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第一次ソロモン海戦/サボ島海戦

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第一次ソロモン海戦サボ島海戦
大日本帝国連合国
第八艦隊(司令長官:三川軍一中将)南方部隊
 旗艦:重巡洋艦【鳥海】(指揮官:ヴィクター・A・C・クラッチレー少将)
・第六戦隊(司令官:五藤在知少将) 重巡洋艦【シカゴ】
 重巡洋艦【青葉】 重巡洋艦【オーストラリア】(豪)
 重巡洋艦【古鷹】 重巡洋艦【キャンベラ】(豪)
 重巡洋艦【衣笠】 駆逐艦【パターソン】
 重巡洋艦【加古】 駆逐艦【バークレー】
・第十八戦隊(司令官:松山光治少将)北方部隊
 軽巡洋艦【天龍】(指揮官:フレデリック・F・リーフコール大佐)
 軽巡洋艦【夕張】 重巡洋艦【ヴィンセンス】
 駆逐艦【夕凪】 重巡洋艦【クインシー】
  重巡洋艦【アストリア】
  駆逐艦【ヘルム】
  駆逐艦【ウィルソン】
 東方部隊
 (指揮官:ノーマン・スコット少将)
  軽巡洋艦【サン・ジュアン】
  軽巡洋艦【ホバート】(豪)
  駆逐艦【モンセン】
  駆逐艦【ブキャナン】
 哨戒隊
  駆逐艦【ラルフ・タルボット】
  駆逐艦【ブルー】
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半年の死闘の火蓋 大殊勲と五十六の怒り

開戦後の快進撃によって、日本は喉から手が出るほど欲しかった燃料や資源が産出される、インドネシアや南方諸島の確保を次々と成し遂げた。
特にマレー作戦においてイギリスの要塞であったシンガポールを早期に陥落させた成果は絶大で、イギリスの同戦域における存在感は霧散した。

しかし予想を上回る占領速度は帝国軍を惑わせた。
このままでは、どこへでもいけてしまう、いけると思ってしまう。
陸軍はもともとの戦場、目標である中国とインド制圧に注力を、海軍は米豪の関係を断ち切るためにこのままオーストラリアを潰すという、正反対の方向に壮大な野望を抱いていた。
当然ながらオーストラリアを潰すには、最終的には陸軍の上陸と制圧が不可欠となる。
しかし中国を主戦場とする陸軍が、そこを捨てて中国に引けを取らない広大さを誇るオーストラリアへ軍を移すことなど許されなかった。
結局海軍はオーストラリアを孤立させる「米豪遮断作戦」を最終目標とすることで双方合意をした。
海軍はこれに伴い、「MO作戦」「MI作戦、AL作戦」「FS作戦」という3段階の戦略作戦を立案する。

・「MO作戦」=ポート・モレスビー攻略作戦
・「MI作戦、AL作戦」=ミッドウェー、アリューシャン作戦
・「FS作戦」=フィジー、サモア、ニューカレドニア攻略作戦

しかし「MO作戦」は「珊瑚海海戦」で延期、続く「MI作戦」は「ミッドウェー海戦」での大敗によって頓挫、続く「FS作戦」も最終的には中止となった。
広げすぎた風呂敷の無謀さが敗北という形で露呈してしまい、海軍は急ぎ方針転換を迫られる。
この時、5月に制圧していたツラギ島からの報告で、すぐ南にあるガダルカナル島には飛行場建設に適した土地があるとの情報が入った。
この段階で大きな飛行場はラバウルにしかなく、連合軍への睨みを利かすためには最前線に近い場所への飛行場建設が必要だった。
7月からその飛行場の建設が始まる。
その名をルンガ飛行場と言った。
その飛行場は後に別の名を名乗り、歴史に多く現れる。

「FS作戦」は中止になったものの、ポート・モレスビーの攻略とポート・ダーウィンの壊滅は戦況維持とオーストラリア孤立化のためにも欠かせなかった。
日本は再度ポート・モレスビー攻略に向けて準備を進める一方で、ルンガ飛行場とガダルカナル島の北にあるツラギ島の水上機運用基地の整備を進める。
ここに焦点を当てたのが、反攻の機会を得た連合軍であった。

8月5日、ルンガ飛行場の第1期工事が終了した。
16日には【零式艦上戦闘機】一個分隊が配備される予定だった。

遡って7月2日、連合軍は「ウォッチタワー作戦」を発動し、日本への反攻方針を定めてそれに基づいた攻略作戦を立てていく。
その最初のターゲットとなったのが、建設が始まったという情報を得たルンガ飛行場であった。
日本がここに飛行場を建設する意図は明白だった。
そしてそれを許してしまえば、巨大な陸上空母1隻が我々の進撃を阻む恐ろしい存在となることもわかっていた。

連合軍はサンタクルーズ諸島、ツラギ島奪還のために、賢しくこの飛行場を完成したその瞬間に奪い去ることを計画した。
連合軍はフィジー諸島に空母3隻を主幹とする大規模な機動部隊を送り込み、守備の手薄なガダルカナル島に奇襲を仕掛ける。
日時は8月7日、飛行場が完成したわずか3日後であった。
実はガダルカナル島の制圧は初期作戦には含まれていなかったが、日本の飛行場建設を確認後に追加された。
そして決行日が8月1日から7日へと変更されたのである。

夜明け前、連合軍が一気にガダルカナル島とツラギ島へ雪崩れ込む。
現地には飛行場建設と最小限の防衛に必要な人員しかいなかったため、人数も少ない上に兵員でないものもいた。
ツラギ島では決死の抵抗の末に3名を除いた全ての守備隊が戦死した。
ガダルカナル島は抵抗しようにも武器も乏しく兵力差も歴然だったため、結局何もかもを残して撤退してしまう。
完全に奇襲は成功し、アメリカは戦況打開の足がかりとなるルンガ飛行場を無事無傷で手に入れることができた。
ルンガ飛行場は、名を「ヘンダーソン飛行場」と改めた。
日本の刀の切っ先は敵の手によって日本へと向けられることになった。

眠気も吹き飛ぶ凶報を受けて、同海域を担当していた第八艦隊は第二十五航戦、第四航空隊で敵を倒し、その後海軍陸戦隊の上陸によって同島を再奪還しようと考えていた。
しかしラバウルからルンガまでは相当な距離があるため、燃料切れや被弾による不時着水をするケースが増えることをが想定された。
そのため乗員回収用に【秋津洲】【二式飛行艇】が一緒に派遣されることになった。

先に航空戦の顛末を記載する。
8月7日11時過ぎ、すぐさま日本の【一式陸上攻撃機】【零戦】が連合軍に攻撃を仕掛けるが、長距離飛行の疲労に加えて待ち構えていた60機の戦闘機との戦いは非常に苦しかった。
2日に渡り計3波の攻撃を行ったが、最重要標的であった空母は見つけられず、駆逐艦2隻を大破、航空機20機程度を撃墜させた。
しかし損害は大きく、特に2日目の攻撃では23機中18機の【一式陸攻】が撃墜されている。

ただ、この即時反撃は「ミッドウェー海戦」に引き続き機動部隊を率いていたフランク・J・フレッチャー少将を追い込んだ。
彼は「ミッドウェー海戦」がアメリカの実力だけで掴んだ勝利だとは到底思っていない。
死に物狂いの決断と、偶然と幸運の重なりがアメリカに傾いた末の結果であった。
それを彼は知っていた。
すでに航空戦によって航空機を失っている中で、空母による本格的な攻撃を受けると数少ない空母を更に失う危険性もある。
彼は間髪おかずの反撃が想定されるこの上陸作戦に消極的で、上陸開始から2日で撤退することを通告していた。
そして我々はまだ敵空母の所在をつかめていないのである。

これは、「ミッドウェー海戦」で日本が陥った状況に類似している。
ミッドウェー島に攻撃を仕掛けるも思わぬ反撃を受け、さらに自軍空母は連合軍の知る所となったがアメリカ空母の姿は全く見当たらない。

最終的にフレッチャー少将は南太平洋海軍部隊からの返答を待たずに、撤退の報告と同時に空母を引き揚げてしまった。
この判断は第八艦隊を大いに助けることになる

一方の第八艦隊であるが、第八艦隊はまだ結成されて1ヶ月も経っていない上に、旗艦の【鳥海】を除くと「古鷹型、青葉型」2隻ずつという旧式の重巡だけであった。
加えてまだ訓練もまともにできていなかった。
この不安要素に加えて、血気盛んな人物の登場がより事態を困惑させた。
ラバウルに滞在していた【天龍、夕張】の所属する第十八戦隊参謀の篠原多磨夫中佐である。

彼はこの戦いに是非【天龍、夕張】、そして【夕凪】を参加させてほしいと直談判した。
先の重巡よりも更に旧式のこの3隻は戦闘に支障をきたすとされて作戦から外されていた。
しかし彼はこの一大事でも戦力としてみなされない旧式艦の悔しさを晴らしたかったのだろう。
司令長官の三川軍一中将はついに彼の熱意に負け、3隻の動向が認められた。
ただ、戦力としてみなされていない事実は変わらない。
本来水雷戦隊は艦隊の前方に位置するのだが、3隻はともに後方に回された。

急遽3隻の増援を得た第八艦隊であったが、文字通り足手まといになってしまう艦がいた。
【夕張】である。
【夕張】は3軸のうち1つのスクリューが故障しており、最大速度が30ノットにまで落ちていた。
当初は36ノットという高速でツラギ敵陣に切り込むつもりであったが、これでは速度を落とさざるを得なかった。

このような状況での戦いは、長引けば長引くほど不利であると判断した神重徳参謀は、この作戦の指針を「一撃離脱」と定めた。
単縦陣で一気に突撃し、第一目標を輸送船団と定め、敵艦隊及び空母が反撃をしてくる前に戦場を離脱するというものであった。
寄せ集め艦隊に加えて航空支援なし、急遽参加の3隻には無線電話もなし、敵の戦力もまともにつかめていないという、大本営ですら躊躇する危険な作戦であったが、初動の速さが最も重要だったこの作戦は、ガダルカナル島に連合軍が上陸してから半日と経っていない午後2時30分にラバウルを出発することで開始された。

出撃間もなく、第八艦隊はラバウルを空襲した航空隊によって発見されてしまう。
翌8日も数回に渡り第八艦隊は敵に発見され、散発的ではあるが空襲も受けた。
水上偵察機は【加古】搭載の1機が未帰還となったが、空母が近海に存在しない可能性が高いという有力な情報を得ることができた。
第八艦隊はブーゲンビル水道を南東に進む。

午後3時20分頃、第八艦隊は1隻の正体不明の艦艇と遭遇した。
異様な迷彩を施したその艦の正体は、航空隊の乗員救助のために派遣されていた【秋津洲】であった。
1隻とはいえ緊張感が走った第八艦隊は胸をなでおろし、【秋津洲】も大艦隊による撃沈を覚悟したという。
双方は午後4時30分頃にすれ違った。

日没が近づき、艦隊は方針を再確認する。
単縦陣突入、一撃離脱、反転攻撃一切なし、速度は26ノット維持、各艦距離1,200m維持。

帝国海軍伝統の夜戦に、乗員は興奮していた。

闇夜を進む第八艦隊に、午後10時43分、ついに右舷に敵の姿が映った。
【米バッグレイ級駆逐艦 ブルー】である。
直後に左舷にも【米バッグレイ級駆逐艦 ラルフ・タルボット】が現れたが、双方第八艦隊に気づくことはなかった。
他にも周辺には駆逐艦が存在したが、レーダーがまだ正確ではなかったり、飛行機を味方と勘違いしたり、艦艇発見の報告はしても応答がなかったりと、次々に第八艦隊の存在を見逃した。

この時、連合軍は日本が探している輸送船団からの揚陸に手こずっていた。
さらに航空機による第八艦隊の報告を受けた結果、彼らは第八艦隊の行き先を他の場所だと判断しており、まさかガダルカナルやツラギに突入するとは思っていなかった。
万が一やってきても警戒隊による迎撃ができると考えていたのだ。

しかしやってくるわけがないという決定は報告を受けたものの判断を鈍らせる。
やってこない、やってくると困るのだから、やってくる報告を受けても間違いだと判断する、これは「ミッドウェー海戦」で日本も犯した致命的な過ちだった。
揚陸に重きをおいていた連合軍は、第八艦隊に対して艦隊を派遣することはなく、あくまで攻撃が来たらやり返すというスタンスを貫いた。

午後11時30分、サボ島南方にやってきた第八艦隊は、左舷に【米バッグレイ級駆逐艦 ジャービス】を発見する。
【ジャービス】【一式陸攻】の攻撃によって大破しており、【鳥海】【古鷹】が4本ずつ魚雷を発射。
残念ながら魚雷は全て命中することはなかったが、【ジャービス】は翌日に空襲によって沈没している。
この時は砲撃をしていなかったため、【ジャービス】も第八艦隊には気づかなかった。

間もなく目標としていた右舷に続々と艦影を認めた。
午後11時43分、【鳥海】から発艦した水偵が吊光弾を落とす。
敵影が白日の下にさらされ、三川中将は攻撃開始を叫ぶ。
この時の【鳥海】の距離と連合軍先頭の【豪ケント級重巡洋艦 キャンベラ】との距離はわずか3,700mだったという。
【鳥海】の4本の魚雷が静かに海面に飛び込み、【キャンベラ】を食いちぎらんと猛進していった。

同時に後方の4隻の重巡からも次々と魚雷と砲弾が放たれた。
この時の敵艦は【キャンベラ】【米ノーザンプトン級重巡洋艦 シカゴ】【米バッグレイ級駆逐艦 バッグレイ、パターソン】の4隻であった。
奇襲に最も早く気づいた【パターソン】から警報が発せられたが、【パターソン】にはすでに20.3cm砲弾が降り注いでいた。
主砲だけではない、高角砲も、機銃も、全てが敵艦へ向けられた。
照明弾を打ち上げて反撃をしようとしたが、【天龍】の探照灯を浴びた【パターソン】は数発の命中弾を受けて命からがら離脱した。
【夕張】が1発砲撃を受けたが、問題はなかった。

至近距離で魚雷を発射された【キャンベラ】は、ほとんど各艦に命令を下す間もなく2本の魚雷を受けて大きな水柱を上げた。
初手で致命傷を受けた【キャンベラ】はその後28発もの砲撃を浴び、数分足らずで大炎上した。
今回の日本の「停滞せずにとにかく突き進むという」という方針があったためにその場でとどめは刺されなかったが、【キャンベラ】は翌日に雷撃処分されている。

【シカゴ】もまた魚雷を1発左舷に受け、【キャンベラ】と同じように砲弾の嵐に見舞われた。
もう1発受けた魚雷は不発であったが、徹底的な攻撃を受けた【シカゴ】は浸水を抑えながらスコールの中に辛くも逃げ込んだ。
スコールから脱出した【シカゴ】の艦橋は、上半分がぐちゃぐちゃに破壊されていた。

まるで猛烈なハリケーンのように、連合軍南方部隊を迅速に攻撃して戦場を後にした第八艦隊。
海戦はわずか6分、被弾があったのは【天龍】【夕張】のみだった。
しかしこの時【夕凪】の電源故障により航路がずれ、他の艦とはぐれて1隻だけサボ島西岸を通過してしまう。
また【古鷹】も被弾して舵が取れなくなった【キャンベラ】との衝突を避けるために航路を変更し、その後ろを追っていた【天龍、夕張】【古鷹】に続いた。
これにより第八艦隊は単縦陣から距離の離れた複縦陣のような形でサボ島の東へ回り込むことになる。

【キャンベラ】に魚雷を直撃させた時、【鳥海】は同時にサボ島東岸に位置している北方部隊の存在を確認した。
南方部隊の撃滅に成功したが、戦いはまだ終わっていない。
【鳥海】は引き続き北方部隊への警戒を怠らないように各艦に伝え、すぐさま第二次攻撃が始まった。

この時北方部隊は南方部隊ほどの油断はしていなかったが、しかし闇夜の砲撃と通信がまったくないことから、状況が掴めずにいた。
恐らく輸送船団を狙った日本の駆逐艦を予定通り迎撃しているのだろう、という程度であった。
【米ニューオーリンズ級重巡洋艦 ヴィンセンス】の艦長フレデリック・F・リーフコール大佐は仮眠中だったが見張員に起こされて事態を知る。
そしてこちらでは状況が把握できないことから、南方部隊の【豪ケント級重巡洋艦 オーストラリア】に対して連絡をとろうと考えた。
(この時【オーストラリア】は打ち合わせのためにガダルカナル島にいたため、たとえ連絡が取れても戦況は把握できていなかった。)
その瞬間、目をくらます光が【ヴィンセンス】へ向けられた。
【鳥海】からの探照灯である。
まだ事態が飲み込めていない北方部隊は、乱戦により味方が誤って探照灯を向けたと考えた。
そこで通信と信号旗で味方であることを伝えたのだが、それが敵に対してでは何の意味があろうか。

まだ【鳥海】【キャンベラ】に対して魚雷を放ってから10分と経っていない。
【鳥海】の20.3cm連装砲は一番近くにいた【米ニューオーリンズ級重巡洋艦 アストリア】へ向けて距離5,000mという至近距離で放たれた。
後続もそれに続き、連合軍はまたも激しい集中砲火を受ける。
しかしここに至ってもまだこれが味方の誤射の可能性があると考え、【アストリア】の砲撃は二斉射で終わってしまった。
【鳥海】の一番砲塔がその直撃を受けて停止してしまったが、反撃のない【アストリア】に対して第八艦隊は容赦なく砲撃を続ける。
その結果、【アストリア】もこの海に墓標を立てることになった。

なおも第八艦隊の猛攻は続く。
【アストリア】を仕留めた【鳥海】は前方にいた【米ニューオーリンズ級重巡洋艦 クインシー】に狙いを定め、再度一斉攻撃を始める。
流石に敵だと判断した【クインシー】は速度を上げて逃走を図るが、やがて【鳥海】の砲弾が搭載している水上機に直撃して炎上した。
メラメラと燃える炎は夜戦でこれ以上ない目印となる。
そこへやってきたのが、二手に分かれてしまった【古鷹、天龍、夕張】だった。
これにより第八艦隊は北方部隊を左右から挟み撃ちにするという、最も理想的な形で敵を追い詰める。

【天龍、夕張】が放った魚雷のうち1発が【クインシー】の左舷に直撃した。
【クインシー】は最初に砲撃をしてきた【鳥海】に対して衝突覚悟の突撃と砲撃を行ったが、その前に【クインシー】の身体は動かなくなった。
底を尽きない砲弾の雨は、【クインシー】をも海底へと沈めた。

残るは【ヴィンセンス】のみ。
そして【ヴィンセンス】もまた、【クインシー】と全く同じ運命をたどることになる。
搭載機が炎上し、そこへ目掛けて左右から砲撃を浴びる。
【鳥海】の魚雷が3本、【夕張】の魚雷が1本直撃し、【ヴィンセンス】は停止。
その後転覆するまで砲弾が止むことはなかった。
日本は多少の被弾はあったが、いずれも軽症であった。

海戦は終結した。
結果は、重巡4隻と駆逐艦1隻撃沈、重巡1隻と駆逐艦1隻大破に対して【鳥海】小破のみという、文句のつけようがない大殊勲であった。
第八艦隊は矛を収め、隊列を整え始めた。
【夕凪】も合流するためにサボ島北側へやってきた。

と、そこへ突如現れたのが【ラルフ・タルボット】である。
【ラルフ・タルボット】の出現に対応できたのは、近くにいた【天龍、夕張】だった。
すぐさま砲撃を開始し、【ラルフ・タルボット】も魚雷を2隻に向けて発射した。
魚雷は命中することなく、14cm砲が次々と【ラルフ・タルボット】の船体を痛めつけた。
傾斜20度、操舵装置破壊という致命傷を受けながらも、幸運にもやってきたスコールに紛れることで、辛くも【ラルフ・タルボット】は沈没を免れた。
追撃は目的を外れるため、【天龍、夕張】は追わずに隊列へと戻っていった。

午前0時30分頃、各艦合流が完了したが、【鳥海】では判断に迷いが生じた。
戦果はあげた、誰にどのような文句をつけられることもない、後世に語り告げる偉大な勝利であることは間違いない。
しかし今回の遠征の大目標はなにか、輸送船団の撃滅である。

実は北方部隊攻撃も落ち着いてきた頃、【衣笠】がツラギ沖にいる輸送船団に向けて魚雷を発射している。
しかし約30km離れているツラギ島である、命中はなく、輸送船団は全くの無傷の状態であった。

輸送船団を襲うには反転することになる、しかし反転は予定にない、なぜなら空襲の危険から一刻も早く逃れる必要があるからだ。
サボ島周辺での戦闘は計算にはあったが、サボ島を周回することは計算外だった。
幸い艦隊はほぼ無傷、輸送船団の護衛がどれほどあるかはわからないが、この数で攻めれば確実に成果はある。
より成果を上げるか、無駄に傷を広げることを避けるか。

結局、【鳥海】早川幹夫艦長の再突入案は参謀に却下され、退却が決定した。
早川大佐【鳥海】1隻でもやる、嫌なら他の艦に移っていただきたい」とまで進言したが、【鳥海】の菊の御紋がツラギへ向くことはなかった。
この消極性を神は嫌ったのか、むしろこの決断があったからこそ、被害が【加古】1隻のみで食い止められたのか、それは誰にもわからない。

午前8時過ぎ、敵制空権を脱した第八艦隊は隊列を解き、各々が決められた泊地などへと離散していった。
翌10日の朝、第六戦隊の「古鷹型、青葉型」4隻はカビエンへ向けて航行していた。
味方の制空権にも入ったし、【青葉】の水偵も対潜哨戒をしてくれている。
大勝利の気の緩みは、潜水艦の雷撃を見事に手助けした。
速度の低下と之字運動の取りやめ、【米S級潜水艦 S-44】の魚雷は【加古】の右舷に向けて絶好のポジションから放たれた。

見張員が雷跡を発見した時はもう遅かった。
3発の魚雷が艦尾、中央、艦首と見事に命中し、【加古】は抗う間もなく右舷に傾きはじめた。
そしてたった5分後には沈没してしまう。
この海戦で最も攻撃を受けてから沈むまでの時間が短い船となった。
被雷直後の対応が迅速であったことから、死者は67名と少なかった。
しかし、なんとも後味の悪い海戦となったことは間違いなかった。

後味どころか苦虫を噛み潰したような顔でこの経過報告を聞いている人物がいる。
山本五十六連合艦隊司令長官である。
彼の怒りは輸送船団の攻撃をしなかったことに尽きる。
結果的に連合軍は「第一次ソロモン海戦」の勃発を受けて揚陸を途中で切り上げたため、揚陸の阻害には間接的に成功した。
しかしそれはやはり結果論であり、直接的に破壊をして敵の奇襲の価値を貶め、揚陸、奪還困難という印象と日本の再突入の準備を整える必要があった。
「ミッドウェー海戦」で大敗を喫しているところに加え、それをふいにした第八艦隊の対応に怒りがあるのは当然だろう。

反論として、大西新藏第八艦隊参謀が、「もし輸送船団を砲撃した結果、機動部隊に襲われて大損害を負っていても、なぜ戻らなかったのかと同じような批判を受けるだろう」と述べている。
しかし30ノット=約55kmであるから、30km強のツラギ島には1時間もかからずに砲撃位置まで移動できる。
砲撃に30分、1時間で戻ってきたとしても2時間半、つまり遅くても3時には同位置に戻ってこれる。
第八艦隊は夜が明ける前に敵攻撃圏内から脱していることを考えると、やはり消極的な決断だったのではないか。

だが、この山本長官の意図が果たして「輸送船を潰す、守るなんて軍艦のすることではない」という考え方が根強かった中で、どこまで伝わっていたのかと言うとそこもまた疑問である。
最後の最後でお互い詰めが甘いことが露呈した海軍だった。

反省点としては、他にも探照灯の危険性があった。
【鳥海】は軽症とはいえ多くの被弾があり死傷者も多かった。
【天龍】はその探照灯が狙い撃ちされて破壊されている。
先頭艦がボロボロになる中で随伴艦が攻撃をするという囮作戦は、犠牲を強いる戦いである。
特に旗艦が先頭の場合には艦隊司令部が座乗しているケースが多く、その後も【新月】【神通】が司令部とともに撃沈されている。
そして【神通】と第二水雷戦隊司令部の消滅まで、つまりここから約1年後まで探照灯を使った夜戦戦法は続けられるのである。

ともかく、戦術的勝利を収めたものの、根本的な目的が果たせなかった日本は、ついに連合軍のガダルカナル島の本格上陸を許し、そしてヘンダーソン飛行場が日本を昼夜問わず苦しめるようになるのである。

    日本の圧勝も、目的完遂されず

    両者損害

    大日本帝国連合国
    沈 没
    【加古】【キャンベラ】
     【ヴィンセンス】
     【クインシー】
     【アストリア】
     【ジャービス】
    大 破
    【シカゴ】
     【ラルフ・タルボット】
    中 破
     【パターソン】
    小 破
    【鳥海】 
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