大和型戦艦を生んだ「A-140」の変遷

広告
広告



1.金剛代艦 藤本案・平賀案
2.46cm砲搭載戦艦 江崎岩吉案
3.46cm砲搭載戦艦 福田啓二案
4.46cm砲搭載戦艦 平賀譲素案
5.A-140
6.A-140A~A-140D
7.A-140A1~B2
8.A-140G、G1-A
9.A-140J系
10.A-140K
11.A-140G0-A、G2-A
12.A-140I
13.A-140F系
14.日の目を見なかった大和型の先の姿
広告



最強戦艦にたどり着くまでの軌跡

※ここでは「大和型」の数多くの設計案から、ある程度説明ができるものを抜粋して紹介します。実際の設計案とは異なる場合があります。
「大和型」建造や設計確定に至る経緯は非常にかいつまんでいます。実際に建造された「大和型」の詳細はこちらで公開しております。

本稿はこちらのページの情報を多く参照しており、特にカラーの想像図に関してありがたく引用しております。
多数の資料に基づいたものですが、あくまで想像図ですのでご注意ください。
「Warship Projects 1900-1950」
https://warshipprojects.com/2018/04/24/the-yamato-class-genesis/
また実在の図面、図案は「平賀譲デジタルアーカイブ」からの出典です。
https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/hiraga/page/home

日本の軍艦設計に欠かせない人物と聞かれたら、まず山本開蔵(以下敬称略)ですが、太平洋戦争に大きく関わった設計士となりますと、平賀譲藤本喜久雄が筆頭であることは間違いありません。
(ちなみに2人の上司にあたる山本は、この2人よりも長生きでした。
昭和33年/1958年4月18日没 享年90)
しかしこの2人は全く水と油のような関係で、あらゆるものが正反対でした。
わかりやすく言えば、平賀は現実的、保守的、我が強い、藤本は未来的、革新的、要求をできる限り(ともすれば限度以上に)汲み取るスタイルでした。
両者の考え方や設計した船の構造を深く掘り下げるだけでも、大変勉強になると思います。

平賀【夕張】や重巡洋艦の生みの親でもありますが、過去の技術や考え方の発展であって、決して経験に基づかないことを取り入れたチャレンジではありませんでした。
【夕張】は極端に言えば駆逐艦をでっかくしただけですから、世界はビックリしましたが、やっていること、考えたことはしごく単純です。
日本の造船の範となっているイギリス色が濃いタイプでした。
そして「平賀不譲(ひらがゆずらず)」とまで渾名されるほど要求に対して頑固であり、また自分の考えに異常なほどの自信を持っており、そして完璧主義者で、失敗はしたことがないと堂々と言ってしまうぐらいの人物です。

一方で藤本は電気溶接やディーゼル機関が代表ですが、困難ながらも欧米で先行する技術を積極的に取り入れようとしています。
そして平賀に対して藤本は海軍の過剰の要求をできる限り叶えようと積極的にチャレンジするタイプで、非常に独創的でした。
艦尾延長による高速化という発想によって、過去の「金剛型」の活躍があると言っても過言ではありません。
イギリスの造船技術をベースにはするものの、ドイツの設計にもかなり精通、興味を示しています。

しかし度が過ぎた要求とそれを叶えようと努力した結果、非常に強力である一方で崖っぷちの安全性しかない巡洋艦や駆逐艦などが誕生してしまいます。
その結果、重心が高すぎて復原力が不足した「友鶴事件」と、未熟な溶接技術も影響し、強度不足が露呈した「第四艦隊事件」が起こってしまい、海軍史に大きな汚点を残してしまいます。
そして「友鶴事件」後に謹慎処分を受けていた藤本は、昭和10年/1935年1月に脳溢血で急逝してしまいました。

この二人と、そしてこの二人の影響を受けた者たちが苦心の末につくり上げた「大和型戦艦」
そこに至るまでの「金剛代艦」「新型戦艦」案、「A140」案、その姿を明らかにしていきましょう。

金剛代艦 藤本案・平賀案

さて、昭和3年/1928年、海軍は新しい戦艦の建造の準備の為に新型戦艦の設計を艦政本部第四部(設計を担当する部署)に要求しました。
変な時期だなとお思いかもしれませんが、いえいえ凄く重要な時期の検討です。

大正12年/1923年に発効した「ワシントン海軍軍縮条約」は、新戦艦の建造を10年間中止するというものでした。
しかし例外として艦齢20年を超える戦艦の代艦に限り、その戦艦を退役させることを条件に建造が許可されていました。

日本の主力戦艦で最も高齢だったのは、大正2年/1913年に日本にやってきた【金剛】でした。
「ワシントン海軍軍縮条約」の期限と【金剛】の艦齢20年はともに昭和8年/1933年ですので、どちらにしても新しい戦艦の建造が許されるわけです。
1933年起工となると、設計を練り、また新造砲を搭載するのであればそれの研究も必要ですから、ことはじっくり進めなければなりません。

昭和2年/1927年に発足した「軍備制限研究委員会」からの要求では、
新造戦艦は「基準排水量35,000t以下、主砲口径16インチ以下」というものでした。
武装のは最大で52.5口径41cm砲12門の戦艦であり、藤本はこの要求に基づいた戦艦の設計を任されました。
この時平賀はすでに煙たがられて海軍技術研究所の造船研究部長に左遷されています。
それなのに平賀が出しゃばってきたため、現実として2案が残っているということになります(内部の技師に藤本案を逐一報告させていました)。

まず本命というか、本来はこれだけだったはずの藤本案(正式には艦政本部案)です。

基準排水量35,000t
水線長237.00m
全 幅32.0m
最大速度26.0ノット
馬 力73,000馬力
主 砲52.5口径41cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲50口径14cm連装高角砲? 6基12門
魚 雷61cm魚雷発射管 2門
機 銃
缶・主機タービン 4軸推進
その他
水上機 2機(射出機 1基)

全体的にダメージコントロールを重視し、防御重量は15,000tにのぼったとされています。
「金剛代艦」という割には速度は重視されていません。
「長門型」が26.5ノットのため、これに速度を合わせたものと思われます。

遠藤昭氏は、その後の「金剛型」のようにこの代艦も有事の際に全長を伸ばすつもりだったのではないかと推察していますが、根拠はなさそうです。
排水量は「加賀型戦艦」よりも軽くなるため、どこかで妥協せざるを得ないのは仕方ありません。
以下が残されている藤本案の図案と、副砲の図です。

艦首と艦尾に副砲が2基ずつ、両舷に1基ずつあるのがわかります。
艦尾の副砲は特に主砲を前部集中型なら見かける配置ですが、1番砲塔の前に副砲を配置するのは極めてまれです。
14ないし15cmだと副砲には当然弾火薬庫が必要なので、果たしてあの狭いスペースでうまく設備が収まったのか謎です。
どこまでの装甲が施されたかはわかりませんが、艦首艦尾という比較的薄めの部分に再び装甲を厚く張ると、重量は嵩張る上にバランスも悪いです。
さらに誘爆した時は艦首か艦尾が消し飛びますから、いずれにしても大ダメージです。
一応この設計は項目の中で「副砲防御」というものが存在しているため、完璧でなくてもそこそこの防御対策はあったのでしょう。

副砲に関しては「50口径14cm連装高角砲」とあり、ひとまず本稿ではこれを副砲としていますが、実際に新型戦艦に搭載するために考えられたものかどうかははっきりしていません。
15cm連装砲を副砲としていることもあるため、サイズに違いがある可能性があります。

またその後ろの煙突も随分傾斜湾曲していますが、後部艦橋と重なっているため実際はどのような形になるのかはわかりません。
この屈曲煙突は「長門型」藤本が採用したものですから、次の戦艦でも排煙処理の為に取り入れたのでしょう。

藤本案は残念ながら装甲に関する資料が残っていません。
しかし平賀ほどでないにしても、排水量の関係上集中防御方式を採用せざるを得なかったでしょう。
平賀はこの案について軽量化しすぎで危険であると訴えています。

続いて平賀案です。
平賀は30,000tと35,000tの2種類のプランを用意していました。

30,000t級想像図

30,000t案は35.6cm三連装砲を3基搭載としており、また艦首にかなり広いスペースがあります。
これは実在した「大和型」同様、バイタルパートを極小にするためにできるだけ中央部分に集中防御を施すためでしょう。
煙突の極端な屈曲や艦橋の傾斜は、ともに排煙が艦橋を巻き込まないための処置でしょうが、艦橋がかなり前かがみなこともあって正直かっこ悪いです。
副砲と高角砲は艦中央部にまとまっていて使用感はよさそうです。

35,000t案の図案と模型

基準排水量35,000t
水線長232.00m
全 幅32.0m
最大速度26.5ノット
馬 力80,000馬力
主 砲52.5口径41cm連装砲 2基4門
52.5口径41cm三連装砲 2基6門
副砲・備砲45口径15cm砲 16門
12cm連装高角砲 4基8門
魚 雷61cm魚雷発射管 2門
機 銃
缶・主機タービン 3軸推進
その他
水上機 2機(射出機 1基)

35,000t案については、提出時期が昭和4年/1929年7月らしいので、藤本案に対抗して作ったと見ていいでしょう。
連装砲と三連装砲の併用は全幅を少し狭くしつつも門数を稼ぐことができるのでいいことではあるのですが、2種類の砲塔を準備しなければならないのでなかなか難しい提案です。
平賀はこの三連装砲と連装砲のセットが好きなようで、「加賀型」の時も、この後に紹介する「A-140I」もこの組み合わせでした。
にしてもあまりにも中央にものが固まりすぎて、ちょっとバランスが悪そうな気がします。
日本は駆逐艦を除いて主砲が2種類以上になることはありませんでした。

副砲はこれは逆に30,000t案の想像図と同じ配置で、舷側副砲がケースメイト式4門、そして連装砲が2基ずつ並んでいます。
この副砲も藤本案と同様に14cmか15cmかよくわかっていません。

「ネルソン級」41cm砲を耐え切る強固な集中防御方式と、十分な装甲厚を兼ね備えた設計を見た平賀は、これまでの考えをより徹底します。
できるだけ集中防御を施す範囲を狭くするというのが平賀の考え方で、水平装甲は最大213mmとかなり厚く、舷側装甲は381mmで20度の傾斜がありました。
当時は装甲の性能がまだ発展途上だったためここまでの厚さですが、「大和型」と大差ないのがどれだけ頑丈なのかがわかります。
しかしバイタルパートは全体の4割と「大和型」の53%を大きく下回ります。
硬いところはすこぶる硬いが、その範囲が狭すぎて浮力が維持できるのとか、特に爆撃には滅法弱いという問題もあり、何事もほどほどが寛容です。
「長門型」が32,700tですから、41cm砲10門でこの装甲だと逆にこっちは35,000tは無理なんじゃないでしょうか。

また、初期の案では「キング・ジョージⅤ世級」のような、連装砲1基と四連装砲2基という平賀案35,000t級を超える変わった形の武装の計画もありました。
これは藤本、平賀両案で想定されていたもののようで、恐らく軍からの要求があったのでしょう。

しかしこの2名の設計案は、いずれも「ロンドン海軍軍縮条約」の締結により戦艦建造の解禁が延期されたことで日の目を見ることはありませんでした。
そしてここから「大和型」に繋がる巨大戦艦の構想が少しずつ立っていくわけです。

46cm砲搭載戦艦 江崎岩吉案

しばらく時が経ち、昭和9年/1934年に日本は今度は条約からの脱退通告を目前に控えていました。
「ロンドン海軍軍縮条約」は国内での大きな反発を招いており、そこから強硬派が海軍の多数派を占めるようになったほか、軍の政治への関与が強くなったことから日本は国際連盟からも脱退するほどでした。
そしてこうなった以上、海軍はアメリカに対して確実に優位に立てるほどの超強力な戦艦を建造することに、いや、しなければならなくなりました。

海軍は4月から46cm砲、さらに51cm砲の開発とその周辺のシステム作りを始めました。
日本は大正9年/1910年に「四十五口径五年式三十六糎砲」という非匿名で47口径48cm砲の試作、そして試射を行いました。
当時の技術ではいろいろ問題があり、射撃は9発しかできずに砲尾が破損して、尾栓が吹きとぶ事故を起こして実験は終了しました。
しかしこの経験があったことで、46cm砲ないし51cm砲の実現に向けて動き始めたわけです。

「ワシントン海軍軍縮条約」からの脱退を通告した段階では、日本は次の戦艦に「排水量およそ50,000t、50cm砲搭載」というものを描いていました。
藤本はこれに対して50cm三連装砲4基12門と50cmに対応する装甲を持ち、かつ優速である戦艦を建造しようと考えたようですが、絶対絶対絶対無理なのでこの案は消滅しています。

この時は平賀の影響力が及ばないように藤本江崎岩吉がいろいろ政治的に動いており、江崎とともにこの戦艦の設計に携わりました。
ちなみにこの時から46cmという言葉は表記することが許されておらず、「40cm砲特殊型」とか「94式40cm砲」のような呼ばれ方をしていました。
以下の江崎案はのちの「A-140」のような直接防御ではなく、間接防御と機関部付近への防御を少し弱める設計になっているため、排水量に対して性能が高い設計になっています。

7月に提出された設計案の1つ目は、67,000t級で最大限の能力を発揮するために設計された戦艦です。

基準排水量67,000t
水線長301.70m
全 幅38.4m
最大速度31~33ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:10,000海里
主 砲46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 4基8門
機 銃
缶・主機ディーゼル機関 6軸推進
その他
水上機 4機(射出機 4基)

最大限ということで、排水量もさることながらその他もかなりぶっ飛んでいます。
主砲の46cm三連装砲3基はともかくとして、全長は301mと「アイオワ級」どころか「モンタナ級」の281mすら20mも上回ります。
また6軸推進というのも前代未聞です。
当然防御も抜かりなく、20~35km圏内での攻撃に耐えうるように装甲が設計されています。

藤本はもともと主砲周辺の防御をガッチガチに固めて、機関部は多少の被害は止むを得ないという考えの下で、バイタルパートを局限するために主砲を前部集中型にしたわけです。
なのでこの表では見えてきませんが、主砲周辺以外の装甲に関しては「大和型」より薄いのは確実です。
またディーゼルオンリーの機関なので、煙突は艦橋横の小さな構造物だけ(両舷)で済んでしまいます。

続いてややグレードダウンした50,000t級での46cm砲搭載案です。
67,000tと表記されているのはミスだと思われます。

基準排水量50,000t
水線長289.50m
全 幅38.1m
最大速度28ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:10,000海里
主 砲46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 4基8門
機 銃
缶・主機ディーゼル機関 4軸推進
その他
水上機 4機(射出機 4基)

全長は10m超短くなりましたが、逆に副砲が1基3番砲塔の後ろに来たため前面火力はむしろ向上しています。
ですが一方で真正面への砲撃は3番砲塔が2番砲塔に干渉するために不可能となっています。
副砲が1基前に出た代わりに、高角砲が2基後部にまわっています。
どちらの案も煙突が非常に小型で済むので、上部構造物はそんなにごちゃごちゃしていません。
またカタパルトが4基あるのもレアな装備です。

46cm砲搭載戦艦 福田啓二案

3月12日、水雷艇の【友鶴】が設計時の想定をはるかに下回る傾斜で転覆するという「友鶴事件」が発生します。
調査の結果過剰な武装とそれに伴う復原力不足が原因であると判明し、「千鳥型水雷艇」「初春型駆逐艦」などの設計の責任者であった藤本が謹慎処分となり、技術研究所に回されてしまいました。

昭和5年/1935年1月9日、藤本はその処分が説かれ艦政本部への復帰が求められました。
調査の結果は明らかになった上、新型戦艦の設計において藤本は欠かすことのできない人物です。
ところがこれが、彼はおろか日本海軍の運命そのものを揺るがしたと言っても過言ではない結末を迎えます。
藤本はその翌日、脳溢血により急死してしまったのです。
原因は酒飲みだった彼の祝い酒の飲みすぎだとも言われていますが、はっきりわかっていません。

これはとんでもない事態でした。
何しろ日本の命運を託そうと思っていた人物が突然あの世に旅立ったのです。
失意の中でも、戦艦の設計をできる者を急いで据えて計画は走り始めました。
江崎の後ろ盾となっていた藤本が死去したことと、江崎は過去に病気による休職をしていたこともあって、続く基本計画主任には同い年の福田啓二が就任。
福田平賀の信任を得ていたことから、以後はあちこちで平賀イズムが見て取れる形へとなっていきました。
哀れ江崎は9月の「第四艦隊事件」にて、藤本一派の一掃を企んだ平賀の動きによって呉工廠に左遷されてしまいました。

平賀復権により、よく言えば現実的、悪く言えば進歩の見えにくい設計がはじまりました。
とは言うものの、今後の設計案の機関は「A-140」を除いて全部ディーゼルないしディーゼルとタービンの併用であることから、頑固すぎるというわけでもありません。
海軍も藤本亡き今、設計の舵取りができるのは平賀しかいないと判断し、4月1日に造船業務を正式に嘱託しています。

その前に、福田が1934年8月にまとめていた設計案を見てみましょう。


ざっくりみると江崎の67,000t案とサイズは似ていますが、排水量は55,000tとぶっ飛んではいません。
主砲は46cm三連装砲3基で変わりませんが、機関はディーゼルのみで速度は26ノットと控えめです。
煙突が艦橋の後ろについたことで、艦橋はもたれかかるような江崎案とは異なり前傾姿勢になっています。
その後ろには十字に配置された高角砲と両舷4基ずつの三連装機銃が見えます。
艦後部の副砲は15.5cm連装砲となっており、その後ろには航空関連施設と艦載艇がひとまとめになっています。

46cm砲搭載戦艦 平賀譲素案

平賀は昭和9年/1934年9月に無条約下での大型戦艦のイメージをすでに描いていました。
その想像図がこちらです。

画像には1929とありますが、当時はまだ12.7cm連装砲高角砲が存在しません。
遠藤昭氏はラフスケッチにある「S・4・9・7」の表記を、「四部製図工場 9月7日」と読み解いています。

基準排水量62,000t
水線長289.50m
全 幅37.1m
最大速度32ノット
馬 力200,000馬力
航続距離18ノット:10,000海里
主 砲46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲20cm三連装砲 3基9門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

排水量67,000tと「大和型」に近い排水量で、46cm三連装砲が3基前部に集中する形となっています。
中央の構造物は「金剛代艦」と変わりませんが、後方の副砲は20cm三連装砲3基と、副砲としては非常に強力なものを持っていました。
また特徴的なのがカタパルトの位置で、なんと2番、3番砲塔の上に搭載されています。
恐らく砲撃の衝撃については考慮されていないでしょう、さすがに2番砲塔のカタパルトは持ちません。
機関はディーゼルとタービンの混合型で、馬力は日本艦としては破格の200,000馬力、最大32ノットを想定してたようです。

A-140(1935.3.10)

「ロンドン海軍軍縮条約」からの脱退が正式に決定したことで、新造戦艦の設計が本格化してきました。
これまでは建造期限のないことでしたが、これからは起工するまでのタイムリミットが生じますからのんびりする暇は全くありません。
10月に入り、艦政本部第四部には正式に「A-140」の設計が要請されます。

求められた性能は、

・主砲:46cm砲8門以上
・副砲:15cm砲12門または20cm砲8門
・速力:30ノット
・航続距離:18ノットで8,000海里
・装甲:46cm弾に対して20~35kmの範囲で完全防御
・魚雷防御:少なくとも300kgの装薬に耐えられること

というものでした。
この段階で海軍は次世代戦艦に高速性を求めており、機動部隊と行動がともにできることがかなり重要視されていました。

公試排水量69,500t
水線長294.00m
全 幅41.2m
最大速度31ノット
馬 力200,000馬力
航続距離18ノット:8,000海里
主 砲46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

しかしこの「A-140」の名称の設計はあくまでたたき台であり、実用的な船というよりも、技術的に可能なことを示すためにあえて作ったものだと思われます。
図面も残っていないため、これをベースにここから議論を始めるというものでした。
資料によってはこれを設計案と認めていないものもあるようです。
バイタルパートは集中する設計になってはいますが、前部に3基集中し、機関、そして後方に副砲が集中していることから意外とバイタルパートは狭くはありません。
またこの設計だけ、タービン機関だけで構成されていますので煙突がかなり太いです。

注目点としては、これまでの設計案では航空設備は例え艦後尾であっても全通の上甲板上にありましたが、この「A-140」から艦橋等に最上甲板が加わったことで少し低い位置になったことです。
そしてこれまでは恐らく格納庫は航空甲板のすぐ下にあり、エレベーターでの昇降となっていたと思われますが、この段階から副砲の甲板の下に格納庫が設置されて、そこから航空機が運ばれる形となりました。
その両側に艦載艇の格納庫が配置されるのも、「大和型」と同じです。
形は少し異なりますが、原型はこの段階から確立していました。

A-140A(1935.4.1)

公試排水量68,000t
水線長277.00m
全 幅40.4m
最大速度30ノット
馬 力200,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル機関+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

元の「A-140」が大きすぎるということで小型化し、高角砲が8基とここまでの設計案で最も多くなっていますが、狭い位置に押し込んだ形になったために射程、射角に問題が残りました。
この段階から当然装甲はガッチリしていて、舷側の傾斜装甲は最大430mmから段階的に薄くなり、艦底に至る部分で150mmとなっています。
水平装甲も最大229mmと実在の「大和型」の230mmとほぼかわりません。
砲塔の装甲は最大584mmで、これは現実の660mmと比べると大きな開きがあります。

A-140B(1935.4.1)

公試排水量60,000t
水線長247.0m
全 幅40.4m
最大速度28ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

こちらはオールディーゼル型の設計案となります。
全てディーゼルとなったことで機関の占めるスペースが小さくなり、「A」と比較して排水量は80,000t減、全長は30mも短くなっています。
いかにタービン機関がスペースをとるかがわかります。
煙突は後部艦橋と一体化し、さながらフランス戦艦のような形になっています。
馬力は140,000馬力と大きく落ちますが、速度は2ノット減程度で航続距離は同等ですから、「A」「B」を比較すると「A」が優位に立てるのはこの2ノットだけです。

外観で大きく異なるのは、煙突の他に高角砲台と言ってもいいほど高角砲が密集している艦橋の後ろです。
両舷3基と中心に1基というかなり集中的な配置となっていて、残り1基は3番砲塔後方に設置されています。
そしてディーゼルエンジンになるとやはり艦橋は重心が少し後ろに乗るような形になっています。

A-140C(1935.4.1)

公試排水量56,000tもしくは58,000t
水線長247.00m
全 幅40.4m
最大速度26ノット
馬 力105,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

基本的には「A-140B」から機関を1/4撤去しただけの「A-140C」タイプです。
当然速度や航続距離などに影響が出ていますが、外観も高角砲台に違いが見られます。
「B」では丸く配置された高角砲ですが、「C」では逆三角型になって、さらに空きスペースに1基が入ってより歪な形となっています。
見過ごせないほどの重量だったのかはわかりませんが、「B」では高角砲は全て甲板より高い位置に配置され、重心が高くなる構造でした。
喫水線下にある機関の重量が減少したために、高角砲4基を甲板上に降ろすことで重心を下げようという意図があったのかもしれません。

A-140D(1935.4.1)

公試排水量55,000t
水線長247.00m
全 幅40.4m
最大速度29ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:9,200馬力
主 砲53口径41cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140D」案は「A-140B」案から排水量を多く減らしたプランで、そのため主砲が41cm三連装砲とグレードダウンしています。
基本的には武装の威力が下がれば装甲も薄くなるため、舷側装甲は一番厚くて380mm、水平装甲は203mmに減じています。
排水量は「B」に比べて50,000t減っていますが、速度の上昇は1ノット程度と控えめです。
主砲が小さくなったために艦首もこれまでの案と異なり鋭くなっています。

重心の影響か、副砲は後部集中ではなく後部に1基、舷側に1基ずつの計3基となりました。
高角砲の配置については「C」案に近いですが、艦橋前の1基が後ろに回ったため、片舷4基の規則的な配置となりました。
個人的にはこの設計案を練り上げて高速戦艦にするのが最も太平洋戦争に即した設計ではないかと思っています。

A-140A1(1935.4.1)

公試排水量68,000t
水線長277.00m
全 幅40.4m
最大速度30ノット
馬 力200,000馬力
航続距離18ノット:6,200海里
主 砲50口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140A1」案は、「A-140A」案とは主砲・副砲の配置が大きく異なります。
主砲に関しては前部に2基、後部に1基と奇しくも無条約設計後のアメリカ戦艦と同じ配置となりました(「コロラド級」は連装砲前後2基ずつで「長門型」と同じ)。
前部集中型は平賀が嫌うデザインで、もしかしたらここですでに海軍の考えを翻意させようと思っていたのかもしれません。

しかし素人目に見てもこの案は嘘っぱちと言わざるを得ません。
性能が「A-140A」と全く同じなのです。
装甲の配置も広さも変わりますし、重心も変わりますし、もしかしたら3番砲塔が後ろに回ったことで全幅をもう少し狭めることができたかもしれません。
良くも悪くも絶対変化があるはずなのに、同性能というのは怪しいです。

後部に主砲が来たことで副砲は後部艦橋と3番砲塔の間に収まるのですが、この時すでに1基の副砲が3番砲塔の上に背負い式で搭載されているのがわかります。
また背負い式の副砲の前にも副砲があり、場所は変わりましたが副砲が集中配備されている点は変わりません。

こう見ると、副砲4基搭載というのが大きなスペースを使っているように見えます。
これまでの案だと、副砲は主砲の爆風や射角を気にする必要はありませんでしたが、3番砲塔が後ろに来ることによって副砲は逆に配置場所をしっかり考えなければならなくなりました。

「A」はディーゼルとタービンの併用ですから大きな煙突が必要です。
3番砲塔が後ろに回ったことで艦橋は随分前に出てきて、船の中央に煙突と後部艦橋が並んでいます。
高角砲の配置は「A」と結構違っていて、煙突の横に2基ずつ、艦橋前後に1基、そして後部艦橋の後ろにこれも背負い式で設置されています。

A-140B1(1935.4.1)

公試排水量60,000t
水線長247.00m
全 幅40.4m
最大速度28ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

こちらも「A-140B」案のスペックで3番砲塔を後部に持っていったパターンの設計です。
だいたいは「A1」案と同じですが、煙突が小さいおかげで高角砲はまとめることができています。

A-140A2(1935.4.1)

公試排水量68,000t
水線長277.00m
全 幅40.4m
最大速度30ノット
馬 力200,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm連装砲 4基8門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140A2」は連装砲4基というオーソドックスな設計です。
しかし寸法が同じとなると、幅はともかく長さは連装砲も三連装砲も同じなので、見た通りこれまでと比べて非常に窮屈となります。
航空兵装も元の位置のままですから、全体的に重心が前に偏っています。

また3番、4番砲塔の周辺に副砲が固まっているのも、ここにしか配置できないという問題を棚上げしたものでした。
前を向いた副砲2基は前後ともに射角に大きな制限があり、3番、4番砲塔の間付近にある2基の副砲も、主砲に砲身が接触する恐れがありました。
この設計だと煙突周辺の舷側の幅も余裕がないため副砲が置けず、使い勝手はともかく要求された兵器をまずは載せた、という程度のもので、かなり実戦には不都合な設計だと思われます。

A-140B2(1935.4.1)

公試排水量60,000tもしくは62,000t
水線長247.00m
全 幅40.4m
最大速度27.5ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:9,200海里
主 砲50口径46cm連装砲 4基8門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140B2」も同様に連装砲4基のタイプですが、こちらも副砲の使い勝手の悪さは変わりません。
高角砲が中央に集中しているのは防空の観点からはいいのかもしれませんが、副砲が死に体のためにやはり運用上の制限は大きいものがありました。

A-140G(1935.5.25)

基準排水量65,800t
水線長273.00m
全 幅37.7m
最大速度28ノット
馬 力140,000馬力
航続距離18ノット:9,000海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140A」「A-140D」は、派生型含めて昭和10年/1935年4月1日にまとめられたもので、ここでの議論の結果、「A」「B」が有力視されてこの設計をより練っていくことになり、ディーゼルとタービンの併用の場合はここから両者の比率は1対1とすることが決まります。
そして5月25日の議論の中で「A-140G」が誕生しました。

「A」「B」はともに最も大型の為、次はこれをどう絞っていくかという話になりました。
幅をとる原因としてはやはり超巨大な46cm砲があり、船のサイズを小型にするためには口径を短くする必要がありました。
そのためここまで50口径だった主砲は以後45口径となります。

全長は273m、全幅37.7mとなり、艦橋より後ろの設備が圧縮されています。
副砲は舷側に寄る形となり、高角砲と干渉してしまうので高角砲は8基から6基と両舷1基ずつ削減されました。
そして重要なのが、この案では速度が28ノットとなっています。
「A-140G」は今後の設計のベースになっていくため、ここで30ノットの可能性は事実上潰えてしまいました。

A-140G1-A(1935.7.30)

基準排水量61,600t
水線長245.50m
全 幅38.9m
最大速度26ノット
馬 力115,000馬力
航続距離16ノット:6,600海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140G」の設計を受けて、これを更に小さくする設計案として7月に誕生したのが「A-140G1-A」です。
全長は245mと「A」案から32mも短くなっています。
安定性を維持するために全幅は38.9mと約1m広くなっていますが、排水量は61,600tと大幅削減されました。

しかしその影響で多くが能力を落としています。
馬力は115,000馬力、最大速度は26ノット、航続距離は16ノット:6,600海里と、特に航続距離の減少は著しいものでした。
装甲も全体的に薄くなったため、舷側装甲は30kmからの砲撃に対する耐久から27kmからの砲撃へと短縮されています。

外観では3番砲塔が背を向けているのがよく目立ちます。
2番砲塔の下の隙間に収まっていることから、全長を短くするために少しでもスペースを活用しようという意図が見て取れます。
当然前方への射角は狭まりますが、前部集中型だともともと後方射角が狭いのが弱点ですから、この配置にすることで後方射角を広げることができました。
副砲は後部に集中する形に戻っていますが、高角砲は6基と削減されたままです。

A-140J0(1935.7.30)

基準排水量52,000t
水線長242.00m
全 幅36.2m
最大速度27.5ノット
馬 力120,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲50口径41cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 3基9門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「C」「D」同様、「G」案に対しても小型の設計案が上がっており、それが「A-140J」「A-140K」です。
「J」は主砲が「D」のように41cm三連装砲へ格下げとなったタイプで、デザインは副砲が1基減った以外は全部一緒と言ってもいいぐらいそっくりです。
当然サイズも小さくなっていて、全長は242m、全幅36.2m、排水量は52,000tです。
重量にゆとりができたので、出力120,000馬力で27.5ノットと並の速度も発揮できました。
装甲は対41cm用に順当に削られており、バランスの良い設計案ではあります。

A-140J2(1935.7.30)

基準排水量53,000t
水線長255.00m
全 幅38.5m
最大速度29ノット
馬 力135,000馬力
航続距離18ノット:6,000海里
主 砲50口径41cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 3基9門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

こちらは「J0」から速度を29ノットに上げるために機関を強化したタイプです。
145,000馬力となったことで航続距離も18ノット換算に向上し、6,000海里に延長。
外観は全長が引き延ばされただけでほとんど「J0」と変わりません。

A-140J3(1935.8.30)

基準排水量58,400t
水線長252.00m
全 幅38.9m
最大速度28ノット
馬 力135,000馬力
航続距離18ノット:7,200海里
主 砲50口径41cm三連装砲 4基12門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 3基9門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「J3」は主砲がさらに1基増え、日本戦艦最大の門数を誇る三連装砲4基12門という攻撃力でした。
「J3」はその絵姿が現れたのがだいたいの骨組みが完成した「G2-A」と同じ8月30日のため、どちらかというと「G2-A」を主砲4基搭載にしたらこうなる、というイメージのほうが近いかもしれません(当然主砲は異なりますが)。

ここで「大和型」のデザインと酷似している部分が複数見ることができます。
煙突が基部だけでなく全体的に傾斜しており、これは「大和型」と同じ形です。
その他艦橋も司令塔が前に出っ張った形に変化していて、面影が随所に現れています。
同じ41cm三連装砲4基搭載の「モンタナ級」の日本版とも言えます。

A-140Kタイプ(1935.8.1)

基準排水量50,060t
水線長221.00m
全 幅36.0m
最大速度24ノット
馬 力80,000馬力
航続距離16ノット:6,600海里
主 砲45口径46cm三連装砲 2基4門
45口径46cm連装砲 1基2門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 3基9門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

見ての通り1番砲塔は連装砲になっています。
デザインの多くは後ほど紹介する「A-140G0-A」と類似していますが、副砲が1基削減されています。

サイズは劇的に減少しており、排水量は僅かに50,600t。
しかし出力は80,000馬力足らずで最高速度は24ノット、航続距離16ノット:6,600海里と足回りにも問題がありました。
さらに46cm砲搭載にもかかわらず装甲は41cm砲対応に留まっていて、装甲も速度も足りない本案は、ひたすら小型化し、かつ攻撃力に特化したバージョンと言えるでしょう。
「K」は計3タイプが設計されましたが、全体的に攻守のバランスが悪いものでした。

A-140G0-A(1935.8.14)

基準排水量65,450t
水線長268.00m
全 幅38.9m
最大速度28ノット
馬 力145,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140G1-A」の弱体化を一部改善する形として、8月に「A-140G0-A」が登場しました。
全長は268mと再び延長され、排水量は65,450t、出力は145,000馬力と大型化していますが、航続距離は16ノット換算のままで幾分経済力は劣ったままでした。
全長が伸びたことで3番砲塔周辺のスペースは拡大され、射角はより広くなっていますが、艦橋はついに中央よりも後ろに下がってしまいます。

A-140G2-A(1935.8.30)

基準排水量63,450t
水線長262.00m
全 幅38.9m
最大速度28ノット
馬 力143,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140G0-A」を手直ししたのが「A-140G2-A」で、これが「A-140A」をより熟成させた設計案となります。
ここでは更に甲板が平甲板になっていることが2番砲塔基部を見ればわかります。
3番砲塔は「G1-A」同様再び2番砲塔の下に収まりますが、艦橋と煙突の形は「140G0-A」と同じもので、「G1-A」「G2-A」をうまく組み合わせた設計と言えます。
航空甲板は過去のプランの中でも最も広くとられていますが、これがなぜここまでのスペースをとるようになったのかはわかりませんでした。
「大和型」の特徴を最も多く取り入れた前部集中型設計だと思います。

A-140I(1935.7.30)

公試排水量65,050t
水線長268.00m
全 幅38.9m
最大速度28ノット
馬 力143,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 2基6門
45口径46cm連装砲 2基4門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲(四連装?) 2基6門
12.7cm連装高角砲 8基16門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

日本の戦艦は代々火力を可能な限り均等に配分できるように努めてきました。
なので主砲は偶数が多く、基数となったのはいずれも八八艦隊で消滅した幻の戦艦たちだけでした。
その基数も5基であり、また3:2という配分ですから、いずれかの方向で著しく攻撃力が落ちるということはありません。
基数が多いというのはバイタルパートが多いという弱点もある反面、砲塔が使用不可となった場合でも攻撃力の低下が抑えられるメリットもあります。

しかし「A-140」藤本の戦略と説得もあって、大半の設計案が前部集中型で、また海軍もこの設計に好印象を持っていました。
保守的な平賀としてはこの極端な火力配分が納得できず、ここまでちょいちょい後部にも砲塔を配置する設計を織り交ぜてきましたが、ついに本人が最も求める艦影が現れました。
それが「A-140I」なのですが、火力は過去最大の46cm砲10門となっております。
前後それぞれ連装砲と三連装砲の5門となっており、前後共に十分な火力を発揮することができます。

主砲4基搭載にしては排水量は65,000t程度、装甲は27kmでの46cm砲対応となっているようですが、果たしてこれだけの装備でこの重さ、強度が保てたのかは疑問です。
副砲は、小型タイプならいざ知らずこのサイズでも海軍からの要請を無視して2基としており、かついずれも三連装砲の裏側に背負い式で配置する構造になっています。
これは「大和型」の副砲配置に繋がっています。

主砲2基と副砲2基がいずれも過去の設計案よりも高い位置にあるために重心が上がっております。
なので復原性を増すために全幅は38.9mにまで拡大しました。
甲板は全通ではなく2番砲塔後ろから最上甲板となっています。

旧来の戦艦のような構造になった「I」ですが、何よりもまず46cm砲を2種類製造するというのが大きなデメリットでした。
技術的な問題ではなく、コストや手間の問題です。
1門の火力は馬鹿にできませんが、1門の火力の為に2種類の主砲を製造するのかと考えるとそう軽くうなずけることではありませんでした。
結局「I」はお蔵入りとなりましたが、続く「F」「G」に引っ張られずに「I」を元にした設計案であったことから、平賀の目論見は一定の成果を得たわけです。

A-140F(1935.8.14)

基準排水量60,350t
水線長247.00m
全 幅38.9m
最大速度28ノット
馬 力130,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 2基6門
45口径46cm連装砲 1基2門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140I」が却下となった一方で、海軍は前部集中型から後部にも主砲を配置する設計になびき始めました。
前部集中型だと、艦橋に襲い掛かる爆風の威力や視界不良、重量配分が難しいデメリットが確かにあります。
一方で、主砲を後方にも配置すると、艦全体で爆風の影響があるエリアが拡大してしまいます。
これは結果論ですが、前後に砲塔があるために「大和型」は増強した対空兵装を十分に使いこなすことができませんでした。

藤本の判断としては、爆風の威力は大きくても艦橋への対策だけで済む上、防御箇所もより集中できる、(藤本は後部の副砲のかたまりについて、弾薬庫のある一帯を装甲で覆うのではなく、弾薬庫そのものを分厚い鉄箱にして防御重量を抑えようとしていました)、そして元来は30ノット要求でしたから、高速で動き回ることを考えると前部集中型のほうがいろいろ都合がよいと考えたのでしょう。
しかし平賀は艦橋への影響のほかに、当然攻撃力の低下、そして直接分厚い装甲で防御するバイタルパートの範囲を狭くする必要性を訴えて後部砲塔の配置を押し通しました(「I」のように前後2基ずつだとバイタルパート広がるんですがね)。

そのダメ押しとなったのが、「A-140」の最終系統となる「A-140F」です。
ただし「F」でも1番砲塔は連装砲であることに注意してください。

この段階ではまだディーゼルとタービンは併用の計画です。
副砲は「I」で削減された2基が復活していますが、過去の設計同様後方に配置されています。
この段階ではまだ排水量は60,350tと少し軽めです。

A-140F3(1935.10.5)

公試排水量61,000t
水線長246.00m
全 幅38.9m
最大速度27ノット
馬 力135,000馬力
航続距離16ノット:4,900海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
13mm四連装機銃 4基16挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

「A-140F」から修正が加えられた案です。
「A-140G」以降はディーゼルとタービンは比率が1対1だったのですが、日本のディーゼル性能はまだ信頼性が高くなく、タービン75,000馬力、ディーゼル60,000馬力と比重が少しタービンに傾いています(厳密にはこれまでもちょっとした差でタービンのほうが多いということもありますが、それは単純に2で割って機関を構成できないからです)。
また1番砲塔が三連装砲に戻ったことで艦首側の幅も広めにとる必要があり、全長は短くなったため凌波性も低下。
この結果最大速度は27ノットに低下し、航続距離もガクンと落ちて4,900海里となっています。
ただし注目点として、艦首形状がこれまでとは明らかに異なっています。
この段階でバルバス・バウの設置が考えられていたのだとしたら、さすがに4,900海里は落ちすぎだと思います。

A-140F4(1935.10.5)

公試排水量62,545t
水線長248.00m
全 幅38.9m
最大速度27ノット
馬 力135,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
13mm四連装機銃 4基16挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 ?機(射出機 2基)

あまりにも航続距離が短すぎるため、排水量増は止むを得ないとして全長が2m伸びたタイプである「A-140F4」も同時に提案されています。
この結果航続距離は7,200海里まで回復しましたが、基準排水量は58,260tに増加。
また副砲の位置が「F3」よりも前に出てきています。

「F4」の設計案を提出した昭和10年/1935年10月19日の高等技術会議では、これまでとは一変して会議が驚くほどスムーズに進んだと言います。
というのも、「友鶴事件」、藤本の急逝、そしてその藤本が手がけた多くの艦が損傷した「第四艦隊事件」と悲劇が立て続けに起こっており、その根幹に軍令部からの過剰な要求があったという批判が蠢いていたからです(「第四艦隊事件」は同年9月26日発生)。
これもまたタイミングが悪いことで、いつもの軍令部ならここで27ノットという速度に文句が出ていたと思われます。
それがこのだんまりだったため、結局「大和型」「F4」に最終的な手直しをすることでほぼ設計が確定してしまいました。

A-140F5(1936.7.20)

公試排水量65,200t
水線長253.00m
全 幅38.9m
最大速度27ノット
馬 力135,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm連装機銃 12基24挺
13mm四連装機銃 4基16挺
缶・主機ディーゼル+タービン機関
その他
水上機 6機(射出機 2基)

「A-140F4」案は提出から審議に入り、昭和11年/1936年7月に遂に新型戦艦の設計図が完成しました。
それが「A-140F5」です。
「F4」から全長がさらに5m伸びて253mとなり、予備浮力を増しています。
また艦橋の外観が大きく変化していて、【比叡】の改装の成果がふんだんに織り込まれています。

A-140F6(1937.3)

基準排水量64,000t
水線長256.00m
全 幅38.9m
最大速度27ノット
馬 力150,000馬力
航続距離16ノット:7,200海里
主 砲45口径46cm三連装砲 3基9門
副砲・備砲60口径15.5cm三連装砲 4基12門
12.7cm連装高角砲 6基12門
機 銃25mm三連装機銃 8基24挺
13mm連装機銃 4基8挺
缶・主機タービン機関
その他
水上機 6機(射出機 2基)

晴れて「大和型戦艦」の仕様が確定し、ここから帝国海軍の歴史に新しい1ページが刻まれる!という直前に大きな問題が「A-140F5」に降りかかってきました。
ここまで全ての設計で外れることがなかったディーゼル機関に大きな不安がのしかかってきたのです。
【大鯨】に搭載していた11号10型ディーゼルエンジンが故障に次ぐ故障で、とても気軽に搭載できる性能ではないことが発覚しました。
機関故障は大変なことだらけなのですが、戦艦は他の船と違ってガッチガチに装甲で固められています。
なので機関の整備のためには他の艦種よりも圧倒的に時間と手間がかかります。
世界一大きな戦艦がドックを出たり入ったりというのはかつての「扶桑型」と同じ有様で、万が一の戦争中に、戦闘による損傷ではなく整備のために何ヶ月も戦線離脱するなんて何のための世界最強かわかりません。

結局あらゆる面で有効だったディーゼル機関は、その唯一と言っていい欠点、日本の技術力がディーゼルに追いついていないという問題を解消できなかったために「大和型」への搭載の中止を平賀が提言します。
どうやらこれが一足飛びに、誰も通さずに軍令部総長である伏見宮博恭王に直接断念を迫ったらしく、それが本当なら無茶苦茶な手段に出ています。
一方でこれを覆すだけのディーゼルの好材料がないのも事実で、結局平賀に押し切られる形で急遽タービン機関だけの「A-140F6」が設計されました。
この結果全長はさらに伸びて263mとなり、馬力も150,000馬力に増強、排水量は64,000tにまで膨らんでしまいました。

日の目を見なかった大和型の先の姿

ここからは、完成しなかった「大和型」である【信濃、111号艦】と、俗にいう「改大和型・超大和型」について軽く紹介いたします。


【信濃、第111号艦】は、「大和型」の3番艦、4番艦です。
【信濃】は途中で空母へ改装、【第111号艦】は建造中止となったのはご存じのとおりですが、この2隻は【大和、武蔵】での問題点を複数改善して誕生する予定でした。

【大和、武蔵】の設計で大きなウィークポイントとなっていたのは、15.5cm三連装副砲全体の脆さでした。
副砲は「最上型」の時は全面25mmという薄さで、砲撃一発で完全に壊れてしまいます。
どころか空襲による爆撃などだと副砲を貫いて弾火薬庫に直撃し、大爆発を起こしてしまう危険性がありました。
そのため副砲は対弾防御が強化されたようですが、具体的にどこをどう強化しているのかはわかりません。

続いて装甲の最適化でした。
「大和型」の装甲は46cm砲に対して2~30,000mでの砲撃に耐え切る厚みとして設計されていました。
しかしこの威力は最初のほうに登場した47口径48cm砲をもとに計算したもので、データそのものの修正をしてみると古い砲だったということもあって貫通力計算が適切ではないことがわかりました。
そのため今施されている装甲は厚すぎるということになり、次の2隻では見直されることになりました。

具体的には舷側装甲は最大400mmと10mm減、水平装甲も10mm減の190mmとなっています。
主砲やバーベットの装甲も多少薄くなっています。

一方で水雷防御が【大和】【武蔵】が二重底に対して【信濃】【第111号艦】は復水器の下部など一部を除いて三重底になり、逆に魚雷や機雷には強くなっています(艦底は50~80mm)。
これは磁気機雷や、今では主流となっている艦底起爆魚雷対策でした。
これまでは魚雷は船に穴をあけて浸水を誘うものでしたが、これらは船の背骨であるキールを破壊するという恐ろしい兵器(というか使い方)です。
キールを折ってしまうと船は真っ二つですから、浸水とか火災とか浮力とか、そんなもの一切関係ありません。
横の穴は塞げても、下の穴はそう簡単には塞げないし、動けば動くほど船は傷みますから、とてつもないダメージを与えることになります。

いずれの兵器もどの深度に浮かべるか、発射するかの調節が可能なのですが、日本の酸素魚雷は速度がめちゃくちゃ速くて磁気信管では作動しないという問題がありました。
なのでしばらくはやむを得ず従来通りの使い方をしており、戦争末期に水車式という、アナログですが水中凧を引っ張ってそれが何かに接触した時に信管が作動するという方法が編み出され、特攻の際に若干の使用実績があるようです。

その他直前の計画変更で設備面に不満が残った艦橋の再整理、スクリューの直径を5mから5.1mへ拡大、これまた過剰だった航続距離に合わせた燃料減などが行われています。
舵の面積が小さいという問題はこの時は改善されていないようです。
また対空兵装として12.7cm連装高角砲「秋月型」の主力である65口径10cm連装高角砲に換装する予定でもありましたが、少なくとも計画時には製造が間に合わないためこの段階では搭載の予定はなかったと言われています。

この2隻に続くのが、「マル4計画」で建造が決まった5隻目の「大和型」、通称「改大和型」です。
アメリカは昭和15年/1940年に成立した両洋艦隊法に基づき莫大な海軍増強予算を計上しました。
この結果、日本が当初「さすがにそこまではできないだろう」と考えていた、太平洋と大西洋に同規模の戦力を配置するということが一気に現実味を増してきました。

両洋に艦隊を配置するということは、パナマ運河が通過できるサイズという制限が意味をなさなくなります。
1隻の戦艦を太平洋と大西洋に行ったり来たりさせるためのサイズ制限ですから、両側に1隻ずつ置くのであれば関係ないわけです。
よしんばパナマ運河制限のある戦艦であったとしても、1隻辺りのt数が下がるということはその分戦艦の数が増えてきます。
計算上、この計画通りにアメリカ海軍が増強された場合、日本の戦力はアメリカの半分にまで落ち込んでしまいます。
これに伴い、日本は昭和17年/1942年の「マル5計画」において更に「大和型」の5~7番艦の建造を決定し、取り急ぎ5番艦にあたる【第797号艦】「改大和型」として、【第798号艦、第799号艦】「超大和型」として建造することにしました。

「改大和型」【信濃】【第111号艦】で搭載できなかった長10cm砲を採用し、また全然使う機会がない副砲も舷側の2基を撤去。
長10cm砲は12基24門搭載の予定だと思われます。
またその周辺には大量の25mm三連装機銃が設置され、イメージとしては「坊ノ岬沖海戦」時の【大和】に近いかもしれません。

「大和型」は極端な集中防御方式を採用していたので、防御の弱い部分の対策は注水による傾斜回復で補っていました。
しかしあまりに浸水スペースが広いということで、「改大和型」では艦首艦尾にも水雷防御隔壁を設置し、被雷による浸水をできるだけ抑えようという対策が取られました。
ただ相変わらず注水による傾斜回復のため、たとえ【武蔵】にこの対策が施されていたとしても結果は変わらなさそうです。
水雷防御は艦底の三重底が全体に施されています。

計画では「改大和型」は昭和18年/1943年に起工し、昭和22年/1947年竣工予定でした。

続いて「超大和型」ですが、計画名は「A-150」でした。
文字通り「大和型」を超える戦艦です、と言いたいのですが、ぶっちゃけやりすぎでしょう。

戦艦に関わらず、全ての物事に於いて技術は日進月歩、そして相手より先んじていることが勝利への近道です。
つまり46cm砲を搭載しただけで安心しているわけにはいかない、ということです。
実際アメリカでも47口径18インチ(45.7cm)砲の実験は完了していて、「アイオワ級」「モンタナ級」の建造計画でも多少搭載の見当が行われています。
過去の計画ではすでに51cm砲を搭載する未来を見据えている形跡もありますし、また実験も行われており、そして「超大和型」建造にあたり、「試製甲砲」という名称で45口径51cm砲の開発が昭和15年/1940年からすでに始まっていました(ちなみに超甲巡用として「試製乙砲」も一緒に開発)。

「超大和型」の性能として、51cm三連装砲3基ないし連装砲4基、速度30ノットという現実を見ないにもほどがある要望もあったわけですが、あまりにもでかすぎるし重すぎるし、喫水も深くなるから入れない港やドックが続出するということで却下。
三連装砲は艦幅が肥大化しすぎ、連装砲4基だと全長はぐんと伸びます。
ただでさえ30ノットを出すにはとんでもない全長になる上に、排水量にも対応するため機関もべらぼうな出力が必要ですから、ドック云々の前に戦時中の建造にしてはあまりに無謀でした。

結局
連装砲だとサイズ的には46cm三連装砲と同じ程度で済むということで、連装砲3基の装備で固まりました。
それでも基準排水量は80,000t~85,000tと「大和型」より20,000t前後重くなりますから、とんでもない代物です。

46cm砲51cm砲のどちらが強いかと言われると当然51cm砲ですが、46cm三連装砲51cm連装砲のどちらが有用かと言われると俄然難しくなります。
まず門数は3門減りますから投射量は落ちます。
「モンタナ級」で仮定すれば、投射量は半分になってしまいます。
一方で46cm三連装砲は命中率が悪かったという評価もありますから、もしかしたら51cm砲のほうが命中率は良くなったかもしれません。

防御に関しては、そもそも相手が51cm砲に対抗できる装甲の戦艦を建造するのかどうかという点に尽きます。
46cm砲に耐えきれない戦艦に51cm砲はオーバーキルですし、とんでもない分厚さ、でかさ、そして金食い虫になりますから、近年中に51cm砲搭載戦艦が存在価値が高いものとして認識されるのかどうかという問題もありました。
そもそも「超大和型」51cm砲用の装甲はとても張れないので、過剰な武装だと言われても仕方ないでしょう。

1発の砲弾の重さは46cm砲が1,460kgに対して51cm砲は1,950kgと500kgも重くなります。
長さも風帽込みで2mほどになるため、あらゆるものを機械で運搬せざるを得なくなりました。
砲のサイズがほとんど変わらないのに排水量が馬鹿みたいに増えるのは、このような理由があります。
他にも速度低下をどうするか、装甲を51cm砲対応に強化するか、などで膨れ上がっていると思われます。
砲塔のサイズがほとんど同じなので「大和型」51cm連装砲に換装する計画があったとも言われますが、サイズがだいたい一緒でも上記の通り内部の機構は全く異なりますし、それが真実であったとしても1年前後の工事になったと思います。

副砲と対空兵装については「改大和型」と同様で、空いているスペースにどかどか25mm三連装機銃を搭載しています。
サイズは「大和型」と変更はなかったでしょうが、さすがに排水量や航続距離には影響があったと思います。

最後に、「Warship Projects 1900-1950」はお遊びで51cm連装砲4基版の「超大和型」、また全く制限を受けずに排水量100,000tの51cm三連装砲搭載の戦艦を作った場合の戦艦も描いてくれていますので、そちらも紹介します。