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駆逐艦叢雲波浪損傷事故

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本項は「艦船ノート」(著:牧野茂 出版共同社)の引用である(一部当HPの表記の都合、読みやすくするための変更が含まれる)。
本項の主語は牧野茂(当時造船少佐)である。
※当時の第四艦隊は演習において仮想敵を演じるための臨時編成であり、よって艦隊および第四水雷戦隊の将校も臨時にその役職についている。

損傷調査の経過

昭和10年/1935年8月12日、叢雲は教練運転の際、艦橋前部船首楼の甲板が陥入し、至急調査するように第四艦隊参謀長より要望があった。
横廠造船部主務部員である第四部設計第二班長江崎岩吉部員(当時造船大佐)は出張により不在のため、班長代理を務めていた私が設計担当の安田千代次技師とともに館山へ向かう旨を伝えた。
これは13日朝の出来事である。
しかし江崎部員は午後に出張から戻られ、代理の任はこれにより消滅することから、現地には江崎部員が行かれるのが適当と考え報告をしたが、一考ののちにやはり私に調査へ向かうように命じられた。

8月14日、館山より那珂内火艇にて第四水雷戦隊旗艦那珂に行き、永松勝戦隊機関長(当時大佐)および先任参謀より状況を聴取。
その後ただちに叢雲へ向かい秋山輝男艦長(当時中佐)より情報聴取後、現場の調査を開始する。
それより第四艦隊旗艦足柄に至り、新見政一参謀長(当時大佐 海軍大学校教官)に面会し、叢雲修理に関して意見を述べ、かつ同艦をただちに横須賀に移す必要があることを述べた。
続いて再び那珂へ行き、有地十五郎水戦司令官(当時少将 水雷学校長)に損傷に対する所見を述べた。

叢雲は要求通り横須賀に回航されることになり、それに便乗して夕刻館山を出港。
横須賀入港は日没後となったために郊外に仮泊し、我々は内火艇にて上陸、横廠造船部製図工場へ向かい、矢ヶ崎正経造船部設計主任(当時造船中佐)と対策につき協議し、約2週間で修理可能の方法をまとめた。
15日第四部に出勤、ただちに縦強力計算を命じ、また部員会議にて損傷発生時の海上の模様、艦の状態、損傷の状況、損傷発生経路の推定および補強対策につき報告説明する。

叢雲損傷当時の状況

(秋山艦長談)8月12日野島崎南方約20海里の海面において、1030より10分の6全力(約29ノット)教練運転を行い、約1時間の後減速、続いて1200より10分の8全力(約32ノット)教練運転を約40分行い減速したる時、船首楼甲板に損傷を発見する。
当時北東の風速15m/sを艦首やや左寄りに受けて航走。
海上には低平なるうねりと三角波あり。
時々艦橋まで海水を被るも時化としてはさほど酷くはなかった。
ただ動揺にて艦首を突っ込むときに艦首に三段の衝撃を与えられ、はなはだ不気味であった。

(永松機関長談)当時は解列運転であり、ある艦は向かい波を受け、ある艦は追い波を受けており、向かい波を受けている艦に対しては波を被る状況を見て少々無理すぎではないかと思われ、しばしば運転中止を決心しかけた。
那珂は大した動揺もしない状況であった。
当時有地司令官は駆逐艦に移乗されており、相当激しい高速運転であると感じられた様子。

損傷当時の艦の状態は排水量約2,250t、吃水約3.55m、トリム艦首へ約0.34m、重油は缶室舷側および前部重油タンクに約250t。
艦首トリミングタンクに真水約7t、糧食等相当多量に搭載。
教練運転中の動揺は、ピッチング約5度、ローリングは転舵時最大約30度に及びたることあり。

損傷の状況

船首楼甲板中心線付近は肋骨45~6番間、右舷舷側鋼板は肋骨41~42番間、それより中心線側では肋骨42~45番間において、鋼甲板にバックリングに基づく変形を生じ、デッキガーダとビームとの交点よりバックリングによる変形が著しい箇所あり。
舷側甲板は肋骨41~42番間右舷にて、著しく圧縮されたしわを生じる。
なお付近のビーム間の鋼板は圧潰には至らず、バックリングによる弯曲変形を生じるものが相当数あり。
右舷第一デッキガーダは肋骨44~45番間にて屈曲し、そのフェースプレートは傾き、かつ波を打つ。
右舷第二デッキガーダも同様に変形し、リベットが破断したものもあり。

艦長室甲板(上甲板)にも板のみバックリング状に変形した箇所あり。
第二兵員室(上甲板上)の支柱に曲がったものはなし。
主計科事務室の肋骨46番の仕切壁は、第二デッキガーダの直下にて屈曲する。
同室縦壁の一部にも船首楼甲板直下にて変形を認める。

上甲板(右舷を士官室内より観察)の舷側鋼板は肋骨45~46番間に板厚4mmより8mmに移るバット継手あり。
バット継手部分約10mmが持ち上げられ、コーキングが損傷する。
上甲板右舷舷縁山形材は変形を認めるもリベットには異常なし。
同第二デッキガーダは肋骨45~46番間にて、取付アングルの鋼板取付部が口をあけ、リベットは1本破断し、付近のリベットも緩む。
肋骨41番にて上甲板とビームとの肌付が、第一および第二ガーダ直上にてそれぞれ約3mm及び2mm口をあける。
第二ガーダの中心側のリベットシーム継手部にて、肋骨42、43番および44番辺りにて、バックルし2~10mmの変形を残す。

外板の船首楼甲板付右舷のシアーストレーキが肋骨41~42番間にて顕著なしわを生ずる。
しわは船首楼甲板付近にて約15mm、上甲板線を越えて吃水線付近にまでおよび、吃水線付近にておおむね消える。
外板のシーム継手は、船首楼甲板より下方へ第四列外板辺りまで、しわのためコーキングの破断を認める。
左舷外板は異常を認めず。
水線下外板の異常は、数日後(8月19日頃)調査のため入渠の際、主として左舷艦底部に肋骨46番付近ビルジ部に凹損。
継手コーキングの破断を発見する。

損傷発生の経過推定

損傷せる部分の船首楼甲板の板厚は、中心線より3、3、3.5および4mmなる鋼板配置を有し、中心線より4mの片舷幅に対し、2本のデッキガーダを有するにすぎず。
したがって3mm鋼板及び3.5mm鋼板のバックリング応力は極めて低い。
当時の海上の模様を察するに、5,500t型巡洋艦はさしたる動揺を与えざるに反し、特型駆逐艦に対しては、相当著しく波を被る如き状況より考え、波長は100m以上の波浪にて、正面の波高は著しからずといえども、波長の20分の1程度以下なりとは思われず。

荷重状態は艦首部に比較的重量を集め、ピッチングに対する衝撃を大ならしむるごとき状態と察せられる。
加えるにピッチングにて突っ込む際、波の速力と艦速との和に近き合成速力を有するうねり上の三角波のため、艦首底部を三段に叩かれ、艦首部に受ける実際の突き上げの力は、標準縦強度計算による曲げモーメントより、はるかに大なるものを肋骨46番辺りに与えたとは容易に想像せらる。

しかるに標準縦強度計算による肋骨46番辺りの圧縮応力はすでにブライアンの周辺固定の計算式にて求めたるバックリング応力を超えており、叢雲の場合はまず中央部の3mm鋼板が、続いて3.5mm鋼板が肋骨45~46番間付近にてバックルし、したがって残る鋼板の応力は一層高まり、ついにシアーストレーキ、舷側鋼板、デッキガーダおよびガンネル部の強度も耐え得ずして、肋骨46番付近にて圧潰せるものと認める。
この状況は船首楼甲板のバックリングが、単にビーム間鋼板の変形に止まらずして、さらに強い圧縮を受けて永久変形したること、および舷縁の角部の圧潰の様相ならびに船首楼甲板のシアーストレーキおよび以下の外板のしわ、さらに上甲板舷縁まで変形の及ぶ点などの状況より明らかに看取できる。
なお、上部は右舷に著しき点より見て、艦は左舷に傾斜せる状況にて突き上げられたることを察知する。

特型駆逐艦の強度上の考察

特型駆逐艦は完成以来、しばしば軽微なる損傷あり。
艦底部外板のコーキングの割れたる問題は別として、常に上部構造などにおける局部的損傷に限られいたり。
しかるに今回叢雲に発生せる損傷は、発生の起因は船首楼甲板のバックリングという局部的欠陥に起因するといえども、結果は艦首部船体構造が前部船体梁的に観察してサッギング状態にて屈曲を受け、上部強度材たる船首楼甲板が圧縮に弱い構造であるためにバックリングが生じたものにして、極めて悪質の重大なる性質の損傷なりと認める。

特型駆逐艦は完成以来7年を経過し、この間相当の荒天に遭遇したるも、かくのごとき損傷の発生を見たることなきにかかわらず、今回の発生はおそらく今や特型の初期の艦が、ようやく部分的にパネルの変形の状態に近づきたるものとも考えられ、特型全艦は今回の叢雲と同様の航行を行うときは、いずれもかくのごとき重大な損傷を生ずる可能性を有するものと断ずる他なし。
よって特型駆逐艦の艦首部には、検討の上相当頑丈な補強を施すを要するものと認める。

特型駆逐艦に対する補強対策(私案)

1.補強の要旨

艦首部の構造が究極的には圧潰したる原因は、船首楼甲板鋼板のパネルのバックリングに起因するため、鋼板のαBの高めるを要す。
これがためには鋼板の厚さを増すこと、およびデッキガーダを増加して、ガーダ間隔を減ずることにつき検討を要す。
鋼板のガーダ間隔を縮小すればαBを増加すると同時に、デッキガーダおよび舷縁部の構造の強化は、最終的状態での圧潰を防ぐ構造とする考えに基づくものである。

縦強度応力の減少、特にサッギングにおける甲板部の圧縮応力を減ずるを要す。
これは前二項によって達成される。
船体傾斜せる状態にて舷縁部のαCを高めざるよう、特にこの部の強化するを要す。
これは前二項の要求とも合致す。
船首楼甲板の補強はただちに復原性能に悪影響を与えうるをもって、この補強は多少工事費を要するとも、重量増加の少なき方法を用いるを要す。

2.補強方法

鋼甲板の増強を行う。
中心線より3、3、3.5、3.5および4mmの鋼板を4、4、4、4、および5mmとする。
デッキガーダを中心線デッキガーダと第一デッキガーダとの中間、第一と第二デッキガーダおよび第二デッキガーダと舷側との間に第一デッキガーダ程度のデッキガーダを片舷で三本追加する。
中心線および第二デッキガーダを強化する。
肋骨45番のビームを強化する。
シアーストレーキ4mmを5mmとする。
二重張をもって補強する場合は、重量増加するをもって好ましからず。

3.叢雲に対する応急補強対策

圧潰せる構造および一旦バックリングして永久変形を生じた鋼板は全部取り替えるを要す。
板を取り替えるにあたっては再び補強を要せざるよう、特型一般の補強方針に準じ立案を要す。
艦橋下の鋼板の取り替えは日時これを許さざるをもって、この部分のは後日施工とし、今回は艦橋にかからざる部分に板継手を設ける。
したがって継手避距やや面白からざる位置あるも、バット継手を強化して強度上懸念なからしむ。
シアーストレーキおよびビローストレーキは取り替えを要す。

4.大演習に参加する予定の特型駆逐艦に対する処置

(1)今回の叢雲損傷に鑑み、現状のままにて大演習に参加せしむることは好ましからず。
(2)最も望ましきことは、補強を実施するまで、使用制限(主として速力の制限)をなすか、使用を取り止める。
(3)応急対策としては船首楼甲板上両舷に舷側より各2本ずつの補強ガーダを取りつけて応急対策とする。本対策は必要最小限の対策と考える。

5.これらの意見に対する実施の状況

(1)叢雲は損傷部を復旧し、デッキガーダを増設する。
(2)叢雲以外の特型に対しては、この際何等の対策も施さざることとす(使用制限も行わず、追って慎重検討の上対策を実施する含みを有す)。

注一 叢雲と同一隊の白雲および薄雲は、隊側の要望にて叢雲同様のデッキガーダの増設をした旨横廠造船部西島亮二部員は戦後証言しているが、叢雲のみに実施した。
注二 第四部部員会議にて筆者報告後、首席部員、第二班長および筆者との打ち合わせにて、大演習に特型の参加を取り止めるように提案することは不可能につき、各艦に大演習出動前船首楼甲板上に形材をもって、応急補強を施工するよう、至急訓令起案を命ぜられ、起案して上司に提出し同意を得た。本訓令案は結局発布せられなかった。(艦本総務部長の意見にて発布は取り止めとすることになり、第四部長もこれに同意したとのことである。結局使用制限も、使用に対する注意も出されず、大演習対抗演習に参加した次第である。
注三 昭和10年海軍省年報(537頁)に「昭和10年8月12日千葉県館山湾第四水雷戦隊教練運転ノ際波浪ニ依リ叢雲ハ前甲板ノ一部「バックリング」ヲ生ジ天霧、曙ハ砲塔ニ凹損ヲ生ズ」とある。

引用・参照

艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
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