広告

風雲【夕雲型駆逐艦 三番艦】その2

記事内に広告が含まれています。
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

広告

ケ号ケ号セ号と連続撤退 渾作戦唯一の犠牲

22日の輸送は成功したものの、29日には空襲で【白露】が被弾で船体に亀裂が入るほどの大破、【巻雲】も至近弾を浴びて失敗。
再び【風雲】達が出撃した8日の輸送は、【朝潮】への至近弾などもあってこれも中止。
14日の輸送でようやく成功を収めましたが、1ヶ月近くまともな輸送ができなかったことになります。

年末に整備のために本土に戻った第十駆逐隊。
ガダルカナルは失い、ニューギニアへの輸送も満足に行えなかったわけですが、そのニューギニアなどを維持するためにも、まずはガダルカナルに残る兵士達を救出しなければなりませんでした。
これもやはり大量の駆逐艦の力を借りることになる、「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」が策定され、第十駆逐隊は【秋雲】も復帰して再度ラバウルへ進出します。

まず2月1日に第一次作戦が実施されます。
ところが移動中に受けた空襲で本作戦の旗艦であった【巻波】が中破して撤退を余儀なくされ、またこの影響で輸送隊だった【夕雲】【巻雲】が警戒隊へ変更。
さらにこの駆逐艦の大移動を知ったアメリカは急遽エスペランス付近に機雷を敷設したのですが、その機雷に【巻雲】が接触してしまい、曳航を試みますが浸水が酷く、最終的に雷撃処分されています。

仲間を1隻失った第十駆逐隊ですが、悲しみに暮れる暇はありません、敵に意図を察知される前にこの壮大な撤収作戦は完結させなければならないのです。
4日の輸送でも空襲で【舞風】が中破撤退しますが、今度は喪失艦なく撤収が完了。
そして最後となった7日の撤収作戦では【磯風】が被弾により大破撤退。
それでもこの作戦で無事に最後まで残されていた兵士達を救出し、まんまと連合軍を出し抜いた「ケ号作戦」は終了しました。

【巻雲】を失った第十駆逐隊は、その後ニューギニア支援のために編成されたウェワクへの輸送、いわゆる丙号輸送に参加。
丙三号輸送は【讃岐丸、相良丸】と、高速輸送艦に改造されていた【北上】【大井】をウェワクへ輸送するもので、これは20日に無事達成。
ところが最も危険でかつ最も輸送箇所として重要なラエ輸送が強行された3月3日、「ビスマルク海海戦」で洒落にならない被害を出してしまい、この結果ニューギニアへの輸送はダンピール海峡を通過せず、前線から遠く離れた島北東部へ行わざるを得なくなります。

この影響で3月12日の輸送はウェワクとマダンの間にあるハンサへ向かうことになり、第十駆逐隊はこれに参加。
その後ツルブ、コロンバンガラと輸送を立て続けに行いますが、4月3日にブインに帰ってきたときに【風雲】はアメリカに投下敷設されていた機雷に接触してしまいます。
【巻雲】の悲劇がよぎりますが、被害は大きくなかったようで、その後応急修理を受けて自力で本土まで帰還しています。
【風雲】が日本で修理を受けている間に【秋雲】【夕雲】も帰ってきて、第十駆逐隊は7月にもう一度「ケ号作戦」に参加することになりました。

前の「ケ号作戦」はガダルカナルからの撤収でしたが、今度は遠く北方に位置するアッツ島、キスカ島からの撤退でした。
すでにアッツ島は守備隊の玉砕という最悪の結末を迎えており、取り残されたキスカ島からの撤退を何としても行わなければなりませんでした。

第十駆逐隊は「甲型」でも戦争初期までの建造なので、電探の搭載はまだ進んでおらず、視界確保の役割は持てませんでした。
しかし今回の作戦は指揮こそ第一水雷戦隊が執るものの一水戦所属艦は少なく、駆逐隊として全艦参加できる第十駆逐隊は統率の意味でも有難かったはずです。

失敗が許されない「キスカ島撤退作戦」でしたが、自然現象の霧を最大限利用する作戦だったため強行もできず、1回目の突入作戦は頼みの綱の霧が現れずに撤退。
2回目の出撃は7月22日。
25日の霧発生予想を受けて急遽出撃した部隊でしたが、道中で仲間とはぐれたり衝突するほどの霧の中をそろりそろりと進みます。
そして霧に紛れてキスカに到着したのは29日。
瞬間的な霧の晴れ間を利用し、たった1時間で守備隊全員の撤収を完了させています。

この時守備隊は一水戦からの指示で、少しでも身を軽くするために小銃すら捨てるように徹底されていたのですが、【風雲】だけは小銃の持参も許されて、収容した478名の大半の救助者は小銃を携帯したまま日本に戻ることができました。
またこれも放棄するように言われていた【小発動艇】を回収したり、犬が島に残される中、狐の同乗を許すなど、【風雲】は撤収時間内にこれらの行動も行える、非常に管理の行き届いた駆逐艦だったのだと思います。

「キスカ島撤退作戦」は往路の衝突事故以外の被害は全くなく、神隠しのようにキスカ島から日本兵を消失させました。
そしてその後の「コテージ作戦」でアメリカは見えない日本軍と戦い、自滅に次ぐ自滅で多くの犠牲を払うことになります。

奇跡の撤退作戦を成功させた第十駆逐隊ですが、撤退作戦はまだまだ終わりません。
北でなんやかんややっているうちに南の戦況もみるみる悪化し、今度はニュージョージア島から撤退することになりました。
この撤退に合わせて諸島からの引き揚げも必要で、「セ号作戦」によりコロンバンガラ島からの撤退が始まります。

「セ号作戦」も第十駆逐隊はそろって参加しており、9月29日と10月2日の2回に渡って行われた「セ号作戦」は、小競り合いはあったものの双方被害は少なく、作戦は成功。
狭い海域なので駆逐艦で一気に押し寄せることも難しく、また過去に何度も戦闘があったこともあり、「セ号作戦」は被害を分散するために【大発動艇】で北のチョイスル島まで逃げるという手段も取られていました。

「セ号作戦」に連動し、そのコロンバンガラ支援のために必要だったベララベラ島からの撤退準備も始まりました。
【風雲、秋雲、夕雲、磯風】【時雨】【五月雨】が夜襲部隊として5日にラバウルを出撃。
収容は【松風】【夕凪】【文月】と揚陸舟艇に任せ、【風雲】達は戦闘要員です。

2回の「セ号作戦」、また今回とは逆にベララベラへ守備隊を送る際に発生した「第一次ベララベラ海戦」も、少々の被害はありましたが大きな海戦でもありませんでした。
今回も無事にやり遂げたいところでしたが、残念ながら移動中に触接を受けたため、駆逐艦がまた何か企んでいるということはアメリカに知れ渡ることになります。
【時雨、五月雨】は収容部隊に合流して先行し、夜襲部隊は偽装航路をとります。
ただ【時雨】「敵影あり 巡洋艦4隻、駆逐艦3隻」という報告が入ると、部隊には緊張が走ったことでしょう。
彼我の戦力差は明らかです。

しかし敵影と輸送部隊との距離から撤退は間に合わないと判断され、この輸送は強行せざるを得なくなります。
【時雨、五月雨】は夜襲部隊との合流を急ぎ、【風雲】達は今日は派手な花火が上がるぞと砲撃に備えました。

やがて【風雲】や旗艦【秋雲】からも敵影が見え始めました。
実際の敵戦力には巡洋艦はおらず、全て駆逐艦、しかも3隻は別部隊でまだ合流できておらず、この時【風雲】達の前に立ちふさがったのは【米ポーター級 セルフリッジ、フレッチャー級駆逐艦 シャヴァリア、オバノン】の3隻でした。
敵影だと判断した【風雲】は攻撃命令を待ちますが、しかし旗艦【秋雲】からはその命令が下りません。
作戦の指揮をとっていたのは三水戦の伊集院松治大佐だったのですが、彼はこの艦影を先行する輸送部隊だと考えていたのです。
【秋雲】艦長の相馬正平中佐が敵ではないかと再度確認したところ、答えを聞く前に「第二次ベララベラ海戦」が勃発しました。

先制攻撃を許した【風雲】は魚雷発射のために艦を横に向け始めます。
この行為は魚雷発射のためにはやむを得ないのですが、敵からしたら魚雷が向かってくる合図であると同時に最も狙いやすい体制です。

3隻の駆逐艦の砲撃は、最後尾にいた【夕雲】に命中した後、攻撃が集中。
【夕雲】は大炎上しますが、攻撃を受ける前に放っていた魚雷が【シャヴァリア】に命中し、さらには後続の【オバノン】【シャヴァリア】を避けきれずに衝突。
「第二次ベララベラ海戦」は混戦となりました。

やがて【夕雲】にも魚雷が命中してしまい、【夕雲】はここで沈没。
敵も【オバノン】【シャヴァリア】乗員救助を行う中、ようやく到着した【時雨、五月雨】が参戦。
【セルフリッジ】が相対するのですが、この【セルフリッジ】にも2隻が放っていた魚雷が艦首に命中して大破させています。

【夕雲】の乗員は戦闘中に【風雲】が救助を行いましたが、徹底することができず、敵魚雷艇や無人の艦載艇などで助かった者が多くいます。
【オバノン】に向けて魚雷を放ちましたがこれも命中せず、視界不良となったことで戦闘はここで終結。
収容部隊に被害はなかったことからベララベラからの撤退はしっかり行われ、【夕雲】を犠牲に「第二次ベララベラ海戦」は勝利を収めました(【シャヴァリア】は最終的に沈没しています)。

2隻だけになってしまった第十駆逐隊はその後も輸送任務の毎日でした。
10月31日には【朝雲】が新たに第十駆逐隊に加入。
みんな雲が付くのに型がバラバラという変わった編成になります。

その翌日、「ブーゲンビル島の戦い」が始まったために海軍は急遽タロキナへの逆上陸作戦を決行します。
「ろ号作戦」の関係で第十戦隊もこの海域での輸送や航空支援にかかわっており、第十戦隊はこの逆上陸に参加したのですが、この時【風雲】【大波】とともにカビエンへの輸送を行っており、「ブーゲンビル島沖海戦」には参加できていません。
さらには間髪おかずに「ラバウル空襲」を受けてしまい、前線の一大拠点だったラバウルを失ってしまいます。
トラックまで引き下がることになり、その後【大和】【翔鶴】を護衛して日本に帰還しました。

整備を受けて、翌年【翔鶴】を呉に輸送してからリンガへ移動。
ただリンガ到着から1週間で今度は【瑞鶴】を呉まで護衛することになり、再び日本に戻ってきます。
【瑞鶴】の修理はすぐに終わり、3月15日には【瑞鶴】らとともにリンガに帰ってきました。

4月に入り、【風雲】【秋雲、筑摩】【利根】とともに第六〇一航空隊を乗せてシンガポールからダバオへ向けてします。
しかし途中で輸送が中止となったことでシンガポールに戻ることになり、その後【秋雲】だけが別の物資輸送で再度ダバオへ向けて単艦で出撃します。
ところが【秋雲】はシンガポールへ戻る途中で【米ガトー級潜水艦 レッドフィン】に襲われてしまい、ここで沈没してしまいました。

ついに編成当初からの生き残りが【風雲】だけになってしまった第十駆逐隊。
日本は「あ号作戦」に向けて戦力をタウイタウイに集結させ、カロリン方面でアメリカ艦隊と大決戦を行うつもりでした。
なのでタウイタウイには【大和】【武蔵】はもちろん、第十戦隊にとって重要な機動部隊も【大鳳】含め待機していました。

しかしタウイタウイには敵潜水艦が確認されたことから、迂闊に沖合に出れず、訓練を重ねることが非常に困難でした。
特に空母の発着訓練に大きな支障があり、駆逐艦は補助艦船護衛や哨戒活動で手を焼きます。
さらに5月27日にはビアク島へ連合軍が上陸し、「ビアク島の戦い」が始まります。
「あ号作戦」の契機にもなりうると、連合艦隊は「渾作戦」を発動させ、ビアク支援のために輸送を実施。
これが6月2日の「第一次渾作戦」となります。

ですが第一次渾作戦は敵艦隊の戦力の誤認によってビビって撤退。
誤りだとわかった後に第二次渾作戦という形で再び輸送が行われるのですが、この「渾作戦」で【風雲】【朝雲】とともに【扶桑】を護衛していることもあって、第二次には派遣されずそのままダバオまで向かいます。
ダバオへは【山城】だけでなく重・軽巡洋艦も移動していたので、第二次渾作戦は鼠輸送よろしく駆逐艦だけで行われることになりました。

その第二次渾作戦も敵空襲で【春雨】が沈没、他の駆逐艦も【豪オーストラリア級重巡洋艦 オーストラリア】などで編成された艦隊になすすべがなく、敗走してしまいます。
埒が明かないということで、ついに第三次渾作戦では空母も出てくりゃ儲けものと【大和、武蔵】を引っ張り出して、「あ号作戦」で期待できる盤面の誘発も狙うことになりました。
なので第三次渾作戦は巡洋艦も出撃をしています。
一団はハルマヘラ島バチャンに移動しビアク突入を狙うことになります。

7日に【風雲】【朝雲】【妙高】【羽黒】とともにダバオを出撃し、バチャンを目指します。
しかしフィリピン海域は敵潜水艦の巣窟でもあり、タウイタウイだけでなくダバオもまた潜水艦の網の中でした。
4隻の移動を目撃したのは【米ガトー級潜水艦 ヘイク】
【ヘイク】は4隻の追跡を開始します。

しかし【風雲】達も探知により【ヘイク】の存在を把握していたようです。
【風雲】は3隻から離れて反応がある場所まで移動し、爆雷を投下。
ただこの爆雷の効果はなく、【風雲】は合流のために戻り始めました。

【ヘイク】はこの瞬間を狙います。
【ヘイク】が放った魚雷が2本、左舷機関室付近に命中し、【風雲】は轟音とともにみるみる速度を落とし、動かなくなってしまいました。
機関室への浸水は致命傷でしたが、傾斜をしている様子はありませんでした。

それを確認した【ヘイク】は止めの魚雷を再度発射。
今度の魚雷は左舷艦尾付近に命中し、その被害が魚雷にまで到達、誘爆を招いた【風雲】は大爆発を起こします。

魚雷誘爆の被害は凄まじく、【風雲】は勢いよく左へ傾斜し始め、たった4分で沈没。
【朝雲】のほかに【秋霜】【響】が救援に駆け付け、130余名が救助されました。
【風雲】沈没の後には敵機動部隊がマリアナに現れたということで目論見が大外れするなど、「マリアナ沖海戦」は海戦そのものだけでなくそこに至るあらゆる点でも連合軍にいいように翻弄されてしまいます。

1
2