零式艦上戦闘機二二型/三菱 | 大日本帝国軍 主要兵器
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零式艦上戦闘機二二型/三菱
Mitsubishi A6M3(Zero)

零戦開発物語零戦と戦った戦闘機達
零戦+防弾性-Xのif考察零戦と防弾性の葛藤

大前提として、型式の付番パターンを説明しておきます。
型式は2桁の数字で構成されますが、10の桁の数字が機体形状、1の桁の数字がエンジン型式を表します。
「三二型」の次が「二二型」になるのは、生産された順番ではなく、「二一型」の機体形状に「三二型」のエンジンが搭載されたためです。

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零式艦上戦闘機二二型・二二型甲

「三二型」「二二型」も「A6M3」のため、性能がどちらのものか確実なことは言えません。
「二二甲型」九九式20mm機銃二号三型への換装に伴う重量増等は加味されていません。

全 長9.060m
全 幅11.000m
全高(三点)3.570m
主翼面積22.438㎡
翼面荷重119.4kg/㎡
自 重1,863.0kg
正規全備重量2,678.6kg
航続距離全速30分+1,482km(正規)
全速30分+2,560km(増槽)
発動機/離昇馬力栄二一型/1,130馬力
上昇時間7分19秒/6,000m
最大速度541km/h
急降下制限速度629km/h
燃 料胴体:60ℓ
翼内:215ℓ×2+40ℓ+2
増槽:320ℓ
武装/1挺あたり弾数二二型:
九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃一号三型 2挺/100発
二二甲型:
九七式7.7mm機銃 2挺/700発
九九式20mm機銃二号三型 2挺/100発
搭載可能爆弾30kgもしくは60kg爆弾 2発
符 号二二型:A6M3
二二甲型:A6M3a
生産数三菱:二二型、二二甲型合わせて560機

出典:
零戦秘録 零式艦上戦闘機取扱説明書 KKベストセラーズ 編:原勝洋 2001年
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
零戦と一式戦闘機「隼」 イカロス出版 2019年

「二二型(A6M3)」は符号は「三二型」と同じ「A6M3」で、「三二型」のマイナーチェンジ扱いになっています。
「三二型」の悪いところを「二一型」に置き換えたという扱いですが、最初は「三二型」を改良するってだけで「二二型」として分類するつもりではありませんでした。
符号も「A6M3」のままで、「三二型」の生産344号機からの区別として「二二型」と呼ばれるようになりました。
「二二型」は昭和17年/1942年年末ごろから三菱のみで生産が始まりました。

エンジンは「栄二一型」なのでカウリングや胴体の形状は「三二型」ですが、翼は50cmずつ再延長された上でエレベーター対応のために折れ曲がる形に戻りました。
そして減らされた燃料を増やすために、何と恐ろしいことか、翼内タンクを外側にもう1つ追加しました。
胴体の60ℓ、翼内の410~420ℓ程度、そして増槽の320ℓが「三二型」ですが、翼内タンクの横に20mm機銃がありますが、そのさらに外側に40ℓ(45ℓ?)ずつの小さめの翼内タンクが追加。
合計で880ℓ前後という「二一型」以上の燃料を搭載し、「栄二一型」で悪くなった燃費を加味しても「二一型」よりもちょっとだけ長い全速30分+2,560kmとなっています。
しかしこの時は自動消火装置はおろか自動防漏タンクにもなっていないので、めっちゃ燃えそう、怖い。

速度は「三二型」とほぼ一緒ですが、翼端の機構の影響で急降下制限速度が落ちています。
「二一型」と同じ翼ですから高速時のロールも元通りになっていまうので、下川大尉の事故死のあとに廃止されたバランスタブが再研究の末に復活(これは「三二型」の時からかもしれません)。
これで「二一型」よりはちょっとマシになりました。

「栄二一型」については「三二型」の試作時代からトラブルがあるという問題もありましたが、この時期になるとその扱いにも慣れてきたようです。
とは言え速度は確かに「二一型」より上がったけど540km/hと大した変化ではなく、逆に翼内タンクの増加により被弾の弱さは増してしまいました。
弾数は減るけど、重くないし翼内タンクが「三二型」より小さくエンジントラブルの可能性も少ない「二一型」のほうがいいんじゃないと個人的には思いますが、逆に被弾に弱いのは元からだと割り切れば、ちょいと強化されているのは事実です。
攻撃性能だけで見れば「二二型」、特に後述する「二二甲型」は過去最高の「零戦」なので、「二二型」は地味ながら評価が割れる存在です。
実際に「二一型」じゃなくて「二二型」をくれと言っている部隊もあります。

どっちかに統一してもいいのではと思いますが、「三二型」「二二型」も三菱のみでの生産で、しかも三菱は「三二型」生産と同時に「二一型」生産を終えていますので、そういう意味では三菱は「二二型」一本に絞っています。
じゃあ中島はどうだったかと言うと、ここまでずっと「二一型」を生産してきた中島ですが(最終的に昭和19年/1944年2月まで生産)、昭和18年/1943年から「二一型」だけでなく「二二型」生産の内示もでています。
この意図がよくわからないですね、三菱は「二二型」、中島は「二一型」に一本化させた方がいいと思いますけど。

さらにちゃぶ台返しになりますが、「二二型」が生産されたころにはすでにブインに飛行場ができていて、「三二型」の航続距離でもガダルカナル島に飛ぶことができました。
数ある遠距離攻撃でもラバウル⇔ガダルカナルが最も長距離なので、この飛行がなくなれば航続距離が多少短くなっても、はっきり言えば「二二型」じゃなくても大して問題なかったのです。
結局三菱は「雷電」への切り替えのために昭和18年/1943年8月で生産終了(もちろんのちに取り消し)、中島には「二一型」のほうに追加生産指示が入り、「三二型」「二二型」が短命に終わることが確定します。
「二一型」でも事足りるし、「三二型」でも大丈夫な戦況になったりと、「二二型」「三二型」に続いてタイミング悪いときに現れた可哀想な飛行機と言えます。

「二二甲型(A6M3a)」についてですが、こちらは武装が強化されています。
20mm機銃九九式二〇粍二号機銃三型にバージョンアップされ、100発の弾倉に加えて初速が600m/sから750m/sに増加。
銃身が伸びたこともあって重量は10kgほど増えましたが、当初から不満があった精度や貫通力不足の問題も一定の解消が見られました。
これに伴って主翼も補強されています。
弾数はすでに100発に増えていますから、かつての絶対王者のような活躍はできていなかったこの時期の「零戦」の武器としてはありがたい強化でした。

この他「一二型」と呼ばれる機体が若干数あったとも言われていますが、詳細不明です。
型式から察するに「二二型」から艦載機用機構を外し、陸上運用しかさせないものと思われますが、公式文書にも数点「一二型」の表記が残るのみで、これが実在したと断言できる要素も乏しいです。

「二二型」は昭和18年/1943年1月29日に制式採用されましたが、なんと「三二型」も同日に制式化。
あの子たち、制式化される前に生産されて、制式化される前に生産終了しちゃってます。

一一型
二一型
三二型
二二型
四一型
四二型
五二系統
五三丙型
六二型
五四型