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夕凪【神風型駆逐艦 九番艦】

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起工日 大正12年/1923年9月1日
進水日 大正13年/1924年4月23日
竣工日 大正14年/1925年4月24日
退役日
(沈没)
昭和19年/1944年8月25日
ルソン島沖
建 造 佐世保海軍工廠
基準排水量 1,270t
垂線間長 97.54m
全 幅 9.16m
最大速度 37.25ノット
馬 力 38,500馬力
主 砲 45口径12cm単装砲 4基4門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 3基6門
機 銃 留式7.7mm単装機銃 2基2挺
缶・主機 ロ号艦本式缶 4基
艦本式ギアード・タービン 2基2軸

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激戦地で多くの仕事 老いたる馬は道を忘れず

【夕凪】は当初は「第十七号駆逐艦」として建造され、昭和3年/1928年8月1日に【夕凪】となります。
竣工後は【追風】【疾風】【朝凪】とともに第二十九駆逐隊を編制しますが、昭和10年/1935年11月15日から5年間第二十九駆逐隊は分裂し、【夕凪、朝凪】だけで第二十八駆逐隊を編制していました。

太平洋戦争開戦時は【夕張】旗艦の第六水雷戦隊に所属し、タラワ、マキンの占領支援を行います。
占領はスムーズに進んだのですが、第六水雷戦隊の本隊が参加していた「ウェーク島の戦い」が想像以上に苦戦してしまいます。
この戦いの中で【疾風】【如月】が沈んでしまったことで、第二十九駆逐隊はいきなり1隻を失ってしまいました。
【夕凪、朝凪】はこの苦戦を受けて「ウェーク島の戦い」の応援に向かいました。

昭和17年/1942年には早々に「ラバウル攻略作戦」を成功させ、さらにラエ、サラモア攻略も達成。
日本は怒涛の快進撃で南方の島々を次々と占領していきました。
しかし指をくわえて見ているだけのアメリカではなく、3月10日にはサラモアでの揚陸中に【米レキシントン級航空母艦 レキシントン】【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】の艦載機が襲いかかり、【夕凪、追風、朝凪】の3隻全てが被害を受けます。
【夕凪】は左舷中央部の直撃弾により機関部が損傷し、29人もの戦死者を出してしまいました。
他に輸送船も4隻沈んでおり、空襲の恐ろしさを身をもって経験した1日となりました。

輸送後に3隻はそろって横須賀へ帰投し、修理に入ります。
一番被害が大きかった【夕凪】は他の2隻より入渠期間が長く、6月1日に復帰。
7月10日に第六水雷戦隊が解隊されたのに合わせ、第二十九駆逐隊は第二海上護衛隊所属となりました。
【夕凪】らはラバウルやトラックなどの泊地間の輸送護衛を主任務として働き続けました。

8月7日、ルンガ飛行場がまんまと奪われたことに端を発した「ガダルカナル島の戦い」の最初の艦隊戦となった「第一次ソロモン海戦」【夕凪】は参加します。
なぜ緊急を要するこの戦いに【夕凪】のような旧式艦が選ばれたのかというと、別に選ばれたわけでなく、志願して半ばムリヤリこの戦いに参加したのです。
【夕凪】はたまたまラバウルに滞在しており、連合軍の揚陸を阻止するために【鳥海】旗艦の重巡だけで出撃する予定だったところに、【天龍】【夕張】【夕凪】が直談判して艦隊にくっついていったのです。

参加は許可されたものの飛び入りのため連携は期待できず、また無線電話の設定もされないままの出撃となりました。
そのためこの3隻は重巡の後を追って、攻撃が始まったら攻撃をする、といった状況判断に頼らざるを得なくなります。

7日深夜、艦隊は目の前に現れた敵艦を次々に薙ぎ払っていきます。
【鳥海】の合図とともに砲雷撃が始まり、まるで嵐でも来たかのように連合軍は集中砲火を浴びてどんどん炎上していきます。
【夕凪】はこの戦いの中で【豪ケント級重巡洋艦 キャンベラ】に対して魚雷を発射し、うち1本が【キャンベラ】に命中。
【キャンベラ】はこの後も浮き続けていましたが、最終的には自沈処分によって沈没しました。
【夕凪】はこの雷撃で攻撃手段が事実上なくなったため、艦隊を追わずに復路にあたるサボ島北方まで退避しました。

「第一次ソロモン海戦」は結果的に艦隊戦は大勝利を収めたものの、最優先事項の輸送妨害は全く行っておらず、また最後には【加古】が3本の魚雷を真横から受けて沈没するという、決して手放しで喜べるものではありません。
大正生まれの駆逐艦がこんな激戦に参加するというとんでもないことになりましたが、これ以降はさすがに【夕凪】も船団護衛の任務ばかりとなります。

昭和18年/1943年3月18日、【夕凪】の姿は佐世保にありました。
ここで整備を受け、さらに主砲や魚雷を1基ずつ撤去して機銃を増備し、さらに空いたスペースを利用して【大発動艇】を2隻搭載できるように改装されました。
この改装により【夕凪】は船団護衛だけでなく揚陸支援も行えるようになりました。
4月1日には第二十九駆逐隊は解隊となり、【夕凪】は第八艦隊直属となります。

改装を受けたことで【夕凪】はより輸送任務に精が出るようになります。
この頃はコロンバンガラ島やニュージョージア島への輸送が急務となっていた時期で、【夕凪】は他の駆逐艦と共に警戒隊・輸送隊を構成して働き続けました。
7月4日には輸送を行っているとニュージョージア島に向けて艦砲射撃を行っている軽巡を含めた艦隊を発見。
こちらは駆逐艦だけでしかも旧式艦ないし長10cm砲ですから、砲撃戦は圧倒的に不利です。
魚雷だけ流して輸送隊はすぐに引き揚げていきました。
ですがその魚雷は見事【米フレッチャー級駆逐艦 ストロング】に命中し、撃沈させています。

4日の輸送は行えなかったので、翌日再び警戒隊を伴った輸送が行われます。
この日はたまたま【夕凪】は不参加だったのですが、夜にやはり展開されていた米艦隊との海戦となり、「クラ湾夜戦」が勃発。
ここで第三水雷戦隊の旗艦である【新月】、そして【長月】も座礁の末放棄されて2隻の駆逐艦を失いました。
「第一次ソロモン海戦」で根こそぎ連合国の艦隊を食い破った夜戦の強さも過去の話、レーダーを備えたアメリカ艦との戦いは昼夜問わずせいぜい五分、概ね劣勢に立たされるようになりました。

12日の「コロンバンガラ島沖海戦」でも【夕凪】は輸送隊として参加。
【神通】1隻を犠牲に輸送と海戦そのものの圧勝を達成しましたが、これで数日のうちに2つの水雷戦隊が司令部が消滅。
この影響で第四水雷戦隊がほぼ第二水雷戦隊にスライドされるという緊急事態となりました。

18日、ブインにて停泊中ににわかに空が騒がしくなりました。
敵による空襲が始まったのです。
増備された【夕凪】の機銃が唸りますが、回避中に右舷中央部に至近弾を受けてしまい浸水を起こしてしまいます。
やわらかい【夕凪】は至近弾の断片などで破孔だらけになり、任務を継続することができなくなりました。
この影響で当日発の輸送は【水無月】に代わってもらうことになり、また佐世保へ帰っていきました。

9月29日に戻ってきた【夕凪】は10月2日に早速「コロンバンガラ島撤退作戦」の第二次撤収作戦に参加しますが、残念ながら道中の故障の影響で【松風】とともに途中離脱。
しかし6日の「第二次ベララベラ海戦」では無事に撤収支援に成功。
戦いも【夕雲】が沈没しましたが【米フレッチャー級駆逐艦 シュバリエ】を撃沈させたほか【米フレッチャー級駆逐艦 オバノン、米ポーター級駆逐艦 セルフリッジ】を大破させて勝利しています。

多忙極める【夕凪】ですが、ここにきて敵の空襲もより激しくなってきました。
【夕凪】が拠点とするラバウルは航空機の中心基地であるため、アメリカにとってはとにかく邪魔な存在でした。
なので前線が後退するにつれてラバウルへの攻撃は激しさを増していきました。
11月5日の空襲はそれを代表するもので、せっかく進出してきた重巡などの大型艦が到着するや否やボロボロにされてしまい、このおかげでより駆逐艦には粉骨砕身の活躍を強いられることになります。

12月11日に【夕凪】は座礁、ここは自力で脱出できましたが13日に再び座礁する不運に見舞われます。
しかし全ての運を失ったわけでなく、動けない【夕凪】を狙った【B-24】の爆弾は幸い不発弾で危機を脱しています。
今回の座礁は【水無月】に助けてもらっています。
その後機関故障も発生したことで【夕凪】は再度佐世保に戻ることになりました。

昭和19年/1944年1月1日の元旦、ラバウルからトラックへ向かう中で【清澄丸】を護衛していた【夕凪】でしたが、【米バラオ級潜水艦 バラオ】の雷撃を受けて【清澄丸】が大破します。
船尾のスクリューが海面に見えるほどの前部沈下があった【清澄丸】でしたが、なんとか踏ん張ってバランスを取り直しました。
しかし護衛していた【夕凪】だけでは曳航が難しく、トラック島から【那珂】【谷風】、さらにトラック島へ向かう途中だった【大淀】【秋月】の支援を受けてトラック島まで逃げ延びました。

修理を終えた【夕凪】の次の仕事は松輸送でした。
マリアナ諸島やサイパンと言った日本の重要拠点の防御を強化するための緊急輸送で、まず【夕凪】は東松二号船団の護衛を任されます。
この船団は輸送船12隻が参加、旗艦【龍田】【夕凪】を含めた4隻の駆逐艦、他にも補助艇、さらに航空支援も受けるという結構しっかりした船団でした。

ところが出発翌日の13日には早速【米バラオ級潜水艦 サンドランス】に発見され、船団に危機が訪れます。
この日は天気が悪く波が高かったため、潜水艦を発見するのは難しい状況でした。
午前3時過ぎ、船団にサーっと飛び込んできた魚雷が【龍田】【国陽丸】の息の根を止めました。
2隻は共にすぐに沈没はしなかったものの、大波が修理も救助も妨げます。
結局2隻とも15時半ごろに相次いで沈没してしまいました。
東松二号船団はこの2隻以外の被害は受けることなく19日にサイパンに到着します。

続いて4月15日、今度は東松六号船団を護衛して東京湾を出港。
この船団は往復ともに全く被害なく、無事にサイパンや小笠原諸島への輸送を達成しました。

5月1日には長らく駆逐隊を編制していなかった【夕凪】が久しぶりに第二十二駆逐隊に編入されることになりました。
ただ次の作戦は駆逐隊では動かずに連合艦隊附となり、【大淀】の指揮下に入りました。
連合艦隊旗艦【大淀】の直属、つまり「あ号作戦」の発動です。

「マリアナ沖海戦」に立ち向かうにあたり、【夕凪】は補給部隊の一員として参加。
しかしこの海戦は19日の空母2隻沈没だけでなく、翌日の追撃でも被害を生んでいます。
軍艦では【飛鷹】が沈んでいますが、補給部隊の輸送船も【静洋丸、玄洋丸】が大破の末沈没してしまいました。
【夕凪】は戦場から離脱し、24日にギマラスに到着し、さらに【速吸、旭東丸】を護衛して【響】【藤波】とともに呉まで戻っていきました。

8月8日、マニラに向かう途中で潜水艦の襲撃を受け、大量の戦死者を出してしまったヒ71船団を護衛して【夕凪】は門司を出港します。
しかし18日に【永洋丸】【米バラオ級潜水艦 レッドフィッシュ】の雷撃を受けて大破してしまったため、【夕凪】【朝風】はこれを護衛して高雄まで引き返すことになりました。

ただ【夕凪】の寿命も刻一刻と削られていました。
21日に【夕凪】【朝風】と共に【第二八紘丸、二洋丸】を護衛してマニラへ向けて高雄を出港します。
しかし翌日には【米バラオ級潜水艦 スペードフィッシュ】の魚雷が【第二八紘丸】を襲い、【第二八紘丸】は座礁してしまいました。
【第二八紘丸】は沈没はしていませんでしたが、当然救助が必要なので【夕凪】が警備について【朝風】【二洋丸】は先を急ぎました。

ところが23日には【朝風】に魚雷が突っ込んできました。
【米ガトー級潜水艦 ハッド】の魚雷が【朝風】に命中し、沈没こそしませんでしたが【朝風】は航行不能に陥ります。
【朝風】は機帆船に助けられてルソン島までは落ち延びますが、そこでついに沈没してしまいました。

その後を追うかのように【夕凪】は25日に潜水艦に襲われます。
【夕凪】【第二八紘丸】【第25号海防艦】などが護衛した船団と合流することに成功しますが、【米バラオ級潜水艦 ピクーダ】の魚雷が【光徳丸】に命中して沈没してしまいます。
すぐに【夕凪】が反撃に転じたのですが、【ピクーダ】は嘲笑うかのように再び魚雷を発射。
魚雷は【夕凪】の左舷艦橋付近に命中し、缶が大爆発を起こして【夕凪】も沈没。
ここまで数多の輸送を支えてきた【夕凪】でしたが、すでに自身の努力だけで戦い抜ける戦争ではなくなっていました。

昭和19年/1944年7月31日時点の兵装
主 砲 45口径12cm単装砲 2基2門
魚 雷 53.3cm連装魚雷発射管 2基4門
機 銃 25mm連装機銃 4基8挺
25mm単装機銃 5基5挺
電 探 13号対空電探 1基

出典:日本駆逐艦物語 著:福井静夫 株式会社光人社 1993年