エンガノ岬沖海戦 | 大日本帝国軍 主要兵器

エンガノ岬沖海戦

1944年

捷一号作戦/エンガノ岬沖海戦

レイテ沖海戦 捷一号作戦 エンガノ岬沖海戦 戦闘参加戦力 大日本帝国 連合国 機動部隊(司令長官:小沢治三郎中将) 第38任務部隊 ・第三航空戦隊 (指揮官:マーク・A・ミッチャー中将)  航空母艦【瑞鶴】 ・第1群  航空母艦【瑞鳳】  ...
1944年

捷一号作戦/レイテ沖海戦

捷一号作戦 レイテ沖海戦 両者損害(海戦に関連性のある被害含む) 大日本帝国 連合国 沈 没 【愛宕】(パ) 【ガンビア・ベイ】(サ) 【摩耶】(パ) 【セント・ロー】(サ) 【武蔵】(シ) 【ジョンストン】(サ) 【扶桑】(ス) 【ホーエ...
駆逐艦

初月【秋月型駆逐艦 四番艦】

第三艦隊に所属した【初月】は、竣工後3月までは本州周辺の警戒にあたっていました。 竣工後、横須賀配属になったために回航しているところ、【米潜水艦 ハダック】を発見するものの、撃退することはできずに取り逃がしています。 【涼月】とともに第六一駆逐隊を編成した【初月】は、3月21日に第二航空戦隊【飛鷹・隼鷹】らを護衛してトラック島へ出発します。
駆逐艦

秋月【秋月型駆逐艦 一番艦】

マル4計画では「甲型駆逐艦」である「陽炎型・夕雲型」、「丙型駆逐艦」である【島風】の建造が決定されましたが、もう1つ、両者とは全く役割の異なる駆逐艦の建造も計画されました。 それが「乙型駆逐艦・秋月型」です。 「秋月型」は「防空駆逐艦」とも呼ばれ、敵艦隊への攻撃が求められたこれまでの駆逐艦や「甲・丙型」と違い、空中を飛び回りながら攻撃を仕掛けてくる航空機から艦隊を守るために計画されました。
軽巡洋艦

五十鈴【長良型軽巡洋艦 二番艦】

【五十鈴】は「長良型」の中でもなかなか異彩を放つ存在です。 ひとつは、高速の軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦を期待された【五十鈴】からは、戦時中の功績が大きく、後世に名を残している艦長が多数輩出されているからです。 連合艦隊司令長官として名高い山本五十六元帥海軍大将(当時大佐)、「真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦」で【蒼龍・飛龍】が所属する第二航空戦隊の司令官を務めた山口多聞中将
軽巡洋艦

多摩【球磨型軽巡洋艦 二番艦】

「球磨型」のニ番艦として登場した【多摩】は、【球磨】と同じく戦中は輸送任務や護衛・哨戒が多かったものの、【球磨】よりははるかに戦場に出る機会に恵まれた艦でした。 初陣は【球磨】と同じく「シベリア出兵」のための輸送で、この任務に就いたのは「天龍型」と【球磨・多摩】の4隻のみです。 「シベリア出兵」ということは第一次世界大戦直後ということですから、やはりベテラン艦であったことがわかります。
航空母艦

千代田【千歳型航空母艦 二番艦】
Chiyoda【Chiyoda-class aircraft carrier Second】

【千歳・千代田】はもともと水上機母艦兼高速給油艦として建造されていましたが、【祥鳳・瑞鳳・大鯨】とは違い、最終的な空母化というのは設計時には検討されていなかったという説が有力です。<br> ですが一方で飛行甲板の強度試験用に艦中央部には高いテーブル上の天蓋が設けられており、この2隻は少し珍しい形をしていました。
航空母艦

千歳【千歳型航空母艦 一番艦】
Chitose【Chitose-class aircraft carrier First】

【千歳、千代田】はもともと水上機母艦兼高速給油艦として建造されていましたが、【祥鳳、瑞鳳、大鯨】とは違い、最終的な空母化というのは設計時には検討されていなかったという説が有力です。 ですが一方で飛行甲板の強度試験用に艦中央部には高いテーブル上の天蓋が設けられており、この2隻は少し珍しい形をしていました。
航空母艦

瑞鳳【祥鳳(瑞鳳)型航空母艦】
Zuiho【Shoho-class aircraft carrier】

【瑞鳳】は元は【剣埼型高速給油艦 高崎】であり、「ワシントン海軍軍縮条約・ロンドン海軍軍縮会議」の空母保有制限の対策として建造されました。 空母自体は建造できませんが、空母に似たものを造ることはできたため、日本は3ヶ月ほどの時間があれば空母に改装できる船を建造することにしました。 その候補は【剣埼型高速給油艦 剣埼・高崎】
航空母艦

瑞鶴【翔鶴型航空母艦 二番艦】
Zuikaku【Shokaku-class aircraft carrier Second】

【瑞鶴】は、【翔鶴】と同じく日本の空母の完成形として建造された空母です。 「めでたい」という意味の「瑞」と、長寿の象徴である「鶴」を名に持つ【瑞鶴】は、その名の通り非常に幸運な艦でした。 通常、艦艇の建造は大掛かりゆえ、どうしても死傷者が発生してしまうものでした。 しかしこの【瑞鶴】は3年余りの工期の間、工期を短縮したにも関わらず、ただの一人も殉職者を出すことなく竣工しており、建造当初から幸運の片鱗がありました