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長波【夕雲型駆逐艦 四番艦】その3

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「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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青空に煌めく星々が照らすのは血まみれのオルモック

連合艦隊の突入ができなかったとしても、「レイテ島の戦い」はなくなりません。
日本はどれだけ険しい道であろうとも、レイテへの輸送は何としても行わなければなりませんでした。
「多号作戦」の発動により、かつてのガダルカナルへの輸送とは異なり、今度は駆逐艦に加えて海防艦や輸送艦などのメンバーが空襲を掻い潜り強行輸送を繰り返すことになります。

「多号作戦」の拠点はマニラです。
参加艦船はマニラへ移り、各部隊がスケジュールに合わせてレイテ島への輸送を行いました。
しかし11月5日にマニラは大空襲を受け、【那智】沈没の他多数の艦船が被害を受けます。
さらに11日の空襲でも、5日の空襲で損傷していた被害艦も攻撃を受け、沈没はしないものの大破着底艦もかなり発生し、大きな損失となりました。
話は前後しますが、5日の空襲によって輸送作戦に問題が生じ、「第三次、第四次多号作戦」の出撃が狂ってしまいます。
そして先に「第四次多号作戦」を行うグループの準備が整ったので、順番が逆になりますが第四次部隊が8日にマニラを出撃しました。

【長波】はこの第四次輸送部隊の一員で、他に駆逐艦だと【潮】【秋霜】【若月】【霞、朝霜】がおり、この輸送には輸送艦はおらず輸送船3隻を護衛していました。
大きな被害はなく翌日夜にレイテ島オルモック湾に到着した船団でしたが、当時から台風が発生していた影響で、揚陸用の【大発】が軒並み破壊及び流されるなどして、たった5隻しか無事ではありませんでした。
輸送船が搭載していた【大発】も空襲で穴が開くなど万全ではなかったため、残った僅かな【大発】に加え、喫水線の低い海防艦を浜ギリギリまで進ませて揚陸を行う事態となります。

翌朝までかかった揚陸ですが、やはり【大発】がないと物資や重火器の揚陸は非常に困難で、人員以外の揚陸はかなり限定的なものとなってしまいました。
しかしいつまでも揚陸にこだわっているとまた空襲を受けますし、粘れば火砲をちゃんと降ろせるのかというとそうでもない、ということで第四次輸送部隊は撤退を開始しました。

その懸念は現実となり、撤退は遅きにに失しました。
撤退を始めて間もなく、恐れていた空襲を受けてしまいます。
この空襲で【高津丸】【香椎丸】が沈没し、また【第11号海防艦】も海没処分されました。

この後残された【金華丸】を護衛して先発する組と、生存者を救助する組に分かれましたが、【長波】【霞、朝霜、第13号海防艦】とともに救助を行っていました。
ただ先発組にはさらなる空襲がやってきて、この空襲で【秋霜】は艦首を喪失するほどの被害を受けます。
第四次輸送部隊は這々の体でマニラを目指していました。
【長波】達3隻は空襲を受けずに済みましたが、こちらも同様にマニラを目指します。

ただ第四次輸送部隊の4隻の駆逐艦の一部は、実は途中で第三次輸送部隊と合流して護衛に加わり、再びレイテを目指すことが新たに決められていました。
第三次輸送部隊の護衛は【島風】【浜波】【初春】【竹】だったのですが、【初春】【竹】は装備が見劣るからか、【長波、朝霜、秋霜】と入れ替わるように命令があったのです。
ただし【秋霜】は前述のとおり艦首がなくなっていたので当然参加はできず、第三次輸送部隊には【長波、朝霜、若月】が加わりました。
救助した者達は【霞】が引き受け、【長波】はまたあの血生臭い海を渡ることになりました。

輸送船4隻を守る【長波】達は、途中で魚雷艇の襲撃を受けましたがこれを一蹴します。
ですが再度輸送船団が現れたとなると、当然それを妨害するために航空機が現れます。
この航空機を差し向けたのは第38任務部隊なのですが、実はこれはブルネイから本土へ帰投する【大和】達を狙って出撃した大量の航空機が、発見できなかったところでこの輸送の報告を受け、全部レイテに集まってしまったのです。
【大和】達は本当に航空機を誘引する目的を持っていたのですが、見つからなかったことで逆に航空機を空に放つきっかけになってしまったとも言えるでしょう。

第三次輸送部隊はオルモック湾に差し掛かると、347機の航空機に波状攻撃受けました。
こんな数の航空機を相手にできる戦力はとてもありません。
レーダーで航空機の群れを探知していた第三次輸送部隊は、駆逐艦が煙幕を展開して身を隠し、輸送船はとにかく浜に少しでも接近させようと急がせます。
座礁させて、かつ空襲後も船の形が残っていれば、多少の揚陸はできるからです。
しかし相手も輸送を妨害するのが第一なので、輸送船が真っ先に狙われてしまいます。

あっという間に4隻全ての輸送船から火が吹き始め、そして次々に沈んでいきました。
輸送船が沈んでしまっては輸送もくそもないので、残された艦は逃げるしかないわけですが、もちろん逃げる暇を与えてくれる敵ではありません。
爆撃の雨が降り、機銃の嵐が襲いかかるオルモック湾で、【長波】達の主砲と機銃は唸り続けました。

【長波】はすぐに空になる弾倉をひっきりなしに交換し、空を自由に飛び回る星々を落とそうとしますが、撃っても撃ってもキリがありません。
火を噴くものもありますが、被弾していたのにどこ吹く風で突っ込んでくるものもいる。
頑丈な米軍機は25mm弾の被弾でもその勢いは衰えず、丸腰の兵士達を機銃で吹き飛ばしていきました。

空薬莢が足元に散らばり、甲板も構造物も血だらけ肉片だらけです。
つい秒前まで声をかけていた相手が、今は人の形をしていない処刑場。

【長波】からは叫び声も、やがて薬莢が落ちる音、機銃の吐く発射音も聞こえなくなり始めました。

ついに【長波】は沈黙します、銃弾砲弾をすべて撃ち尽くしてしまったのです。
もやはこれまで、ただ走り回るだけになった【長波】には爆撃が襲いかかり、直撃弾と至近弾で艦が大きく揺れます。
艦には亀裂が走り、【長波】は右へ傾斜しながらオルモック湾に沈んでいきました。

【浜波】は被弾により舵が故障してから立て続けに爆撃を受けて航行不能、【若月】は自慢の長10cm砲が敵機を粉砕するものの、やはり2発の爆撃を受けて沈没。
【島風】は巧みな操艦で爆撃を次々に回避して戦い続けましたが、夥しい機銃の弾痕や至近弾の被害が蓄積して浸水が発生。
機関にダメージがある中でもエンジンがフル稼働するので、ついに機関がオーバーヒートして航行不能となりました。

唯一無事だった【朝霜】は、そんな【島風】の救助に向かいますが、妨害が激しい中【島風】からも「帰れ」と命令され(【島風】は二水戦旗艦)、【朝霜】【浜波】のもとへ向かいました。
日本の航空機が戦場に現れたことで生まれた隙を見て、【朝霜】【浜波】の生存者を救助し、一目散にオルモック湾から脱出しました。

沈んでしまった【長波】ですが、【長波】乗員の戦いはまだ終わりません。
艦長の飛田清中佐は、数十人とともに【浜波】へ乗り込みました。
空襲は12時前には終わったのですが、飛田艦長【浜波】を動かせればマニラに帰ることができると考えたのです。
そして実際【浜波】の再起動に成功し、もう一度戦うことができるかもしれませんでした。

ですが【浜波】にはマニラに戻るまでの真水が全然残されていませんでした。
海水でも動くかどうかと言われると動きはしますが、無事では済みませんし、まずマニラまでは帰れません。
結局【浜波】でマニラに戻ることは断念され、擱座させて陸上砲台にすることが検討されます。

ところがその希望も潮の流れで阻害され、結局飛田艦長達はその日1日を【浜波】で過ごし、翌日レイテからの【大発】に乗ってレイテへ上陸。
【浜波】はその後何かのきっかけで沈没しています。

「夕雲型」で最も長寿だったこの【長波】
「ミッドウェー海戦」後の就役でしたが、非常に多くの作戦に投入され、また当初から二水戦所属だったこともあり、戦時中の第二水雷戦隊所属日数は最長を誇ります。
「夕雲型」の僚艦はこの後も沈没が続き、最後はこの戦いでもしかしたら運を使い果たしてしまったかもしれない【朝霜】「坊ノ岬沖海戦」前の空襲による沈没で幕を下ろすことになります。

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