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神鷹【航空母艦】
Shinyo【aircraft carrier】

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起工日0000年00月00日
進水日昭和19年/1934年12月14日
空母改装完了昭和18年/1943年12月15日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年11月17日
建 造独 デシマーク
基準排水量17,500t
全 長198.64m
水線長25.60m
最大速度21.0ノット
航続距離18ノット:8,000海里
馬 力26,000馬力

装 備 一 覧

昭和18年/1943年(改造時)
搭載数艦上戦闘機/9機
艦上攻撃機/18機
補用機/6機
格納庫・昇降機数格納庫:1ヶ所
昇降機:2機
備砲・機銃40口径12.7cm連装高角砲 2基4門
25mm三連装機銃 10基30挺
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 2基
AEGタービン 2基2軸
飛行甲板長180.0×幅24.5
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。

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唯一の海外産空母の正体 独客船シャルンホルスト

帝国海軍所属の軍艦の中でも、文字通り異色の存在となったのがこの【神鷹】です。

【神鷹】の元の姿は【ドイツ客船 シャルンホルスト】
北ドイツ・ロイド汽船所属の大型客船でした。
【シャルンホルスト】は日本航路ではなく東洋航路に就航していた客船で、神戸港に立ち寄った後、マニラ経由でシンガポールへと向かっていました。
しかしその途中、ドイツ本国から【シャルンホルスト】に無線が入り、急遽神戸港へと戻ることになりました。
昭和14年/1939年、第二次世界大戦の勃発です。

航路には連合国側が占拠する地区がいくつもあり、給油することができなくなった【シャルンホルスト】は日本国内で抑留されることになってしまいました。

乗員などは中立条約によって国交があったソ連を通じて長旅ながらも本国へ帰国していますが、結局【シャルンホルスト】はそのまま数年間神戸の地で浮かんでいました。

やがて日本も太平洋戦争に突入、さらに半年後には「ミッドウェー海戦」の大敗という緊急事態に陥ります。
日本はとにかくできる限り空母を手っ取り早く建造することになり、商船を改装したり、「雲龍型」の建造に着手しました。
その一環として目に飛び込んできたのが、プカプカ浮き続けているドイツの大きな客船でした。

日本はどうせ帰ることのできない【シャルンホルスト】を譲ってほしいとドイツ政府と交渉し、その交渉は見事成功。
買収ではなく譲渡という形ではありましたが、戦後に船の価格の2倍もの金額を支払うということで、【シャルンホルスト】は日本の空母になることが決まったのです。
この船の価格が、当時の価値なのか、建造にかかった総費用なのかは不明です。

ちなみにこのとき、日本は当初ドイツに向けてもっと大胆な提案をしています。

曰く、「建造停止中の【グラーフ・ツェッペリン】を譲ってくれ」

【グラーフ・ツェッペリン】はドイツ初の空母として建造が進み、完成間近であったものの、戦況の変化により空母の優先度が低下して工事が中断していました。
太平洋戦争では戦艦を差し置いて一にも二にも空母の時代になっていたのに、第二次世界大戦では空母は決して最上の兵器ではなかったのです。
しかし【シャルンホルスト】が帰国できないことと同様に、ドイツから日本に艦載機もない空母を送ることもまた、自殺行為であったため、この交渉は頓挫しています。

【シャルンホルスト】は幻の大和型四番艦【111号艦】の建造中止で余剰になった資材を流用して改造されることが決定。
昭和17年/1942年9月に改造がスタートします。
【シャルンホルスト】の空母改造後の名前は【神鷹】となることが決まりました。
この【神鷹】は、商船として完成していない「飛鷹型」の2隻を除き、商船改装空母の中では最も大型の船でした。

なお、一応【神鷹】「大鷹型」に分類されるようですが、商船改装空母であることを示すためだけの「大鷹型」ですので、本項ではあえて【神鷹】「大鷹型」とは紹介しておりません。

改造内容は基本的に「大鷹型」に沿った内容でしたが、図面がないことと、主機やボイラーが日本のものと異なる点が難産に繋がりました。
できれば格納庫を二層式にしたかったようですが、これも断念され、工期優先のため簡略化が徹底されました。
それに水を指してきたのが、ドイツ最新式のワグナー式ボイラーと電気推進系統のターボエレクトリック2基2軸という構造でした。

このワグナー式ボイラーは当時のドイツでも試験的な要素が強く、同ボイラーが搭載された戦艦である【グナイゼナウ、シャルンホルスト】でも故障が発生していたようです。
ドイツでも手を焼いた代物を、エンジンなどの機器類の技術が欧米に比べて劣っていた日本がまともに扱えるわけもありません。
やはり故障に次ぐ故障で、公試はやる度に中止となりました。
さらに日本は電気推進式基軸を自前で扱うことができず、これもまた整備に影を落とした要因となります。

試験を無視して引き渡した例は多少ありますが、これらはすべて動きました。
しかし動かない船を引き渡すわけにはいきません。

結局引き渡し後、ワグナー式ボイラーをロ号艦本式ボイラーへと換装する再改装が行われました。
この換装工事と再公試に時間を要したため、編成に合流できたのは昭和19年/1944年6月と、昭和18年/1943年12月の竣工から半年も経っていました。

昭和19年/1944年5月 あ号作戦直前の対空兵装
高角砲40口径12.7cm連装高角砲 4基8門
機 銃25mm三連装機銃 10基30挺
電 探21号対空電探 1基

出典:[海軍艦艇史]3 航空母艦 水上機母艦 水雷・潜水母艦 著:福井静夫 KKベストセラーズ 1982年

【神鷹】は他の商船改装空母と同じく船団護衛を任され、輸送とともに対潜哨戒隊である第九三一海軍航空隊を要してシンガポール方面の輸送船団である「ヒ船団」の護衛を務めました。

しかし日本の暗号はどんどん解読されやすくなっており、編入からたった半年足らずの11月17日、「ヒ81船団」の護衛中に【米バラオ級潜水艦 スペードフィッシュ】の4発の魚雷に襲われます。
この船団は道中ですでに【あきつ丸】【摩耶山丸】の2隻を失っており、完全に狙い撃ちされました。
【神鷹】は大量のガソリンに引火して大爆発、30分後に沈没した【神鷹】の生存者は1,160人中たった60人でした。

余談ですが、この【シャルンホルスト】と、ほぼ同型艦で建造された【グナイゼナウ、ポツダム】の3隻の東洋航路で活躍した商船、実は「大鷹型」とある関係を持っています。
(商船の【グナイゼナウ、シャルンホルスト】と戦艦の【グナイゼナウ、シャルンホルスト】はもちろん別艦です。)
このドイツの3隻の商船は非常に大型で豪華な客船で、日本郵船はこの3隻に見劣りしない商船を用意する必要がありました。

当時の日本郵船の保有する船は全体的に老朽化が進んでおり、さらに東洋航路は「命令航路」と呼ばれ、絶対に維持しなければならない航路の一つでした。
加えて「優秀船舶建造助成施設」という制度が登場したことから、日本郵船は意を決して3隻の商船の建造に踏み切ります。
「新田丸級貨客船」、そう、のちの「大鷹型」です。
「新田丸級」【シャルンホルスト】に勝るとも劣らない船を建造するために、【シャルンホルスト】を徹底的に調査しています。
なので、構造や内装はもちろん異なりますが、外観やスペックを見比べると、なるほど【シャルンホルスト】と似ている点も多かったようです。
対抗して建造された商船が、後にともに改装空母として活躍するという因果がありました。

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