重巡洋艦

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鳥海【高雄型重巡洋艦 四番艦】

【鳥海】は客船を多く建造していた三菱長崎造船所で建造されたため、姉3隻と比べて内装が豪勢だったと言われています。 【愛宕】ともども旗艦を務めることが多かった理由は、このあたりがあるのかもしれません。 また、二度の御召艦の先導艦として観艦式に出席しています。
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摩耶【高雄型重巡洋艦 三番艦】

【高雄・愛宕】は太平洋戦争を目前にして改装を行っていますが、【摩耶・鳥海】はその改装が行われる前に開戦してしまったため、姉2隻よりは劣った状態で戦争に参加することになりました。 それがのちに【摩耶】が対空特化の重巡に変身することにつながります。
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愛宕【高雄型重巡洋艦 二番艦】

【愛宕】は「高雄型」の二番艦とされていますが、竣工はこの【愛宕】のほうが2ヶ月ほど早く、「愛宕型重巡洋艦」とも呼ばれています。 竣工日が一番早くてもネームシップになっていない艦は他にも【那智】や【龍田】などがいますが、この【愛宕】はこれら2隻よりも「愛宕型」と称されることが多かったと言われています。
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高雄【高雄型重巡洋艦 一番艦】

「高雄型」の特徴してあげられるのは大きく2つ。 1つは大きくなった艦橋。 もう1つは魚雷発射管に次発装填装置を取り付けたことです。 艦橋の大型化は、艦隊旗艦としての能力を最大限発揮する目的がありました。 「妙高型」の設計では戦隊旗艦程度の能力しか発揮できず、その戦隊を取りまとめる指揮官が鎮座する艦隊旗艦には向いていなかったのです。
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羽黒【妙高型重巡洋艦 四番艦】

「妙高型」の末っ子として誕生した【羽黒】は、もともと呉海軍工廠での建造が予定されていましたが、経営が苦しくなっていた三菱長崎造船所への補助を兼ねて同造船所で建造されることになった、という経緯があります。 ちょうど【客船 浅間丸】も建造していたため、その影響が内装に現れています。 4隻の中では最も居住性が高かったそうです。
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足柄【妙高型重巡洋艦 三番艦】

「妙高型重巡洋艦」の三番艦として誕生した【足柄】で断トツに有名なエピソードは、やはり「飢えた狼」でしょう。 世界最新鋭の重巡として誕生してから8年、【足柄】はイギリスの「ジョージ6世戴冠記念観艦式」に日本代表として参加、遠いイギリスまで航行に出ます。
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那智【妙高型重巡洋艦 二番艦】

【那智】は「妙高型重巡洋艦」のニ番艦、やはり世界で最も強力な重巡洋艦として建造が始まりました。 しかし【那智】はことさら急いで建造されることになります。 なぜなら、昭和3年/1928年12月に行われる「御大礼特別観艦式」に、この【那智】が参加することが決まっていたからです。
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妙高【妙高型重巡洋艦 一番艦】

「古鷹型」と「青葉型」を相次いで建造した日本ですが、もちろん米英が対抗して大型巡洋艦の建造に踏み切ることは予測していました。 なので、日本もこの4隻で満足せず、より強力で大型な巡洋艦の建造へと移ります。 そこで生み出されたのが、【妙高】をはじめとする「妙高型重巡洋艦」です。 【妙高】はなんといっても火力重視の重巡で、これまでの6門から一気に10門まで主砲数を増やしています。
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衣笠【青葉型重巡洋艦 二番艦】

【衣笠】は、【青葉】と同じく「古鷹型」の改良版として建造されました。 もし「ワシントン海軍軍縮条約」がなく、「八八艦隊計画」が継続されていれば、【衣笠】は日本最初の大型巡洋艦として建造される予定でした。 5,500t級では米英の最新巡洋艦には大きさも主砲も敵わず、また当時の「八四艦隊計画」は、徐々に国の財政力を度外視した全く無謀な計画へと膨れ上がり、海軍は二重苦に喘いでいました。
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青葉【青葉型重巡洋艦 一番艦】

本来「青葉型」の【青葉】と【衣笠】は「古鷹型」の3番艦、4番艦となるはずでした。 しかし人力装填という欠点があったことから、この3番艦、4番艦を再設計することでより強化させることになります。 基本設計は「古鷹型」と同様ですが、当然主砲は「古鷹型」の人力単装砲から機力連装砲である20cm連装砲へ強化。
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