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【伊七型潜水艦】(巡潜三型)

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基準排水量 2,231t
水中排水量 3,583t
一番艦竣工日 伊号第七潜水艦
昭和12年/1937年3月31日
同型艦 2隻
全 長 109.30m
最大幅 9.10m
主 機 艦本式1号甲10型ディーゼル 2基2軸
最大速度 水上 23.0ノット
水中 8.0ノット
航続距離 水上 16ノット:14,000海里
水中 3ノット:60海里
馬 力 水上 11,200馬力
水中 2,800馬力

装 備 一 覧

備 砲 40口径14cm連装砲 1基2門
13mm連装機銃 1基2挺
魚雷/その他兵装 艦首:53cm魚雷発射管 6門
搭載魚雷 20本
航空兵装 水上機 1機
伊7:呉式1号3型改射出機 1基
伊8:呉式1号4型射出機 1基
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旗艦を担う巡潜三型 日本潜水艦の一つの区切り

「巡潜二型」をたった1隻で打ち切ってまで大きく舵を切った新型巡洋潜水艦。
その性質はこれまでの「一型、二型」とは全く異なります。
例えるなら「一型」「古鷹型」「二型」「青葉型」に対し、「三型」「高雄型」というぐらいの違いです。
そしてその役割もまた「高雄型」と類似しています。

巡潜の特徴は、すでに述べてきた通り長航続距離です。
しかし長くなれば長くなるほど、状況を把握するのが難しくなります。
今でこそ今この瞬間味方がどこにいるかはすぐにわかりますが、当時はわかる範囲から出てしまうととにかく手掛かりゼロの状態に陥ります。
そうならないため、船は随伴できる能力を高め、通信できる能力を高め、そして各艦を取りまとめる能力を高めていきました。
いわゆる「旗艦能力」です。

ですが普通の船に充実した旗艦設備を後付けするのは困難です。
士官がみんな雑魚寝でいいのであれば通信設備関係だけで済みますが、もちろんそういうわけにはいきません。
「高雄型」は要求を全部満たした結果、ちょっと極端に艦橋が大きくなりましたが、あそこまでではなくとも艦内設備は大きく変える必要があるのです。

潜水戦隊の旗艦はこれまで潜水母艦や軽巡洋艦が担ってきましたが、巡潜はとにかく水上艦では到底及ばない航続距離を誇ります。
つまり長距離任務の中で旗艦任務が水上艦しかできない現状には問題がありました。
その対策として、なら巡潜そのものが旗艦もできればその問題も解消されるということになったのです。

「巡潜三型」の特徴はまさにその旗艦設備で、司令室の増設や通信室とその設備の強化、そして100人以上になった乗員のための居住区拡大、また燃料搭載量も「二型」の580tから1.5倍の806tまで増加しています(補給用も込み?)。
排水量はこれにより日本初の2,000t超えとなりますが、その割には各性能も軒並み向上していて、「巡潜三型」は戦前に建造された潜水艦の一つの完成型とも言えるでしょう。

水上速度は「海大六型」と同じ23ノット、水中速度も同じ8ノットを発揮。
航続距離は16ノット:14,000海里と結構減りましたが、旗艦は少なくとも潜水戦隊よりも動き回ることはないですので、多少少なくても役割的には問題ありませんでした。
目を見張るのは武装で、魚雷は艦尾魚雷をなくして艦首6門と集中、搭載魚雷は20本と「二型」よりも増えました。
それに加えて主砲が日本潜水艦最強の14cm連装砲を搭載。
連装砲を搭載した潜水艦は他には「潜補型 伊351型」「丁型改 伊373型」がありますが、いずれも8cm連装迫撃砲と威力が全く劣ります。
そしてもちろん格納庫には水上機1基が搭載されており、また種類は違いますが2隻とも射出機も装備していました。

こうして「巡潜三型」は、当時の日本最大、日本最速、日本最強の攻撃力を持った潜水艦として誕生しました。
計画、建造されたのはたったの2隻ですが、その理由は「ロンドン海軍軍縮条約」での潜水艦の制限の中に、3隻だけ最大2,800tの潜水艦の建造が認められていたからでした(アメリカがすでに2,700tの潜水艦を3隻持っていたから)。
ただ、やがてその「ロンドン海軍軍縮条約」からの脱退が決まったため、日本は改めて旗艦型巡洋潜水艦「甲型」の設計と建造のために動き出します。
また旗艦設備を持たない、潜水戦隊を構成するための潜水艦として「乙型」も同時に設計され、潜水艦増備のための次のステップへと進んでいきました。

【伊8】は5回に渡る遣独潜水艦作戦において唯一往復に成功した潜水艦として有名です。
この時日本は酸素魚雷と友永英夫造船少佐が発明した「自動懸吊装置」の図面がもたらされ、またドイツから無償提供を受けた【U1224】を操縦する乗員が乗っていました。
この時乗員が多くなることから、わざわざ存在を知らしめる魚雷を撃つことはないので魚雷発射管を撤去して居住区としています。

【伊8】はこれが特に有名なのですが、撃沈数5隻、総トン数26,492tとこれも立派です。
終戦間際の昭和20年/1945年5月まで戦い続けました。

【伊7】は撃沈数3隻、潜水艦による「キスカ島撤退作戦」の先陣を切っています。
しかし昭和18年/1943年6月21日、【米ファラガット級駆逐隊 モナハン】に捕捉されて損傷し、何とか逃げおおせたものの、翌日の出撃でまたも【モナハン】に捉えられて最期は擱座、爆破処理をされています。

同 型 艦

伊号第七潜水艦 伊号第八潜水艦