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【千歳型水上機母艦】

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基準排水量 11,023t
一番艦竣工日 【千歳】
昭和13年/1938年7月25日
同型艦 2隻
全 長 183.00m
最大幅 18.80m
最大速度 29.0ノット
航続距離 16ノット:8,000海里
馬 力 56,800馬力

装 備 一 覧

昭和13年/1938年(竣工時)
主 砲 40口径12.7cm連装高角砲 2基4門
機 銃 25mm連装機銃 6基12挺
缶・主機 ロ号艦本式ボイラー 4基
艦本式ギアード・タービン 2基
艦本式11号10型ディーゼル 2基 両基合わせて2軸構成
航空兵装 九五式水上偵察機 常用24機、補用4機
呉式2号5型射出機 4機
その他
40トンクレーン 2基
20トンクレーン 2基
4トンクレーン 3基
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甲標的母艦化を前提とした2隻は最終的に空母にまで進化

昭和5年/1930年の「ロンドン海軍軍縮条約」によって、日本は主力艦や空母だけでなく、補助艦艇にも大きな制限を受けることになり、さすがに量より質だけで戦い続けるのが困難となってきました。
そこで今度は、完成図から逆算し、今はこの艦種だけど、戦争になったらぱぱっと改装して最終的にはこの船になれるような、改装前提の船を設計するという妙案を思いつきます。
有名なところでは「剣埼型」が潜水母艦、さらには航空母艦へと姿を変えていますが、これも当初から最終的には空母になることが決まった上で設計された船です。

一方で、空母になることは決まっていなかったけど、結果的に空母にまで上り詰めた船があります。
それが「千歳型」です。
「千歳型」は水上機母艦としてまずは生を受けますが、やがては甲標的母艦として戦争で活躍する青写真が描かれていました。
そしてこれは「千歳型」だけではなく、【瑞穂】【日進】もまた、甲標的母艦としての活躍も想定されていました。
ちなみに「千歳型」は、日本が初めて一から建造した水上機母艦でもあります。

水上機母艦の「ロンドン海軍軍縮条約」の制限ですが、まず水上機母艦は特務艦にあたり、特務艦には「排水量10,000トン以下、速力20ノット以下」という制限がありました。
しかしこれを守れば保有数の制限はなく、予算と時間が許すのであれば日本は「剣埼型」「千歳型」【大鯨】のような改装前提の特務艦を山ほど建造しても問題はないのです。
ただ、この他に特に水上機母艦にかかわってくる制限として、「航空機3機搭載までならカタパルト2基まで、4基以上ならカタパルトなし」というものもあります。
水上機母艦にとってはこの制約はかなり厄介で、この制約だと水上機母艦はほぼ水上機輸送艦に近い動きしかできません。
とはいえそうさせるための制限なのですが。

「千歳型」【九五式水上偵察機】24機、補用機4機と結構な数が搭載されることになりましたが、カタパルトが搭載できないため大小合わせて7基のクレーンが搭載されています。
ですが、「千歳型」建造中に日本は昭和11年/1936年に「ロンドン海軍軍縮条約」の満了に伴って脱退を表明し、結局竣工時には呉式2号5型射出機4基が搭載されることになりました。
本当なら上甲板に24機全て載せれるようにしたかったのですが、サイズの関係から20機を並べるのが精一杯で、乗り切らない水上機についてはあとで格納庫から上げるしかありませんでした。

出典:『軍艦雑記帳 上下巻』タミヤ

なお、艦上にはよくわからない大きなテーブルのようなものがあります。
これは飛行甲板の強度実験のために搭載されたものらしいのですが、となると「千歳型」は最終形態は甲標的母艦ではなく空母になることが決まっていたとも言えます。
しかし実際に計画段階でそこまで決まっていたとしては改造に必要な工期も長く、また当初は甲標的そのものが非常に重要な兵器であると見込まれていたこともあり、この説はちょっと疑いの余地があります。
ですが少なくとも水上機母艦としてはこの甲板は不要なわけで、実際にここには機銃や探照灯が搭載されることになります。

主機には【大鯨】と同じく艦本式11号10型ディーゼルが搭載されましたが、同時にロ号艦本式ボイラーも搭載し、ディーゼルとタービン併用型となっています。
出力不足のディーゼルをタービンで補い、燃費の悪いタービンをディーゼルで補うという考えで、運用条件でいずれかもしくは両方を使って艦を動かすという狙いでした。
「千歳型」は水上機母艦としての役割に合わせて、高速給油艦としての任務も負ってもらうことが求められていたので、速度についても要求は強く、この併用によって29ノット以上の速力が公試で発揮されています。
ボイラーとタービンは「初春型」と同じものを使っていますが、もうちょっと出力を上げても大丈夫ということが分かったので、1基当たりの最大出力は22,000馬力と1,000馬力増えています。

なお、これも条約破棄の影響で29ノットになっていますが、破棄前は当然20ノットに抑える必要がありましたから、当初の計画ではボイラーは2基となっていました。
煙突は前方の大型がタービン用、テーブル上の甲板の後方支柱に沿っている細いのがディーゼル用です。

武装は12.7cm連装高角砲を背負い式で艦首に2基搭載し、また25mm連装機銃を6基搭載。
当時としては結構充実している対空装備です。

「千歳型」は昭和13年/1938年に竣工。
7月に竣工した【千歳】は9月には「日華事変」に参加していますが、少し遅れた【千代田】はすぐに中国へは進出せず、昭和14年/1939年4月まで呉の練習艦兼警備艦となっていました。
その後に「日華事変」の支援のために海南島や南寧へと進出しています。

やがて内地帰投後、【千代田】は当初から計画されていた甲標的母艦への改装工事に入ります。
実は甲標的母艦になったのは【千代田】だけで、【千歳】は空母になるまでずっと水上機母艦です。
ただ、甲標的そのものが軍機だったため、【千代田】も書類上は水上機母艦のままでした。

昭和15年/1940年7月から【千代田】の改装がスタート。
甲標的母艦として、搭載水上機は半分の12機となる一方で、甲標的が12基搭載できるようになりました。
甲標的の格納庫はあのテーブルの真下に設置され、40t、20tのクレーンで揚収されます。
真下と言っても四隅の足の枠内ではなく、その上甲板の下、つまり艦内です。
甲標的は格納庫内に設けられた軌条からウィンチで移動して、艦尾に新たに設置された穴から発射されます。
(「甲標的母艦 千代田」で画像検索して出てくるプラモデルの画像を見てもらうとわかりやすいです。)

こうして【千歳】は水上機母艦として、【千代田】は甲標的母艦として太平洋戦争に突入。
【千歳】【九四式水上偵察機】【零式水上偵察機】【零式水上観測機】といった後継水上機も搭載されて太平洋戦争の緒戦で活躍をしました。
しかしご存じの通り「ミッドウェー海戦」で空母4隻を失う未曾有の大敗北を喫した日本は、空母不足を解消するために新空母の建造と現有戦力の空母化改装を計画します。
そしてその対象となったのが、「千歳型」2隻と【あるぜんちな丸(海鷹)】【ぶらじる丸(同年8月沈没)】【シャルンホルスト(神鷹)】でした。
「千歳型」は昭和18年/1943年2月に工事に入り、11~12月に完成をしますが、すべては後の祭りでした。

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