軽巡洋艦 | 大日本帝国軍 主要兵器

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帝国海軍巡洋艦の進化 その2
Evolution of IJN heavy cruiser No.2

このページは、ものすごくざっくりと帝国海軍の巡洋艦の進化を比較していくページです。 このページでは、軽巡洋艦誕生から終戦までの巡洋艦の進化を紹介いたします。 軽巡洋艦誕生以前の船についてはこちら(帝国海軍 巡洋艦進化の物語 前編)。 ...
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帝国海軍巡洋艦の進化 その1
Evolution of IJN heavy cruiser No.1

このページは、ものすごくざっくりと帝国海軍の巡洋艦の進化を比較していくページです。 このページでは、海軍発足当初から軽巡洋艦誕生の手前までの巡洋艦の進化を紹介いたします。 この項目では戦利艦は扱いません。 また、「筑波型・鞍馬型」は最...
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巡洋艦の種類と歴史

スループ、コルベット いずれも帆船時代に砲を積んだ小型船の事を指します。 大きさはスループ>コルベットで、違いとしてはサイズ以外にも砲門数の差がありました。 ただ、時期によってはコルベットの大型化もあって、この表現がすべてに当てはまる...
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香椎【香取型練習巡洋艦 三番艦】

三番艦【香椎】は、姉二人と比べると1年以上遅く竣工し、開戦まであと半年を切った中での登場でした。 当然練習航海に出ることもなく、【香椎】は竣工早々南遣艦隊の旗艦に就任します。 まもなく旗艦の座は【鳥海】へと移り、南遣艦隊は開戦時には重巡から水上機母艦、工作艦などが入り乱れる艦隊となりますが、【香椎】はその中で船団護衛を主に任されます。
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鹿島【香取型練習巡洋艦 二番艦】

「香取型練習巡洋艦」の二番艦【鹿島】は、【香取】竣工からおよそ1ヶ月後に竣工し、この2隻はそろって練習航海に出発しています。 しかしその航海が途中で中断されたことは、【香取】の項でも述べたとおりです。 求められた役割を果たすには、時期が悪すぎました。 【香取】は潜水艦統率の第六艦隊旗艦となりますが、【鹿島】は戦闘部隊ではなく、海防部隊である第四艦隊の旗艦に任命されます。
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香取【香取型練習巡洋艦 一番艦】

日本でも海外でも、訓練用に使われた船は、前線を退いて旧式となったものが大半でした。 当時の日本の練習艦は元の【出雲型装甲巡洋艦 出雲・磐手】らでしたが、しかし艦齢は35年を超えるほどの老朽艦でした。 軍艦の性能も格段に向上し、日露戦争時代の軍艦が練習艦ではさすがに荷が重くなりはじめると、日本は新しい練習艦の手配に乗り出します。
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酒匂【阿賀野型軽巡洋艦 四番艦】

「阿賀野型」の四番艦【酒匂】は、もともと誕生の遅かった「阿賀野型」の中でも最も遅く、三番艦である【矢矧】竣工からも約1年も後での竣工でした。 昭和19年/1944年末は、もはや「レイテ沖海戦」すら終焉し、帝国海軍は壊滅状態、軽巡1隻でどうこうできる状況ではありませんでした。 竣工後、【酒匂】は第十一戦隊水雷戦隊の旗艦に就任するのですが、この水戦は訓練用に編成されたもので、戦場に赴くことはなく、主に瀬戸内海での航海が続きました。
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矢矧【阿賀野型軽巡洋艦 三番艦】

【矢矧】は不遇の「阿賀野型」の中では最も戦闘に参加した軽巡でした。 竣工からわずか2ヶ月後に【阿賀野】は撃沈、【能代】とともに【矢矧】は敗北の続く帝国海軍を支えるべく奮闘します。 【矢矧】は竣工早々、第十戦隊の旗艦に就任し、昭和19年/1944年6月には「マリアナ沖海戦」へと挑みます。
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能代【阿賀野型軽巡洋艦 二番艦】

【能代】が竣工したのは【阿賀野】から8ヶ月後。 【阿賀野】ですら「ミッドウェー海戦」後の登場でしたが、【能代】は同じく非常に重要な戦いであった「ガダルカナル島での戦い」すら知らず、山本五十六連合艦隊司令長官が殉職してからの竣工でした。 「阿賀野型」が時代遅れであることは【阿賀野】の項でも述べていますが、その中でも【能代】は意地を見せています。
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阿賀野【阿賀野型軽巡洋艦 一番艦】

「川内型」の3隻が建造されたあと、四番艦として予定されていた【加古】は重巡へと姿を変えました。 以後、帝国海軍は重巡の徹底増備を行っていたため、次々と新しい重巡洋艦が建造されていきました。 一方、重巡よりも軽兵装の軽巡には目も向けられず、【那珂】以後は1隻も建造されることがなく、そのまま15年もの年月が流れてしまいました。