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鬼怒【長良型軽巡洋艦 五番艦】
【Nagara-class light cruiser fifth】

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①大正12年/1923年竣工時
②昭和9年/1934年(改装完了後)

起工日大正10年/1921年1月17日
進水日大正11年/1922年5月29日
竣工日大正11年/1922年11月10日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年10月26日
パナイ島近海
建 造川崎造船所
排水量① 常備排水量5,570t
② 公試排水量6,460t
全 長① 162.15m
水線下幅① 14.17m
最大速度① 36.0ノット
② 34.2ノット
航続距離① 14ノット:5,000海里
馬 力① 90,000馬力

装 備 一 覧

大正12年/1923年(竣工時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃40口径7.6cm単装高角砲 2基2門
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
川崎ブラウン式ギアード・タービン 4基4軸
その他艦上偵察機 1機(滑走台)
昭和9年/1934年(改装時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃13mm四連装機銃 1基4挺
13mm連装機銃 2基4挺
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼2基、重油10基
川崎ブラウン式ギアード・タービン 4基4軸
その他水上機 1機
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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カタパルトの初期型をお試し 唯一・初が満載の鬼怒

怖い名前の【鬼怒】ですが、帝国海軍の切り込み隊長である第二水雷戦隊の旗艦を務めていた時もあり、史実の中でも鬼教官ぶりを発揮していた時期もありました。

【鬼怒】は、「長良型」では唯一ブラウン・カーチス式オール・ギアード・タービンを使用(他の5隻はパーソンス式オール・ギアード・タービン)していました。
同じく川崎造船所>で建造された【大井】もブラウン・カーチス式タービンだったため、これは川崎造船所>が判断した採用だったと思われます。

唯一なのはこれだけではなく、【鬼怒】は同時に蒸気加熱装置を載せていました。
これは燃費の向上に一役買う装置なのですが、その代わり排水量が約100t増えてしまっています。

また、【由良】に搭載されていた萱場式艦発促進装置から派生改良された、呉式2号2型射出機を搭載し、この射出機の実験を行っていました。
【衣笠】でもカタパルトが搭載されていましたが、これは空気圧式の呉式1号1型射出機で、【鬼怒】のカタパルトとは異なります。
【鬼怒】の呉式2号2型は初の火薬式で、今後のカタパルトの標準タイプとなるものです。

この実験後、さらに改良された呉式2号3型改一射出機が、今後各艦に使われる射出用カタパルトの1つになります。
他ページで登場している射出用カタパルト全てがこの呉式2号3型改一というわけではないので、その点誤解なさらないようにお願いします。
ちなみに呉式2号2型射出機は1年間の実験の後、今度は【神通】に移設されています。
その後、完成した呉式2号3型改一は1934年に五番・六番砲塔の間に搭載されました。
不要となった滑走台に13mm四連装機銃を設置したのは他の「長良型」と同じです。

カタパルトを搭載した【鬼怒】

太平洋戦争開戦時、【鬼怒】は第四潜水戦隊の旗艦として臨みます。
【大鯨】が空母へ改造されるなど、潜水艦隊を率いる船が不足していたのです。
このことは【香取】が潜水戦隊の第六艦隊旗艦に就任、【大淀】が予定通りであればやはり潜水戦隊旗艦を務めることになっていたことからも伺えます。

この時「長良型」【阿武隈】を除いて艦齢20年を間近に控えていたり、水雷戦隊の旗艦には「川内型」【阿武隈】が就いていたので、【鬼怒】は裏方の貢献を任されることになりました。
第四潜水戦隊は、まずは「マレー作戦、蘭印作戦」に参加します。

その後は第十六戦隊の旗艦へと移るのですが、南方方面で作戦従事中に空襲にあって損傷し、早々に離脱してしまいました。
復帰後も、ガダルカナル島付近で連日連夜船と航空機の鍔迫り合いが続く中、【鬼怒】はシンガポールやインドネシアなど、戦場から離れた地域で輸送などを続行。
空襲を受けることもありましたが大規模な被害はなく、修理を含めて本土と現地各島への移動がほとんどでした。
それでも1943年6月23日の空襲では至近弾を受け、あわやという事態にも遭遇しています。
この時は左舷側が穴だらけになってしまい、旗艦を【球磨】へ引き継いで呉へと引き返しています。

さて、砲撃を交える機会がほぼないまま戦争は終焉へ向かいつつあります。
「レイテ沖海戦」です。
1944年には他の「長良型」同様、五番砲塔撤去、七番砲塔を12.7cm連装高角砲へ換装したのですが、【鬼怒】はそれだけでなく、カタパルトを撤去して機銃を増設、もちろん【五十鈴】ほどではありませんが、【阿武隈】とともに、対空装備が多い「長良型」となっていました。
以下の表からさらに都度増強を受けています。

昭和19年/1944年3月時点の主砲・対空兵装(推定)
主 砲50口径14cm単装砲 5基5門
副砲・備砲40口径12.7cm連装高角砲 1基2門
機 銃25mm三連装機銃 2基6挺
25mm連装機銃 2基4挺
13mm四連装機銃 1基4挺

出典:[海軍艦艇史]2 巡洋艦 コルベット スループ 著:福井静夫 KKベストセラーズ 1980年

【鬼怒】は当初リンガ泊地から栗田艦隊の一員としてレイテ島を目指す本隊に属していました。
ところがブルネイ到着後に予定は変更され、【鬼怒】【青葉】【浦波】はレイテ島への兵員輸送を任されることになりました。
ブルネイに兵員がいるわけではないので、3隻はまずはマニラへと向かい、ミンダナオ島で兵員を収容、そこからレイテ島へ輸送を開始する予定でした。

しかしそのマニラへ向かう道中、果たしてどれだけの数が存在するのか見当もつかないアメリカ潜水艦のうちの1隻、【米ガトー級潜水艦 ブリーム】の放った魚雷が最後尾にいた【青葉】の右舷に命中。
命中箇所が機関室付近という最悪の場所だったため、なんとか浸水を止めることはできましたが、大傾斜もあって【青葉】は自力で動く術を失います。
【青葉】【鬼怒】がわずか4ノット程度の速度で頑張って曳航することにより、辛くもマニラまで逃げ延びています。

マニラまで到着した3隻ですが、任務はここからです。
輸送はマニラからではなく、ミンダナオ島からレイテ島へ。
つまり、まずはミンダナオ島へ向かわなければなりません。

航行不能の【青葉】をマニラへ残し、10月24日に【鬼怒】【浦波】とともにミンダナオ島へ向かいますが、米軍がそれを黙って見過ごしてくれるわけがありません。
3度の空襲を受けて【鬼怒】は銃撃により47人の死傷者を出してしまいます。
【浦波】もこの空襲で25人が死傷しました。

25日も再び数度に渡る空襲にあった2隻ですが、この日の空襲での被害者は記録されていません。
ですが至近弾は多数あったので、故障や破損は蓄積していきました。

この空襲を振り切って夕方にミンダナオ島についた【鬼怒、浦波】ですが、まだ行程の半分です。
【小発動艇】なども搭載し、2隻合わせて陸軍歩兵第四十一連隊700名を満載させた【鬼怒、浦波】は、滞在も短くすぐにミンダナオ島を出発。
目指すはレイテ島オルモックです。
25日午前中には、本来であれば【青葉】を含んだ3隻の第十六戦隊で護衛するはずだった輸送艦が2隊計5隻ですでにミンダナオ島を出発していました。
この輸送が、まだ作戦は発動していないものの実質「多号作戦第一次輸送」に相当します。

5隻の輸送艦は空襲を受けるもその被害は軽微なもので、無事に輸送任務を完了。
続く【鬼怒、浦波】も米軍の哨戒する海域を迂回して兵員を輸送。
無事オルモックまで第四十一連隊の兵員を送り届けました。
「レイテ沖海戦」において、唯一目的地に到達できたのがこの輸送でした。

1時間ほどでテキパキと揚陸を終えた2隻と輸送艦5隻(うち2隻は別航路)は、すぐさまオルモックを後にします。
輸送は1回だけではありません、これは始まりの一歩に過ぎないのです。

しかし、【鬼怒】が再び兵員を乗せることはありませんでした。
マニラへ戻る海上で、【鬼怒】たちは米護衛空母の艦載機約50機と遭遇します。
この艦載機は、戦場へ向かった栗田艦隊(この時はすでに謎のターンにより北上中)を撃滅するためのものでしたが、その航路に突如現れた小型の艦隊を目にすると、目標を【鬼怒】たちに変更して襲いかかってきたのです。
こちらは軽巡と駆逐艦が1隻ずつ、輸送艦は戦力とは呼べません。
一方相手は戦艦を始めとした大艦隊を沈めるための航空部隊です。
絶望的でした。

【浦波】は至近弾を受け続けた挙句被弾し、炎上、やがて沈没。
【鬼怒】もその圧倒的戦力差に為す術もなく、艦尾や艦後部に集中的に攻撃を受けてしまいます。
魚雷1発、爆弾3発の直撃を受けた【鬼怒】は遭遇から4時間後に航行不能になり、やがて沈没。
乗員は480名ほどが後続の輸送艦に救助されましたが、大惨敗の「レイテ沖海戦」では、この後【鬼怒】救援のために出動するも撃沈された【不知火】や、その【不知火】が最後に手を差し伸べようとした【早霜】など、戦場にいない艦も多数失われていました。

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