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早霜【夕雲型駆逐艦 十七番艦】
Hayashimo【Yugumo-class destroyer】

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起工日昭和18年/1943年1月20日
進水日昭和18年/1943年10月20日
竣工日昭和19年/1944年2月20日
退役日
(座礁放棄)
昭和19年/1944年10月26日
サマール沖海戦
建 造舞鶴海軍工廠
基準排水量2,077t
垂線間長111.00m
全 幅10.80m
最大速度35.0ノット
航続距離18ノット:5,000海里
馬 力52,000馬力
主 砲50口径12.7cm連装砲 3基6門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 2基8門
次発装填装置
機 銃25mm連装機銃 2基4挺
缶・主機ロ号艦本式缶 3基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸
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最期の時に地獄を見た早霜

昭和19年/1944年に入ってからの竣工になる【早霜】は、2月10日の竣工後に直ちに第十一水雷戦隊に配属されます。
しかし竣工1ヶ月もしないうちに、貴重な空母である【龍鳳】の護衛任務を任されます。
日本沿岸でも太平洋は決して安全な海域ではないのでボケーっと進むわけにはいきません。
【龍鳳】は鹿児島で艦載機を搭載し、伊勢へ向かいますが、【早霜】はこの輸送任務を実戦訓練の機会として対潜哨戒を行いました。
ちなみに鹿児島からは【初霜】が護衛に加わっています。

一息つく暇もなく、今度は【大鳳】の護衛です。
日本の窮地を救うであろう最新の空母が出撃するにあたり、短距離とはいえその護衛に若葉マークのついた駆逐艦を使うのは怖い怖い。
【早霜】はシンガポールへ向かう【大鳳】達を外海に出るまで護衛し、また呉へと帰っていきました。
4月21日、今度は【大和】らをまた外海まで護衛するなど、でかい船の護衛が続きました。

5月10日、【早霜】は3ヶ月に満たない訓練期間を経て第一機動艦隊に配属されます。
実はこの時はまだ駆逐隊を編成しておらず、機動部隊直属になりました。
そして翌日には佐伯を出港し、【武蔵】【飛鷹】などの強力な戦力をタウイタウイまで護衛し、ついに【早霜】は前線へ向かうことになります。

タウイタウイには先月護衛した【大鳳】を含め、多彩な艦船が集結していました。
連合艦隊という名にふさわしい戦力が集結したタウイタウイではありましたが、周辺海域では潜水艦が警戒網を張り巡らせていて、不用意に動き回るとすぐに目を付けられて魚雷の1本や2本を食らってしまいます。
そんなもんだから各艦の訓練は湾内に限られ、「あ号作戦」に向けた準備は遅々として進みませんでした。

一方で鬱陶しい潜水艦を撃退するために駆逐艦による対潜哨戒も行われました。
今や駆逐艦の仕事は一に対潜二に対潜ですから、大雨だろうが高波だろうが海ににゅっと生えた潜望鏡を探す毎日です。
6月8日、敵潜水艦が現れたという情報をもとに【早霜】【磯風】【谷風】【島風】が出撃します。
しかし日本の対潜能力が劣っていることは遠の昔から理解していた敵潜は、度胸があるのか舐めているのか、身を挺して敵が魚雷を回避できないギリギリの距離まで接近して攻撃する手段をとっていました
その方法ですでに【水無月】【早波】が返り討ちにあっていて、犯人である【米ガトー級潜水艦 ハーダー】が次の獲物を待っていたのです。

やがて【谷風】の進路が【ハーダー】の目の前を通過しそうであることから、【ハーダー】は魚雷を構え、そして側面から発射。
4本中2本が【谷風】に命中し、【谷風】は轟沈します。
【早霜】達が駆け付けた時にはすでに【谷風】の姿はなく、何とか脱出した乗員が海に浮かぶだけでした。
【ハーダー】は爆雷もひらりと躱して現場から逃走。
【沖波】も加えた4隻が乗員の救助を行いましたが、まんまとしてやられました。

その後もアメリカの手のひらで踊らされた日本は、やがて19日に「マリアナ沖海戦」に突入します。
【早霜】は本隊乙部隊として【長門】【隼鷹】らの護衛で出撃しました。
ただ飛んでいった飛行機はどんどん水柱を上げて落ちていき、警戒していたはずの自陣には潜水艦にあっさり潜入されて【翔鶴】【大鳳】が沈没し、翌日は逃げるところを空襲されて【飛鷹】が沈没し、もう全くいいとこなしの大敗北となりました。
【早霜】はこの戦いで2機の撃墜を記録していますが、そんな戦果も些細なもので、【飛鷹】の乗員の救助のほうがよほど日本に貢献できたでしょう。

呉に戻り機銃の増設を行った【早霜】は、7月に入るとすぐにリンガへ向かいました。
リンガはシンガポールの真下なので、フィリピン近海のタウイタウイよりかは安全です。
このリンガ滞在中に、ようやく【早霜】【秋霜】【清霜】とともに第二駆逐隊を編成することができました。
第二駆逐隊は「白露型」で構成されていたものが解隊され、空き番号になっていたものです。

月日は流れ、戦場はフィリピンのレイテ島に移っていました。
陸軍はこんなに劣勢になってもその身一つで戦っていますが、海軍と言えば戦争の主役たる空母と艦載機を消耗しきっていて、できることは限られていました。
そこで、空母を囮に各隊がレイテに雪崩れ込み、艦砲射撃やら船団破壊やらと暴れまわるという「捷一号作戦」が決定します。
出し惜しんでフィリピンが陥落するとどうせ艦隊は死ぬんだからと、連合艦隊としてはこの戦いが帝国海軍最後の戦いになる覚悟で挑むことになります。

【早霜】栗田艦隊の一員として出撃しますが、いくら囮がいるとはいえ全部の攻撃が【瑞鶴】達に集中してくれるわけではないので、常に生死と隣り合わせの航海となります。
10月23日、栗田艦隊はパラワン水道で【愛宕】【摩耶】を立て続けに失い、また【高雄】も大破し、撤退を余儀なくされました。
旗艦としての能力に秀で、この大作戦においても旗艦を務めていた【愛宕】は、【米ガトー級潜水艦 ダーター】の放った魚雷のうち4本を満遍なく受けて、何ら貢献することなく沈んでいきました。

続く24日は「シブヤン海海戦」です。
攻撃はどんどん【武蔵】に集中し、夥しい数の被弾被雷を受けながらも、【武蔵】はまだ浮かび、そしてゆっくりとでも動き続けていました。
しかし穴だらけになった【武蔵】には海水が際限なく入り込み、【武蔵】を引きずり降ろそうとします。
栗田艦隊は世界最強の戦艦の一翼を担った【武蔵】の傷だらけの姿を目に焼き付けながら、友よさらばと歩みを止めることはありませんでした。
やがて【武蔵】は艦首から沈んでいき、不沈艦【武蔵】の短い生涯が終焉を迎えました。
この護衛や救助撤退のために、第二駆逐隊の【清霜】が艦隊から離れています。

多くの仲間を失いながらも、ついにレイテ北のサマール島につながるサンベルナルジノ海峡を通過した栗田艦隊
レイテはもうすぐ、というところで、最大のご褒美か、はたまた最大の幻惑か、栗田艦隊からは空母らしき艦隊が見え始めたのです。
憎き空母を今こそ我が大砲で叩き潰さんと、栗田艦隊は機動部隊へ向けて突撃。
基準排水量たった8,300tの「カサブランカ級航空母艦」とその護衛の駆逐艦は、30,000t近い正規空母と思い込んでいた栗田艦隊の突撃に面食らい、全速力で逃げ出します。
「サマール沖海戦」が始まりました。

各艦攻撃のために速度を上げて護衛空母達を追いかけますが、敵は小さいとはいえ空母ですから艦載機が飛ばせます。
純粋火力は圧倒的に我が方が有利なものの、艦載機への耐性はありません。
空襲が来たら自力で回避や撃破などしないといけないので、こちらが振り回されるのは普段となにも変わりません。
砲弾がどんどん敵に向かって飛んでいくものの、同じぐらい爆弾も落下してくるのです。

駆逐艦からしてみれば砲弾も魚雷も届きませんからしばらくの間はやられっぱなしです。
それに巡洋艦だって魚雷が向かってくれば回避をしなければならないのですから、そんな簡単に接近できません。
加えて護衛の駆逐艦が煙幕を張ったり突っ込んできたりと、どの艦種も思い通りの戦いはできていませんでした。
そんな中でも【米カサブランカ級航空母艦 ガンビア・ベイ】【米フレッチャー級駆逐艦 ジョンストン】など4隻の撃沈には成功しました。

ですがこちらの被害はそれ以上でした。
大きい船だと【筑摩】【鳥海】【鈴谷】【能代】が撤退中含めて沈没し、【熊野】も満身創痍の撤退となっています。
駆逐艦は【筑摩】救助の【野分】が空襲に巻き込まれ、わずか1名の生存者を残して全滅、【藤波】【野分】と同じように【鳥海】の乗員を救助した後に空襲を受けて乗員全員が戦死しました。
そして【早霜】も、海戦で被弾や至近弾を浴びたことで大小さまざまな損傷に苦しめられていました。

大きく足を引っ張ったのは燃料タンクへの浸水でした。
水と油は分離するため、浮き上がってきた上澄みの重油をひたすら地道に掬い出すしか方法がないので、この非常時に原始的な手段に頼るしかありませんでした。
被弾により一時航行不能となりましたが、航行能力は回復。
【早霜】はコロンへの撤退を命じられたため、ゆっくりと引き返していきます。
途中から護衛の命令を受けた【秋霜】も合流しました。

その後栗田艦隊も撤退をしますが、撤退中に前述の【能代】沈没の空襲があり、低速しか出せない【早霜】にとって空襲の突破は命懸けでした。
【秋霜】【能代】救助のために本隊に合流してしまい、【早霜】は単独航行を強いられます。
そしてそんな隙だらけの船を敵が見逃すわけがないのです。

【早霜】を見つけた航空機は次々に突っ込んできます。
敵機からの機銃で【早霜】は穴だらけになり、機銃員がバタバタと飛ばされていきます。
一方艦橋の中も緊迫しており、爆弾や魚雷を回避するために舵が右へ左へとひっきりなしに動き回ります。

直撃弾は受けずとも、至近弾が【早霜】の身体を着実に蝕んでいきます。
そしてついに艦首付近に魚雷を受け(爆撃の可能性もあり)、1番砲塔の前から艦首が分断されてしまいました。
さらに艦中央部付近の被弾が2番煙突をぐちゃぐちゃにしてしまい、このままでは沈没は時間の問題でした。

まだ動く間に避難しなければと、【早霜】はセミララ島の近くの無人島に緊急擱座させることにします。
精悍な姿が見る影もなくなった【早霜】でしたが、ギリギリ空襲を耐え切って擱座に成功しました。

しかしここにきて燃料は5トン足らずしか残っておらず、海水を全て綺麗に汲み取ったとしても到底撤退できる量ではありません。
これからどうしたものかと乗員が悩んでいたところに、【鈴谷】の救助を終えてこれまた単艦撤退中に空襲を受け、それでも逃げ延びた【沖波】が近くを通りかかり、こちらに気付いて駆け付けてくれました。
【沖波】はもしかした曳航も考えていたかもしれませんが、【早霜】の艦首はなく、燃料も【沖波】だって残り少ないのですから、引っ張り続ける力もありません。
とにかく今できることは多少の燃料の融通だけだったので(重傷者の移乗もあったかもしれません)、【沖波】【早霜】に横付けして補給を開始しました。

その補給中、【早霜】【沖波】は1つの空襲を目撃します。
これは【鳥海】の乗員を救助して、やはりコロンへ向けて撤退中の【藤波】でした。
【藤波】はこちらに救援に来たとも、気づかず通過していただけとも言われていますが、彼我の距離は10kmほどと言われていて、【藤波】もまた敵に見つかって集中爆撃を受けてしまいます。
やがて被弾があったらしく、【藤波】はその後沈没してしまいます。

見殺しにしたくない気持ちがあっても、【早霜】はこの有様ですし、【沖波】だってすでに乗員は満席状態。
さらに今のところ我々は攻撃を受けなさそうだったので、ここの涙を呑んでその場に留まりました。
【藤波】と、それに救助されていた【鳥海】の乗員は、この空襲で全員が戦死しています。

敵機が去ったことで【沖波】は撤退。
【早霜】は脱出の策を考えなくてはなりませんでしたが、名も知れぬ無人島で工事なんて到底できず、できることと言えば相変わらず海水の除去と、弾痕を塞いだりり艦首被害個所の修繕や防水処理ぐらいでした。
ところが翌28日になってまた【早霜】の近くに船が現れました。
その船は【不知火】で、【不知火】【鬼怒】【浦風】がレイテ輸送の帰りで空襲を受けたという報告を受け、救助するように命令を受けていました。
ですが【不知火】が現場に到着したころには【鬼怒】達は沈没してしまっていて、発見することができず引き返していたところだったのです。

【不知火】はこちらに気付いて近づいてきました。
【早霜】は昨日の【藤波】の末路がよぎったことでしょう。
すぐに「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」と発光信号を送ったのですが、【不知火】はそれを無視してこちらにぐんぐん近づいてきます。
助けてもらえるのだろうか、しかし助かるのだろうか、もし通告通り【不知火】が引き返したら、我々は生き延びることができるのだろうか。
複雑な気持ちで【不知火】の姿が大きくなるのを見ていたのでしょう。

【不知火】は沖合1,000mの距離で停止し、カッターがスルスルと海面に降ろされました。
その後ろには、昨日と同じく黒点が目立ち始めました。
案の定【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】の艦載機がやってきたのです。

【不知火】の煙突からは煙がぶわっと沸き立ち、速度を上げて迎撃態勢に入りますが、縦横無尽に空を支配する航空機から逃げ切るのは不可能です。
しかし【不知火】は準備が整わないうちに不意打ちでいきなり被弾してしまい、船の中央付近に命中した瞬間には大きな爆撃音がすぐに【早霜】にも飛んできました。
【不知火】はこの被弾で力尽きてしまい、また乗員もまたしても全員が戦死するという、最悪の沈没でした。

2日連続で何百という仲間の死を間近で目撃した【早霜】
そして彼らにはまだ助かる手段がないのです。

11月1日、暗緑色の機体が【早霜】の上空に現れました。
あれは敵機ではありません、【那智】から発射された水上偵察機です。
今度こそ、助かるか!

水偵は着水して【早霜】の下へやっててきます。
パイロットに状況を説明していた中で、行方不明扱いになっている【藤波】【不知火】の顛末もここで報告しています。
また後日救助を派遣することが恐らくこの場で決まったことでしょう。
その他救助が現れるまでに【早霜】の放棄が決定しています。

その後、2週間の間乗員は現地で救助を待ち続けましたが、一部の兵士はセミララ島部隊を編成してマニラへ向かいました。
しかし途中で現地のゲリラ民と交戦し、1名を除き全員が死亡。
そしてその生き残った1人も、その後どうなったかは不明です。

一方で船に残っていた乗員たちは、救助船で助けられたようです。
ただ助けられた後の人生は相変わらず真っ暗で、マニラでの連合軍との戦いに投入され、その多くの末路は【早霜】と同じくらい悲惨なものでした。