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大前提として、型式の付番パターンを説明しておきます。
型式は2桁の数字で構成されますが、10の桁の数字が機体形状、1の桁の数字がエンジン型式を表します。
「三二型」の次が「二二型」になるのは、生産された順番ではなく、「二一型」の機体形状に「三二型」のエンジンが搭載されたためです。
零式艦上戦闘機四一型
※すべて推定値です
全 長 | 9.050m |
全 幅 | 11.000m |
全高(三点) | 3.570m |
主翼面積 | 22.438㎡ |
翼面荷重 | |
自 重 | |
正規全備重量 | |
航続距離 | |
発動機/離昇馬力 | 栄一二型/940馬力 |
上昇時間 | |
最大速度 | |
急降下制限速度 | 629km/h |
燃 料 | |
武装/1挺あたり弾数 | 九七式7.7mm機銃 2挺/700発 九九式20mm機銃一号もしくは二号四型 2挺/125発 |
搭載可能爆弾 | 30kgもしくは60kg爆弾 2発 |
符 号 | |
生産数 | 計画のみ |
出典:
[歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.33]零式艦上戦闘機2 学習研究社 2001年
歴史的には表舞台に出ることがなかった「四一型」および「四二型」。
表舞台どころ存在すらあやふやなこの2機種ですが、結局存在したのでしょうか、またそれはどのようなものだったのでしょうか。
まず「四一型」がどこから現れたかと言うと、元になるのは「二一型」です。
「零戦」の20mm機銃はドラム×60発から最後はベルト×125発まで段階的にグレードアップしていきましたが、「四一型」は「二一型」にベルト式給弾100~150発の20mm機銃(現実だと九九式二〇粍一号もしくは二号機銃四型に相当)を搭載した場合の仮称でした。
ベルト式が実際に搭載されたのは昭和19年/1944年3月から生産が始まった「五二甲型」からですが、この「四一型」が検討されたのは前年4月とほぼ1年前です。
「四一型」は「二一型」に専念していた中島だけに発注する予定だったようで、このことからも「二一型」の純粋後継機扱いを考えていたタイプであることがわかります。
また同時に、「二二型」の20mm機銃をベルト式にし、さらに翼端を「三二型」のように再び50cm短くするタイプとして「五二型」の仮称が与えられた案が登場しています。
つまり昭和18年/1943年時点で「零戦」には「二一型」→「四一型」と「二二型」→「五二型」の2パターンに分類されることになったわけです。
「五一型」ではなく「五二型」なのは付番の法則からもわかります。
ですが「四一型」は九九式二〇粍二号機銃四型の開発が遅れてしまい、開発は中止。
書類上の存在で終わってしまいました。
「五二乙型」などがあるのでこれも「二二乙型」でもいいんじゃないかという疑問については、そもそも「乙」以下を型式名称に取り入れることが決まったのが昭和19年/1944年10月の「航空機名称付与様式」の改定後からとのことですので、「四一型」の時には当てはまらないようです。
じゃあ「五二乙型」は間に合ったのかと言うと、生産開始は昭和19年/1944年6月からですが制式採用が10月なので、「乙」表記のために改訂されたものだと考えていいでしょう。