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『神風型駆逐艦』

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艦型と個艦の説明を分けましたが、単純に分割しただけなので表現に違和感が残っていると思います。
基準排水量 1,270t
垂線間長 97.54m
全 幅 9.16m
最大速度 37.25ノット
馬 力 38,500馬力
主 砲 45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門
機 銃 6.5mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 4基
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸
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名前が足りなくなるほどの数が計画された神風型

【峯風】から建造が始まった「峯風型」は、【野風】の時点で兵装配置が一新され、【野風】【波風】【沼風】の3隻は「峯風改型・野風型」と呼ばれることもあります。
そしてこの砲、後檣の配置変更は功を奏し、今後の駆逐艦のベースとなりました。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ
「峯風型」の生みの親となった「八四艦隊計画」「八六艦隊計画」、そして「八八艦隊計画」としてグレードアップし、その一環として次の建造が計画されたのが、この「神風型」です。
「神風型」「野風型」をさらに改良し、排水量が65t、全幅が0.2mだけ大きくなりました。
これは復原性や安定感を増大させるための措置です。
実際【沖風】以降の船が高速旋回すると傾斜が著しいという訴えがあり、それを反映させた形となります。

他にも故障が頻発したパーソンス式ギアード・タービンは最大出力を出すことで故障につながるため、回転数を下げるという処置が取られています。
この時出力が落ちるのはまずいため、タービンを少し大きくしています。
しかし残念ながらこのおかげで駆逐艦最大の武器とも言える速力が若干低下してしまいました(39ノット→37.25ノット)。

当時アメリカでは「金剛型」の27.5ノットをを7ノット近く上回る33ノットという速度を発揮する巡洋戦艦の建造を計画していました。
この巡洋戦艦の正体が何かというと、あの有名な巨大煙突を誇る「レキシントン級航空母艦」の改造前の青写真です。
33ノットに対して37.25ノットというのは決して満足いく速度差ではない、むしろ全然足りないのですが、いやまず戦場に出れないと意味ないでしょということで、航洋性を優先した結果です。

兵装に関しては前述の「野風型」とまったく同じです。
ですが搭載している魚雷発射管は六年式から一〇年式53.3cm連装魚雷発射管へと改良され、これまでは人力旋回だったところを1.5馬力の力で機力旋回ができるようになりました。
人力で旋回させることも可能ですが、人力よりも機力のほうが10秒ほど旋回速度が早かったようです。

「野風型」から外観で変わった個所というのはほとんどないため、「野風型」「神風型」を見分けるのはなかなか難しいです。
しいて言うなら煙突の傾斜具合だそうですが、改装後だと煙突の開口部が明らかに斜めになっているのですぐわかりますが、竣工時だと写真を並べても困難なぐらい差が小さいです。

「神風型」はこのようにほとんどが「野風型」のまま、しかし「峯風型」で問題となったタービンと凌波性の問題解消を中心に一部設計が改められた駆逐艦です。
新しい分類となっていますが、スペック面でみると「峯風型」と大差ありません。
つまり「神風型」はまだまだ発展途上の駆逐艦ということでした。
その証拠に、「神風型」【追風】以降の後期型4隻ではタービンであったり爆雷であったりとだいぶ変更点があります。

「神風型」で特筆すべきは、何と言っても計画された艦の数です。
その数、なんと27隻。
「八八艦隊計画」はもともとむちゃな計画でしたが、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を中心に構成される艦隊にはそれを護衛するための大量の船が必要で、駆逐艦の数が膨大になるのは当然でした。

駆逐艦の命名基準は、主に気象に関することでした。
そして「峯風型」「神風型」はもちろん「風」に関する言葉が選ばれます。
「峯風型」以降の名称の候補では、【大風、真風、旋風】などがあったようですが、しかしいくら日本語は言葉が豊富とはいえ、「海風型、浦風型、磯風型、江風型、峯風型」で使われた言葉を除いて(一部は旧式退役としたとしても)、これ以上「風」に関する言葉を探し出すことは大変困難でした。
何とか絞り出したとしても、もう古典文学などでしか目にかからないような、国民にとって全く馴染みのない名前になってもよくありません。

そこで帝国海軍は「風」の基準を排除し、非常にわかりやすい、「数字」を使うことにします。
よって「神風型」は、日本を窮地から救う「神風」という大変縁起のいい言葉を冠するにも関わらず、「第一駆逐艦、第三駆逐艦・・・」という素っ気ない命名となってしまいました。
ちなみに一等駆逐艦である「神風型」には奇数が、二等駆逐艦である「若竹型」には偶数番号が振られる予定でした。

ところが、愛着も湧きにくい付番呼びとなる予定だった「神風型」に転機が訪れます。
「ワシントン海軍軍縮条約」の締結によって各艦種の隻数が制限され、「八八艦隊計画」が消滅してしまったのです。
そもそも実現不可能な建艦計画であったために、この締結は日本の財政破綻の危機から救ってくれた側面があります。
しかし日本の戦艦の保有が米英に比べて5:3となってしまったことから、日本はこんなに駆逐艦いらないじゃんとなって、「峯風型」を遥かに凌ぐ27隻という大所帯となるはずだった「神風型」は、たったの9隻まで減らされます。
そして同時に、制限のなかった戦艦以外の船、すなわち駆逐艦や巡洋艦をを強化せざるを得なくなりました。

9隻になった「神風型」は、途端に余っていた「風」の言葉があてがわれていきました。
もちろんネームシップは【神風】です。
ちなみに当時から数字を船の名前にするということは不評だったようです。
昔から名前で船を呼ぶことは、愛着も湧くしかっこよかったのでしょう。

出典:『極秘 日本海軍艦艇図面全集』

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ

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駆逐艦
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※1 当HPは全て敬称略としております。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
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