コテージ作戦 |
トーマス・C・キンケイド中将はアダック島からの補給を終えて7月30日に再びキスカ島へやってきた。
輸送艦隊は壊滅させたし、あとは我々がキスカ島を封鎖しておけば、間もなく陸軍が上陸する。
作戦名は「コテージ作戦」、上陸は8月15日とされた。
アメリカ軍は拙速を禁じ、万全の体制で上陸を行おうとした。
「アッツ島の戦い」で経験した、日本軍の想像を遥かに超える抗戦の構え。
うかつに刺激をしてはならない、窮鼠猫を噛むという。
圧倒的な戦力で確実に制圧するというのが今回の目標であった。
そのために用意されたのは約100隻の艦艇と、34,426人という膨大な人数の兵士たちだった。
アメリカは南側、東側から艦砲射撃を続けていた。
しかしこれは陽動で、計画では8月15日は北側から奇襲上陸、そして翌日には西側に上陸する予定だった。
アメリカは引き続き哨戒機で偵察を続けていた。
小屋からは煙が出ているし、夜には明かりもついている、何やら動いているものもある、時々砲火のような爆発音も聞こえる。
彼らは未だ日本軍が抗戦の構えを見せていると思いこんでいた。
もちろんこれは日本の偽装工作である。
動いているものというのは狐ではないかと言われているが、このほかは全て時限装置などを活用して人間が残っているように見せかけていた。
その他霧などで錯覚を起こしたり、空襲後の煙の中から機銃音が聞こえたというのも恐らく反響だろう。
アメリカは全く疑う余地を持っていなかった。
不明瞭な情報がある場合、有利な立場であれば情報を良く解釈するし、不利な立場であれば情報を悪く解釈するものである。
事実、「電信室から電波が出ていない、対空砲の反撃がほとんどない、トラックがキスカ湾に集まっている」など、疑問は報告されている。
写真分析班もその疑問を投げかけていたが、それでもアメリカは日本軍が今は潜んで待ち伏せをしているのであると確信していた。
アメリカは日本の戦意を削ぐために、ご丁寧に冒頭のビラまでバラまいた。
もちろん受け取るものなどいない。
もし誰か一人でもいたら、電信室から日本に向けて間違いなく入電があり、そして本土では大笑いが起こったことであろう。
上陸の前にもアメリカは数度に渡って大規模な艦砲射撃を行い、そして8月15日、コテージ作戦は開始された。
キスカ島北部には舟艇と兵士が続々と到着し、上陸を開始。
この上陸には、戦後に日本人に帰化して、日本文学者として大いに活躍されたドナルド・キーンも参加していて、しかも彼は上陸の際の先頭に立たされている。
無事上陸をしたが、アメリカは逆に全く日本軍からの攻撃がないことに不気味さを感じていた。
どこからも砲撃がない、銃撃がない。
どこにいる、これだけの人数で上陸して怖気づいたのか。
いや、相手は日本人だ、絶対に奇襲を仕掛けてくるに違いない。
疑心暗鬼は目をくらます。
やがてどこかで兵士が謎の銃撃を受けた。
銃撃だ!日本兵がいるぞ!
こうなると自分のすぐ近くにいる人間以外は全て敵に見える。
これだけの人数が上陸しているのだから、見えないところで先に進んでいる隊もいるだろう。
その隊の姿が見えた時に、日本兵だと勘違いして同士討ちが始まったのだ。
その場その場では激しい銃撃戦とはならないが、そこかしこで同士討ちが始まるものだから進軍速度は非常に遅かった。
そして同士討ちはより一層恐怖を助長した。
同士討ちは怖いが、もし本当に日本兵だった場合は殺される。
撃たないと殺される。
この緊張感がより精神を苛んだ。
見つけた地下の司令部の壁には、英語で「お前たちはルーズベルトの馬鹿げた命令に踊らされている」と書かれていた。
日本はここがアメリカに見つけられることを見越しているようだ。
これからもこのような言葉や罠があるかもしれない。
アメリカは日本の6倍もの兵力を投入しているのにもかかわらず、上陸してから1人の日本人も見つけることができていなかった。
続いてドナルド・キーンは日本語で書かれた看板があるということで、そこへ連れて行かれた。
ここには何と書いてあるか。
「ペスト患者収容所」
ペストとは、ひどい風邪のような症状で、寒気、けだるさ、高熱を引き起こす感染症である。
その後リンパ節が腫れたり、腫瘍が大きくなったりする。
14世紀にヨーロッパで大流行し、世界の人口を1億人減らした黒死病はこのペスト菌を原因とする敗血症のことである。
その言葉を聞いた瞬間、アメリカ軍はパニックに陥った。
ペストは感染症で、当時はまだ致死率も非常に高かった。
そして収容所は開け放たれているため、ウイルスが霧散してしまう。
逃げ出した者もすでにペストウイルスを持っているかもしれない。
パニックになるのも当然である。
アメリカは急遽本国にペスト菌のワクチンを要請し、収容所に入った者たちも隔離されたり、本国へ送り返されたりした。
収容所に入った者たちは斑点が出ないか、皮膚が黒くならないか、気が気でならなかった。
これも日本の軍医が仕掛けた罠というかいたずらであった。
もちろんこの看板も真っ赤な嘘である。
18日、【フレッチャー級駆逐艦 アブナー・リード】が突如衝撃を受けた。
機雷に触雷したのである。
これにより死者・行方不明者が70人発生している。
依然として、日本兵を補足していない。
そして日本の兵舎を確認して確信した。
日本軍は、誰もいない。
この島に日本兵は、一人として残っていない。
我々は15日からずっと騙され続けていたのだ、と。
4日間の上陸作戦は幕を閉じた。
日本兵の損害はゼロ、アメリカ兵は戦死者122名、行方不明191名、駆逐艦1隻大破の被害を出している。
これらのうち70名が【アブナー・リード】の被害だとしても、243名の死者・行方不明者を出しているのである。
これら全てが同士討ちであると考えると、いかに見えない敵と戦うのが恐ろしいかがよくわかる。
戦史研究家のサミュエル・E・モリソンはこの「コテージ作戦」を「史上最大の最も実践的な上陸演習」だと皮肉っている。
演習でこれだけの戦死者を出すなど前代未聞であろう。
こうして太平洋戦争における北方諸島での戦闘は終結した。
両者損害
大日本帝国 | 連合国 |
喪 失・損 傷 |
犬 数頭 | 上陸後の同士討ち・混乱 |