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なぜ「大和型」は「大和型」でなければならなかったのか その2
Why the “Yamato Class” had to be the “Yamato Class”?

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「テキパキ」は要点以外の情報を削った表示ですので、前後の文に違和感が残ることがあります。


  1. なぜ「大和型」は「大和型」でなければならなかったのか
  2. 27ノット戦艦への私見
  3. 妥協の産物となった「A140-F6」

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27ノット戦艦への私見

ですが、この世界最強の戦艦の建造については計画段階から賛否両論がありました。
戦艦無用論というのはあまりに拡大解釈だと私は思っているので、個人的には航空主兵論という表現のほうが現実に即していると考えています。

「大和型」に関しては、山本五十六航空本部長(当時中将)「大和型」原案の「A-140」の設計作業中の福田啓二造船大佐「A-140」設計主任)の肩を叩いて「君たちは一生懸命やっているが、いずれそんなもん要らなくなるよ」と言ったというエピソードがあまりに強烈です。
他にも横須賀海軍航空隊副長になったばかりの大西瀧治郎(当時大佐)「斯かる無用の長物を取り止めて、空母、飛行機に切り替えていただきたい」「『A-140』1隻の建造費と維持費をもってすれば、「飛龍型」3隻の建造や、新鋭戦闘機の500や1,000機は造ることができる」と当時第二部部長であった古賀峯一少将福留繁軍令部課長当時大佐相手にか?)に訴えたりと、時代の流れの変化を敏感に感じ取った有力な人物は複数存在しました。[1-P54]
山本の意見は戦後も様々な評価が乱れ飛んでいますが、山本の真意はここまで極端ではなく、群を束ねる立場としていかに戦艦と航空機をうまく連携させ、そして航空主隊にスライドさせるにはどうすればよいかを考えていたように感じます。

しかし「戦艦よりも航空機」という訴えは、明治5年/1872年に海軍が誕生して以来、常に追い求めた最強の存在を時代遅れと言わんばかりのものであり、さらには未だ根強く語り継がれる「日本海海戦」での戦艦の大活躍が背景にあることから、航空主兵論は非難の嵐でした。
別に空母や航空機が不要ということはありませんが、航空機はあくまで射程外から敵に攻撃をするだけのもので、止めを刺す兵器だとは考えられていませんでした。
爆弾の威力もこの時は250kgが最も重かったので、今後500kg、1tと増えていくことにはなりますが、そんなちゃっちい爆弾で戦艦が止まるものかと、攻撃する側としてもされる側としても大した脅威に感じていませんでした。
そんな存在がこれまで戦場を制圧してきた戦艦を蹴り落とすというのが航空主兵論ですから、そう簡単に納得できるものではありません。
この「大和型」建造は同時に「翔鶴型」の建造も決まっているため、戦艦に人と時間と金を注ぎ込むのなら航空戦力に割いたほうがいいという議論と、最後に勝負を決めるのは戦艦だから空母はそのお膳立てにすぎないという対立が根強く残っていました。

さて、航空主兵論は結局無視され続け、設計案がまとまったのはそこから1年半後。
20もの設計案で丁々発止を繰り返し、ついに46cm砲を搭載する、世界に2つとない戦艦の青写真が完成しました。
設計案の変遷については【大和型の数ある設計案】で紹介をしております。

ところが「大和型」の設計は、当初軍令部が求めた次代の戦艦の意義とは異なる形で完成してしまいます。
航空主兵論が少数派に留まったとはいえ、空母の価値が低いわけではありません。
かつて戦艦は鈍足であるのが当たり前でしたが、技術の発展と、艦船速度とは全く別次元となる航空機を搭載した空母の誕生により、艦隊全体の高速化が必要になってきました。
軍令部はこの点も勘案して「大和型」に何としても30ノットをと語気を強めて訴えたわけです。
しかし設計がより絞り込まれていく中で、いつの間にか最大速度は30ノットから28ノット、そして27ノットにまで低下してしまいました。
「大和型」が活躍できなかった原因の一つとして、この最大速度27ノットというのが、機動部隊との共同運用に不適であったとよく言われています。

ここで大切なのは、設計の時点で誤った判断だった、というような評価があるという点です。
結果論として27ノットの低速が足を引っ張ったというのなら、歴史は結果の積み重ねなので私もあえてここで私見を述べることもありません、私もそこそこ同意見です。
設計時の軍令部第一部主席班長であった中澤佑中佐「大和型」30ノットを訴えた張本人ですが、27ノットになったことでこんな速度では戦えないし国防の責務は果たせないと辞職を申し出ています。
それほど作戦立案の立場からすると27ノットというのは重いハンデだったのです。
彼は昭和18年/1943年6月に軍令部第一部長、つまり作戦立案の総大将に就任していますから、27ノットの「大和型」の運用には少なからず苦労したでしょうが、この時期ならたとえ30ノットでも苦労しています。

欧州と日米の戦艦事情は異なりますが、欧州では戦艦の速度アップに躍起になっていて、ドイツの「シャルンホルスト級戦艦」(巡洋戦艦)は31ノット、フランスの「ダンケルク級戦艦、リシュリュー級戦艦」はともに30ノット、イタリアの「ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦」は30ノット程度と軒並み30ノット超え、イギリスの「キング・ジョージⅤ世級戦艦」でも28ノットと、他国には劣るものの従来の戦艦に比べれば十分速いです。
一方アメリカも、これまで極めて鈍足だった戦艦(「コロラド級戦艦」で21ノット)を「ノースカロライナ級戦艦」で一気に27~28ノットにまで引き上げています。
そして言わずもがな、「アイオワ級」は41cm三連装砲と30ノットという、総合面で欧州を上回る性能となりました。
この「アイオワ級」こそ、軍令部が求めた機動部隊共同運用能力を十分備えた強力な戦艦と言えるでしょう。
戦艦というくくりで27ノットは遅いとは言えませんが、結局速度面では各国の最新戦艦の中で最も遅い戦艦になってしまいます。
ただ問題としてあげられるのは、各国戦艦の中で最も遅いことではなく、運用上の大きな制約です。

同時期の計画である「翔鶴型」と、その前級の「飛龍型」は最大速度が約34ノットです。
「大和型」が最大速度30ノットだった場合、上記の空母の第四戦速に相当します。
しかし27ノットが最大の場合だとこれが第三戦速にまで落ちるわけです。
加えて最大速度を発揮するケースは稀で、駆逐艦などを除いてほとんどは戦闘中でも第四戦速より遅い速度で運用します。
結局「大和型」が広い視野と攻撃範囲を持つ空母の足を引っ張ってしまい、巡航時はともかく作戦時には大きな障害になってしまうのです。
結果として太平洋戦争で最も活躍した日本の戦艦は最大30ノットが発揮できる「金剛型」でした。

ですが、この27ノットが活躍できなかった、逆に言えば30ノットあれば「大和型」は活躍できたというのは、「大和型」とその設計に携わった人たちに対する評価としてはちょっと言いすぎじゃない?と思っています。
まず、日本はもともと漸減邀撃作戦を掲げていたはずです。
潜水艦や水雷戦隊により日本にやってくるアメリカ艦隊を徐々に目減りさせ、最後に戦艦でドーンと叩き潰す、という考えが対米戦を行う上で海軍にはありました。
そして空母の誕生で、水雷戦隊よりも先に空母の航空機が敵艦隊に何らかのアクションを起こすことになるのは確実でした。
となると、戦艦は敵がこちらの間合いに入ってくるまでどっしり構えていればいいわけですから、高速運用する空母に随伴ができないことが必ずしも漸減邀撃という方針に反するわけではありません。

この作戦を軸にするなら、空母を護衛するのは戦艦ではなく、高速で中程度の攻撃力を持つ巡洋艦などの艦船で作戦を立案するのが本来の形ではないでしょうか。
ここで戦艦まで空母に就けると、もう最初っから全力でぶっ飛ばすという形に近いわけですから、漸減邀撃作戦とは似ても似つきません。
逃げる敵機動部隊に追いつかないから、という理由ならば低速が問題だというのはわかりますが。
漸減邀撃作戦が展開できなくなったから、というのであれば、そりゃ「大和型」よりも前からある大看板が外されたのだから運用に支障が出るのは当たり前で、それは「大和型」設計の問題ではなく作戦の問題です。

またアメリカは27~28ノットの「ノースカロライナ級」「サウスダコタ級」を空母と共に戦場に派遣しています。
わかりやすいのは「南太平洋海戦」です。
この戦いには日本は「金剛型」4隻が、アメリカは【サウスダコタ】が戦場で【エンタープライズ】とともに参加しています。
【ノースカロライナ】【伊19】に雷撃を受けていなければ【ホーネット】の護衛として参加していたはずで、いずれも「金剛型」より低速です。
また【ノースカロライナ】「第二次ソロモン海戦」でも【エンタープライズ】とともに参加していますし、27ノットが機動部隊随伴を阻害したというのは無理があるでしょう。
この場合、アメリカはやったのに日本はやらなかった、と言うべきです。

続いて日本の空母に目を向けてみると、同時期に「翔鶴型」の建造が計画されていますが、「翔鶴型」が完成したとしても【赤城】【加賀】がお役御免になるわけがありません。
そして【赤城】は約31ノット、【加賀】に至ってはもともと鈍足で有名で約28ノットです。
もちろん最新空母との運用が最も好ましいですが、艦隊を構成する上で「翔鶴型」「金剛型」【赤城、加賀】「大和型」「長門型」の運用も十分可能です。
一部の制約が出るのは当初計画よりも速度が落ちているので当然ですが、すべてがパーになるほどの低速化とは思えません。

他には、「マリアナ沖海戦」では日米ともに戦艦が複数参加しています。
この戦いでは日本はアウトレンジ戦法、つまり空母主体の攻撃で戦うつもりでした。
その一方で、機動部隊の前衛には【大和、金剛】【武蔵】【榛名】、そして改装空母3隻がありました。
この改装空母には25ノット強の【飛鷹】【隼鷹】も含まれます。
主力である空母には戦艦は【長門】だけ配備していますが、このように機動部隊から高速の「金剛型」を剥がして前衛に置き、本隊にこの作戦で最も低速の【長門】を就ける運用も行っています。

対するアメリカですが、機動部隊護衛に戦艦を就ける運用をしたと言われながら、この戦いでは空母を護衛している戦艦は「ゼロ」です。
空母の数が潤沢だったということもありますが、3つの空母中心の輪形陣が前衛となり、その後方にもう1つの機動部隊、そして機動部隊随伴のために十分な速度を有した【アイオワ、ニュージャージー】ですら、他の5隻の戦艦と共に空母の後衛に配備されています。
つまり「マリアナ沖海戦」のアメリカの布陣は、完全に戦艦は空母の護衛を切っているわけです。
これは日本軍出撃の報告を受けてから、戦艦同士の砲撃戦があることも踏まえ、空母護衛に戦艦を混ぜて戦力が削がれることを嫌ったためです。

そして、「アイオワ級」が太平洋戦争に参加したのは昭和19年/1944年からだということも大切な点です。
【大和】が竣工したのは昭和16年/1941年末ですから、「アイオワ級」が機動部隊護衛ができたのに対して「大和型」ができなかったというのは、そもそも妥当な比較じゃないでしょというわけです。
最強戦艦はどれだ?とか、「大和型」「アイオワ級」はどっちが強い?とかなら何の問題もないのですが、本論で「大和型」の比較になるべきは同時期設計の「サウスダコタ級」「ノースカロライナ級」でなければなりません。
【大和】【ノースカロライナ】の起工は1ヶ月だけ【ノースカロライナ】のほうが早く、それに対し【アイオワ】起工が3年も遅い昭和15年/1940年ですから、時代背景から戦艦を評価するなら「アイオワ級」が比較対象でないことは一目瞭然です。
そして27~28ノットの「ノースカロライナ級」「サウスダコタ級」が機動部隊の護衛も、逆に護衛から外れた共同運用も行っているんだから、これで「大和型」の27ノットが制約だったというのは説明が付きません。
明らかに速度以外の要因です。

他にも「大和型」2隻に使える燃料で駆逐艦を大量に動かすほうが先決であったり、30ノットあろうが【武蔵】がいないのに「ミッドウェー海戦」で前線運用はありえなかったり(もともと「ミッドウェー海戦」【大和】が出る意味もなかった)、結構言えることはたくさんあります。
私個人としては、歴史的遺産として「大和型」を振り返ると、結果的に「アイオワ級」のような設計のほうがよかったね、と言うべきではないかと思っています。
当時の段階で誤っていたというのなら、もう「大和型」どころか何でもかんでも間違いまくってますから。
「大和型」と空母を同レベルで活躍させるのなら、航空主兵論というよりも航空戦術論とその効果がしっかり海軍に浸透し、かつ凝り固まった考えを改める柔軟性が必要だったでしょう。
この手の批判は運用側の問題もひっくるめて全部「大和型」に覆いかぶさってるような印象です。

過去に当HPでもこの27ノットが云々ということを書いたことがありそうな気がしますが、そこは素直に反省しなければなりません。
大きな寄り道をしましたが、個人的にこの評価・考え方は別の視点からも見るべきだと思い記述いたしました。
「ほーん」ぐらいで読んでもらえるとありがたいです。
しかし軍令部の要求通り高速性があったとすれば、少なくとも「ガダルカナル島の戦い」では出番があったかもしれません。

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参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]空母信濃の生涯 著:豊田穣 集英社



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