- 帝国海軍最大馬力 バランス重視で最高級ではなかった翔鶴型
- 初の空母戦で命を削る 対米戦争の分岐点
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- 攻撃、攻撃、攻撃あるのみ! 死闘の南太平洋
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攻撃、攻撃、攻撃あるのみ! 死闘の南太平洋
「第二次ソロモン海戦」後、日本は2ヶ月にわたり鼠輸送と蟻輸送が中心となり、機動部隊は出し惜しみをされて積極的な運用に至らず(艦載機だけが引き抜かれた)、活躍の機会をなかなか得ることができませんでした。
9月11日に川口支隊、青葉支隊のガ島奪還作戦があるということで機動部隊も意気軒高と10日に出撃をしていますが、これも結局奪還失敗により機動部隊は前進後退を繰り返すばかりでした。
10月に入ると、前回の川口、青葉支隊の作戦失敗を受けて陸軍はようやく重い腰を上げて第二師団を投入するとのこと。
ここに再び機動部隊にもお呼びがかかり、22日頃突撃の予定で着々とヘンダーソン飛行場奪還準備が進んでいきました。
15日には航空燃料を積んだ船団を発見し、【翔鶴】と【瑞鶴】の艦載機が発艦。
この爆撃では【米グリーブス級駆逐艦 メレディス】の撃沈に成功しています(ただし攻撃規模の割には戦果もその一部始終も悲観的に見られた)。[7-P414]
ですが陸軍の方はアメリカの決死の空襲妨害で輸送物資の揚陸がうまくいきません。
これに対して日本は艦砲射撃で反抗し、両者一進一退の攻防が続きます。
そんな中で突撃日も迫る20日、【翔鶴、瑞鶴、瑞鳳】【飛鷹】【隼鷹】の5隻で出撃を予定していたところで【飛鷹】で機関故障が発生してしまい、作戦に参加することができなくなってしまいます。
索敵合戦も激しくなりますが、日本は敵空母を見つけることはできず、さらに陸軍もパワーに劣るために総攻撃がなかなか予定通りに進みませんでした。
南下と北上を繰り返し、ようやく25日に攻撃命令が下ります。
ただ25日は敵空母とは遭遇せず、実際に動きがあったのは26日からです。
「南太平洋海戦」が始まる26日、未明に被害なしながらも爆撃を受けた機動部隊は反転北上。
そして索敵機の報告を受けて午前5時30分から【翔鶴、瑞鶴、瑞鳳】から第一次攻撃隊が発艦。
【翔鶴】はその後も早急に第二次攻撃隊の発艦準備に追われていました。
「第二次ソロモン海戦」では命中弾があったにもかかわらず追撃を躊躇し取り逃がしたため、今回は確実に息の根を止めねばなりません。
さらに未明に【瑞鶴】が爆撃を受けた(命中なし)ことから7時頃には敵の攻撃があるだろうと予測しており、とにかく発艦準備を急がせていました。
一方で司令部の判断もある【翔鶴】とは情報量が異なる【瑞鶴】は、【翔鶴】がこんなに慌てている理由がわからないので切迫感に欠け、【翔鶴】よりも発艦が30分ほど遅れてしまいます(サボっていたというより、【翔鶴】が猛烈に急いだ)。[8-P536]
甲板上に艦載機を晒しているところで敵襲を受けると「ミッドウェー海戦」の二の舞です。
【翔鶴】は【瑞鶴】の艦攻隊が揃う前に【九九式艦爆】と【零戦】を発艦させることにしました。
そんな時に【瑞鳳】が索敵に来ていた2機の【SBD】の急降下爆撃を受けてしまい、そのうちの1発が飛行甲板後部に命中してしまいます。
直径15mほどの大穴が空いてしまった【瑞鳳】はこのまま居座ってもいい的になるだけなので、残念ながら離脱。
これで日本の空母は3隻、敵は【エンタープライズ】と【ホーネット】の2隻だけだったので、これで5対2があっという間に3対2になった上、【翔鶴】は完全に孤立状態となってしまいます。
しばらく静かな時が流れます。
敵はまもなく来るのか、それとも残りの第二次攻撃隊を甲板に出すか。
そんなところに突然敵の情報が舞い込んできました。
これは艦載機からの通信ではなく、電探によるものだったのです。
21号対空電探が見事に敵影を捉え、それが艦橋に伝わったわけです。
戦闘準備に入る一方で、【九七式艦攻】の発艦準備がようやく整い始めた【瑞鶴】に向けて直ちに発艦するように命令します。
すでに艦爆隊は発艦済み、味方が分散するのはいいことではありません。
それに敵機が迫っている中で甲板に機体が残っているのも危険でした。
さて現在の状況は、【翔鶴】が反転南下して艦爆隊の発艦も完了済み、敵接近も把握済み。
一方で【瑞鶴】はようやく発艦を開始し、敵の接近はまだ知らず。
発艦のためには風上に向かわないといけないので、ここで【翔鶴】と【瑞鶴】の距離は最大で20kmも離れてしまいました。
つまり敵機の群れは【翔鶴】しか視界に入らず、2隻とその護衛で迎え撃つことができない状態でした。
いよいよ【ホーネット】の攻撃隊が【翔鶴】に迫ってきました。
【SBD】15機に【TBF】6機、これらが【翔鶴】に襲い掛かりました。[8-P558]
【零戦】が【SBD】4機を撃墜撃破したのですが、残る11機は【翔鶴】を今度こそ亡き者にせんと次々と爆弾を投下していきます。
結果、【翔鶴】は至近弾5発に加えて4発の直撃弾を受ける大ダメージを負ってしまいます。
3発が後部左舷側、1発が後部右舷側で、飛行甲板は使い物にならなくなり、さらに右舷の1発で高角砲の弾薬が誘爆する被害となりました。
左右とも舷側付近という事は機銃や高角砲を操作する兵士がたくさんいましたから、目を開けてみるとそこには仲間たちが折り重なって倒れていました。
さらにこの付近には弾薬庫や軽質油庫がありますから、下手すれば丸焦げどころか吹っ飛んでしまいます。
ですが弾薬庫での誘爆はなかったため甚大な結果にはならず、外部の被害とは打って変わって内部の被害は深刻ではありませんでした。
火災も「ミッドウェー海戦」後の可燃物の除去、そして消火装置の効果、格納庫に誘爆物を置かない、消火訓練の成果が噛み合って、火災対処は「珊瑚海海戦」よりも適切に行うことができました。
煙突内部を冷やすための海水ポンプを消火用に流用できるように改造していたのも大きく役立ちました。[5-P267]
この爆撃の際に1つなかなか肝が据わった出来事がありました。
【SBD】が右舷前方から【翔鶴】に迫ってきたところで、有馬艦長は取舵(左への転舵)を命令。
しかし塚本航海長は、「珊瑚海海戦」の時に受けた爆撃の経験から、敵機に対しては反航方向に向かうべきだと咄嗟に判断。
なので塚本航海長は命令を無視して独断で面舵(右への転舵)を切ったのです。
有馬艦長も自らの判断ミスを認め、この命令違反は全くお咎めはありませんでした(有馬艦長は砲術科出身です)。[8-P560]
一方攻撃隊はどうなったかというと、【翔鶴、瑞鶴】と同じような関係にありました。
【エンタープライズ】はスコールの中に隠れることができたために発見されず、第一次攻撃隊はもう1隻の【ホーネット】に殺到しました。
【零戦】の護衛が少なく、【F4F】と対空射撃が次々と【九九式艦爆、九七式艦攻】を海に叩きこんでいきますが、【ホーネット】には【瑞鶴】の爆撃が3発と【翔鶴】の雷撃が2発命中。
恐らくは魚雷の浸水が主要因となり、【ホーネット】は機関が全停止し、11度傾斜してうんともすんとも言わなくなりました。
爆撃の火災は外からの駆逐艦の放水による助けも受けて消火することができましたが、【ホーネット】は自力ではもうどうにもなりません。
【ホーネット】はさらに、攻撃成功の報により矛先を向けてきた【隼鷹】攻撃隊にも狙われます。
【隼鷹】の艦攻による魚雷1本や第三次攻撃隊の爆弾4発?、【瑞鶴】第三次攻撃隊の至近弾と命中弾により、傾斜はさらに増大。
当時は【米ノーザンプトン級重巡洋艦 ノーザンプトン】がゆっくり曳航していましたが、この攻撃を回避するために曳航索を切らざるを得ず、【ホーネット】はここで自沈処分されることが決まりました(結局自国の砲雷撃では沈まず【巻雲】達が沈めている)。
続いて【エンタープライズ】への一航戦第二次攻撃隊の攻撃が始まりました。
先陣を切った【翔鶴】攻撃隊は2発の命中弾と1発の至近弾を浴びせましたが、遅れてやってきた【瑞鶴】の雷撃は1本も命中していません。
その後【隼鷹】の第一次攻撃隊が【エンタープライズ】に至近弾を与えています。
これらの被害で【エンタープライズ】は特にエレベーターや浸水の被害が大きく、艦載機の着艦はできても格納庫収容ができなくなったことから、次の被弾は大惨事になると考えて撤退していきました。
【翔鶴】の離脱がありながらもこの戦いでの日本の攻撃は非常に苛烈で、前述のとおり【瑞鶴、隼鷹】の攻撃は3回に及んでいますし、【翔鶴】にしたって有馬艦長はなんとこの有様でも追撃する気満々でした。
【ホーネット】はまだ沈んでいないし【エンタープライズ】も逃げつつあるのだから、傷ついている我々こそが囮になってでも追撃し、敵の攻撃を受けとめて機動部隊全体で敵を諸共沈めなければならない。
【ヨークタウン】のことを考えると甘えた行動は何倍にもなって日本に返ってきます。
彼の態度は上官の作戦を否定するもので、慎重な南雲忠一中将がオロオロしたところに参謀長の草鹿龍之介少将が止めに入ったほどでした。
結局【翔鶴】の突撃はなしのまま、死闘となった「南太平洋海戦」は、日本は沈没艦こそ出ませんでしたが、【翔鶴】は再び大破し【瑞鳳】も中破。
前衛では【筑摩】も大破しており、そして何より艦載機と搭乗員の犠牲が全艦合わせて92機及び145名と膨大でした(戦死者数は少々誤差あり)。
【翔鶴】に至っては爆撃機飛行隊長の関衛少佐、艦攻隊飛行隊長の村田重治少佐がいずれも戦死しており、飛行隊の扇の要を一気に失っています。
船の犠牲だけで見れば【ホーネット】と【米ポーター級駆逐艦 ポーター】(自軍の雷撃機救助の際、事故で発射された魚雷が命中)が沈んでいるアメリカの方が分が悪く、さらにこの海戦でアメリカの空母は全員が病院送り以上の被害を負ったのですが、勝利を得るための犠牲はあまりに大きかったのです。
しかし一航戦不在の「ガダルカナル島の戦い」はついに日本の敗北で決着が付きます。
【翔鶴】が横須賀で修理を受けている間に「第三次ソロモン海戦」に敗れた日本は、ヘンダーソン飛行場を奪還もしくは無力化する手立てを失い、翌年から撤退が始まりました。
この修理の時に【翔鶴】は艦首の三連装機銃がさらに1基増えています。
【瑞鶴】もどこかのタイミングで同様の工事を受けています。
機銃は艦尾にも三連装機銃3基が新たに設置され、電探も21号電探が左舷後方の探照灯をどかして新設。[7-P17]
他にも【比叡】喪失の原因から応急操舵装置や応急舵の新設なども行われています。[5-P172]
【翔鶴】の修理が完了したのは昭和18年/1943年2月で、その間に一航戦の司令官は南雲中将から小沢治三郎中将に交代し、艦長も岡田為次大佐に交代。
2度の大怪我を経験し、一方で【瑞鶴】がどの戦いでも無傷であったことから、この頃から【翔鶴】は被害担当艦、【瑞鶴】は幸運艦と真逆の扱いをされるようになります。
ただ幸か不幸か【翔鶴】が次に被害を受けるのはしばらく先で、輸送やトラックへの移動を時々実施する程度。
艦長は11月17日に松原博大佐に交代となり、岡田大佐は結局1度も【翔鶴】で戦に挑むことはありませんでした。
ただ所属機はしょっちゅう陸に上がって戦いに身を投じており(「い号作戦」や「ろ号作戦」)、飛行の腕はなまらないでしょうが損耗が激しいため、空母所属なのに空母で発着艦経験が全然ないパイロットばかりになっていきます。
昭和19年/1944年5月 あ号作戦直前の対空兵装比較 |
高角砲 | 40口径12.7cm連装高角砲 8基16門 |
機 銃 | 25mm三連装機銃 18基54挺 |
25mm単装機銃 14基14挺(すべて橇式) | |
電 探 | 21号対空電探 1基 |
出典:[海軍艦艇史]3 航空母艦 水上機母艦 水雷・潜水母艦 著:福井静夫 KKベストセラーズ 1982年
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参考資料
Wikipedia
近代~現代艦艇要目集
[1]航空母艦物語 著:野元為輝 他 光人社
[2]艦船ノート 著:牧野茂 出版共同社
[3]翔鶴型空母 帝国海軍初の艦隊型大型航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」のすべて 歴史群像太平洋戦史シリーズ13 学習研究社
[4]日本の航空母艦パーフェクトガイド 歴史群像太平洋戦史シリーズ特別編集 学習研究社
[5]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社
[6]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[7]極秘 日本海軍艦艇図面全集 第五巻解説 潮書房
[8]空母瑞鶴の南太平洋海戦 軍艦瑞鶴の生涯【戦雲編】 著:森史朗 潮書房光人社