広告

【松型駆逐艦 杉】その2
Sugi【Matsu-class destroyer】

記事内に広告が含まれています。
  1. いきなりレイテに突撃 命からがら多号作戦
  2. ミンドロ島へ向かえ 礼号作戦で最後の華を
広告

ミンドロ島へ向かえ 礼号作戦で最後の華を

9日にマニラまで命からがら逃げてきた【杉】達でしたが、戻ってみると第九次輸送部隊が間もなく出撃しよううというところでした。
自分たちが今逃げてきた場所に彼らは向かわなければなりません。
第九次輸送部隊の駆逐艦だと【卯月】【夕月】が沈没し、そしてこの輸送を最後に「多号作戦」は中止されました。
何故中止になったかというと、アメリカが新たにミンドロ島にも上陸してきたためです。

15日に上陸が始まりましたが、13日からその兆候を掴んだ日本は、作戦中止とともに艦船の完全撤退の準備に取り掛かります。
しかしアメリカの動きは早く、14日にマニラはまた空襲されてしまいます。
この空襲で【桃】が直撃弾2発を受けるという大きな被害を負いますが、それでも【桃】は沈まずに、翌日は他の船とともにマニラから逃げ出しました。
ですが【桃】はその後【米バラオ級潜水艦 ホークビル】の魚雷を受けて沈没しています。
それに比べると【杉】の被害は少なかったのですが、それでも至近弾でいくつかの装置が破壊され、戦死者も発生しています。

空襲を耐えた【杉】は、マニラに来たばかりだった【榧】【樫】とともにカムラン湾に向かいました。
ところがアメリカ軍のミンドロ島への上陸が始まると、日本は【杉、榧、樫】でミンドロ島サンホセへ突入、艦砲射撃による攻撃を計画します。
えらく無茶な話です、何しろ3隻とも無事にマニラを脱出したとはいえ無傷ではないのです。
【杉】は言うまでもなく、【榧】は至近弾による浸水と射撃指揮装置、転輪羅針儀が故障、【樫】はマニラ空襲での至近弾の影響か、給水ポンプが故障していた速度は21ノットが限界でした。

この頃の日本はフィリピンのどの島を守ってどの島を捨てるという判断が統一できておらず、海軍側はミンドロ島を捨てることはできないと考えていました。
なので特攻機も何度も散華していましたし、それでも輸送が続けられるため、何とかしろと南西方面艦隊は連合艦隊から尻を叩かれていたのです。
「松型」3隻の艦砲射撃は、敵の妨害がなければ輸送船相手なら何とかなるかもしれません。
しかし完全無防備で敵がこちらの攻撃を受けてくれるはずもないので、大変危険な作戦でした。

3隻はカムランに到着した翌日の17日には早くも出撃していきました。
ところが幸か不幸か台風の到来で天候は最悪。
とても怪我持ちの3隻が乗り切れる荒れ具合ではありませんでしたし、よしんば突破したところで疲労困憊の3隻にできることは何なのか。

結局第四十三駆逐隊司令(【杉】は第五十二駆逐隊ですが、この作戦の指揮権は旗艦【榧】の第四十三駆逐隊司令にありました)の菅間良吉大佐は、こんな状態で突っ込んでも無意味だと判断し、サンジャックへと進路を変更しました。
台風が過ぎてからもう一度出撃することにしますが、本人が肺浸潤の症状を訴えたために緊急入院となり司令が不在。
急遽【榧】艦長の岩淵悟郎少佐が指揮を引き継ぎました。
しかし南西方面艦隊も冷静になったのか、突撃するにしてももっとまともな戦力で、という判断になり【杉】らだけでの艦砲射撃はなくなりました。
3隻は22日にカムランに戻ってきます。

強化した部隊で今度こそ艦砲射撃で敵輸送を妨害するために、【足柄】【大淀】という大型艦と【霞】【朝霜】【清霜】が集められました。
ですが手負いの【杉、榧、樫】もこの作戦への参加が決められ、8隻で挺身部隊が編成されます。
部隊の集結までの時間と天候の問題により、挺身部隊は24日出撃の26日突入予定で作戦は決行されました。

24日、25日は不気味なぐらい何もありませんでした。
26日朝の偵察機からの報告を聞いても、敵の船は少ないというものだったので、作戦は全く障害なく進んでいました。

突入夕方になってようやく【杉】達は発見されます。
【B-24】が現れましたが、もう引き下がる距離でもないので、挺身部隊は意に介さず前進を続けます。
その後他の【B-25】が現れたときも攻撃は受けませんでした。
実際に日本軍の登場は寝耳に水で、攻撃は散発的なものになるのを覚悟でアメリカは急いで攻撃準備に入っています。

アメリカにとって唯一運が向いていたのは、嵐が過ぎて夜でも月明かりが眩しかったことです。
レーダーもありますが、これにより挺身部隊は夜間空襲を受けることになり、まずは【大淀】が被弾します。
ところがバタバタしての出撃が招いた失敗か、被弾した爆撃には信管が付いておらず、爆発することはありませんでした。

ですが爆撃しなくても貫通するだけで大ダメージを受けることはよくあります。
【清霜】が受けた爆弾も、爆発はしなかったのですが、運が悪いことに機械室付近に命中。
実は【大淀】の被弾も1発が缶室に侵入していて、これがそのまま缶も破壊していたら【大淀】【清霜】より悲惨な目に合っていた可能性もあります。

漏れ出た重油に火が回り、あっという間に火災が広がってしまいました。
機関部にも被害が及んだ【清霜】はやがて航行不能となりますが、ミンドロは目の前だったこともあり、【清霜】の救助は攻撃を終えて撤退時に行うと通達。
【杉】もこの空襲で機銃は重油タンクを貫通しており結構危険でした。[1-P186]

サンホセに到着した挺身部隊は一斉に攻撃開始。
ですが攻撃の最中も敵の空襲は止まず、【杉】は至近弾を浴びて13号対空電探も22号対水上電探も三式水中探信儀も故障し、戦中に開発された重要な装備が全部ダメになってしまいました。
他にも砲戦魚雷戦指揮装置を損傷し、蒸気の復水ポンプも故障して最大速度も24ノットにまで落ちてしまいました。[1-P195]

手痛いダメージを受けてしまった【杉】にこの後できることはほとんどありませんでしたが、仲間の砲撃により陸からは炎があちこちでは燃え上がりました。
この「礼号作戦」が日本にもたらした利益というのは本当に小さなもので、輸送船の被害も明確なものは1隻だけでしたが、とりあえず求められた戦果を上げて、挺身部隊は引き揚げていきました。
もちろん【清霜】の乗員救助も【霞】【朝霜】が行っています。

ただ挺進部隊には1つ大きな問題が残っていました。
「松型」3隻は航続距離が短い上に3隻とも怪我をおしての出撃であり、それに加えてこの作戦でも被害がありますから、空襲から逃げるための全速力が出せなかったのです。
他の船は「松型」を守ろうとすると速度を落とさざるを得ず、それだと空襲を受けてしまったら被害が拡大するので、決断が求められていました。

結局第二水雷戦隊司令官の木村昌福少将「松型」3隻を残して先にカムランへ戻るという選択を取り、【杉】達は急いでゆっくりその後を追いました。
ですが懸念されていた空襲はなく、3隻は逆に28日、【米ガトー級潜水艦 デイス】の雷撃を受けて沈没した【給糧艦 野埼】の救助を行っていて、分離したからこそ救われた命が多くあったのです。
3隻が到着した時の【野埼】の状態はよくわかりませんが、【野埼】は船団の一員として航海中でした。
救助を終えた【杉】らは1隻も欠けることなく翌日にカムランに戻っています。

昭和20年/1945年1月7日、3隻は高雄に到着しました。
【榧】だけ一足先に日本に戻りましたが、【杉】【樫】は高雄に留まって修理を行っていました。
ちなみに「礼号作戦」の成功で調子に乗ったのか、南西方面艦隊は8日に【杉、樫、梅】に対し、敵が上陸していたリンガエン湾に攻撃に向かえと、まだ懲りずに強引な手段を繰り出します(翌日撤回)。
ただ高雄での修理はあくまで一部で、電探などの精密機械の修理は行えなかったため、ここでできるだけのことをやった後は【樫】とともに日本に戻る予定でした。

ところが21日に高雄が空襲を受け、【杉】は数発の至近弾を受けてしまいます。
空襲が終わったら損傷艦は直ちに基隆へと離脱し、特に【樫】は高雄での被害が大きかったので、基隆で再び修理に入ります。
2月1日に【杉】【樫】は基隆を出撃し、その後「南号作戦」中のヒ88A船団と合流。
その後門司を経由して佐世保に帰っていきました。

久しぶりに日本で修理を受けた【杉】でしたが、もう【杉】に戦えるチャンスは残されていませんでした。
修理を終えた後呉に回航されるも、そこで再びドック入り。
そしてその間に「坊ノ岬沖海戦」があり、海軍の歴史はほぼ終幕となります。
あとは二水戦が消滅したことで、「回天」搭載艦を中心とした海上挺進部隊が編成されて大半の残存艦がここに編入されますが、別に何ができるでもなく、そのまま終戦となりました。
【杉】「回天」搭載艦の対象でしたが、どこまで工事が行われていたかはわかっていません。

終戦後、特別輸送艦として復員輸送に従事した【杉】は、その復員輸送を終えた後、賠償艦として中華民国に引き渡されることになりました。
名前は『恵陽』と改められ、第二の人生を中華民国で過ごすことになります。
ところが、『恵陽』は明らかに船体の状態がよくなく、輸送艦時代に撤去された武装が再び『恵陽』に施されることはありませんでした。

やがて中華民国では国民党と共産党の争いが激化し、『恵陽』は台湾へと離脱することになります。
しかしその途中で誤って座礁してしまった『恵陽』は、結局そのまま修理されることもなく廃艦となってしまいました。

1
2

参考資料(把握しているものに限る)

Wikipedia
[1]第二水雷戦隊突入す 著:木俣滋郎 光人社
[2]空母瑞鶴 日米機動部隊最後の戦い 著:神野正美 光人社

タイトルとURLをコピーしました