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松風【神風型駆逐艦 四番艦】

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起工日 大正11年/1922年12月2日
進水日 大正12年/1923年10月30日
竣工日 大正13年/1924年4月5日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年6月9日
小笠原諸島近海
建 造 舞鶴海軍工廠
基準排水量 1,270t
垂線間長 97.54m
全 幅 9.16m
最大速度 37.25ノット
馬 力 38,500馬力
主 砲 45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門
機 銃 6.5mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 4基
三菱パーソンス式ギアード・タービン 2基2軸

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支援中心の活躍も、徐々に追い込まれサイパン最後の輸送で沈没

【松風】は当初は「第七駆逐艦」として建造されますが、すぐに「第七号駆逐艦」に、そして昭和3年/1928年8月1日に【松風】となります。
【松風】【初代神風型駆逐艦 松風】が大正13年/1924年4月1日に除籍となった4日後に竣工しています。
【松風】は新造時の全力公試の際、39.2ノットを記録し、「神風型」「峯風型」と同程度の速度が出せることを証明しています。

太平洋戦争開戦時、【松風】【朝風】【春風】【旗風】とともに第五駆逐隊を編制し、第五水雷戦隊の一員でした。
第五水雷戦隊は一水線、二水戦のような主力メンバーが所属する戦隊ではないため、任務も戦地ど真ん中というわけではなく、護衛や警戒任務を請け負うことが多い組織でした。
当初はイケイケだった日本はハイスピードで進軍を続け、第五駆逐隊は「フィリピンの戦い、マレー作戦」に参加して輸送支援を行います。

第五駆逐隊といえばそのあとの昭和17年/1942年2月28日~3月1日の「バタビア沖海戦」があります。
しかし【松風】は4隻の中で唯一この戦いには参加していません。
【松風】は間接的に「スラバヤ沖海戦」の掩護に回っていました。

この時の日本の次なる目標の1つにジャワ島の攻略がありました。
それに伴い、輸送船56隻にも及ぶ大量の陸軍がベトナムのカムラン湾からジャワ島へ向けて出撃していました。
最初【龍驤】はこの作戦には参加せずにカムラン湾に留まっていたのですが、事前の航空隊による空襲の戦果が芳しくなかったこともあり、航空支援として【龍驤】の分派支援が決定。
その護衛となったのが【松風】でした。
【松風、龍驤】ともに「スラバヤ沖海戦」には間に合わなかったのですが、【龍驤】はこの海戦で落ち延びていた【米クレムソン級駆逐艦 ポープ】を追撃して至近弾を浴びせ、最終的には【妙高】らの砲撃で沈没しています(すでに艦は放棄)。

3月10日、第五水雷戦隊は解散。
また5月5日は【松風】は横須賀鎮守府警備駆逐艦となり、第五駆逐隊からも除籍となりました。
その後はその役職通り太平洋沿岸の警戒を主として行っていましたが、この年は日本にとって竜頭蛇尾の1年。
空母4隻は言わずもがな、多くの駆逐艦と潜水艦を失ったことで、【松風】には再び日本を離れ戦争に飛び込んでもらうことになってしまいました。

昭和18年/1943年6月23日に【松風】は横須賀を出発し、ラバウルへと向かいます。
この頃はニュージョージア島へのアメリカ軍上陸を受けて隣接するコロンバンガラ島の重要性が急騰。
コロンバンガラ島への増援を巡った日米の衝突は激しく、7月5日は「クラ湾夜戦」が生起して【新月】【長月】が沈没・放棄されました。

ここで引き下がるわけにはいかない日本は引き続き輸送を強行。
【松風】は7月10日の輸送に船団護衛として参加。
幸い10日は連合軍との遭遇はなく、輸送も完遂し、【松風】はブインへ引き返しました。

12日、再び日本はラバウルからコロンバンガラ島へ向けて輸送部隊を出撃させます。
ブインから出撃した【松風】【皐月】【三日月】【夕凪】とともに警戒隊と合流。
そしてこの日に勃発するのが、「コロンバンガラ沖海戦」です。
【神通】と二水戦司令部の喪失を代償に、1隻撃沈5隻大破という華々しい戦果を挙げ、輸送も見事成し遂げました。
しかし【神通】の犠牲も空しく、航空機の空襲や警戒によって輸送は困難となっていきました。
20日は空襲で【清波】【夕暮】が沈没し、【松風】も被害を受けています。

8月に入ると連合軍はベララベラ島へ上陸を開始。
ベララベラ島はコロンバンガラ島の東北東に位置し、もしベララベラ島が陥落するとその先にあるコロンバンガラ島への支援は絶望的となります。
しかしベララベラ島の連合軍の勢力を押し返すことはできず、結局日本はベララベラ島とコロンバンガラ島からの撤退を余儀なくされました。
当初は増援と北西のサンタイサベル島からの撤退支援を行っていた【松風】ですが、この「コロンバンガラ島撤退作戦(セ号作戦)」にも参加することになりました。

9月から10月にかけて2回の撤退作戦となった「セ号作戦」ですが、【松風】は2回目の撤退作戦に参加。
ところが【松風】【夕凪】とともに故障が発生したために撤退せざるを得ず、結局ほぼ貢献することなく作戦は終了します。

そしてコロンバンガラ島からの撤退が完了したことで、ベララベラ島を維持する必要もなくなりましたからこちらからの撤退も早々に始まります。
10月6日、多くの駆逐艦や大発動艇などがベララベラ島へ向けて出撃します。
しかし航行中に偵察機の報告で巡洋艦4隻、駆逐艦3隻(実際は3隻の駆逐隊が2隊)が遊弋中であることを確認した戦隊(歪ながら組織としては第三水雷戦隊と個別の駆逐艦)は、一時収容部隊へ派遣していた【時雨】【五月雨】を呼び戻して警戒を強めました。

しかしいかんせん夜戦は敵味方の区別がつきづらい問題があります。
徐々に敵影発見の報告を受けながらも、旗艦【秋雲】座乗の伊集院松治大佐はすぐにこれを敵とは判断せず、各艦では不安が募りました。
しびれを切らした【秋雲】艦長が敵ではないかと声をかけた瞬間、砲弾が【秋雲】めがけて飛んできました。
ここに「第二次ベララベラ海戦」が勃発します。

この戦いで日本は【夕雲】を、アメリカは【フレッチャー級駆逐艦 シャヴァリア】を失いますが、この時戦闘に参加できたアメリカ艦は他に【ポーター級駆逐艦 セルフリッジ】【フレッチャー級駆逐艦 オバノン】だけと数で圧倒したこともあって勝利。
この2隻も大破して、なんとか海戦を切り抜けた後ベララベラ島からの撤収を終えています。

作戦終了後、【松風】は一度横須賀へ戻って整備修理を行い、12月に再びラバウルへ帰還。
ニューブリテン島やトラックなどを通じた輸送任務を行っていました。

ところが翌年2月17日、【松風】がトラック島に停泊している時に過去最大規模の航空部隊がトラック島上空に覆いかぶさりました。
この「トラック島空襲」によって膨大な艦艇が被害を負い、そして日本の南西方面の一番の拠点であるトラックの機能は事実上停止。
【松風】は機関室に直撃弾を受けて大破した【文月】を曳航して座礁させようとするのですが、元々手負いのためトラックに逃げてきていた【文月】に自力で生き残る力は残っておらず、また空襲が全く収まらないので【松風】も自分の身を守らなければならず、なくなく【文月】の曳航を断念して離脱します。

空襲が去ってから、【松風】はサイパン経由の横須賀へ戻り修理を受けました。
5月1日に【松風】【卯月】【夕月】【秋風】と共に第30駆逐隊を編制します。

6月5日、【松風】は第3606船団を率いてサイパンへ向かうことになりました。
この船団は【松風】が旗艦で、他は海防艦や駆潜艇というこの時期らしいメンツでしたが、いかんせん対潜対空に立ち向かえる装備を備えているとはいえず、目で見える空襲と違って水中に潜む潜水艦はわずかに見える潜望鏡を探し当てるしか方法がありません。
ソナーがある海防艦もいますが、性能が悪いのであてにならないのは最後まで日本の輸送部隊の悩みの種でした。

そしてこの船団の行く手を遮ったのが、【米サーゴ級潜水艦 ソードフィッシュ】です。
7日には【米ガトー級潜水艦 ホエール】の雷撃によって【杉山丸】が被雷。
この影響で【第18号駆潜艇】【特設駆潜艇 第8昭和丸】【杉山丸】の護衛のために離脱し、さらに翌日は【神鹿丸】が故障のために【天草】を伴って離脱。
対潜哨戒艦が3隻も抜けたことで、警戒はより手薄になってしまいました。
もちろん船団はそれを自覚していたので代わりの護衛を付けてほしいと訴えたのですが、あいにく天候が悪く父島や硫黄島の航空部隊を派遣することができず、もちろんすぐに護衛艦をよこすこともできなかったので、止む無く船団はそのままサイパンを目指しました。

そして6月9日、船団を発見した【ソードフィッシュ】【松風】へ向けて魚雷を発射。
4本中2本が【松風】に直撃し、【松風】は瞬時に爆沈。
一瞬の出来事による大爆発で、たった8人しか生還しなかったようです。

旗艦を失った船団はたまらず父島へ避難。
本来なら輸送は中止して本土へ引き返したいところなのですが、何しろこの船団は日本の生命線となっているサイパンを守るためのか細い希望の光なのです。
横須賀鎮守府からは後発の第3609船団、また護衛のために離脱していた【天草】らの到着を待ってサイパンへ強行するように言われました。

ところがその光をぷっつりと途絶えさせる出来事が起こりました。
サイパン島への大規模な空襲です。
これは当然ながら連合軍が上陸するためのお膳立てであり、このまま突っ込むのは自殺同然。
さらにはサイパン島が危ないということは父島、硫黄島の危機もすぐそこに迫っているということなので、輸送はついに断念されました。
しかし経由地の八丈島への航路では激しい濃霧に巻き込まれ、【甘井子丸】がまたも【ソードフィッシュ】の雷撃によって沈没。
さらに【第8昭和丸】が行方不明となるなど、空襲は受けなかったものの被害が蓄積されてしまいました。
そしてこの船団を最後に、サイパンへの道は閉ざされてしまいます。