
起工日 | 昭和6年/1931年12月15日 |
進水日 | 昭和7年/1932年12月22日 |
竣工日 | 昭和8年/1933年9月30日 |
退役日 (沈没) | 昭和17年/1942年7月5日 サバック岬 |
建 造 | 浦賀船渠 |
基準排水量 | 1,400t→約1,700t |
垂線間長 | 103.00m |
全 幅 | 10.00m |
最大速度 | 36.5ノット→33.27ノット |
航続距離 | 18ノット:4,000海里 |
馬 力 | 42,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 2基4門 50口径12.7cm単装砲 1基1門 |
魚 雷 | 61cm三連装魚雷発射管 2基6門 次発装填装置 |
機 銃 | 40mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
海軍きっての難読艦 無線局を担う変わった経歴を持つ子日
【初春】とほぼ同時進行で建造が進められ、竣工日が同じである【子日】は、つまり【初春】と全く同じ経歴を持っています(詳しくは『求めすぎた結果、大損した初春型』から)。
ようやく改造を終えた【子日】は、駆逐艦では鈍足となる33ノットしか出せず、また主砲も「特型駆逐艦」より1門減少、排水量も増大するという目も当てられない艦となっていました。
太平洋戦争開戦前の昭和14年/1939年には、仏印監視団の無線局を担うという珍しい経験をしています。
太平洋戦争では「初春型」4隻で第二一駆逐隊を編成、当初は日本近海の対潜哨戒を行いますが、間もなく南方部隊に加わることとなり、2月には「バリ島攻略作戦」に参加します。
しかし5月には今度は北方へ派遣され、「アッツ島の戦い」に参加、その後は対潜哨戒任務に従事します。
ところが7月、その対潜哨戒中に現れた【米タンバー級潜水艦 トライトン】の魚雷が【子日】を直撃。
【子日】はたった7分で沈没してしまったと言われています。
終戦間際まで生き残った【初霜】がいる一方で、開戦半年少しに沈んだ【子日】もおり、「初春型」はここでも歴史に振り回されていました。