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追風【神風型駆逐艦 六番艦】

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起工日 大正12年/1923年3月16日
進水日 大正13年/1924年11月27日
竣工日 大正14年/1925年10月30日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年2月18日
トラック島空襲
建 造 浦賀船渠
基準排水量 1,270t
垂線間長 97.54m
全 幅 9.16m
最大速度 37.25ノット
馬 力 38,500馬力
主 砲 45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門
機 銃 留式7.7mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 4基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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国産ギアード・タービン搭載 神風型後期一番艦となる追風

「峯風型」の時から問題とされていた、パーソンス式ギアード・タービン。
最高速度での航行は難しいし、故障するたびに駆逐隊から外れてドックに入ることになるし、もう海外製のオールギアード・タービンのライセンス生産でやりくりする時代ではなくなってきていることがはっきりしてきます。
なので「峯風型」建造時から国産オールギアード・タービンの開発が本格的に始まっていましたが、その国産オールギアード・タービンが完成する前に駆逐艦は「峯風型」から「神風型」へと変遷していきました。
「神風型」の建造のタイミングでタービンがあればよかったのですが、残念ながら【神風】起工には間に合いませんでした。

振り返れば、大正9年/1920年に技本式ギアード・タービンが完成しています。
これは当時のブラウン・カーチス式をモデルとした直結タービンにアメリカのウェステングハウス社の多段階減速機を取り付けたタービンです。
日本はこの減速機の開発が最終課題でした。

そして大正13年/1924年12月末、【朝凪】が竣工。
この時【朝凪】には艦本式ギアード・タービンが搭載されていました。
竣工順では【朝凪】が最初ですが、「神風型」は六番艦の【追風】からついに純国産のギアード・タービンが制式に採用されるようになりました。
「神風型」には「峯風型、野風型」のような一部で使われる非公式の分類はありませんが、【追風、朝凪】【疾風】【夕凪】は、タービンをはじめ複数の違いがあります。
また、これまで密閉缶室方式だったのが開放式へと改められ、高温・熱風に耐えながらの作業空間が劇的に改善されました。

タービンの他には、潜水艦対策として初めて爆雷が搭載されています。
爆雷投下軌道、爆雷投射機、爆雷装填台がそれぞれ2つ艦尾に整備され、また爆雷も18個搭載しています。
これまで潜水艦に対しての攻撃手段は実質海上で姿を見つけた際の砲撃だけで、海中に潜行してからは攻撃手段がありませんでした。
しかしイギリスでドイツのUボート対策に開発された爆雷と投射機を大正10年/1921年に購入し、八一式爆雷投射機として制式化されたものが【追風】から搭載されました。
イギリスでの爆雷の命中率は非常に低かったのですが、搭載しないと命中率0%のままなので、載せるのは当然とも言えます。

魚雷は搭載数が8本だったところから10本へと2本増加。
また機銃が6.5mm単装機銃から留式(ルイス式)7.7mm機銃に変更されました(全艦留式という資料もありました)。

このように「神風型」後期型の一番艦となった【追風】は、当初は「第十一号駆逐艦」として建造され、昭和3年/1928年に【追風】となります。
太平洋戦争開戦時、【追風】【疾風、朝凪、夕凪】の4隻で第二十九駆逐隊を編制。
第二十九駆逐隊は【夕張】を旗艦とした第六水雷戦隊に所属し、「ウェーク島の戦い」へ参加しました。
ただ最初は【追風、疾風】の第二小隊のみ「ウェーク島の戦い」に参加し、第二小隊は後から応援に駆けつけています。

しかし「ウェーク島の戦い」ではまさかの陸上からの大きな抵抗を受け、僚艦の【疾風】が太平洋戦争開戦後の水上艦沈没第一号となってしまいます。
結局「ウェーク島の戦い」は第二航空戦隊の援助を受けるまでアメリカの抵抗を突破できず、他にも【如月】沈没や上陸部隊の崩壊など大きな損害を負っています。

続いて「ラバウル攻略作戦、スルミ攻略作戦、サラモア攻略作戦」にも参加。
緒戦は戦場に多く足を運びました。
ですがラエ・サラモアに展開中の3月10日、【米レキシントン級航空母艦 レキシントン】【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】の艦載機による空襲を受け、第二十九駆逐隊は3隻とも被害を受けてしまいました。
軍艦や駆逐艦の沈没はありませんでしたが、4隻の輸送船が撃沈されており、太平洋戦争が始まってから最大の空襲被害となりました。
仲良く佐世保に戻って修理を受けた3隻は、後に【夕月】を加えて新編第二十九駆逐隊が誕生しました。

復帰後は第六水雷戦隊が解散となり、第二十九駆逐隊、第三十駆逐隊、【夕張】は第二海上護衛隊に所属することになります。
ただ第三十駆逐隊はたった4日で新編の第八艦隊に転属してしまいます。

護衛隊の名の通り【追風】らはトラック島を拠点として船団護衛を中心に活動していきます。
しかし所属して間もなく、ルンガ飛行場が隙をつかれてあっさり強奪されたため、ここへの艦砲射撃を行うために8月13日に【追風】【夕月】と共に出撃。
これが半年に渡る「ガダルカナル島の戦い」の中の初めての艦砲射撃となりました。

その後はほぼ表舞台に立たず、裏で船団護衛を行うためにあちこち移動します。
昭和18年/1943年4月1日は第二十九駆逐隊は第三十四駆逐隊と共に解隊され、第二海上護衛隊直属となりました。

6月10日は、【追風】らが護衛して【特設運送船 興津丸】が曳航する【知床型給油艦 石廊】が何者かに雷撃を受けます。
この時他にも輸送船がいたのですが、幸い雷撃を受けたのは【石廊】だけで、かつ【石廊】も大した損害ではありませんでした。
魚雷を放ったのは【米ガトー級潜水艦 ティノサ】
【追風】と輸送船は次々と爆雷を投下し、【ティノサ】は慌てて逃げていきました。
日本に戻ると【追風】は整備に入りますが、その時もう使わない魚雷発射管一基と主砲を撤去し、機銃が増備されたそうです。

【追風】は自分自身が潜水艦に襲われたこともあります。
9月21日は第4920船団の護衛中に【新夕張丸】が被雷、【米ガトー級潜水艦 ハドック】に対して反撃をしているところに、不意に別の方向から雷跡が飛び込んできたのです。
「神風型」ほどの駆逐艦が魚雷を受ければ一巻の終わりです、万事休すか!?
と誰もが沈没を覚悟したと思いますが、幸運にも【米タンバー級潜水艦 ガジョン】の発射した魚雷は不発に終わったのです。

肝を冷やした【追風】ですが、この後も船団護衛は潜水艦との戦いの連続でした。
ですが常に敵のほうが1枚上手で、輸送船は沈没していくのにこちらは1隻の撃沈も果たすことができませんでした。
10月12日に【間宮】【米ガトー級潜水艦 セロ】の魚雷を受けて大破した時も【追風】が護衛をしていました。

昭和19年/1944年2月15日、【追風】は前年11月に被雷して艦尾を喪失していた【阿賀野】をトラック島から内地まで【第28号駆潜艇】と一緒に護衛する任務に就きます。
この時【追風】は砲弾や機銃弾の大半を陸揚げしていました。
ところが出発の翌日、【阿賀野】は再び潜水艦に狙われます。
【米バラオ級潜水艦 スケート】「加古型重巡」と見間違えた【阿賀野】を発見し、艦首魚雷4発を発射。
これが見事に2本命中し、【阿賀野】はまたまた潜水艦によって大破させられてしまいます。

旧型の【追風】【第28号駆潜艇】では【阿賀野】を曳航することもできず、【阿賀野】はやがて炎上沈没。
救助した乗員を乗せて、【追風、第28号駆潜艇】はトラック島に戻ることになりました。
が、この時【追風】らは「トラック島に戻って、空襲を受けた他の艦を護衛して内地へ向かえ」(2月17日が「トラック島空襲」)という命令と「そのままサイパンへ向かえ」という命令を受けてしまい、どっちを信じたらいいのかわからなくなってしまいます。
実際は戻らずにサイパンに向かえというのが正しい命令だったそうなのですが、運命の選択で【追風】は地獄行きの扉を開いてしまいます。

この時トラック島から脱出した【春雨】は、トラック島へ向かう【追風】に対して退避を進めたのですが、【追風】は命令だからとトラック島へ戻りました。
命令というのはこうも恐ろしいものか、戦って死ぬのなら本望ですが、死にに行くというのは話が違います。
この時の【春雨】艦長の富田敏彦少佐【追風】の前艦長でした。

しかし翌日もアメリカは日本の一大拠点だったトラック島を完全に破壊するために再び襲来。
【追風】は環礁に入ったところで艦載機に見つかってしまいます。
もともと機銃弾がほとんど残っていなかった【追風】に戦う術はなく、あっという間に機銃を撃ち尽くしてしまい、あとは回避を続けるしかありません。
爆撃と機銃掃射で将校が次々と戦死し、最後は【阿賀野】艦長の松田尊睦少佐が指揮を執りましたが、雷撃を受けて【追風】の船体は真っ二つ。
船から脱出した人たちにも容赦のない機銃掃射があり、【追風】は172名の戦死者、【阿賀野】沈没時になんとか救助された人たちも犠牲になり、【阿賀野】乗員は合わせて467名が戦死。
現在【追風】は、水深73mの場所で船の中で亡くなった人たちの遺骨とともに眠っています。


トラック島空襲を受ける【追風】

駆逐艦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項における参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
わかっている範囲のみ、各項に参考文献を表記しておりますが、勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。

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