三隈【最上型重巡洋艦 二番艦】ミッドウェー海戦で不要な沈没 艦隊連携のミスで空襲から逃げきれず | 大日本帝国軍 主要兵器
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三隈【最上型重巡洋艦 二番艦】
Mikuma【Mogami-class heavy cruiser Second】

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①昭和10年/1935年(竣工時)
②昭和14年/1939年(改装完了後)

起工日昭和6年/1931年12月24日
進水日昭和9年/1934年5月31日
竣工日昭和10年/1935年8月29日
退役日
(沈没)
昭和17年/1942年6月7日
(ミッドウェー海戦)
建 造三菱長崎造船所
基準排水量① 8,500t
② 12,100t
全 長① 197.00m
② 198.30m
垂線間幅① 18.00m
② 19.15m
最大速度① 37.0ノット
② 34.7ノット
航続距離① 14ノット:8,000海里
② 14ノット:8,000海里
馬 力① 152,000馬力
② 152,432馬力

装 備 一 覧

昭和10年/1935年(竣工時)
主 砲60口径15.5cm三連装砲 5基15門
備砲・機銃40口径12.7cm連装高角砲 4基8門
25mm連装機銃 4基8挺
13mm連装機銃 2基4挺
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 4基12門(水上)
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 重油10基
艦本式ギアード・タービン 4基4軸
その他水上機 3機
昭和14年/1939年(改装)
主 砲50口径20.3cm連装砲 5基10門
備砲・機銃40口径12.7cm連装高角砲 4基8門
25mm連装機銃 4基8挺
13mm連装機銃 2基4挺
魚 雷61cm三連装魚雷発射管 4基12門(水上)
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 重油10基
艦本式ギアード・タービン 4基4軸
その他水上機 3機
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最上と同じ経緯で誕生し、最上を守るために沈没 三隈

【最上】と同じく、将来的に重巡洋艦として20.3cm連装砲を装備することを前提に建造された(?)軽巡洋艦【三隈】です。
起工、進水ともに【最上】の2ヶ月後で、竣工は1ヶ月後、設計から完成まで【最上】とほぼ同じように進んでいました。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ

ということは、「友鶴事件」「第四艦隊事件」で度重なる強度改善工事を受けたことも同じで、双子のように育ち、紆余曲折を経て重巡洋艦に生まれ変わっています。
「第四艦隊事件」には【三隈】も遭遇していますが、【最上】が外板への亀裂被害を受ける一方で、【三隈】はこれといった被害は受けていないようです。
20.3cm連装砲を搭載したものの、もちろん【三隈】も書類上は軽巡洋艦のままです。

開戦後も2隻はともにあり、【三隈】「最上型」4隻で第七戦隊を編成し、マレーや蘭印方面への侵攻に参加。
第七戦隊の第二小隊であった【三隈、最上】は、昭和17年/1942年3月1日に「バタビア沖海戦」に遭遇します。
これはつい先日ABDA連合軍が日本海軍に惨敗した「スラバヤ沖海戦」の生き残りである【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ヒューストン】【豪パース級軽巡洋艦 パース】が日本の輸送団を襲撃した海戦です。

海戦の内容はともかく、海上の脅威を薙ぎ払った海軍は第16軍輸送船団をジャワ島に揚陸させるために3月1日ちょうど日付が変わったころに到着。
ところがこれを【ヒューストン、パース】が発見し、周辺にも護衛艦がいないことから攻撃を決意。
狙いは【神州丸】らがいるバンタム湾上陸部隊であり、【ヒューストン、パース】はどんどん目標へ接近します。

が、輸送船団は丸腰ではなく、周辺にしっかり警戒隊が存在していました。
この2隻を発見したのは【吹雪】でした。
逐一2隻の動向を8,000m後方という結構近い距離で追尾していた【吹雪】の報告により、周辺から【三隈】をはじめ続々と船団を守るために艦が集結していきました。

ただ、【三隈、最上】の重巡が到着する前に【ヒューストン、パース】が砲撃を始めてしまったため、【吹雪】が2,500mという超近距離で0時44分に砲雷撃を開始(夜とはいえ2,500mの距離の駆逐艦を発見できないのはまずいでしょ)。
この3基9本の魚雷を全て躱したのは見事ではありますが、【吹雪】はすぐさま煙幕に隠れて退避。
さらに同じタイミングで船団の前に割って入った【春風】の煙幕によって輸送船団も隠匿し、【ヒューストン、パース】は輸送船団への攻撃が極めて困難となりました。

続いて駆逐艦が四方から攻撃を開始しますが、集団で行動していたわけではなく、周辺からバラバラのタイミングで接敵・攻撃となったため、12cm砲や12.7cm砲では全く敵いません。
【旗風】【初雪】【白雪】【朝風】が攻撃を行い、【旗風】を除いて魚雷も発射しているのですが全て命中せず、第五水雷戦隊の旗艦であった【名取】は自身の魚雷発射後に一度態勢を整えるために駆逐艦へ撤退を指示。
12.7cm砲の威力が巡洋艦に通用しないのはともかく、ご自慢の魚雷が全く命中しなかったのは、「スラバヤ沖海戦」に続く日本の深刻な問題であったと言えるでしょう。

とは言え、まず輸送船団から引きはがすこと、そして真打である重巡2隻がやってくるまで戦場に留まらせることには成功しました。
揚陸箇所の西方にて警戒を行っていた【三隈、最上】【敷波】が1時19分に戦場に到着。
この直前に水上偵察機を発射していますが、2号機と3号機が接触事故を起こしており、1号機しか発射できませんでした。

まず【三隈、最上】は後方から魚雷を6本ずつ発射。
22分からは【三隈、最上】の砲撃が始まり、砲弾は【ヒューストン】に降り注ぎました。
一時的に【三隈】は電気系統の故障により砲撃が停止してしまいますが、【最上】からの砲撃もあって【ヒューストン】の速度は徐々に低下していきました。
ここを狙って雷撃を試みるために再び駆逐艦が接近するのですが、【ヒューストン、パース】の砲撃は有効弾がなかなか見込めない重巡2隻ではなく一撃必殺を狙ってくる駆逐艦を振り払うために放たれます。
駆逐艦もその砲撃に悩まされて雷撃がなかなか命中しませんでしたが、26分についに【パース】に2本の魚雷が命中しました(魚雷は【春風】のものと推定)。

被雷した【パース】は15分後に沈没。
さらに【ヒューストン】にも魚雷の命中が確認され、【ヒューストン】の命運は尽きました。
最終的に4発の魚雷を受け、数十発の命中弾を受けた【ヒューストン】は、最後はまだ魚雷を放っていなかった【敷波】の雷撃によって沈没。
1時間半の海戦に及んだ「バタビア沖海戦」は、最終的には被害軽微、重巡軽巡各1隻の撃沈という戦果、そして『輸送船1隻と掃海艇1隻撃沈、輸送船1隻着底のち沈没、揚陸艦1隻大破、輸送船1隻座礁』という、戦場に存在しない船にも被害をもたらしたのです。

この想定外の被害艦の正体は、何を隠そう輸送船団の一員でした。
振り返ってみれば、戦場に到着した際に【三隈、最上】は前方の【ヒューストン、パース】へ向けて魚雷を発射しています。
そのあとも護衛艦隊はひっきりなしに魚雷を放ち、そしてそれは海戦が集結する間近まで命中することはありませんでした。
そして【ヒューストン、パース】のさらに前方にはジャワ島、つまりバンタム湾上陸部隊が揚陸のために停泊していました。

つまりこの海戦で放った魚雷が【ヒューストン、パース】をかすめた後、そのまま輸送船団にまで到達してしまったのです。
まず【第二号掃海艇】が右舷に魚雷を受け、小さな船体はあっという間に分断され沈没。
突然の雷撃に面食らった船団は、急いで闇討ちをしてきたと思われる周辺の魚雷艇の捜索に当たります。

そのあとすぐに【陸軍輸送船 佐倉丸】にも魚雷が命中、30分後に足掻いている【佐倉丸】にさらに1発の魚雷が命中してしまい、こちらも沈没してしまいます。
他に【陸軍病院線 蓬莱丸】が魚雷1発を受けて横転着底、のち放棄沈没。
【陸軍輸送船 龍野丸】は被雷こそしなかったものの回避の結果座礁してしまい、陸軍自慢の【神州丸】にも見事に魚雷が命中し大破してしまいました。

被雷の瞬間に考えられた魚雷艇は一向に見つかりません。
第16軍輸送船団の今村均司令官はのちの証言で魚雷艇らしき存在があり、砲撃もあったと証言していますが、最終的な調査結果としては周辺に魚雷艇の形跡はなく、魚雷がやってきた方向や「九三式」と刻印された破片が【神州丸】の船倉から発見されたこともあって、護衛隊からの魚雷が命中したと結論付けられました。
海軍は陸軍に謝罪をしていますが、正式発表としては連合軍の魚雷艇による襲撃による被害としていて、連合軍に責任が擦り付けられました。

ジャワ島の制圧は9日にオランダ軍が降伏したことで完了。
続いて【三隈】はマレー半島への攻略に参加。
「セイロン沖海戦」で障害を排除することに成功したため、【三隈】所属の馬来部隊機動部隊が通商破壊作戦を実施して商船20隻以上を沈めています。

しかし日本の快進撃に突如として分厚すぎる壁が立ちふさがります。
そしてその壁は【三隈】をも押しつぶしてしまいました。
6月5日の「ミッドウェー海戦」です。
「ミッドウェー海戦」は正規空母4隻の壊滅ばかりが目立ちますが、それ以外にも失われた艦がいます。
それこそが、この【三隈】です。

ミッドウェー島砲撃作戦に参加していた連合艦隊は、まずい、まずすぎる戦術によって日本の屋台骨であった航空母艦を瞬時に3隻戦闘不能にさせられ、一縷の望みが【飛龍】に託されることになります。
第二航空戦隊司令官の山口多門、そして加来止男艦長を要する【飛龍】は残り3隻所属の航空機で飛行可能なものを全て引き受け、一矢報いるために攻撃態勢に入っていました。
【飛龍】は残された最後の戦力で敵空母に突っ込み、またそのままミッドウェー島への夜間艦砲射撃を行って少しでも本海戦の成果を上げることが決定します。

【飛龍】本体は無事であっても航空機の被害状況は劣悪で、次の攻撃が最後になることは明白、そしてその航空機の帰還の可能性も非常に低いことはわかっていました。
ですが敵も空母3隻中【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】と他1隻(と思っている)が被害を受けてる状態で、ここでもう1隻を確実に仕留め、かつハワイとトラック島の間に存在するミッドウェー島を少しでも沈黙させることができればまだ対米戦は十分踏ん張れると考えたのです。

このミッドウェー島砲撃命令を受けたのが、【三隈】が所属する第七戦隊(司令官:栗田健男中将)です。
第七戦隊は本作戦では支援隊として第二艦隊に所属し、この段階ではミッドウェー島に最も近い位置にいました。
が、近いとはいえ本作戦の予定通りの場所にいるかと言われると全くそんなことはなく、なんと特にトラブルもないのに予定地より80海里≒148km以上も後方にいたのです。
しかもこの作戦を嫌がるかのように、命令が下る前に第七戦隊は事前に戦隊の位置を報告しており、「いやいや遠すぎて無理ですから」と暗に訴えている始末です。
ただ、お互いの通信はお互いの通信を送った後に受信しているため、第七戦隊の報告は効果を持ちませんでした。

第七戦隊は途端に「空母をやられて血迷ったか」などと不満が飛び交います。
80海里以上遅れていることは別として、少なくともミッドウェー島は大半の設備が健在、そして夜間砲撃とは言え到着時刻は恐らく夜明け前、つまりバカスカ弾を撃ち込んだところで、撤退している最中に航空機や機動部隊に捕捉される可能性は非常に高かったのです。
第七戦隊に命令を下した第二艦隊の近藤信竹中将も、さすがにこの状況で第七戦隊に突撃をさせるのは無理だと考え、第七戦隊同様現在地を報告の上同命令の取り消しを催促していました。

それでも作戦の中止は行われず、やむなく第七戦隊は何とか少しでも早くミッドウェー島に到着するために35ノットという最大速度で大海原を疾駆することになりました。
このおかげでそこまでの凌波性と速度が出せない護衛の【朝潮】【荒潮】が置いてけぼりとなり、直掩機も護衛もない状態で「最上型」4隻はミッドウェー島を目指しました。

ところが虎の子の【飛龍】にも魔の手が迫っていました。
日本時間の14時すぎ、日光を背にした薄暮空襲を画策し、確実な成果を求めるために搭乗員に束の間の、もしかしたら最後になるかもしれない休息を与えていた【飛龍】
この僅かな休養の隙をついて到来した【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】の艦爆隊は、【飛龍】を急降下爆撃によって貫きます。
4発の直撃弾を受けた【飛龍】は遂に先の3隻と同じ運命を辿ることとなり、そして敵航空母艦は1隻たりとも仕留めることはできなかったのです(【ヨークタウン】【米シムス級駆逐艦 ハムマン】がこのあと【伊号第百六十八号潜水艦】によって撃沈に成功しています。【伊168】だけ本作戦の全面中止が決まった後もミッドウェー島への砲撃が命令されていました)。

この【飛龍】炎上を受けて、無理矢理なミッドウェー島砲撃命令も中止が決定。
ただ、被弾炎上が14時すぎであることに対して命令中止は21時15分と7時間もあと。
いくら【飛龍】はあくまで炎上、艦は健在であったとしても、この間連合艦隊では様々な押し問答がありましたが、その内容は有益な議論とは言えません。

一方で命令を受けた後ほとんど放置状態だった第七戦隊は、ひたすら東進を続けていました。
ですがこの命令中止を受けて、戦隊は溜息のような波高を立てながら反転。
各艦800mの距離をあけて単縦陣を組み、速度を28ノットに下げて4隻の「最上型」はミッドウェー島に背を向けて艦隊への合流へ向かいました。
この時、ミッドウェー島までおよそ90海里、時間にして後2時間ほどで到着する予定でした。

ですが、すでに第七戦隊は連合軍のテリトリーに侵入してしまい、ここから海軍は闇雲にミッドウェー島へ突撃させた大きなツケを払うことになります。
反転してから1時間20分後、【米タンバー級潜水艦 タンバー】が縦列を組んで航行する第七戦隊を発見。
【タンバー】はすぐさま敵発見を報告して急速潜航、しかし旗艦で先頭の【熊野】【タンバー】を発見したため、【熊野】は雷撃を避けるために「緊急左45度一斉回頭」を命令。
通称「赤赤」といい、赤の信号灯でそれを後続艦に伝え、それに対して了解の意味で同じ色を、また同信号を更に後続にも伝えるために信号を出すわけです。

ところが【熊野】はこの45度回頭では不足していると考え、すぐさまさらに45度の回頭を命令、つまり戦隊に90度の回頭を指示する必要があると判断。
「赤赤」を信号灯で命じた後、間髪おかずに今度は無線電話で「赤赤」を命じました。

この都合90度の回頭命令がとんでもないことを引き起こします。
【熊野】の後ろにいた【鈴谷】は、この2つの回頭命令が2回なのか1回目の重複なのかが判断できなかったのです。
通常電話で90度回頭を伝える場合は、「赤赤計算九」と伝えなければならないのですが、指令を出した【熊野】岡本功参謀「出した」と証言するものの、【鈴谷】にはそこが伝わっていませんでした。
【熊野】内ですら45度か90度かが曖昧のままだったようで、命じた本人以外の大半が混乱してしまったのです。

【鈴谷】の決断ができないまま、【熊野】は45度回頭を始めます。
ここは命令通りですので残り3隻もちゃんと回頭を行います。
ところが【鈴谷】が45度回頭をした後に直進していると、突然さらに45度回頭を行っている【熊野】の腹が目の前に飛び出てきたのです。
結局90度回頭だったことがわかり、【鈴谷】はこのタイミングで同じく左に回頭すると衝突してしまうと咄嗟に判断、逆に舵を右に大きく切って減速し、辛くも衝突を回避することに成功しました。

【鈴谷】が隊列から外れてしまい、【三隈】【熊野】に続く形となります。
ですが周辺は真っ暗闇で、【三隈】からは【鈴谷】が隊列から外れたことに気付かず、大きく舵を切っている船が目の前に現れました。
【鈴谷】(と思っている)がこんな近くに!?と【三隈】は慌て、すぐさま衝突を避けるために時間も思いっきり左へ舵を切りました。

【鈴谷、三隈】はなんとか衝突を避けることができましたが、最後の【最上】までこの幸運を運ぶことはできませんでした。
【鈴谷】【三隈】が進路上から見えなくなりますが、このことに【最上】は気づきません。
前方に発見した艦影がすぐ前の【三隈】だと思い込んでいます。
【最上】は最初左45度回頭、さらに独断で左25度回頭して安全な位置、距離を取ろうとしていました。
ところがいつの間にか【三隈】との距離が離れてしまい、距離を縮めないとと考えた【最上】は、右25度回頭をして隊列を立て直そうとしました。

言うまでもなく【最上】が目にしていた艦もまた【熊野】であり、【最上】からは【鈴谷】【三隈】もいつの間にか消えてしまっていたのです。
そして【最上】【熊野】の背中を追って前進しているところに、【熊野】との衝突を回避しようと大きく曲がってくる【三隈】が突如出現。
【三隈】からは【最上】が見えていたのですが、【最上】は前にいるのが【三隈】だと思っているので、周辺の注意が散漫になってしまうのも無理はないでしょう。

ぬっと飛び出してきた【三隈】に対し、【最上】は慌てて後進取舵一杯を叫びますが、何もできずにただ動力の流れに乗るしかありませんでした。
【最上】【三隈】の左舷中央部に突っ込んでしまい、盛大に衝突。
両艦内の誰しもが被雷したと勘違いするほどの大きな衝撃を受けた【最上】は、艦首が完全に潰れてしまいました。
【三隈】も煙突の下に縦20mほどの大穴が空いてしまい、燃料タンクの損傷によって重油が漏れてしまいました。

【三隈】は破孔の他傾斜や火災といった損傷はありましたが、それらはすべて復旧、航行に支障はなくなります。
ところが艦首をほとんど失った【最上】はそうはいきません。
まだまだ敵さんの制空権の中、このままだと夜明けには先ほどの潜水艦の報告を受けた航空機による空襲は避けられません。
結局【タンバー】からの雷撃はありませんでしたが、結果的には雷撃を受けたに等しい被害を受けた第七戦隊の2隻は窮地に立たされたのです。

【最上】は賢明な応急処置によって艦首からの浸水のせき止めに成功、何とか水の抵抗を受けながらも10ノットそこそこまでの速度で前進できることが確認されます。
第七戦隊はここで【最上】の護衛に【三隈】、さらにミッドウェー島砲撃のために置いてけぼりにせざるを得なかった【朝潮、荒潮】を就けることとし、この4隻は艦隊への合流ではなくトラック島を目指すことになりました。
そして被害のない【熊野、鈴谷】は、この2隻を残して連合艦隊へ合流することになったのです。

僚艦を残して先を行く【熊野、鈴谷】を見て、【三隈、最上】乗員は何を思ったでしょう。
しかしグチグチ言っても彼女らは戻ってきません。
とにかく急いで制空権を突破し、トラック島まで逃げるしかないのです。
しかし足跡はくっきり残ります、【三隈】から漏れ出した重油は海面で漂い続けるのです。

6日午前6時25分、2隻は【PBY カタリナ】に発見されます。
いよいよ空襲がくる、【三隈、最上】にとっての「ミッドウェー海戦」はここから始まるのです。
【カタリナ】はこの2隻を戦艦と報告しており、1時間後には【SB2U ビンジケーター】【SBD ドーントレス】それぞれ6機ずつが早速撃沈のために到来しました。
さらに【B-17】の水平爆撃も加わりましたが、2隻は至近弾こそあったものの被害はほぼなく、恐怖の1日を切り抜けることに成功します。

7日午前5時、2隻はようやく【朝潮、荒潮】と合流を果たします。
2隻とも対空兵装が充実しているとはとても言えませんが、手負いの【最上】を抱えている以上、助けは多いに越したことはありません。
7日は【最上】では酒保が開放され、皆好き好きに葉巻を吸い、菓子を食い、少しの酒をあおります。
最期の日になるか九死に一生を得るか、2つに1つ。

午前6時25分、昨日とほぼ同じ時間に今度は偵察ではなく空襲のための航空機を見つけます。
今度はミッドウェー島からではなく、【米航空母艦 エンタープライズ、ヨークタウン級 ホーネット】から発艦してきた艦載機による攻撃でした。
【三隈】は昨日よりも距離が離れたことから、敵の空襲は航続距離のある双発爆撃機である【B-17】【カタリナ】による爆撃と想定していました。
高高度からの水平爆撃ならばなんとか回避できると考えていたのですが、まさかまだ空母が付け狙っているとは。
2隻の未来はもともと薄い光しか灯っていませんでしたが、さらにその明かりが暗くなったような気がしました。

アメリカの機動部隊を率いたレイモンド・A・スプルーアンス少将は、まだ【飛龍】の撃沈を確信しておらず、海戦はいまだ終わらず、報告があれば直ちに追撃し止めを刺すつもりでいました。
日本は発見できていませんでしたが、【三隈】らは5時ごろにすでに発見されており、そこで艦種こそ正確ではないものの4~5隻の艦艇が取り残されていることがスプルーアンス少将に伝わっていました。
これを聞いてスプルーアンス少将は直ちに健在の2隻の空母から艦載機を放ち、殲滅に向かわせたのです。
そしてここから4隻の獲物は怒涛の空襲の嵐に翻弄されていきます。

最初の空襲は至近弾のみもしくは2隻ともに命中弾1発で切り抜けます。
しかしこの後4隻は敵水上機による触接から逃れることができず、動向は完全に筒抜け、また水上艦も近くにいることがほぼ確実視されました。
【三隈】艦長である崎山釈夫大佐は連合艦隊に目的地をトラック島からウェーク島へ変更することを発信します。
この発信を受けた第二艦隊の近藤中将は、敵機動部隊を補足して攻撃するとともに【三隈、最上】らを救援するために第二艦隊を出撃させています。

空襲はこの後も断続的に続き、【三隈】は全滅という最悪の事態だけでも避けるために苦渋の決断をします。
つまり、【最上】【朝潮、荒潮】に任せ、自身もまた【熊野、鈴谷】と同じように戦場を早期に離脱することにしたのです。
【最上】航海長であった山内正規氏は「止むを得ないとはいえ羨ましくてならなかった」と正直な思いをのちに語っています。

この判断を神が許さなかったとすれば、神は何とむごい天罰を下すのか。
【最上】は奇跡の生還を遂げる一方で、【三隈】の命運はまさに尽きようとしていました。

容赦のない空襲が再び4隻を襲います。
【最上】は複数の命中弾を受けて火災が発生、4番、5番砲塔にも命中弾があったことで完全に破壊されてしまいます。
艦首はない、大きく燃え上がり更に艦尾の砲も完全に沈黙した【最上】は、全く脅威ではなくなり、また沈没も時間の問題と判断されます。

しかしその先にはほとんど被害を追っていない元気な戦艦(と誤認)が単艦で航行していました。
生かしてなるものかと今度のターゲットは【三隈】に絞られます。

空一面に広がった【F4F ワイルドキャット】【ドーントレス】【三隈】を沈めるために四方から次々に襲い掛かりました。
【三隈】はいきなり2番砲塔に直撃弾を受け、ぺらっぺらの砲塔は呆気なく破壊されます。
その破片が天蓋から頭を出して指揮を執っていた崎山艦長に当たってしまい、艦長は重症、のちに戦死してしまいます。
更に次々と爆弾が命中し、両舷の機械室付近に見事に投下された爆弾は【三隈】の脚を奪います。

この後はもうなぶり殺しでした。
果たして何発の命中弾が【三隈】にあったのかははっきりしていません(20発ほどの証言があります)。
それほどの爆弾が投下され、そして数多の被弾があったのです。
機銃と高角砲による必死の応戦に対しても【ワイルドキャット】の機銃掃射によって黙らされ、【三隈】はどす黒い煙と煙突からの蒸気、そして灼熱と炎を吐き出すスクラップ同然の状態となります。

大破炎上中の【三隈】

そして【最上】は辛うじて魚雷投棄が完了していたため、誘爆することはありませんでした。
しかし【三隈】はこの大乱戦の中で魚雷投棄ができず、ついにそこに炎が回って大爆発を起こしてしまいました。
【三隈】の断末魔でした。

高島英夫副長が総員退去を命令し、【三隈】の乗員は【最上】の護衛からかけつけた【荒潮】へ救助されます。
しかし鬼畜米英、そこすらも米軍に狙われて【荒潮】は3番砲塔付近に直撃弾を受けてしまいます。
そのあとも容赦ない機銃掃射などがあって、【荒潮】は可能な限りの乗員を救助することができず、涙をのんで途中離脱せざるを得なくなります。
【三隈】の艦首付近で退艦を促していた高島副長は、分隊長の小山正夫大尉と共にちょうどそこへ落とされた爆弾によって消し飛んでしまいました。

【荒潮】は人力操舵で【三隈】から離れていきます。
その【荒潮】からは、すでに決着がつき、反撃する術もなく、後は大海原に身を預けるだけの存在に対して未だ爆弾を投下させ続ける無慈悲な光景が広がっていました。
生き延びていた【最上】はまだ【三隈】には生存者が多く取り残されていることを【荒潮】から聞き、日が落ちる時間を見計らって【朝潮】【三隈】のいたであろう場所まで引き返します。

しかしそこに広がるのはドロドロの重油だけ、人の痕跡も、声も、そこに船があったかどうかもわからない状態でした。
ですが、9日に【米タンバー級潜水艦 トラウト】によって救命筏に乗った2人の乗員が救助されています。

帝国海軍最初の重巡喪失を見たものは誰もいませんでした。

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