起工日 | 昭和19年/1944年5月1日 |
進水日 | 昭和19年/1944年12月2日 |
竣工日 | 昭和20年/1945年4月8日 |
退役日 (除籍) | 昭和23年/1948年3月1日 |
建 造 | 佐世保海軍工廠 |
基準排水量 | 2,701t |
垂線間長 | 126.00m |
全 幅 | 11.60m |
最大速度 | 33.0ノット |
航続距離 | 18ノット:8,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 65口径10cm連装高角砲 4基8門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 1基4門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm三連装機銃 4基12挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
大和を知らぬ駆逐艦 4ヶ月の海軍生活 夏月
【夏月】は「秋月型」の最終艦ではありませんが、竣工したのは十二番艦の【花月】よりも遅く、「秋月型」最後の竣工となりました。
当初は3月末の竣工予定でしたが、物資不足の影響で機銃の調達すら滞っていたため、竣工が約1週間遅れることになりました。
さらに4月8日は「坊ノ岬沖海戦」の翌日。
佐世保が奇跡の生還を果たした【涼月】の帰還に沸く一方で、海軍の存在感はもはや皆無でした。
竣工後、【夏月】は第十一水雷戦隊に所属しますが、20日までは残工事があったため、瀬戸内海に到着したのは25日でした。
5月20日には第一海上護衛艦隊に所属する第三十一戦隊に加わりますが、同時に第三十一戦隊が新編の海上挺進部隊の中核となったため、特攻部隊の一員にもなってしまいます。
ただ海上挺進部隊も結局燃料不足や本土決戦が行われなかったことから、この組織としての任務もありませんでした。
当初は朝鮮半島付近での任務を帯びていた第三十一戦隊も、空襲の激化により前線は対馬まで下がります。
また25日には【涼月】【冬月】【宵月】らが所属していた第四十一駆逐隊に新たに編入されました。
しかし6月16日には下関付近で機雷に接触してしまいます。
小破扱いなのですが、曳航されていたようですので、小破相当の被害ではなかったかもしれません。
佐世保まで曳航された【夏月】は、7月1日から25日まで修理を行います。
そして結局終戦まで【夏月】は佐世保を出ることはなく、ここで日本の敗戦を受け入れることになります。
終戦後は復員船として2年近く働いたあと、イギリスへ賠償艦として引き渡されるのですが、即日浦賀船渠へ売却されることになり、昭和22年/1947年9月10日から解体開始、翌年3月1日解体が終了しました。