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【橘型駆逐艦 萩】
Hagi【Tachibana-class destroyer】

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起工日昭和19年/1944年9月11日
進水日昭和19年/1944年11月27日
竣工日昭和20年/1945年3月3日
退役日
(引渡)
昭和22年/1947年7月16日
建 造舞鶴海軍工廠
基準排水量1,289t
垂線間長92.15m
全 幅9.35m
最大速度27.3ノット
航続距離18ノット:3,500海里
馬 力19,000馬力
主 砲40口径12.7cm連装高角砲 1基2門
40口径12.7cm単装高角砲 1基1門
魚 雷61cm四連装魚雷発射管 1基4門
機 銃25mm三連装機銃 4基12挺
25mm単装機銃 12基12挺
缶・主機ロ号艦本式缶 2基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

【萩】は竣工後にすぐさま第十一水雷戦隊に配属され、1週間ほどで横須賀から瀬戸内海と回航されます。
3月12日に【柿】とともに横須賀を出港した【萩】ですが、13日、【柿】で謎の缶爆撃が発生します。
一番缶の管が破裂したことで艦内は大慌てになりますが、幸いにも缶そのものが爆発するようなとんでもないことにはならなかったので、生き残った二番缶だけで【柿】は航行を再開しました。

ですが【柿】の問題はこれだけに留まらず、15日には潮岬沖でもう一方の二番缶も破裂してしまいます。
こうなるとどうしようもありません、【柿】は初航海で海にプカプカ浮かぶ無防備な獲物になってしまいました。
頼みの綱は【萩】しかありません、【萩】は本格的な訓練を全く訓練を受けていない状態で【柿】の曳航を強いられます。

敵潜水艦からの攻撃から逃げるためにも急いで呉に向かいたい【萩】ですが、他にも障害がありました。
この日は悪天候で波が高く、対潜警戒も難しい上に曳航しながら呉まで向かうことも非常に危険でした。
なのでとにかく最寄りの造船所である藤永田造船所に行き先を変更し、魚雷が迫ってこないことを一心に願いながら大阪湾に向かいます。
そして無事、襲撃を受けることなく2隻は藤永田造船所に到着しました。

その後【萩】は予定通り瀬戸内海。
19日は呉軍港空襲の日で、藤永田造船所の【柿】も犠牲者を出すなど広範囲で空襲があったのですが、【萩】の被害は確認できていません。
【萩】はそのまま訓練に加わりました。

5月20日に【梨】とともに第五十二駆逐隊に編入されますが、特に日常に変化はありませんでした。
7月24日、回天基地のあった山口県平生のそばにある光沖で、【萩】達は呉軍港空襲の余波で空襲を受けます。
この空襲で数名の戦死者を出していたようです(【樺】戦死者35名、2隻合わせて38名と言われているので、各数字が間違っていないとしたら【萩】戦死者は3名)。
そしてこれが【萩】唯一の戦闘となります。

呉で終戦を迎えた【萩】は、復員船従事後の昭和22年/1947年7月16日に賠償艦としてイギリスに引き渡されました。
引き渡された【萩】はそのまま使われることもなく、その後解体されて短い生涯を閉じました。

駆逐艦
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※1 当HPは全て敬称略としております。

※2 各項に表記している参考文献は当方が把握しているものに限ります。
参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
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