紙が届きました。
びっしりと書かれた英語、差出人は誰か。
読めばあの時【神風】がてっきり沈めたと思っていた【ホークビル】の艦長、スキャンランドからの手紙でした。
そこには7月18日の一部始終が書かれており、ぜひ【神風】からみたあの時の戦いの詳細を知りたい、またアメリカ海軍ではあなたのことを最も熟練した駆逐艦長であると賞賛されていると結ばれていました。

春日元艦長はのち「私はてっきり沈めたと思っていましたが、無事だと知って本当に嬉しく思いました。本当に、沈めなくてよかったと、つくづく思いましたよ」
と述べ、その後2人は文通で交流が続けられました。

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