- 大和型戦艦三番艦 戦艦信濃の下準備
- 信濃に全てを託す 世界最大空母の誕生へ
- 急げと急かして止めろと止めて
- ドックで暴れる信濃 大わらわの進水式
- 近くて遠い呉航海 裸の信濃出撃
- 落ち武者は薄の穂にも怖ず 見えぬ群狼が信濃を狂わす
- 惜しいことをした
惜しいことをした
潜望鏡だけがスーッと海面を滑ります。
その潜望鏡からは、また謎の発光信号が見えました。
少なくとも【アーチャーフィッシュ】からは、その後駆逐艦が速度を落としたことから、これは護衛の駆逐艦に対しての信号のように見えました。
それにしても我らの存在に気付いているはずなのになんと不用心なことか。[14-P253]
ぐんぐん【信濃】と駆逐艦が近くなってきました。
しかし右舷側の駆逐艦はどうやらこちらに近づいてくるようです。
まずい、気づかれたか。
ところがその駆逐艦はソナーを使用しておらず、潜水艦を積極的に捜索、攻撃するために向かってきたわけではないようです。[14-256]
こうなると潜って黙って通過するのを待つ方が安全です。
【アーチャーフィッシュ】はさらに潜航、呼吸すら抑えて沈黙します。
ごうごうとスクリューが海水をかき乱す音が大きくなってきます。
早鐘を打つ心臓の音もそれに負けてはいません。
海水が乱れ、【アーチャーフィッシュ】も緩やかに揺れます。
攻撃はあるのか、もしあればこの深さ、この位置、確実に損傷します。
今は死んだように黙るしかありません。
真上を通過した駆逐艦は、頭上僅か3mの高さをそのまま通過していきました(護衛の配置は進路変更などにより安定せず、攻撃を受けた時を含めてはっきりしていない)。[4-P221][5][14-P257]
勝った!潜望鏡上げ!
他の駆逐艦達がこちらに来る様子はありません。
目の前にはくそでかい空母が横腹を晒しながら進んでいます。
3時15分、【アーチャーフィッシュ】は急いで【信濃】の位置を最終確認し、渾身の魚雷を艦首から8秒おき6本発射しました。[14-P258]
その2分後、1,200mほどの距離で発射された6本のうち4本の魚雷が【信濃】の右舷へ次々と直撃します。[1-P21][4-P33]
やはり相手の方が上手か、駆逐艦はすぐさま潜望鏡を血眼になって探し、【信濃】の周辺を回りながら爆雷を投下していきます。
当たってしまったものは取り返しがつきませんが、何よりも恐れるべきことは群狼作戦です。
先ほど【浜風】が制圧のために護衛から離れようとしたところを引き留めたように、迂闊に魚雷が飛んできた方向に駆逐艦を向かわせて防御が手薄になったところを追加で攻撃を受けると、余計に被害が膨らんでしまいます。
いざ被害を受けた今も、爆雷の投下後は四散せずに【信濃】の周辺に留まっていました。
【アーチャーフィッシュ】は6本中6本すべてが命中したと確信していました。
さすがに全発命中はしなかったのですが、それでも【信濃】に対して、とにかく命中させて被害を与えるための最善策を取っていました。
1つは魚雷の深度を浅く設定することでした。
艦長のジョゼフ・F・エンライト少佐はかつて目標に対して深深度に設定した魚雷を発射して外した経験を持ち、さらに空母のような構造上トップヘビーな船は浅い位置の浸水の方がひっくり返りやすいと潜水艦隊司令官から教えを受けていたのです。[4-P219][7-P392][14-P250]
結果として魚雷は【信濃】のバルジ上部の付け根付近に命中。
もし深深度であればバルジに命中し、投げやりな対策だったコンクリート注入がドンピシャでハマったはずなのに、彼の過去の経験がそれを回避したのです。
もう一つが放射状に魚雷を放つ方法です。
1発目を艦尾側に向けて、そして徐々に艦首側に魚雷を発射することで、1本目の航跡が発見されたとしても回避は概ね魚雷が飛んできた方向へ舵を切るため、その回避方向に向かってくる残りの魚雷もすべて避けるのは簡単ではありません。
それにこの放射状の雷撃の方が、転舵で艦首が魚雷に向けられたときの波で航跡が狂いにくいのです。[4-P221]
【アーチャーフィッシュ】は爆雷回避のために潜航し、空母の沈没は確信するもののしばらく表舞台から遠ざかります。
この被雷で【信濃】は5度ほどの傾斜となりますが、やがて9~10度にまで拡大。
【信濃】は再び20ノットで航行し、また3隻の駆逐艦がばら撒いた爆雷の回避のために深く潜航したため【アーチャーフィッシュ】は第二撃を放つことはできませんでした。
しかし中にいるのは訓練すらできていない乗員ばかり、さらに現在進行形で工事中の【信濃】にはそれで十分でした。
4本は空の航空燃料タンク、右舷外側の第三機械室、右舷前側の三番缶室、燃料タンクと空気圧縮機室に命中。
また三番缶室への浸水は同時に隣の一番、七番缶室にも及び、空気圧縮機室の浸水は隣接する第二損傷応急処理指揮所も満水にしてしまいます。[14-P264]
このエリアは吃水線より下(中甲板より下)ですから、記録に則れば気密試験は行われていたはずですが、別の缶室にも浸水が及んでいるという事は、隔壁の強度や取り付けに問題があったか、魚雷の破壊力が想定以上(HBX爆薬の破壊力は炸薬量以上)だったことが原因でしょう。
浅い深度に設定した魚雷はいずれもバルジの上付け根付近をぶち抜き、海水が猛烈な勢いで入り込んできました。
もちろんこんな場所に魚雷が命中したとは思っておらず、あっという間に10度まで傾斜していることは信じられない出来事です。
そこに加えて、知識も経験も行き来すらもできない兵員が多い中、防水処置が進まなければ浸水は勢いを増すばかり。
通路を走るコード類が戸閉を許さず、閉めることができた扉や隔壁にも恐れていた通り隙間があり、あちこちでシューッと空気が勢いよく漏れる音が聞こえます。[4-P225]
パッキングが雑で穴が開いたり、ネジ山が残されたままで、扉を閉めてもそのネジにぶつかって完全に締まってくれないのです。[8-P181][14-P269]
〇三一八 我魚雷ヲ受ケタリ 位置御前崎灯台百九十八度、百マイル
まだ舵は動く、電源も失っていない。
【信濃】は無電を送り、生き延びるために潮岬、すなわち北西へ進路を変更。
速度を再び20ノットにあげて、重くなりつつある足を懸命に動かしました。
とにかく傾斜復原が必要です。
第三機械室に溜まった海水を左舷機械室に移し、一時は傾斜7度まで回復したものの、浸水の量も速度も怒涛のためにすぐに押し返されてしまいます。
注水は3,000tに達しましたが、それを跳ね返して傾斜は13~15度です。[4-P227][8-P181][14-P271]
※この注水は注水弁の誤操作により実際は全く行われていなかったという声もあります。[6-P169]
4時20分、左舷側の注水区画からも注水が始まります。[14-P284]
被雷した右舷第三機械室の浸水は、そのすぐ隣で抵抗を続ける注排水指揮所をも侵し始めました。
すでに排水ポンプの故障の報告も相次ぐ中、ここが浸水すると傾斜回復は非常に困難になります。
今はまだ破られない隔壁も海水の際限のないパワーにより変形しており、一方ではすでに隔壁は破られてまた次の空間を満水にしていきます。
当然浸水と同時に傾斜も進んでおり、【信濃】の速度は落ちてゆき、やがて12ノットまで低下。
注排水指揮所も隣の第三番機関室の浸水の圧力を受けてしまい、注水弁がついに動かなくなってしまいました。[4-P248]
こうなるともう傾斜回復は絶望的です。
さらに機関室からは「煙突から海水が流れ込んできている」という声まで上がってきました。[2-P214]
5時~8時の間でしょうか、時刻が読み取れませんが、阿部艦長は三上治男内務長(当時中佐)の進言により、任務につくことのない工員に飛行甲板へ上がるように命令します。[14-P285]
この時「工員」を「総員」と聞き間違え、まだ復旧作業中でも持ち場を離れて飛行甲板に上がってしまった者が多くいましたが、【信濃】は人出が多けりゃ救える状態でもなかったので、この聞き間違えにより船に閉じ込められるものが減ったという正の側面がありました。[4-P247]
5時30分、【信濃】は海水をたらふく飲み込みながらも被雷から35海里以上航行していましたが、潮岬まではまださらに倍の距離が残っていました。
そして6時、傾斜は20度を突破。
ここまで傾くと取水口が海面の外に出てしまうので、もう左舷注水で傾斜を戻す手段はなくなりました(これは違うという声もありますが、いずれにしても注水弁が止まったので結果は同じ)。
そして機関室も内側の1番機関室の主蒸気管が浸水し、これで右舷2軸は完全に使えなくなりました。
7時からは最下甲板から徐々に乗員の脱出が始まり、だんだん斜めの飛行甲板に人影が目立つようになってきました。
【信濃】が完全に停止した時間は明確ではありませんが、真水を作る蒸化器が壊れたことで真水の供給ができなくなり、動力を失ったのはちょうどこの頃です。[14-P303]
注水による傾斜回復ができなくなったことで、止むを得ず8時からは人もいなくなった左舷側の3つの缶室への注水が始まりました。[5][14-P301]
これにより一時的に傾斜は回復しましたが、浸水の勢いが収まったわけではなく、またすぐに右舷傾斜が強まってしまいました。
今の場所は潮岬から115kmほどの位置、本来なら夜明け頃には通過しておきたい場所でした。[7-P392]
浸水しながらもここまで自力で進んできたのは大したものですが、ここからは周りが助けなければどうしようもありません。
阿部艦長は【浜風】と【磯風】を呼びます。
曳航です。
3,000tに満たない駆逐艦2隻のパワーで潮岬沿岸まで引っ張ることができるか、できるわけがない、しかしやらねば万事休す。
【浜風】と【磯風】が【信濃】の錨鎖に2~3インチのワイヤーを縛り付け、小さな身体で思いっきり引っ張ります。[7-P393][13-P139][14-P307]
しかし通常の排水量に加えて現在進行形で太り続けている【信濃】はビクともせず、駆逐艦の機関が悲鳴を上げるばかりでした。
ついには曳航索がブチンと千切れてしまいます。
千切れたワイヤーは風切り音をたてながら鞭のようにしなり、落下してきたところで駆逐艦の乗員に直撃し、あっという間に死んでしまったといいます(人に当たったというのはほんとかなぁ?)。[7-P393]
ならばと駆逐艦の後部の高角砲?主砲?にワイヤーをグルグル巻きにして引っ張ってみましたが、それでも【信濃】は全く動きません。[4-P262]
逆に傾斜はどんどん進み、このまま無理をさせると逆に駆逐艦が引きずり込まれてしまいます。
曳航索が解かれました。
曳航、そして【信濃】救助の断念です。
傾斜角度はついに35度に到達。[13-P81]
この傾斜で浮かび続けることはあまりに希望的観測すぎます。
飛行甲板に集まる者たちは多くのものが何かに捕まっていて、すでに足を滑らせて落下してしまった者もいます。
しかし阿部艦長は総員退去の命令をすぐに出すことはできませんでした。
見かねた砲術長の横手克己大佐は、「総員退去はまだですか?事ここに至っては遅れない方がよいと思います。」と進言。
[4-P268]
この声をもって、ようやく阿部艦長の口から「総員退去せよ」という言葉が発せられました。
命令が下されたのは、被雷から7時間後の10時37分でした。
そして彼は自らの命令に従うことはありませんでした。
傾斜が強くても走り続けていた【信濃】の力強さはすでにありません。
底腹までもが露わになり始めた【信濃】ですが、まだ内部の浮力がギリギリ【信濃】を支えています。
艦尾や飛行甲板には僅かな浮遊物を持った乗員が次々と押し寄せ、それを海に落とした後自分も覚悟して飛び込みます。
やがて【信濃】は艦首から沈み始めました。
急がないと船と一緒にお陀仏です、甲板に残っていた者たちも意を決して海に飛び込み、そして力を振り絞り船から離れていきました。
ああ、【信濃】が沈む。
10時57分、艦尾から徐々に沈んでいった【信濃】は、菊の御紋を太陽に向けて輝きながらその身を海に捧げました。
海に浮かぶ仲間たちは駆逐艦達が懸命に引き揚げます。
しかしそれは、この後も日本のために役に立ちそうなものだけを「選別」する、非情、残酷、冷徹なものでした。
「おい、先任将校。艦が沈むとあのようにみな助けてくれ助けてくれと手をあげてわめくが、そういう弱虫は拾っても役には立たん。平然としているようななるべく生きのいい使えそうなのから拾ってやれ。」
【雪風】艦長の寺内正道艦長(当時中佐)が先任将校の柴田正砲術長(当時大尉)に向けて言った言葉です。[4-P277]
水兵だからと言ってみんな泳げるわけではありません。
良し悪しはともかく、召集されたての新人は軍隊の精神力も持ち合わせていませんから、そりゃわめくに決まっています。
そしてわめけば弱虫と言われ見殺しにされるのです、言葉がありません。
火災拡大を防ぐためにとにかく必要最小限のものしか積まず、特に木製の可燃物を極力減らした【信濃】は、この沈没の際に普段なら投げ入れる浮き木などの浮力材は数が少なく、より多くの戦死者を出してしまいました。
加えて時は11月末の明け方であり海水は冷たく、死なないために泳げるものにしがみついて道連れにしてしまうこともありました。
最も頼りになった浮かぶものが特攻機【桜花】だったというのは何たる皮肉か。
出港からわずか17時間、初めての海を感じてから1日持たずに、【信濃】は海溝6,000mの深海で眠ります。
一、一四〇〇 【信濃】乗員収容、准士官以下五十五名(内、便乗者二名) 下士官兵千二十五名(内 工員三十二名) 合計千八十名
二、御真影ハ【浜風】ニ奉安
三、機密書類ハ鎖鑰(さやく)ノママ沈下、亡失ノ虞レナシ[14-P327]
信濃会の発表によると、【信濃】戦死者は791名、生存者は1,080名となっております。[4-P294]
一方で駆逐艦達が呉に入港した直後ぐらいの集計では、総員2,515名に対して生存者1,080名、戦死者1,435名となっていますが、『空母信濃の生涯』の中でこれに注意書きとして(実際より400名近く多い)と書かれており、この他にも複数の可能性があります。[4-P299]
梅田耕一水兵長の戦闘日誌より
11月28日
午後4時頃 横須賀出港。
同6時頃 東京湾防禦海面を出る。直ちに全艦警戒第一配備となる。信号科は二交代勤務で私は6時より8時まで当直。
同7時頃 伊豆大島を右舷に見ながら之字運動を行いつつ一路南下する。速力20ノット。月のない暗夜。
同10時頃 夜食の汁粉を食べる。
同11時15分頃 味方小型輸送船と出会う。問信号及び答信号を交し確認す。
11月29日
午前2時頃 味方機帆船3隻と出会う。問信号答信号を交し確認。
同2時45分頃 右30度距離7,000mに敵潜水艦らしきもの発見と防空指揮所見張員より報国あり。敵潜水艦らしき艦は反航で速力15乃至20ノット。味方潜水艦らしき型にはあらず。その時味方識別信号を発するも応答なく敵潜水艦と確認する。方位右60度5,000m。敵潜に関する情報について右舷に位置する味方駆逐艦と頻繁に交信する。
同3時5分頃 敵潜水艦影を見失う。
同3時17分 連続2発被雷10秒間隔で又2発艦橋の直下より後方に当る。位置潮岬南東約80マイル。
同時に総員配置につく。艦内一部停電。艦長は直ちに応急処置を命じ、最悪の事態に備えて最短港直進に進路を変える。
同4時頃 傾斜右10度となる。艦の速力次第に落ちる。
同4時半頃 更に速力落ち傾斜右15度位になる。
同5時頃 傾斜の増大により機関の運転不能となる。左舷注水策を試みるも不能。速力停止する。
同6時頃 手あき総員すべての器具を使い排水作業に当る。必死の努力も効果なく、傾斜は20度になる。
同7時半頃 右舷駆逐艦にての曳航を試み30m位に接近、ワイヤーロープを繋ぐも波浪と信濃の重みに耐えかねて切断、曳航不能。
同7時40分頃 御真影を駆逐艦に移乗の為にカッターを海面におろすも横波をうけ転覆、望みを達し得ず。(艇長、砲術死、艇員、砲術科員10名位)。朝食乾パン支給される。
同8時10分頃 機関部員飛行甲板に上る。
同8時半頃 味方飛行機(銀河)2機低空にて飛来。傾斜25度位。
同9時頃 総員退去、傾斜34度位。私、艦橋より降りる。[4-P237]
文句の付け所が多すぎて、やることなすこと全部悪い方向に進んだ【信濃】。
今更何が悪かったのか、まとめる必要もないでしょう。
助けを待つ間も仲間同士でおぞましい蹴落とし合いがあり、駆逐艦からは「うちの艦長の言うことを聞かなかったからだ」と因果応報と言われ、助かった者も今度は隔離されてフィリピンや沖縄に送られたり。
沈んでからも【信濃】に関わった者たちは人の醜さを晒し続けました。
「惜しいことをした」とは、【信濃】沈没の報を受けた昭和天皇の溜息に似た一言です。
【信濃】沈没後の11月28日、「S事件調査委員会」が始まりましたが、これもまた調査委員会とは名ばかりの、責任追及のさながら査問会のようだったと言います。
もちろん【信濃】に乗った者たちは、雑に海に放り出したのはあんたらだろと憤懣やるかたなく、自分たちに責任を押し付けてそっちは逃げようとしてるようにしか見えませんでした。
結局形だけの調査委員会は、「みんな悪かったけど、出航を命じたうちらに責任はない」みたいな感じで締めくくられていたようです。
何しろ報告書原本はすべて終戦後に焼却されており、これらは皆【信濃】士官や連合艦隊作戦参謀だった千早正隆元中佐(彼は委員会そのものには参加しておらず、翌年2月に作戦参謀となってから個人的に読んだ)の記憶に頼っています。[4-P306][14-P340][14-P368]
【信濃】を沈めた【アーチャーフィッシュ】でしたが、とにかく巨大な空母を沈めたものの、その成果が受け入れられるのには時間がかかりました。
前述のとおりアメリカは世界最大の空母が日本に存在している情報はキャッチしておらず、無線傍受→信濃→信濃川?→巡洋艦じゃない?という判断でした。[14-P329]
この時アメリカは新型巡洋艦の兆候をつかんでいたのでこの連想になったのですが、当時の新巡洋艦らしい船と言えば【伊吹】しかいません。
その【伊吹】の空母改装工事は1943年11月から始まったものの工事は途中で中断。
時期が合致せず新型巡洋艦とアメリカが疑った船が何なのかはわかっていません。
「新型」でなければ【酒匂】がドンピシャですから、ニュアンスの違いだけかもしれません。
運よくラフスケッチが残っていたので、そこから「沈めたのは空母だ」という主張は受け入れてくれました。
しかし【信濃】の名は国名ではなく川の名前だという判断は変わらず、巡洋艦改装空母の撃沈ということで決着します。
その認定された空母排水量は、満載排水量約72,000tの【信濃】の4割未満の28,000t。
28,000tというのは「エセックス級航空母艦」ぐらいの大きさなので、大型と言えば確かに大型、主力空母として恥じない排水量ですが、世界最大の戦艦を改装した、世界最大の空母を、証言とスケッチだけで認定するのはさすがに難しかったようです。[14-P332]
正確な戦果に改められたのはもちろん戦後【信濃】の存在が明らかになってからです。
信濃の写真を見る
参考資料(把握しているものに限る)
Wikipedia
[1]軍艦開発物語2 著:福田啓二 他 光人社
[2]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[3]艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
[4]空母信濃の生涯 著:豊田穣 集英社
[5]1 US Sub Sinks a Japanese Supercarrier – Sinking of Shinano Documentary
[6]What Was The Fate of The Shinano? Japan’s Ten-Day Supercarrier
[7]『雪風ハ沈マズ』強運駆逐艦 栄光の生涯 著:豊田穣 光人社
[8]空母大鳳・信濃 造艦技術の粋を結集した重防御大型空母の威容 歴史群像太平洋戦史シリーズ22 学習研究社
[9]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[10]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[11]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[12]戦史叢書 海軍軍戦備<2>開戦以後 著:防衛庁防衛研究所戦史室 朝雲新聞社
[13]沈みゆく「信濃」 知られざる撃沈の瞬間 著:諏訪繁治 光人社
[14]「信濃!」日本秘密空母の沈没 著:J.F.エンライト/J.W.ライアン 光人社