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五月雨【白露型駆逐艦 六番艦】その2

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撤退撤退撤退撤退 酷使の末に放棄の末路

年末に再びトラック島に進出した【五月雨】は、昭和18年/1943年1月15日に【朝雲】とともに【隼鷹】を護衛してウェワクへ向かいます。
トラックに戻ってきた【五月雨】は、「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」に参加します。
陸海軍ともに地獄を味わってきたこの「ガダルカナル島の戦い」の最後の作戦です。
【五月雨】が直接撤退に参加したのは第二次、第三次撤退作戦だけですが、第一次も東方牽制隊として参加していて、最初から最後までこの作戦に関わっています。
【巻雲】が機雷により沈没してしまいましたが、作戦は大成功をおさめました。

「ケ号作戦」を終えた【五月雨】は再びウェワクへの輸送を実施。
今度はパラオからウェワクへ向かう輸送でしたが、出発当日の2月19日、船団は【米ガトー級潜水艦 ランナー】の待ち伏せを受けました。
【五月雨】に向かって3本の魚雷が突っ込んできましたが、【五月雨】はこの魚雷を見事に回避。
出港してから間もなかったことで、駆けつけた【零式水上偵察機】【ランナー】の潜望鏡を発見するとすぐさま爆撃を開始します。
【五月雨、朝雲】は次の攻撃が来ないようにと【ランナー】への攻撃は【零式水上偵察機】に任せ、船団の護衛を続行。
目が多かったからか、爆撃の中でも再び発射された魚雷も輸送船は回避することができ、船団は無事にウェワクに到着することができました。
ちなみに【ランナー】はこの爆撃を凌いで生き延びています。

その後も輸送を続けた【五月雨】でしたが、3月31日にはコロンバンガラ島へ向かうところでの空襲で至近弾を受けたりと被害もあり(その後撤退)、他にも触接により反転を強いられるなどなかなかスムーズにはいきません。
そんな中、5月8日に【五月雨】【大和】達を護衛して本土に戻ることになります。
【五月雨】の次の行き先は、防暑服からガラリと変わり防寒具になる北の海でした。

かつて「ミッドウェー海戦」【五月雨】が何もすることなく帰っていった「MI作戦」ですが、その裏側ではアリューシャン列島の占領、すなわち「AL作戦」が行われていました。
「ミッドウェー海戦」のせいで中途半端な状態のアッツ島、キスカ島占領だけで留まっていたわけですが、いよいよこの2つの島も危なくなっていました。
【五月雨】【妙高】【羽黒】とともに幌筵に入り、対潜哨戒活動などを行いながら命令を待っていました。
ですが日本がまごついているうちにアメリカはアッツ島に上陸し、半ば見捨てられたアッツ島守備隊は忠義を尽くして散っていきました。
この死を無駄にしてはならない、何としてもキスカ島に残された者たちは助けなければと行われたのが「キスカ島撤退作戦(ケ号作戦)」です。

【五月雨】にとって2回目の「ケ号作戦」ですが、これもまた簡単なものではありませんでした。
前回は敵に総攻撃の構えを見せてまんまと騙したわけですが、今回は正反対で、全く動きを悟られてはいけません。
ドンパチをやるには船の数が少ない上に、海域には潜水艦も多いので戦闘は圧倒的不利、さらに動きを悟られるとキスカ島への上陸が早まってしまうかもしれません。
この時期特有の濃すぎる霧を隠れ蓑に、幽霊のようにすぅーっと現れてサッと跡形もなく消えるという「ケ号作戦」は、1回目こそ霧が晴れたことで中止撤退を余儀なくされますが、7月29日に見事思惑通り、たった1時間ですべてのキスカ島守備隊が消失しました。
この作戦では駆逐艦が仮設の大発動艇用の架台を設置して参加しており、【五月雨】は【小発動艇】2隻を載せて出撃しています。

この作戦が始まる前の7月1日、【五月雨】の所属に変化がありました。
1月5日に【春雨】【米ガトー級潜水艦 ワフー】の雷撃で大破、【村雨】「ビラ・スタンモーア夜戦」で撃沈され、この時第二駆逐隊は【五月雨】しか稼働していない事態になってしまいます。
この影響で第二駆逐隊は7月1日に解隊となり、【五月雨】は四水戦直属となっていました。
しかし4日の「クラ湾夜戦」で第三水雷戦隊旗艦【新月】と司令部が、12日には「コロンバンガラ島沖海戦」で第二水雷戦隊旗艦【神通】と司令部が相次いで全滅。
この影響で第四水雷戦隊は解散となり、四水戦の所属艦はそのまま二水戦に移ることになりました。
この結果7月20日に【五月雨】も二水戦直属となります。

10月1日、【五月雨】は第二十七駆逐隊に編入されますが、当日は自身3回目の撤退作戦である「コロンバンガラ島撤退作戦(セ号作戦)」の真っ最中でした。
この作戦は駆逐艦の収容だけでなく【大発】で北のチョイセル島まで向かうという手段も取られた作戦で、【大発】の有用性が改めてよくわかるものでした。
「セ号作戦」は2回実施され、1回目は射程外だったために敵艦隊との砲撃戦はありませんでしたが、代わりに空襲が撤収部隊を襲います。
ですがこの空襲の被害はなく、作戦は無事に成功します。

【五月雨】は本来2回目の作戦には不参加の予定でしたが、参加命令があったため翌2日に出撃。
ところが2回目の作戦を完遂できるほどの燃料がなかったことから、ブーゲンビル水道までの護衛に留まり、結局半ばで引き返しています。
この作戦も多くの守備兵を救い出すことができました。

そして休むことなく4回目の撤退作戦「ベララベラ島撤退作戦」が始まります。
今回は【大発】で逃げるということはなく、脱出者は全員駆逐艦や駆潜艇などに収容されるものでした。
しかし10月6日に触接を受けていた部隊は3隻の駆逐艦に行く手を阻まれ、「第二次ベララベラ海戦」が始まりました。

この戦いでは【夕雲】が被弾集中したために沈没してしまいますが、数に勝る日本は【米フレッチャー級駆逐艦 シャヴァリア】を撃沈、【米フレッチャー級駆逐艦 オバノン、米ポーター級駆逐艦 セルフリッジ】を大破させて海戦に勝利します。
夜襲部隊にいた【五月雨】【時雨】は収容部隊の護衛から戦場に駆け付けたため後からの参加となりましたが、2隻のどちらかが放った魚雷が【セルフリッジ】に命中しています。
もちろんそのあと撤収作業も行われました。

10月12日、初めてラバウルが本格的な空襲を受け、【五月雨】も大慌てで機銃を唸らせます。
【五月雨】自身の被害はありませんでしたが、ここから頻繁に空襲がラバウルを襲うようになり、ラバウルにも危機が迫っていました。

常に第一線に引っ張り出される【五月雨】ですが、合間の輸送を経て今度は「ブーゲンビル島の戦い」が始まるきっかけとなった連合軍のタロキナ上陸に際しての逆上陸支援をするため、急遽ラバウルからの出撃が決定します。
11月2日に日付が変わった直後、偵察情報を受けて沖合で待ち構えていた第39任務部隊がレーダーで日本の襲撃部隊を捕捉。
強烈な砲撃音とともに「ブーゲンビル島沖海戦」が始まりました。
前回の「第二次ベララベラ海戦」のような爽快な勝ちっぷりとはうって変わって、この海戦は出撃した船の数に対して戦闘に関わった船が少ない上に、自分で持っていた毛糸球に絡まってコケるような有様でした。
隊列が乱れて攻撃に集中できず、この中で【五月雨】【白露】と衝突、また【初風】【妙高】と衝突して艦首がゴッソリ吹き飛ばされます。

【五月雨】はこの衝突により速度が16ノットにまで低下し、敵からの砲撃が【五月雨】を沈めようとどんどん飛んできました。
【白露】と衝突したことで【五月雨】は浸水を起こし、防水処理、煙幕展開、撤退、魚雷発射と矢継ぎ早の処理に追われます。
魚雷発射は狙ったというよりも発射しなければまずいという焦燥感からのものだったようです。
砲撃を受けて誘爆をすれば一巻の終わりです。
ですが第二十七駆逐隊の魚雷のうち1本が【米フレッチャー級駆逐艦 フート】に命中して大破させており、もしかしたら運よくこの魚雷があたっていたのかもしれません。

この後【五月雨】は推定3隻の駆逐艦から大量の砲撃を浴びました。
1番砲塔の弾庫が浸水していた【五月雨】は3番砲塔だけで反撃をしますが、被弾でさらに機関室付近の被弾で停電し、またドラム缶の燃料に火がついて大火災が発生しました。
死の間際まで追いつめられ、舵も人力操舵で懸命に操作するほどの状態でしたが、それでも【五月雨】は遅くなった足を必死に引きずり、全力で火災を消火、敵からの追撃を掻い潜り、辛うじて脱出に成功しました。
これまで何度も危険な任務を経験してきた【五月雨】ですが、ここまでの被害はこれが初めてでした。

完敗を喫した日本ですが、アメリカの攻撃はこれで終わりではありません。
引き上げたラバウルは5日に大規模な空襲を受けてしまい、ちょうど水上艦で敵艦隊を攻撃するために進出してきたばかりの巡洋艦がボッコボコにされてしまいます。
沈没こそなかったものの大量の艦艇が大小の被害を負ったことで、ラバウルの危険性は日本に深く刻まれます。
【五月雨】は被害を受けなかったものの、追いやられるようにトラックへ、そして日本へと戻っていきました。
横須賀では修理を受けるとともに2番砲塔を撤去して25mm三連装機銃が新たに装備されています。

12月31日、復帰した【春雨】が第二十七駆逐隊に配属され、翌年春先からパラオやサイパンを目的地とする松輸送、ニューギニア島へ向けての竹輸送が始まりました。
【五月雨】はどちらの輸送にも参加していて、松輸送では東松四号輸送船団を護衛。
こちらは【東征丸、美作丸】を失ってしまったものの、最大28隻と言う開戦直後を思わせる大船団は他26隻が全て輸送を達成していて被害は小さいものでした。
一方で竹輸送(竹一船団)はというと、上海からマニラへ向かう道中で1隻、マニラからハルマヘラへ向かうところでさらに3隻が沈没するなど、こちらの輸送は失敗に終わっています。
竹輸送では【五月雨】はマニラからの途中参加となっています。

4月27日には魚雷を受けた【夕張】の曳航を試みるも沈没。
そして5月下旬にはビアク島にアメリカが上陸してきたことで日本も逆上陸を企図。
「渾作戦」が立案され、【五月雨】もこの部隊に加わりました。

しかし1回目は機動部隊が現れたという誤報によって途中撤退、2回目は空襲を受けて【春雨】が沈没(「ビアク島沖海戦」)、そして3回目はマリアナ諸島に敵機動部隊が現れたということでこんなことしてる場合じゃないと作戦中止。
「ビアク島沖海戦」の空襲では【五月雨】も被弾をしていますが、この時の横からの反跳爆撃の1発が魚雷発射管のを一部吹き飛ばすという肝を冷やす被害を負いましたが、幸い爆発することはなく、生き長らえています。
当日夜は1回目で実際に現れていた【豪オーストラリア級重巡洋艦 オーストラリア】を旗艦とする艦隊とも遭遇し、レーダー射撃を受けたことであえなく撤退しています。

こんな有様の中で、本当は日本が「あ号作戦」で敵艦隊との海戦を望んでいたのに、これで敵の動きに合わせて戦わざるを得なくなります。
この後手後手の中で6月19日に「マリアナ沖海戦」が起こり、結局頼みの綱のアウトレンジ戦法もただの狩りの的、3隻の空母が沈むなど大損害を負って終結しました。
さらに15日には輸送船を護衛していた【白露】が謎の航送により【清洋丸】と衝突して沈没しています。

海戦後に日本に戻ってきた【五月雨】は、7月8日に【大和】らを護衛して呉を出港、沖縄を経由してリンガを目指します。
しかし14日に猛烈なスコールに襲われ、この中で僚艦を見失った【五月雨】は行方不明になってしまいました。
スコールを抜けてから【利根】に見つけてもらい、何とか艦隊に合流することができました。

昭和19年/1944年7月15日時点の兵装
主 砲 50口径12.7cm連装砲 2基4門
魚 雷 61cm四連装魚雷発射管 2基8門
機 銃 25mm三連装機銃 3基9挺
25mm連装機銃 1基2挺
25mm単装機銃 10基10挺
単装機銃取付座 1基
電 探 22号対水上電探 1基
13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年

8月18日、シンガポールからパラオへ向けて【五月雨】【鬼怒】【時雨】とともに輸送を行っていました。
ところが航路に浅瀬があるということを艦橋内は把握しきれておらず、【五月雨】は高速で浅瀬に突っ込んでしまいます。
思いっきり食い込んでしまったため、【五月雨】は自力ではどうすることもできませんでした。
この時セブ島へ避難する民間人も3隻には搭乗していたため、長居をして巻き込ませるわけにはいきません。
とりあえず【鬼怒】【時雨】は超特急でパラオへ向かい、乗員を降ろします。
そして2隻はすぐに現場に戻ってきましたが、他の任務もあるために救援はパラオからの工作部に任されることになりました。

周辺には複数の貨物船の成れの果てがありました。
これは【五月雨】と同じように浅瀬に気付かずに放棄された船達です。
艦橋では夜間に浮かぶこの残骸の艦影を不安に思い、この動きばかりに気をとられていたと言います。
物言わぬ彼らが【五月雨】を浅瀬に引きずり込んだのです。
我が【五月雨】もこのようになってしまうのか、そんな不安の中、離礁作業は連日行われました。

しかし何をやってもうまくいきませんし、やがてこの姿は敵の知るところとなります。
【B-24】が現れて、【五月雨】【測天型敷設特務艇 江ノ島】に爆弾が次々と落とされ、至近弾を受けた【江ノ島】は一時航行不能になりました。
【五月雨】は装備品などを次々降ろして軽くすることで離礁を試みましたが、それでも珊瑚礁は【五月雨】を話してくれませんでした。

このまま【五月雨】にこだわっていると他の船も巻き込んでしまう、そう考えられていたところ、26日に【米バラオ級潜水艦 バッドフィッシュ】が現れて魚雷が放たれます。
魚雷は動けない【五月雨】の右舷中央部に命中し、【五月雨】の船体は命中部分で大きくひび割れ、多数の死傷者を出しました。
それでも腹に刺さった珊瑚礁は抜けないままです

当日、救援を命じられた【竹】が現場に現れました。
亀裂が入った【五月雨】は波に煽られ、特に座礁していない艦後部はいずれ自然の力で海底に沈むことでしょう。
離礁できたとしてもその後の手段は曳航しかありませんし、失った範囲も大きいため、離礁後の対応もかなり難しくなりました。
この無残な姿を前に、【五月雨】は放棄が決定されました。

生存者は【竹】に移乗、7月に艦長になったばかりの大熊安之助少佐も、同期の【竹】艦長田中弘国少佐に説得されて【五月雨】を去りました。
数多くの海戦に参加し、また撤退作戦も海軍艦艇随一の経験を誇る【五月雨】
輸送、戦闘、救出と、駆逐艦に求められたすべてのことを成し遂げてきた、非常に貢献度の高い【五月雨】の一生はもっと多くの方に知っていただきたいものです。

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