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- 信濃に全てを託す 世界最大空母の誕生へ
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- 惜しいことをした
信濃に全てを託す 世界最大空母の誕生へ
太平洋戦争勃発から6ヶ月後、「ミッドウェー海戦」が始まり、帝国海軍は優秀な空母を一気に4隻失うことになります。
さらにアメリカは脱戦艦こそ日本より遅れたものの、空母の量産体制に入っており、日本は開戦後たった半年少しで窮地に追いやられます。
6月20日と21日、今後の空母をどうするかという緊急の対策委員会が開かれました。
そしてこの中で、行き場を失っていた【信濃】を空母にするぞという話が出てきても、別に不思議ではありませんでした。
この時の【信濃】の工事進捗は全体の70%、今更解体に回すのも相当な人出と金を浪費することになります。
6月30日、「昭和17年度戦時航空兵力増勢及艦船建造補充ニ関スル件商議」をもって「マル5計画」が「改マル5計画」に改められました。
改と言いながら変更点が多すぎて原形崩壊している「改マル5計画」ですが、やはり目を引くのは空母と潜水艦の大拡張です。
数だけ見ても空母は3隻が18隻になり、潜水艦は45隻が139隻となっています。
そしてこれに加えて、【第111号艦】の早期解体と【信濃】が戦艦から空母に大改装されることも決まったのです。
第110号艦ハ概ネ昭和19年12月末完成ヲ目途トシ航空母艦ニ改装スルモノトシ尚出来得ル限リ工事ヲ促進ス[12-P17]
さて、戦艦から空母へと、つい先日海の藻屑となった【赤城】【加賀】と同じ系譜を辿ることになった【信濃】ですが、この段階では【信濃】は外部が中甲板までの船殻がほぼ完成、内部は機関区画が完成して機関が収まっていた上に缶は9基の搭載が完了していた他、下甲板までの工事が完了、前後部は艦底防御装甲が取り付けられた状態でした。[3-P196]
横須賀には「改大鳳型」1隻と「改飛龍型(雲龍型)」7隻の建造が割り当てられました。[11-P188]
これを受け、【信濃】が居座る巨大な第六ドックでは、「雲龍型」を一気に2隻作りたいと目論んでいたようですが、逆に【信濃】を空母にすることになった以上第六ドックを早期に空けることはできず、「雲龍型」2隻の建造が取り止めになってしまいました。
7月からは【信濃】をどんな空母にするかの議論が焦燥感溢れる中で続けられました。
目の前の空母不足は【飛鷹】達で何とか凌ぎ、その間に「雲龍型」を早急に建造し、2年半我慢して戦い、【信濃】で航空戦をひっくり返す。
これぐらいの挽回力を発揮するために【信濃】はどのような空母にするべきか。
艦政本部長である岩村清一中将は、【信濃】を不沈中継空母とする案を提唱します。
これは、【信濃】所属の艦載機は積まず、格納庫も持たず、【信濃】自身は機動部隊ではなく前衛部隊とともに行動し、後方の機動部隊から発艦した艦載機が行き帰りの補給中継地として活用するというものでした。[3-P198][4-P79][9-P108]
この件に関しては直掩戦闘機だけは積む(よってそれ用の格納庫だけは造る、その場合は開放式)という案もよく知られていて、果たしてどっちなのか、途中で岩村が折れていったのか、どの段階の検討案かちょっとよくわかりません。[10-P76][11-P331][12-P29]
甲板は【大鳳】のように装甲で覆って敵の攻撃を防ぎ、艦載機は【信濃】で燃料や兵器補給を受けて、再出撃するもよし、所属空母に帰還するもよしという砦のような扱いをしようというわけです。
こうすれば、味方の攻撃用空母は敵艦載機の行動範囲外から発艦し、【信濃】を経由して攻撃~母艦帰投ができるので、空母は被害を受けない上に一方的なアウトレンジ戦法が取れるというのが岩村の考えでした。
こう見ると【大鳳】は攻撃用空母の甲板を強化した設計思想であるのに対し、【信濃】の初期構想は防御空母であるという違いがあります。
この案は最終的には軍令部の神重徳参謀(当時大佐)がねじ伏せ、却下されたも同然なのですが、艦政本部がなかなか妥協しなかったために最初はこの設計で大筋の合意がされており、ここも【大鳳】とは経緯が異なります。
飛行甲板
飛行甲板の防御ですが、ベースは500kg爆弾の急降下爆撃、800kg爆弾の高度4,000mからの水平爆撃に耐えうるもので、75mmNVNC鋼の下に20mmDS鋼を張る構造です。[3-P199]
本当は800kg爆弾の急降下爆撃にも耐えられるようにしたかったのですが、いくらなんでも重すぎて支えることができないし、トップヘビーが過ぎるという事で却下されました。[8-P99][11-P333]
これに加えて、後部にある長さ83mの戦闘機用格納庫は25mmDS鋼の二重張り側壁で囲われています。[3-P202]
装甲の裏側は多くが格納庫であるため、支柱を何本も用意してクソ重い装甲を支えることはできません。
そのためビームとガーターを細かく升目に組んで、装甲全体を支えつつ衝撃を分散吸収させることになりました。
そしてその下には断片防御用の14mmDS鋼が設置されています。[3-P202]
ちょっとですが【大鳳】の10mmDS鋼より厚みがあります。
装甲の範囲ですが、【大鳳】では排水量の関係から離発着に最低限必要だと計算された150m×18mしか装甲が張られませんでしたが、【信濃】ではこれを飛行甲板265×40mのうち210×30mに展開。
これで発着艦に影響するエリアは全て耐性を持ち、1t爆弾程度を落とされない限りはずっと艦載機運用ができる計算となります。[3-P202]
飛行甲板には工事簡略化と【大鳳】で使われたラテックスの入手が困難となったため、全面鋸屑入りセメントが敷かれました(これを根拠に【大鳳】がラテックス仕様だったとはならない)。[8-P99]
ただこのセメントが細かく剥がれ、その粉塵が着艦制動装置に入り込んで故障がよくおこったという記録があります。[9-P109]
その着艦制動装置は最新の三式十型が5基、滑走制止装置も三式十型3基であり、いずれも大重量の代名詞としてよく出てくる【流星】にも対応できる代物でした。[10-P77]
エレベーターにも75mmNVNC鋼が装着されており、【大鳳】が100tで精一杯だったところが、【信濃】の場合は前方の大型が15×14mで180t、後方の戦闘機用エレベーターでも13×13mで110tと、物凄い重さになってしまいました。
これだけの重さであってもエレベーターが飛行甲板の弱点であることには変わりなく、2基のエレベーターの距離は通常時の利用の不便さを我慢して170mとなっています(【信濃】も【大鳳】と同じく最初はエレベーター3基の予定だったかもしれません[13-P16])。
エレベーター間の距離が長ければ長いほど、万が一エレベーターが片方ダメになっても使える飛行甲板の長さも長くなるからです。
これだけ頑丈な装甲と、「大和型」をベースとした改修となると苦労が絶えませんでした。
まず「大和型」には1番砲塔付近が谷底になるような、いわゆる「大和坂」というものがありますが、飛行甲板にこんな坂があっては困ります。
飛行甲板をまっすぐに敷く上でこの坂は厄介でしかなく、ここの設計や工程の変更は骨が折れたようです。[3-P202]
この高低差最大2mの坂は完全には解消されず、1mの傾斜が残されたままでした。
その他の防御・防火
機関部やガソリンタンクに関しては高度4,000mからの800kg爆弾水平爆撃に耐える性能を持たせ、これらはいずれも【大鳳】と同等の装甲でした(バイタルパートの防御は高度に違いがあるかも)。[3-P199]
ガソリンタンクに関しては直上の下甲板には25mmDS鋼+70~80mm装甲、舷側側は25mmDS鋼の二重張りとなっています。[3-P201][8-P80]
この70~80mm装甲は【第111号艦】の残り物を使っているようです。[8-P80]
水雷防御は「大和型」よりもさらに強化されているのは前述していますが、この個所はすでに完成しているので変更することができません。
ですがこの防御力はそもそも【信濃】のコンセプトにガッチリ適合しているため、何の問題もありませんでした。
当然空母一の水雷防御です。
水線上の舷側防御や中甲板はさすがに対20cm砲レベルのものまで削られています(舷側230mm傾斜装甲、中甲板100mm)。[1-P16]
その他細かい構造としては、防火消火不燃化の対策が随所に取られ、もちろん炭酸ガス消火ポンプや泡沫消火装置も多く配置されています。[13-P14]
そして泡沫消火装置をコントロールする消防監視所もまた破壊されないように25mmDS鋼で囲われていました。
他に補給は全て飛行甲板上で行うように運用が変更され、格納庫での誘爆リスクを大きく減らしました。
格納庫
艦載機に関しては変更が多く、機数や搭載機の内訳はマチマチです。
だいたい40~50機の範囲ですが、いずれにしても搭載機数が少ないのは、本来なら格納庫は多層式が普通なのですが、すでに船体は中層部までが完成しており、格納庫を上下に造るスペースがなく、強引に造るとかなり時間がかかるためです。
とはいえ元が超でかいので格納庫のサイズは合わせて約210×30mもあり、一層の格納庫サイズとしては「翔鶴型」を上回っています。
これに広大な飛行甲板への露天繋止を含めれば、10や20ぐらいの増加はやろうと思えばできたでしょう。
これにより、【信濃】は【大鳳】の強化版のように、自身も攻撃に参加するけど万が一他の空母が被害を受けた場合はその艦載機を受け持って、かつ補給も万全に行える空母という方向性となります。
しかし攻撃型空母というにはあまりに搭載機数が少なく、さらに遅いという大きな問題もありました。
前衛配備という事は巡洋艦らとの行動が想定されますが、「第二次ソロモン海戦」の【陸奥】然り、鈍足戦艦は巡洋艦の足を引っ張るのでどこまで連携できるかはなかなか推し量れません。
冒頭で紹介しておりますが、【信濃】の搭載機は最新の艦載機ばかりです。
【紫電改二】の枠は本来であれば【烈風】が占めるはずなのですが、そうなっていない理由は語るまでもありません。
また【彩雲】に関しては【信濃】に取り付けられたエレベーターのサイズ13×13mではギリギリ穴を通過できず、全機露天繋止での運用となっていました。[9-P109]
ただ、【彩雲】は次に説明する前部の攻撃機格納庫に収容する予定であり、という事はこのエレベーターの問題は解消されますから、見解の相違があります(13×13mは後部エレベーター)。[11-P333]
そもそも収容できるできないに関係なく露天繋止の予定だったかもしれませんが、いずれにしても【信濃】の艦載機に関してはその時々で内容が変わるので判断に困ります。
格納庫ですが、大きく前部125mの攻撃機用格納庫と後部83mの直衛戦闘機用格納庫に分かれます。[3-P199]
そしてこの前後の格納庫の間は防火壁、防火扉で区切られています。
【信濃】の格納庫もまた過去の空母とは一線を画しており、密閉式ばかりの日本空母群において、前部格納庫のみですが貴重な開放式となっています。
「ミッドウェー海戦」では密閉式格納庫の中で誘爆が連続して発生し、薄目に造られた側壁では衝撃の分散に繋がらず、飛行甲板が内側から突き上げられて山なりになっています。
またあの時は突然の大爆発でしたが、格納庫内で火災が発生して爆弾や魚雷を退避ないし投棄させたいときも、密閉式だと行き場がなくて消火するしか手段がなくなります。
しかし開放式であれば投棄も容易にできますし、爆発の衝撃開放や換気も可能ですから、これは「ミッドウェー海戦」で日本が得た戦訓の1つでした。
また密閉式は気密性を保持しなければなりませんから、開放式にすることでその手間を省けるメリットもありました。[11-P190]
開放式と密閉式においては日米空母でも明確に優劣が付いた構造の差ですが、例えば日米戦争を北方海域で行っていたら評価はまるっきり逆だった可能性もありますから、結果論の一面もあります。
前部の開放式格納庫は両舷側に最大で幅10m以上の大きな口が開いていて、光漏れを防ぐ際は遮光幕が降ろされます。
煙突等構造物の関係から、開放個所や大きさは左右均等ではありません。
ただ低層設計の【信濃】は天井が低すぎる関係からか、艦載機をその開口スペースから海に棄てることはできなかったようです。[3-P190]
一方後部の格納庫は密閉式ではありますが、爆発時の衝撃を少しでも外へ逃すために、あちこちに穴をあけ(【大鳳】が肋骨間に1.5×0.7mの穴をあけているのでそれぐらいか?)、それを外から不燃性の板で塞いでいました。
そして中で爆発が起こった場合は、その衝撃で蓋が外れて爆風が外に抜ける構造となっています。[10-P77]
出典:『図解日本の空母』
対空火砲
巨大な船内のためすぐに戦闘配置につけるように居住区と待機所を兼用させ、彼らが扱う対空火器については、12.7cm連装高角砲が8基16門、25mm三連装機銃23基69挺が初期計画でした。
もちろんどんどん増えていき、三連装機銃は35基105挺、単装機銃も35基35挺の計140挺まで増加した他、12cm28連装噴進砲も呉回航途上の松山で12基装備する予定だったようです。[3-P204][4-P22][10-P113][13-P15]
ただ対空火器についても艦載機同様いろんな説があってよくわかりません。
また傑作兵器とよく言われる65口径10cm高角砲も、生産遅延が影響してか搭載予定がありませんでした。[10-P113]
長10cm砲に関しては戦艦としての建造時から断念されています。[11-P181]
高射装置に関しても「秋月型」で2基の予定がほとんど1基しか積めなかったと言われるほど数が足りていませんでしたから、九四式高射装置ではなく、四式射撃装置に九七式2m広角測距儀を組み合わせたもので代用し、これが4組搭載されました。[10-P113]
ですがこちらも機銃は増えるのに射撃装置は4組のままだったので、相当な数の機銃が目視照準でした。
これでは統一射撃ができないため、モリモリの機銃も指令により集中砲火を浴びせてバタバタと敵機を打ち落とすのは不向きだったでしょう。
電探は21号対空電探が2基、13号対空電探が2基もしくは1基搭載されました。
その他
洋上補給任務を兼務する予定だった【信濃】ですが、そのために必要だった補給物資の搭載計画はどんなものだったのか。
実はこれまた複数の可能性があり、どれが有力かはわかりません。
ただ【大鳳】が中継任務を負う運用を行わなかったように、【信濃】もそれを前提としなかったことから、積める積めないにかかわらずあまり積む気はなかったのでしょう。
目安としては搭載機3回の出撃分ぐらいの補給物資しかなく、他の空母の艦載機への補給はどんどん考えられなくなっていったのがわかります。
速力は27ノットであり、これは「大和型」の機関をそのまま使うのであれば相当軽くしない限りはどうしようもありません。
この速度はあの【加賀】よりも遅く大型空母としては最遅です。
ですが【信濃】は飛行甲板が長く広かったので、少々の劣速など全く気にならないほど発着艦は精神的な安心感があったようです。
航続距離は「大和型」の主砲3基分のスペースがぽっかり空きましたので一気に増えます。
ボイラー室約6個分ぐらいの空きスペースができたことで巨大な重油タンクを設置することができ、航続距離は空母にふさわしい18ノット:10,000海里となりました。[3-P203]
しかし他の要素を含めても【信濃】の重心は高くなってしまったため、吃水を下げる必要があり、そのためにバルジをいったん外して1メートル下げる工事が別で発生しています。[3-P203]
他に【信濃】を特徴づけるものとしては登場時から明細が施されていたことがあります。
【信濃】の迷彩は呉移動時には対潜用として舷側だけに施されており、飛行甲板への塗装は呉で行う予定だったといいます。[9-P34]
信濃の写真を見る
参考資料(把握しているものに限る)
Wikipedia
[1]軍艦開発物語2 著:福田啓二 他 光人社
[2]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[3]艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
[4]空母信濃の生涯 著:豊田穣 集英社
[5]1 US Sub Sinks a Japanese Supercarrier – Sinking of Shinano Documentary
[6]What Was The Fate of The Shinano? Japan’s Ten-Day Supercarrier
[7]『雪風ハ沈マズ』強運駆逐艦 栄光の生涯 著:豊田穣 光人社
[8]空母大鳳・信濃 造艦技術の粋を結集した重防御大型空母の威容 歴史群像太平洋戦史シリーズ22 学習研究社
[9]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[10]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[11]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[12]戦史叢書 海軍軍戦備<2>開戦以後 著:防衛庁防衛研究所戦史室 朝雲新聞社
[13]沈みゆく「信濃」 知られざる撃沈の瞬間 著:諏訪繁治 光人社
[14]「信濃!」日本秘密空母の沈没 著:J.F.エンライト/J.W.ライアン 光人社