1941年真珠湾攻撃 真珠湾攻撃 真珠湾攻撃 戦闘参加戦力 大日本帝国 連合国 第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将) 太平洋艦隊 ・第一航空戦隊 (司令官:ハズバンド・キンメル大将) 航空母艦【赤城】 戦艦【カリフォルニア】 航空母艦【加賀】 戦艦【メ...1941年海 戦
駆逐艦谷風【陽炎型駆逐艦 十四番艦】 【谷風】は【浦風、磯風、浜風】とともに、戦争末期まで奮闘した第一七駆逐隊を構成。 第一水雷戦隊に所属していました。 戦争後期にその活躍が目立つ第一七駆逐隊の面々ですが、この【谷風】は戦争初期の時点で名を馳せる大立ち回りをやってのけています。 「真珠湾攻撃」の出撃部隊に組み込まれた第一七駆逐隊は、一水戦唯一の抜擢とあり、当初から期待がかけられていたことが伺えます。駆逐艦
駆逐艦浜風【陽炎型駆逐艦 十三番艦】 【浜風】は19隻いる「陽炎型」の中で、昭和19年/1944年まで1隻も欠くことなく活躍し続けた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と、様々な作戦に従事。駆逐艦
駆逐艦磯風【陽炎型駆逐艦 十二番艦】 【磯風】は「陽炎型」の中でも特に優秀な活躍を見せた第一七駆逐隊の一員です。 「真珠湾攻撃」の際には一水戦の中で第一七駆逐隊だけが機動部隊護衛に選ばれ、旗艦【阿武隈】と第一八駆逐隊の面々とともにハワイへ侵攻しています。 続いて「ラバウル攻略、ダーウィン空襲、ジャワ島攻略、セイロン沖海戦」と多くの作戦に参加。 日本の力量を見誤っていた連合国軍を蹴散らします。駆逐艦
駆逐艦浦風【陽炎型駆逐艦 十一番艦】 【浦風】は主力の「陽炎型」の中でもエリート集団となった第一七駆逐隊所属です。 【谷風・浜風・磯風】とともに編成し、第一水雷戦隊に所属していました。 太平洋戦争の号砲を鳴らした「真珠湾攻撃」に参加すると、続いて「ウェーク島の戦い」に合流。 これは先に侵攻していた【夕張・天龍】らが思いもよらぬ反撃を受け、結果【疾風・如月】が沈没するという予想外の事態に陥ったため、力で叩きのめすために二航戦を引っ張りだしたためです。駆逐艦
駆逐艦不知火【陽炎型駆逐艦 二番艦】 【不知火】は【霞、霰、陽炎】とともに第一八駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。 太平洋戦争開戦後は、火蓋を切った「真珠湾攻撃」をはじめ、「ラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦」に参加しました。 「ミッドウェー海戦」でも攻撃部隊の護衛として参加しましたが、結果はまさかの大惨敗。 引き返した後、第一八駆逐隊はキスカ島への輸送任務を任されました。駆逐艦
駆逐艦霰【朝潮型駆逐艦 十番艦】 起工日 昭和12年/1937年3月5日 進水日 昭和12年/1937年11月16日 竣工日 昭和14年/1939年4月15日 退役日(沈没) 昭和17年/1942年7月5日 キスカ島沖 建 造 舞鶴海軍工廠 基準排水量 1,961t 垂線間...駆逐艦
航空機/飛行艇九九式艦上爆撃機/愛知Aich D3A 昭和10年/1935年、日本は3隻目の正規空母【蒼龍】に搭載する爆撃機には全金属製の高性能爆撃機を検討していました。 しかし【蒼龍】は竣工が昭和12年/1937年末と、試作・改良・増産の流れから見ると残された時間はあまりありませんでした。 急場しのぎとして「九六式艦上爆撃機」(「九四式艦上爆撃機」の発動機を変更・空気抵抗の改良)を製造し始めますが、こちらは複葉機のため、時代の流れに乗りきれる存在ではありませんでした航空機/飛行艇
その他の艦船秋津洲【水上機母艦】 起工日 昭和15年/1940年10月29日 進水日 昭和16年/1941年7月25日 竣工日 昭和17年/1942年4月29日 退役日(沈没) 昭和19年/1944年9月24日 コロン湾 建 造 川崎造船所 基準排水量 4,650t 全 長...その他の艦船
重巡洋艦筑摩【利根型重巡洋艦 二番艦】Chikuma【Tone-class heavy cruiser Second】 「改鈴谷型重巡洋艦」とも言える「伊吹型重巡洋艦」の1番艦【伊吹】の建造が始まるのですが、戦況の変化により【伊吹】は空母へ改装されることになり(しかし空母にも改装されず建造途中で解体)、【筑摩】は帝国海軍最後の重巡洋艦となりました。 書類上の分類では【高雄型重巡洋艦 鳥海】が最後ですが、【筑摩】は【利根】同様、書類上以外の全ては重巡そのものでした。重巡洋艦