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第二次ベララベラ海戦/ベララベラ海戦

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第二次ベララベラ海戦
(非公式名称)
ベララベラ海戦

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
司令官:伊集院松治大佐 指揮官:フランク・R・ウォーカー大佐
○夜襲部隊  駆逐艦【セルフリッジ】
第一夜襲部隊  駆逐艦【シャヴァリア】
 駆逐艦【秋雲】  駆逐艦【オバノン】
・第十七駆逐隊  
 駆逐艦【磯風】  
・第十駆逐隊  
 駆逐艦【風雲】  
 駆逐艦【夕雲】  
第二夜襲部隊  
・第二十七駆逐隊  
 駆逐艦【時雨】  
 駆逐艦【五月雨】  
○輸送部隊  
・第二十二駆逐隊  
 駆逐艦【文月】  
駆逐艦【夕凪】  
駆逐艦【松風】  
小発 6隻  
折畳浮舟 30隻  
○収容部隊  
駆潜艇 5隻
艦載水雷艇 3隻
大発 1隻  
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ベララベラ島からの撤退 少数の米艦隊を圧倒しつつ収容成功

1943年8月15日、アメリカ軍は日本の意表を突き、占領したニュージョージア島のすぐそばにあるコロンバンガラ島ではなく、さらに北西にあるベララベラ島に上陸。
守備が固まりつつあるコロンバンガラ島と、苦戦したニュージョージア島の戦いから、以後アメリカは孤立化を狙ったり挟み撃ちを目的とした作戦の立案が増えるようになる。

守備が圧倒的に手薄だったベララベラ島への上陸は、日本にとっては寝耳に水だった。
急遽17日に日本はベララベラ島への輸送を実施。
小型舟艇が数隻沈没したものの、輸送は概ね満足できる成果が上がった(「第一次ベララベラ海戦」)。

しかし輸送が成功したとはいえ、アメリカの上陸部隊は6,000人であり、その後も連合軍の陸上部隊が続々と到着している。
当時の日本のベララベラ島守備隊は600人と言われ、1回の輸送だけでこの戦力差を打開できるわけはなかった。
守備隊は北への敗走を繰り返すことになる。
また、これ以降の輸送は尽く妨害され、水上機による僅かな輸送を待つ他なかった。

一方で、ベララベラ島への上陸によるアメリカの目的がコロンバンガラ島であることは間違いなく、日本はコロンバンガラ島からの撤退を模索する。
当時コロンバンガラ島には12,000人もの守備隊がいたが、これらをすべて、北に位置するチョイセル島を経由して、ブーゲンビル島まで輸送するという計画であった。
コロンバンガラ島からチョイセル島までは48kmと、必ずしも艦船で輸送する必要はない距離であることから、護衛の駆逐艦と大量の大発動艇が動員された。
撤退作戦は2回に分けて行われ、大発の被害は大きかったものの大多数の兵士の撤退が成功した。

コロンバンガラ島を放棄したことにより、日本はベララベラ島に固執する必要がなくなった。
そのためベララベラ島からも兵士を撤退させることになる。
連合軍上陸以後、常に苦しい戦いを強いられてきたベララベラ島守備隊の撤退は、2回目のコロンバンガラ撤収作戦が完了して4日後の10月6日に行われた。
しかし当初は南東方面艦隊が作戦に積極的ではなく、隷下の第八艦隊が押し切る形で撤退作戦は実施されることになる。

10月6日3時30分、輸送部隊がラバウルを出撃。
夜襲部隊は5時に同じくラバウルを出撃し、収容部隊は夕方にブインから出撃した。

16時頃に輸送部隊と夜襲部隊はブーゲンビル島北部で合流し、輸送部隊と【時雨・五月雨】は、南下している収容部隊に追いつくために急ぎベララベラ島へと向かった。
合流前にすでに偵察機によって発見されていたことから、残りの夜襲部隊は偽装航路をとって目的の隠蔽を図った。

ベララベラ島が近づいてくると、【時雨】は同島付近にいる巡洋艦4隻、駆逐艦3隻が接近中であることを報告。
また上空からは、偵察機の照明弾によって2群の駆逐艦隊が確認され、輸送部隊は無理をせずに一時撤退をすることになる。
一方アメリカも日本の部隊の動向を察知し、第3艦隊のウィリアム・ハルゼー大将は直ちに第4駆逐部隊を出撃させ、迎撃体制を取るように命令した。

20時31分、第4駆逐部隊はレーダーで2隻の目標を確認。
35分には【風雲】「巡洋艦3隻発見」の報告をし、輸送部隊にいた【時雨・五月雨】からも敵影が確認された。
しかし【秋雲】の艦内では第三水雷戦隊司令部から「味方ではないのか」という疑問が呈され、即戦闘態勢を取ることができなかった。
【秋雲】艦長の相馬正平中佐は自らも敵影を確認し、第三水雷戦隊司令部の伊集院松治大佐に対し、敵ではなかろうかと再度具申。
その答えはすぐさま返ってきた。

20時55分、第4駆逐部隊の先制攻撃によって「第二次ベララベラ海戦」は勃発。
【夕雲】は魚雷8本を放ち、【秋雲】とともに応戦したが、敵からの砲撃は【夕雲】に集中した。
【夕雲】からは激しい炎が上がったが、【夕雲】からの手痛い一撃は間もなく【フレッチャー級駆逐艦 シャヴァリア】に到達する。

21時1分、【シャヴァリア】大破。
開幕直後の【夕雲】の魚雷が見事に命中した。
5分での到達、22,000mまでの九三式魚雷の時速が52ノット(約96km)であることから、海戦が始まったときの互いの距離は約8kmであることがわかる。
そしてこの距離は海戦終結まで保たれることになる。

【シャヴァリア】の魚雷命中により、後方にいた【オバノン】は避けきれずに【シャヴァリア】に衝突。
艦首を大破し、1発の魚雷で2隻の大破を呼び込んだ。
しかし【夕雲】にも魚雷が直撃し、炎上していた【夕雲】はとどめを刺されてしまう。
命中してわずか5分後の21時10分に【夕雲】は沈没。
乗員の大半が戦死した。

一方、輸送部隊側に回っていた【時雨】【五月雨】も魚雷を8本ずつ発射し、そしてうち1本が【ポーター級駆逐艦 セルフリッジ】の艦首に直撃した。
【フレッチャー級駆逐艦 オバノン】に続いて艦首を破壊された【セルフリッジ】だったが、【セルフリッジ】は辛くも戦場から撤退している。

【シャヴァリア】とそれの乗員を救出中の【オバノン】をしっかりと撃沈させたい夜襲部隊であったが、徐々に視界が悪化し、停止中の相手に向けて魚雷を発射するも命中はしなかった。
この点は、海軍のレーダー開発が順調であれば、よりよい戦果を上げることができたことは想像に難くない。
【夕雲】が沈没したものの、敵3隻の牙は抜かれたため、日本は追撃はせずに輸送部隊はベララベラ島を目指し、夜襲部隊はラバウルへと帰投した。
この判断は正解で、しばらくするとニュージョージア島への輸送船を護衛していた第42駆逐部隊が増援として駆けつけるところだった。
第42駆逐部隊は、炎上する【夕雲】の炎が見えるほどの距離まで接近していた。

22時すぎには輸送部隊・収容部隊がベララベラ島へ到着。
すぐさま収容を開始し、3時間後の7日午前1時過ぎにベララベラ島からの撤退を完了した。

報告された戦果は「巡洋艦または大型駆逐艦2隻、駆逐艦3隻撃沈」と過剰ではあるものの、日本は【夕雲】1隻の沈没に対してアメリカは後に処分された【シャヴァリア】の沈没と、2隻大破、さらに輸送も完遂と、「第二次ベララベラ海戦」は十分な成果を上げた。

日本の勝利

両者損害

大日本帝国 連合国
沈 没
【夕雲】 【シャヴァリア】
大 破
【セルフリッジ】
  【オバノン】
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1943年海 戦
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※2 各項における参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
わかっている範囲のみ、各項に参考文献を表記しておりますが、勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
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大日本帝国軍 主要兵器