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加賀【航空母艦】その3
Kaga【aircraft carrier】

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  1. 急遽延命することに 赤城の姉代わりとして加賀誕生
    1. 計画された艦容の変遷
    2. 煙突
    3. 機関
  2. ようやく完成するもすぐ大改装 遅さは残るが赤城を逆転
    1. 飛行甲板・格納庫
    2. 煙突・機関
    3. 艦橋
    4. 備砲
    5. カタパルト実験
  3. 対中対米戦線の牽引者 翻る旭日旗はミッドウェーに沈む
「テキパキ」は設定上、前後の文脈や段落に違和感がある場合があります。


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対中対米戦線の牽引者 翻る旭日旗はミッドウェーに沈む

1年間の改装を終えた【加賀】は見違えました。
鬱陶しい煙突はなくなり、甲板は長く、腰の据わった造りで揺れも騒音も少ない。
重複しますが「翔鶴型」は甲板の長さが短かったため、速度以外で【加賀】の右に出る空母は日本にありませんでした。
しかし【加賀】の改装に気合と資金を投入しすぎた結果、【赤城】はあれも止めこれも止めと中止された工程が多く、難産だった【加賀】とは対照的に生育環境に恵まれませんでした。

【加賀】が恵まれなかったのは艦内の気風でした。
大型艦は目が行き届かないので規律が乱れているのが逆に普通であり、扱きと私的制裁は古株の特権みたいな有様でした。
それが【加賀】の場合は特に酷くて、酷い時は自殺者が出てしまうほどの地獄となっていました。

加えて【加賀】「日華事変」に出撃したことで、生死を分ける戦いにも先陣を切っています。
精神的な苦痛を拭うために誰かでストレスを発散したり、酒保の食材などを盗んだりとやりたり放題でした。

工事完了の翌年、中国では「第二次上海事変」が勃発。
やがて「日華事変」に発展していくこの対中戦線では、【赤城】が改装工事中だったために【加賀、鳳翔】【龍驤】の3隻が出陣します。

8月から再び中国軍との空戦に発展しますが、当時は戦闘機不要論が盛んに叫ばれていた時期で、最初は【加賀】らから発艦した機の中に戦闘機がいないこともありました。
しかしこの考えは全くの夢想であることはすぐに証明され、まず8月15日の出撃では特に【八九式艦上攻撃機】16機出撃のうち半分の8機が未帰還。
【八九式艦攻】そのものが悪評のたつ艦載機だったとは言え、半分の喪失はダメージとして大きすぎます。
ですが戦闘機隊長が【八九式艦攻】だけにでも戦闘機を就けるべきでは?という進言を断っていて、戦闘機不要論が現場にも深く浸透していたことがわかります。

この後【九六式陸上攻撃機】も同様に護衛なしで痛い目に合ったため、すぐさま【九六式艦戦】が投入されます。
それでもしばらくは戦闘機を就けずに攻撃に向かい、そしてやはり反撃を受けて未帰還機を多く出すというケースが続き、尊い人命が失われるのと反比例して戦闘機不要論は下火になっていきました。

【九六式艦艦戦】は当時の日本の救世主でした。
なにせ【九六式艦戦】の前の戦闘機は【九〇式艦上戦闘機】が中心で、【九五式艦上戦闘機】は開発の遅れで【九六式艦戦】採用の1年近く前に採用された状態。
【九〇式艦戦】と敵機の世代は大きく変わりませんが、【九六式艦戦】はそれまでの日本機とは全く次元の違う性能を発揮したため、【九六式艦戦】の登場により敵機との戦闘はものすごく楽になりました。
空襲にやってきても敵機が顔を見せないぐらいの脅威度だった【九六式艦戦】は、これまで戦闘機なしでも戦えるわいと大口を叩いてきた艦爆艦攻の前に無言で立ち、そして存在だけで敵を退け、戦闘機不要論を吹き飛ばしました。

3機種の連携により、中国大陸への空襲が次々と成功します。
【加賀】の「日華事変」は昭和13年/1938年12月まででしたが、爆撃に次ぐ爆撃で日本軍の前線押し上げに大きく寄与します。
「日華事変」はやがて泥沼化してしまうのですが、それが【加賀】の功績を汚すものではありません。

「日華事変」での【加賀】の活躍は、【寧海(ニンハイ)級巡洋艦 平海(ピンハイ)】(日本建造)を大破放棄させた実績も挙げられます。
【平海】への攻撃は色んな種類の艦爆艦攻が絡んでいるのですが、【加賀】からは【九六式艦上爆撃機】【九六式艦上攻撃機】がいずれも水平爆撃によって攻撃。
無数の爆撃を受けた【平海】はやがて放棄されましたが、日本が浮揚させてしばらく佐世保で繋留。
昭和19年/1944年から修理をされて【海防艦 八十島】として半年ほどですが活躍した経緯を持ちます。

1938年末から【加賀】は改装工事に入っていて、この工事では飛行甲板のさらなる延長や艦橋整備などが行われているようですが、これが具体的に何mになったかが個人的な調べではわかりませんでした。
その後昭和16年/1941年4月には新しく第一航空艦隊が編成され、第一航空戦隊と第二航空戦隊が編入されています。
9月には第五航空戦隊も一航艦に編入され、これで役者はそろいました。
「真珠湾攻撃」まで、あと3ヶ月です。

「真珠湾攻撃」では一航戦、二航戦は戦艦への雷撃を任されました。
ハワイの港に停泊する戦艦を沈めるためには、爆撃だけではなく魚雷で船の底に穴を開ける必要があります。
しかし港は浅く、普通に魚雷を投下しても推進する前に海底にぶつかってしまい戦艦に命中しません。
この問題を解決するために、魚雷の改修と並行して【九七式艦上攻撃機】乗組員は必死に訓練を行いました。

11月26日、南雲機動部隊はハワイを目指し出撃します。
そして12月8日、【加賀】ら6隻の空母から【零戦、九七式艦攻】【九九式艦上爆撃機】が続々と発艦。
平和なオワフ島はプロペラ音、銃撃音、爆発音が轟く戦場と化し、太平洋戦争が始まりました。

「真珠湾攻撃」ではすべての【九七式艦攻】が雷撃を任されたわけではなく、水平爆撃を行った機もありました。
【加賀】所属の【九七式艦攻】は26機出撃で、雷撃を行ったのは12機。
6隻の戦艦には次々と【九七式艦攻】が突っ込み、魚雷が浴びせられました。
空母がいなかったのは不幸ではありましたが、とにかく今一番日本の近くにいる戦艦がここに集まっているのであれば、一網打尽にしなければなりません。

最終的に「真珠湾攻撃」では【米ペンシルベニア級戦艦 アリゾナ】【米ネバダ級戦艦 オクラホマ】が完全に沈没。
その他の戦艦は最終的に復帰していますが、大なり小なり復帰に時間がかかっています。
ただハワイにいた戦艦はみんな「長門型」時代かそれ以前の戦艦だったので、「太平洋戦争」の行方を左右する戦果ではなかったのが残念ではあります。
【加賀】所属機は「真珠湾攻撃」で最大の被害を負っていて、未帰還機29機のうち半数の15機が【加賀】所属機でした。

堂々たる戦果を残して機動部隊が日本に凱旋帰国します(二航戦は「ウェーク島の戦い」に寄り道)。
そして翌年はラバウルやカビエンの空襲を実施し、両地とも以後の日本の重要な拠点となりました。
しかし2月8日にパラオに入港した翌日、【加賀】は海図に書かれていない暗礁に接触してしまいます。
すぐに撤退するほどの怪我ではなかったのですが、この損傷が原因で【加賀】「セイロン沖海戦」には不参加となっています。

3月1日には【蒼龍】とともに【米クレムソン級駆逐艦 エドサル】【給油艦 ペコス】の撃沈に貢献。
【ペコス】は2隻の艦載機が撃沈させましたが、【エドサル】の撃沈は最終的に砲撃によるものです。
【ペコス】撃沈には少々手間取っており、また反撃の対空射撃で多数の被弾があります。
また【エドサル】の撃沈に関しても、それまでに【比叡】【霧島】【利根】【筑摩】がドカドカ砲弾を放つも1発しか命中せず、業を煮やした南雲忠一司令官(当時中将)が2隻に攻撃を命じ、ようやく有効弾を与えて最後は砲撃でタコ殴りにしたというみっともない戦いでした。

その後チラチャップに空襲を浴びせてから、【加賀】は先の接触の修理のために日本に帰投。
修理中に「セイロン沖海戦」があり、「ドーリットル空襲」があり、修理が終わった直後には「珊瑚海海戦」がありと、戦況は当初の勢いを少々失っていました。

日本は米豪遮断作戦の一環として「MO作戦」の実施を計画していました。
「MO作戦」は「珊瑚海海戦」につながる作戦ですが、当初はこの「MO作戦」、空母にとってはポートモレスビー空襲を【加賀】に任せようと計画していました。
しかし1隻で敵の一大拠点であるポートモレスビーを仕留めるなんてさすがに無茶で、結局紆余曲折を経て五航戦と【祥鳳】に白羽の矢が立ったのです。

日本は再びアメリカの喉元に刃を突きつけるべく、ミッドウェー島の占領を計画します。
ただこの「MI作戦」は機密も杜撰で中身も杜撰、「珊瑚海海戦」で重症を負った【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】を無理矢理再出撃させたり、ミッドウェー島の防衛強化が進んだりとアメリカに準備期間を与えてしまいました。

そんなことは露知らず、五航戦がいなくてもなんとかなるなると【加賀】ら4隻の機動部隊は5月27日に柱島を出撃しました。
今回の作戦はミッドウェー島の攻略が中心で、もし空母が出てきたらそっちを叩こう、まぁ出ないと思うけど、という感じでした。
もちろんこの作戦がバレていないと思っているからで、アメリカはちゃんと【ヨークタウン】に加えて【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ、ホーネット】を送り込んでいます。
あとはどちらが先に敵を見つけるか。

日本時間の5日に日付が変わってから、各艦から艦載機が発艦を開始します。
ミッドウェー島を空襲する部隊です。
この時はまだ敵機動部隊の出現の可能性を残しており、待機組は魚雷を搭載していました。

しかし第一次攻撃隊の成果は予想に反して低調でした。
敵の反撃は激しく、敵機も離脱済みで航空機へのダメージも不足しており、第一次攻撃隊からは二次攻撃の要請が入ります。
それを受けて各艦の【九七式艦攻】は魚雷を陸用爆弾に換装する作業を急いで開始します。
当たり前ですが、陸上に魚雷を落としてもなんにもならないからです。

この時の南雲機動部隊は別に穏やかではありませんでした。
ミッドウェー島から先に飛び立っていた敵航空機は、南雲機動部隊を発見して攻撃を繰り出していたのです。
ですが当時の敵の空襲というのははっきり言って日本の足元にも及ばず、どころか護衛の戦闘機すらない状態で現れる部隊もあって、【零戦】が難なく敵を撃破し、爆撃も回避。
敵に先に発見されているという事実はマイナスではありましたが、敵襲には対処ができていました。

雲行きが怪しくなるのはここからです。
索敵によりついに敵機動部隊を発見したという報告が飛び込んできたのです。
この時はまだ【九七式艦攻】の爆弾への換装が終わっていなかったと言われていますが、いずれにしてもこれで対陸から対艦への攻撃変更を強いられました。

【飛龍】からは「何でもいいからとっとと飛ばせ」と、有効性問わず先制攻撃をすべきだと強い進言が飛んできます。
しかし南雲中将は徹甲爆弾と魚雷への再換装を指示。
当時は第一次攻撃隊の着艦が迫っていたり、敵発見の位置からしても時間的余裕は多少あるので(これが誤り)、着艦を優先したのです。
これが太平洋戦争の行く末を大きく変えてしまうとは知らずに。

格納庫では武装の換装が進み、また外では相変わらず【零戦】が敵機を撃墜していきます。
護衛もなく攻撃をしてくる敵機が最強の戦闘機【零戦】にあっさりと墜とされ、かつて戦闘機不要論が唱えられたとはとても思えない惨状。
ですがいくら弱くてもたびたび攻撃にさらされてしまうため、第一次攻撃隊の着艦がなかなか進みません。
それに【零戦】の猛攻を潜り抜けて魚雷の投下まで成功させる敵機もゼロではなく、そのたびに【加賀】は大きく舵を取ります。
負けるとわかっていてもなお攻撃してくる敵の執念に敬意を持ちながらも、【零戦】の強さに見惚れる乗員たち。
彼らの目線は【TBD】を襲う【零戦】を追って海面に集中していました。

そんな時、「敵機直上、急降下!」(このセリフが有名ですが実際これが言われたかどうかはわからない)という声が【加賀】から発せられました。
上を見上げると、ほとんどの者が気付いていなかった【SBD】の群れが機動部隊に突っ込んできていたのです。
【零戦】の邪魔も入らなかった今回の急降下爆撃は完璧と言ってもいい仕事をこなします。

【加賀】は一番最初に攻撃を受けました。
最初の3発の爆撃の回避には成功したものの、空母の舵は駆逐艦のように軽やかではありません。
右に左にと舵輪を回すうちに、動きが鈍る瞬間は必ず出てきます。
そしてついに【加賀】に爆弾が命中しました。

爆撃は1発では終わりません、結局【加賀】は連続して4~5発の爆撃を受け、「ミッドウェー海戦」最大の被害を受けてしまいます。
そのうち1発は艦橋の目の前に落下し、航空機給油車が被弾して大爆発を引き起こしました。
この衝撃は艦橋を焼き焦がし、【加賀】は完全に指揮系統を喪失しました。

他にも爆弾が甲板を貫いて格納庫で爆発し、他の空母と同様に魚雷や爆弾が次々に誘爆。
爆風が格納庫の側面を突き破り、飛行甲板も張り裂けて格納庫が上から見える状態で、【加賀】は甲板と側面から灼熱の炎と大量の黒煙がどんどん吐き出されていきます。
爆発の衝撃であちこちに隙間ができると、酸素を求めて炎はその隙間を伝っていきます。
通風路や一般通路ももちろん炎の通り道となり、たとえ直接火災の被害を受けなくとも区画内はみるみるうちにサウナ状態となって、機関は無事だったのに機関室には留まれない事態になります。
舷側では高角砲や機銃用の弾薬がポップコーンのようにパンパンはじけ飛び、舷外通路はとても危険で通れません。

想定される【加賀】への爆撃箇所

すでに何もできない【加賀】でしたが、ここにさらに追い打ちをかける敵が現れます。
【米ナワール級潜水艦 ノーチラス】【加賀】に接近していたのです。
【ノーチラス】はこの大惨事が起こる前に日本軍に迫っていて、一度【霧島】に対して魚雷を発射してたものの命中せずに攻撃は失敗しています。
この後反撃を受けたので【ノーチラス】は息を潜めて脅威が過ぎるのを待っていたのですが、そのうちに日本の空母がボロボロになっていたので、【ノーチラス】は近場でまだ浮かんでいる【加賀】をターゲットにしたのです。

【ノーチラス】は丸焼き状態の【加賀】に対して魚雷を3本発射します。
ところが命中したのは1本だけで、さらにその1本は不発。
またしても【ノーチラス】の攻撃は失敗してしまいます。

敵潜の存在に気付いた【加賀】救援中の【萩風】がすぐさま【ノーチラス】へ攻撃。
しかし海の上にはすでに【加賀】から逃げ出したり、飛ばされて海に落下した者たちが溢れていて、派手に移動や爆雷投下ができませんでした。
結局【ノーチラス】を取り逃がすことになり、今後の【ノーチラス】の活躍を許してしまいます。
なおこの時【ノーチラス】は雷撃した空母を【蒼龍】だと思っていて、アメリカではしばらく【蒼龍】【ノーチラス】が撃沈したと考えられていました。

すでに総員退去命令が下っていた【加賀】ですが、弾薬庫への注水を行っているにもかかわらず爆発は四方で発生し、また前部中部後部と満遍なく被弾していることから、甲板上も火の海で、艦尾のわずかなスペースが無事なだけでした。
そこから飛び降りた人たちを【萩風】【舞風】が救助し、そして救助は終了。
それを待っていたかのように、【加賀】ではやがて2回の大爆発が起こります。

【加賀】は被弾してから9時間もの間浮かび続けてました。
格納庫までの範囲はそれこそ焼け爛れてぐちゃぐちゃでしたが、下甲板より下は異常も少なく、極端に言えば船の上半分さえ切り取れれば今にも動き出しそうなほどでした。
しかし最後の大爆発は【加賀】の止めとなり、この後徐々に沈み始めました。
【加賀】の最期については、この爆発の後に沈没したというものの他に、【萩風】の魚雷による自沈処分という証言もあります。
また沈没の様子についても、艦尾から沈没したというものと、ほぼ水平にゆっくり沈んだという証言があり、はっきりしていません。
【加賀】は瞬間的な破壊が大きかったこと、艦橋が直接的な被害を受けたこと、機関科が閉じ込められて多くの犠牲者が出たことから、811名と4隻中最大の戦死者を記録しています。

2019年10月18日、ポール・アレン創始の探査チームが海底に沈む【加賀】の発見を発表しました。
続いて20日には【赤城】の発見も発表されました。
5,400mという深さで静かに眠る【加賀】、その船体を人々が直接目にしたのは実に77年ぶりになります。

そして2023年9月15日にはロバート・バラードの海洋調査船が【赤城、加賀】の撮影に成功したことを発表。
彼は1998年にも一度【ヨークタウン】を発見しています。
この海洋調査船の名が【ノーチラス】だったのは何かの縁かもしれません。

【加賀】はひっくり返った状態であり、また度重なる爆発により構造物もほとんど残されていませんでした。
繰り返しとなりますが、途中で紹介している飛行甲板の支柱に関しても今回の映像では残念ながら判断はできず。
しかし重量調整のために撤去されたと言われていた九番、十番砲ですが、少なくとも十番砲がないことがわかっています。
このことはちょうど同年に発刊された『日本軍艦史』でも非常に鮮明な写真が掲載されていて、そこでは左舷側の砲が4門になっていることがはっきりわかっているので、それを裏付ける結果となりました。[4]

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加賀の写真を見る

参照資料

Wikipedia
艦これ- 攻略 Wiki
日本海軍史
NAVEL DATE BASE
[1]航空母艦「赤城」「加賀」大鑑巨砲からの変身 著:大内健二 光人社
[2]図解・軍艦シリーズ2 図解 日本の空母 編:雑誌「丸」編集部 光人社
[3]三段空母『加賀』の恐怖のメカニズムを3DCGで解説してみた【音声改善版】 宮前めさの『テイコク立体』
[4]【最新調査】航空母艦『加賀』の真の姿を3DCGで復元してみた【4K】 宮前めさの『テイコク立体』
[5]大正11年5月 華府会議報告 軍備制限問題調書(上巻)極秘 第4項 第6回海軍分科会
[6]日本空母物語 福井静夫著作集第7巻 編:阿部安雄 戸高一成 光人社