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なぜ「大和型」は「大和型」でなければならなかったのか その1
Why the “Yamato Class” had to be the “Yamato Class”?

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「テキパキ」は要点以外の情報を削った表示ですので、前後の文に違和感が残ることがあります。

  1. なぜ「大和型」は「大和型」でなければならなかったのか
  2. 27ノット戦艦への私見
  3. 妥協の産物となった「A140-F6」

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なぜ「大和型」は「大和型」でなければならなかったか

「ワシントン海軍軍縮条約」「ロンドン海軍軍縮条約」を締結していた日米英の海軍三強でしたが、日本ではこの「ロンドン海軍軍縮条約」の締結を巡って「統帥権干犯問題」「五・一五事件」といった問題が噴出し、軍部や軍事力増強派にあたる面々の行動が先鋭化してきました。

国民は関東大震災と世界恐慌の煽りを受けて困窮を極めており、この問題そのものというよりかは国民を救済しない国家に対して不満が募っていました。
天皇陛下や国民を蔑ろにする政府を打倒しようという動きが国民の支持を集めるようになってしまい、特に「五・一五事件」後の国民からの助命嘆願が叶ってしまったことが、より日本を軍部主導に進めてしまいました。

関東軍の暴走と「満州事変」国際連盟脱退と次々に世界の批判を浴びる行動に出た日本は軍国主義への道をひた走るようになり、ついには軍拡の足枷となっていた「ワシントン海軍軍縮条約」の破棄を昭和9年/1934年12月に通告し(2年間有効)、また「ロンドン海軍軍縮条約」からも昭和11年/1936年1月に「第二次ロンドン海軍軍縮会議」から脱退する形で条約締結を拒否。
ここに日本は制約なく軍拡を実施することができるようになり、再び海軍力の増強に本腰を入れ始めました。

両条約は戦艦の建造制限が第一でありましたが、現有戦艦は20年が経過すれば廃艦並びに代艦の建造をすることができました。
なので保有数を増やすことはできなくても維持することはできました。
しかし海軍力では新興かつ急成長をしてきた日本は、条約締結時の戦艦は米英と比較すると全体的に新しい艦が多い状態でした。
ただでさえ戦艦の保有数が劣る上に、新造も禁止されたことで日本の戦艦は改装をして性能を上げるしか方法がありませんでした。
そんな中で日本は「ワシントン海軍軍縮条約」の期限切れを見越して「金剛代艦」の設計案を求めたのですが、「ロンドン海軍軍縮条約」の締結によりこの計画も消滅しています。

保有量が多いことから必然的に古い戦艦も多い米英は、先駆けて新戦艦の設計に乗り出しました。
幸か不幸か日本も条約の脱退を決断したことで、他国同様次世代の戦艦研究が急ピッチで行われました。
当然、いざ建造解禁となってから研究を始めていれば遅いからです。
この時の世界の今の戦艦の最大口径は16インチ=40.6cmでした。
つまり次の戦艦は最低でも40.6cm、大きくて43cm程度の主砲を搭載する可能性は高かったわけです。

日本を焦らせる事情は他にもありました。
アメリカは世界恐慌に対応するニューディール政策と合わせて、条約に抵触しない範囲での海軍力増強を図ったヴィンソン・トランメル法を昭和9年/1934年に成立させました。
日本からしたらアメリカの海軍力増強は最も困るわけですから、何としてもこれを上回る戦力を用意しなければなりません。
さらに時期は「大和型」設計の最中にはなりますが、イギリスも新標準艦隊構想を立ち上げ、条約明けに海軍力を一気に増強するつもりでした。
米英いずれも計画の目玉に新戦艦の大量導入がありました。

今でこそ前時代的であると一笑に付す「大和型」ですが、当時は航空主兵論が大艦巨砲主義を覆すほど熟していませんでした。
可哀想に世界三大無用の長物とまで言われてしまいますが、個人的にはマジノ線も十分無用の長物やろがいと思いますし、そもそもこの3つも航空主兵論者の第一航空艦隊航空甲参謀だった源田実中佐が言い放ったものだとされていますから、話半分に捉える必要があるでしょう。

空母と航空機の存在は確かに急激に拡大していましたが、まさかそれが数年のうちに戦艦を沈めるどころか存在そのものを葬り去るまでに至る(止めはミサイルですが)まで想像できていたかどうか。

これは日本のみならず諸外国も同様です。
アメリカは世界に先駆けて大艦巨砲主義から脱却したのではありません。
「大和型」と同時期にアメリカも「ノースカロライナ級」の設計を行っていて、海軍の新しい顔となる戦艦に大きな期待を寄せていました。
アメリカは開戦前にちょうど「ヨークタウン級」の次の「エセックス級」の計画を進めてはいましたが、巨大空母をはじめ必要な艦船を、日本が逆立ちしてもできっこない超スピードで建造できる技術と人材があったことが凄いのです。
山本五十六連合艦隊司令長官が言う、「半年や一年は随分と暴れて見せましょう」というのは、奇しくも1年で戦況に即した戦力を整えることができるアメリカの評価が正当であったことを表しています。

むしろ大艦巨砲主義から脱却したのは日本のほうが早いまであります。
建造速度の問題があるとはいえ、日本は開戦前に【信濃】【第111号艦】を戦艦として建造することは休止どころか完全に中止としています。
戦争中に戦艦を増やすことより空母や航空機、潜水艦などの建造を優先すべきだという決断はできたわけです。
一方アメリカですが、「モンタナ級」の建造計画が完全に中止となったのは昭和17年/1942年4月と言われています。
すでに「真珠湾攻撃」「マレー沖海戦」という、航空機の時代到来を象徴する海戦が連合軍に手痛いダメージを与えているにもかかわらず、しばらくは低速高火力の「モンタナ級」の建造は行うべきだと考えられていたのです。
先制攻撃をした日本のほうが展望を予測しやすかったという面もありますが、「大和型」だけを見て大艦巨砲主義に執着していたというのは時系列を無視していて解せないわけです。

さて話を戻して、近いレベルでの凌ぎの削り合いは見ている側からしたら興奮しますが、確実に勝利するためには相手を絶対に上回る力を持っていなければなりません。
つまり、予測される敵戦艦の性能を上回る戦艦を建造して、敵の最新戦艦を戦う前から圧倒することで、日本の優位は絶対的なものになります。
そういう面では、日本はアメリカに先駆けて大艦巨砲主義を脱却し、機動部隊だけでアメリカを制圧できる状態で宣戦布告をできなかったのが一番の問題だと言えなくもありません。
それぐらいの相手なわけですから。

今この瞬間もそうですが、現代において兵器というものは国防の為でありますから、泥試合になる程度の兵器では徒に何もかもを消費するだけです。
特に日本の場合は仮想敵国をアメリカと据えた以上、対米7割の数の差を埋めるために圧倒的な質の高さ、つまり1隻の強さを誇示するのは必然でした。

ですから予測される次世代戦艦の41cmないし43cmを上回る46cm砲を搭載した(検討段階ですでに51cmという声もありました)戦艦を研究、建造するということが決定しました。

遡って「ワシントン海軍軍縮条約」が締結される前、日本は八八艦隊計画をぶち上げて際限のない海軍力の増強にひた走っていました。
有名なところでは「天城型巡洋戦艦」であったり「加賀型戦艦」がありますが、その後ろには「紀伊型戦艦」、そして「第十三号巡洋戦艦」と呼ばれる戦艦が控えていました。
つまり戦艦建造はこれほど先を見越していなければ、世界一の座を維持することができなかったわけです。

注目すべきは最後の「第十三号巡洋戦艦」で、こいつは45~50口径46cm連装砲4基8門(基・門数ともに複数案あり)、30ノットという化物性能で計画が立てられていました。
全体を見返してみると現実感がない設計なのは仕方ないとして、「大和型」計画の15年も前にすでに「大和型」に類する戦艦の構想は海軍の中に存在していたのです。
ただし当時は空母の存在感は微々たるものでしたから、純粋に艦隊決戦の中で一番硬くて一番攻撃力が高い船が足も速ければ最強だよね、という思いでの設計です。
この時アメリカには16インチ三連装砲を持つ「サウスダコタ級戦艦(計画艦)」と、33ノットというまさに巡洋艦クラスの速度で16インチ連装砲4基を持つ「レキシントン級巡洋戦艦(のち空母化)」の建造が計画されていて、これらを上回るためには「第十三号巡洋戦艦」程度の性能は不可欠でした。
他にイギリスも18インチ三連装砲3基を持つ低速の「N3型戦艦」と16インチ三連装砲3基かつ32ノットの「G3型戦艦」の建造を計画していて、高速大口径かつ相当の装甲を持つ高速戦艦が時代の中心になりつつありました。

この「第十三号巡洋戦艦」構想の背景には、すでに大正9年/1920年に「四十五口径五年式三十六糎砲」という秘匿名で行われていた47口径48cm砲の試射実験がありました。
当時の技術ではいろいろ問題があり、射撃は9発しかできずに砲尾が破損して、尾栓が吹きとぶ事故を起こして実験は終了しました。
しかし八八艦隊計画実現の為に46cm砲は実現可能な主砲であるという確信をこの当時から海軍は抱いており、46cm砲、50cm砲ともに研究目的の設計もされています。

このように海軍休日の前には今この瞬間と同じようなことが現実としてあったのです。

これを踏まえ、まず昭和9年/1934年3月21日の第二回軍備制限研究委員会において、艦政本部第四部主任の藤本喜久雄造船少将は次の戦艦に「基準排水量50,000t、全長290m、幅38m、50cm三連装砲4基、15.5cm副砲16門、艦載機3機、最大速度30ノット、出力140,000馬力、ディーゼル機関のみ、航続距離16ノット:12,000海里」という性能を提案しています。
建造できるかと言われればできるでしょうが、多分まともに戦えないんじゃないですかね。
「第十三号巡洋戦艦」と似たようなバランスで、少なくとも砲撃後の動揺は凄まじいものだったはずです。
しかも50cm三連装砲4基って、1cm小さいとはいえ門数は「超大和型」以上ですからね、えげつない。

10月の段階で軍令部は「46cm砲8門以上、基準排水量50,000t、15.5cm三連装砲4基12門もしくは20.3cm連装砲4基8門、最大速度30ノット以上、航続距離18ノット:8,000海里、20,000~35,000mからの敵砲撃に耐えうる防御力」という性能を要求しています。

要求の理由は、

イ.他国の追随を許さぬ卓越した戦闘力をそなえた戦艦とする。すなわち量的には競争する必要がないものとする。
ロ.緒戦において敵に大打撃を与えることができる主砲を装備する。このため46cm砲を採用する。
ハ.機動力を重視し、仮想敵国の同型艦より、3ないし5ノットの優速を必要とする。このためには32~35ノットを要する。

というものでした。
ハについてはあとで脱線しながら説明いたします。
また今後触れる機会がないので先に書きますが、防御に関しても最大30,000mにのちに引き下げられています。

日本がこの46cm砲にこだわった理由は先述していますが、もう1つの理由として、アメリカの大きなハンデであったパナマ運河の存在がありました。
パナマ運河は太平洋と大西洋をつなげる、スエズ運河に並ぶ超重要な運河です。
このパナマ運河は太平洋戦争で日本の破壊標的になるほどの存在なのですが、通過する船の幅の特例上限が当時は32.6mでした。
つまりこれより幅の広い船を造ってしまうと、パナマ運河を通れずに南米大陸のホーン岬やマゼラン海峡をグルっと回らざるを得ません。

大西洋から太平洋へ南米経由で向かうとすると、単純計算でもパナマ運河経由より15,000kmもロスしてしまいます。
加えて南極に近いこの辺りは海が年中荒れており、風は強いわ流氷があるわで危険窮まりありません。[1-P52]

では18インチ砲を搭載してかつパナマ運河を通過できる戦艦とは、いったいどういうものなのか。
まず確実に防御が薄くなります。
軍艦の防御力は、基本的に自分が搭載している主砲の砲撃に堪え切れるように設計されます。
小型艦だとここまで防御に排水量を割くことができませんが、戦艦は主砲が強力になればなるほど、排水量は増大し、防御力も増していきます。

ですが18インチ三連装砲3基9門を搭載した艦幅33m以下の船を造るとなると、大きな主砲に対してアンバランスな細長い船になってしまい、防御も弱いし砲撃の反動が吸収しきれずに大きく傾斜するだろうと思われました。
じゃあ防御を損なわない戦艦を設計するとなると、必然的に排水量が大幅に増加するため、今度はパナマ運河を通過できる吃水12mを突破する可能性があります。
よしんば艦幅も吃水もクリアしたとして、そんな重たい船なら速度は23ノット程度と条約締結前ほどの低速になることが予測されました。
つまり、18インチ砲を搭載する戦艦をアメリカが建造するには、払う代償があまりに大きいのです。

現実ではパナマ運河を通過した最大の戦艦は「アイオワ級」でした。
最大幅は32.971mですが設計上スレッスレで通れるサイズでした。
「アイオワ級」の主砲は16インチ三連装砲3基ですが、結果として高速高火力の素晴らしい戦艦ではあるものの、非常に細長い形状だったためピッチングとローリングが大きいという問題がありました。
「アイオワ級」ですらこうだったので、18インチ砲だと常時の航洋性はもちろん、攻撃時の反動も相当酷かったでしょう。

じゃあパナマ運河を通過せずに、また無理をしない設計で18インチ砲の戦艦を配備する方法は何か。
それは太平洋と大西洋に2つの艦隊を配備するほかにありませんでした。
太平洋と大西洋の両方でアメリカの存在感を見せつけることができるのはパナマ運河のおかげです。
しかしパナマ運河を通過できない戦艦を建造してしまうと、太平洋にいるときに大西洋で何か起こった場合、またその逆の場合でも、毎回毎回南下北上しなければなりません。
この大きなタイムロスを回避するのであれば、同じ戦力を東西に同時に展開するしかありません。
いくら超大国アメリカでも、さすがにコストがかかりすぎるし、その後の運用も本来の倍の船を泳がせるわけですから費用対効果が悪すぎます(しかし現実でアメリカは「両洋艦隊法」を成立させているので、このとんでも構想を実現させるつもりでした)。

これらの理由により、アメリカはパナマ運河が拡張されない限り(これももし戦争が遅れていたら拡張される可能性がありました)、18インチ砲を搭載する戦艦は建造しない、と判断しました。
なので46cm砲を搭載する戦艦を建造すれば、まず5年は日本の有利は保たれる、という結論に至ったわけです。

そして設計の段階で議論になったのが、45口径か50口径かという砲身長の論争です。
当たり前ですが50口径のほうが射程も威力もググっと伸びます。
射程に関しては4,000m近く伸びて最大44,000m、貫通力は30,000mの距離で45口径が417mmに対して50口径だと464mmと、特に貫通力の差が大きいです。
しかし45口径46cm砲でもずば抜けて強力なので、果たして無理して50口径にする必要があるのかと議論が続きました。
結局50口径だとサイズが大きすぎることや製造技術が伴わないこと、そしてそれらのリスクを承知で製造しても得られる優位性がそこまで高いものではないことから、45口径に落ち着きました。

こうして正式名称「九四式四十五口径四十六糎砲」を搭載する新型戦艦の大黒柱が決まり、「大和型」の設計がより絞り込まれていくことになります。

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]空母信濃の生涯 著:豊田穣 集英社



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