神通【川内型軽巡洋艦 二番艦】

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①大正14年/1925年竣工時
②昭和9年/1934年(改装完了後)

起工日大正11年/1922年8月4日
進水日大正12年/1923年12月8日
竣工日大正14年/1925年7月31日
退役日
(沈没)
昭和18年/1943年7月13日
コロンバンガラ島沖海戦
建 造川崎造船所
① 常備排水量
② 公試排水量
① 5,595t
② 7,355t
全 長① 162.46m

水線下幅① 14.17m

最大速度① 35.3ノット
② 33.3ノット
航続距離① 14ノット:5,000海里

馬 力① 90,000馬力

装 備 一 覧

大正14年/1925年(竣工時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃40口径7.6cm単装高角砲 2基2門
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼4基、重油8基
川崎ブラウン式ギアードタービン 4基4軸
その他
艦上偵察機 1機(滑走台)
昭和9年/1934年(改装時)
主 砲50口径14cm単装砲 7基7門
備砲・機銃13mm四連装機銃 1基4挺
13mm連装機銃 2基4挺
(⇒のち13mm連装機銃 2基4挺)
魚 雷61cm連装魚雷発射管 4基8門
(⇒のち61cm四連装魚雷発射管 2基8門)
缶・主機ロ号艦本式ボイラー 混焼4基、重油8基
川崎ブラウン式ギアードタービン 4基4軸
その他
水上機 1機
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「華のニ水戦」の頭領 有史に名を残した神通

【神通】は本当は三番艦の予定でしたが、横須賀で建造されていた【那珂】関東大震災によって竣工前に大破。
ほぼ再建造することになってしまったため、繰り上げで【神通】が二番艦となりました。


就役当時の【神通】 就役時の艦首形状がスプーン・バウであることがわかる

最新の軽巡とあって、【神通】は自らの宿命を果たすために訓練を重ねます。
しかし度が過ぎる訓練を重ねすぎた【神通】は、竣工2年で大事故を起こしてしまいます。
有名な「美保関事件」です。

昭和2年/1927年8月24日、海軍は夜間無灯火演習を行うことにします。
文字通り、闇夜の海上で明かりをつけずに演習を行うという、大変危険な訓練です。

演習は【神通】ら巡洋艦・駆逐艦で編成された乙軍が、戦艦部隊+護衛の軽巡4隻の甲軍に対して攻撃を行うという内容でした。
午後11時から演習は開始され、【神通】は敵部隊に発見されて探照灯を当てられたために【那珂】とともに右旋回で距離を離していきます。
しかし体勢を立て直して攻撃の機会を伺おうとしたその時、不意に目の前を黒い影が通り過ぎました。
慌てて【神通】は舵を切りますが、不幸なことにその転舵の先にもまたも艦影があったのです。

その正体は【蕨】
小型の二等駆逐艦である「樅型駆逐艦」【蕨】は巡洋艦の突進に耐えきれるはずがありませんでした。
【神通】【蕨】の真ん中を艦首で真っ二つにする勢いで衝突してしまい、【蕨】はボイラーの爆発によって轟沈。
この事故によって【蕨】は22名が救助されましたが、五十嵐恵艦長以下91名が殉職しました。
【神通】も艦首の大部分を抉り取られるほどの大損害で、さらに後続の【那珂】【葦】と衝突、双方とも大破し、多数の死傷者が出てしまいます。
【神通】は当然自力航行不可、【金剛】に曳航されて帰投しました。


美保関事件後の【神通】

当時の【神通】艦長は水城圭二大佐
彼はすべての責任を取る形で、軍法会議の判決前日に自決しています。
悲しいことに、【蕨】五十嵐恵艦長は、彼の教え子だったそうです。

この事件、背景には想定される実戦をはるかに超えた過酷な訓練が生み出した悲劇としても語られています。
事件の直接の原因は【神通】ではありましたが、そもそも実戦ですら想定されない猛烈な訓練がこの事件を招いたのです。
「訓練に制限なし」を標語に掲げ、特に水雷戦隊の訓練は無駄に、無意味に過酷でした。
さらに【蕨】【葦】はこの夜間無灯火演習どころか、夜間航行訓練すら未経験で、臨時にこの演習に編入された艦でした。

悪条件が重なって起こった「美保関事件」でしたが、しかし当時の加藤寛治連合艦隊司令長官はこの事故が起こってもなお訓練を緩めることは許しませんでした。
艦艇数で追いつけない米英に勝るには、日々是訓練を徹底するしかない、という判断だったのです。

【神通】はこの修理の際に、一緒に艦首形状も改善されています。
竣工当初はスプーン・バウでしたが、凌波性をさらに高めるためにダブルカーブド・バウへと変更されています。
そして修理が終わると、【神通】はかねてより期待されていた、第一艦隊第二水雷戦隊の旗艦に就任。
ここに日本の最強武闘派集団の長たる【神通】が誕生します。

出典:『軍艦雑記帳 上下艦』タミヤ


艦首がダブルカーブド・バウへ変更された【神通】

「第二水雷戦隊」

飛行機が敵を制圧する要になる前、戦いは当然洋上の艦同士のものとなります。
戦闘は大型戦艦の主砲のみならず、軽巡洋艦や駆逐艦による魚雷攻撃も非常に有効な攻撃手段です。
水雷戦隊とはその魚雷を必殺兵器として戦うために編成されたものでした。
ですので、組み込まれているのは軽巡と駆逐艦。
主砲の攻撃のみならず、相手の懐に飛び込んで確実に魚雷で仕留めることが求められたエリート集団なのです。
特に第二水雷戦隊は、連合艦隊で最もはじめに敵軍に突撃することが役目のため、選ばれた艦、乗員は命知らずの猛者ばかり。
兵員は戦艦に乗るか二水戦に乗るかのどちらかに強い憧れを抱いていました。
戦艦から二水戦に転属が決まり、諸手を上げて喜んだという記録もあるほどです。

【神通】はそんな猛者を束ねる旗艦に就任したのです。
かつての世界一の水雷戦隊を率いた鬼神として、その名を今にも残しています。

【神通】はその二水戦旗艦に相応しい装備も与えられます。
二水戦旗艦ということは司令部も【神通】に乗船するため、昭和8年/1933年に艦載機用の格納庫を潰して司令部施設の拡充を行い、同時にカタパルトやデリックを搭載。
また開戦直前の昭和16年/1941年には後部の魚雷発射管は酸素魚雷を発射することができる61cm四連装魚雷発射管へと換装されました(前部魚雷発射管は撤去)。

そんな万全の体制で太平洋戦争に突入した【神通】でしたが、最初の2ヶ月は輸送の護衛として活動し、海戦には参加していません。
初参戦は昭和17年/1942年2月27日に勃発した「スラバヤ沖海戦」です。
しかしこの海戦、勝利はしたものの大変反省点の多い戦いとなってしまいます。

敵影を発見し、【神通】は各艦にご自慢の酸素魚雷を発射するように命令します。
しかし【神通】自身はあまりにも遠距離での攻撃だったため、砲雷撃での戦果は皆無でした。
そもそもこの初日の海戦では、隷下の駆逐艦や第四水雷戦隊は約10kmの距離まで詰め寄って雷撃を、そして独断ですが【朝雲】【峯雲】はなんと5kmまで接近して魚雷発射、さらに3kmの距離で砲撃を行うなど、勇猛を通り越して無鉄砲な戦い方をしています。
結果的に【朝雲、峯雲】【英駆逐艦 エレクトラ】を砲撃で沈めてはいますが、魚雷命中はなんとゼロ。
もちろん魚雷もタダではなく、どころか1本が今の金額で3~5億円ほどすると算出されているため、空撃ちは厳禁です。

その後の夜戦や翌日の海戦で、日本は合計8隻の撃沈と数字の上では大勝利を納めています。
しかし全体を通して命中率が壊滅的であったり、観測不足や砲撃機会の喪失など、全く評価されませんでした。
【神通】の成果といえば、第一次夜戦につながる連合軍撤退後の動向をつぶさに観測し続けた水上偵察機の目ぐらいかもしれません。

ソロモン諸島での戦いでも、日本は苦しい戦いを強いられます。
【神通】はじめ二水戦も戦略をなかなか練ることができず、輸送任務には常にヘンダーソン飛行場という障害が日本を苦しめていました。
ヘンダーソン飛行場への砲撃と輸送がひっきりなしに行われますが、ヘンダーソン飛行場の壊滅には程遠く、日本は危険を承知で出撃せざるを得ませんでした。
8月24日深夜に【磯風】ら駆逐艦群がヘンダーソン飛行場へ向けて砲撃を行うのですが、一緒に行動をして船団を護衛していた【神通】は、まさにその砲撃していたヘンダーソン飛行場から飛び立った「SBD-5 ドーントレス」の空襲の被害にあって損傷、やむなく戦場から退避します。
この空襲では【睦月】【輸送船 金龍丸】も沈没しています。

この被害を受けて【神通】は、応急処置を受けた後10月に本土へ帰投。
神通復帰までに二水戦旗艦は【五十鈴】【長波】などが交代をしながら務めています。
結局【神通】のガダルカナル島を巡る戦いでの活躍は乏しく、復帰したころにはもう取り返しのつかない戦況となっていました。

修理を終えると、【神通】「ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)」に従事。
その後しばらくは一部輸送任務を除いてトラック島での待機が続きます。
そして7月11日、その名が轟くきっかけとなっている有名な戦い、「コロンバンガラ島沖海戦」へと突入します。

当時の日本の夜戦の戦い方は、軽巡洋艦が探照灯を敵艦隊へ向けて投射、敵艦隊の姿を露呈させてそこに向けて各艦が総攻撃をしかけるというものでした。
しかし当然、その光を追えば自身の場所も特定されます。
探照灯照射は諸刃の刃でした。

【神通】はそんなこと意に介さず、探照灯を敵艦隊へ向けて放ちました。
各艦一斉に突撃、砲撃を開始します。
また同時に、【神通】にも他方から砲弾や魚雷が容赦なく襲いかかってきました。
二水戦所属の駆逐艦は全く被害なく突撃する中、【神通】は瞬く間に炎に包まれてしまいます。
集中砲火を浴びながら、自身も魚雷を7本発射。
この猛攻の最中でも、そこまでの行動がとれていました。

沈没までに受けた砲撃は2500発を超えるとも言われ(駆逐艦の砲弾なので、基本的には船体は耐え切れます。なのでこれぐらいの命中があってもおかしくはありません。榴弾による火災や構造物の被害は別ですが)、【神通】はやがて2発の魚雷を受けて大爆発、船体が真っ二つに割れてしまいました。
ところが【神通】からはまだ砲弾が発射されます。
動いていたのは一番前の1番砲塔だといわれています。
その1番砲塔からは、その身体が海に飲み込まれるまでのおよそ2時間、絶え間なく砲弾が飛び続けました。

一方、被害の全くない二水戦は勇猛果敢に敵艦隊へ突っ込み、一度退避して魚雷を再装填すると再び突撃。
敵駆逐艦1隻撃沈、軽巡3隻、駆逐艦2隻を大破に追い込む大殊勲をあげます。
唯一の被害も【雪風】への不発弾のみ、【神通】以外は見事にこの海戦で大勝利を飾って帰還しました。
しかし【神通】は艦長、司令部をはじめ乗員の大半が死亡。
退艦命令などを出せるものがいなくなった【神通】は、その後も執念とも言える砲撃を続けたものの、若干名が日米の両潜水艦によって救助されるにとどまっています。

【神通】の沈没によって、以後日本は探照灯から照明弾へと夜戦戦術を変更。
【神通】の鬼気迫る戦いぶりには賞賛を与えるべきかと思いますが、指揮系統である司令部まで根こそぎ奪われる戦術は海戦後の日本の艦隊運営に大きな支障となります。
「コロンバンガラ島沖海戦」のわずか6日前の「クラ湾夜戦」でも、第三水雷戦隊旗艦の【新月】とその司令部が沈没、全滅。
「クラ湾夜戦」では探照灯は使われていないようですが、この2つの水雷戦隊の壊滅は致命的で、第四水雷戦隊をそのまま二水戦へスライドさせる応急処置を取らざるを得ませんでした。

2019年4月26日、ポール・アレン氏創始の探査チームが海底に沈む【神通】の発見を発表しました。
映像を見るに、無数の砲撃を受け続けたにもかかわらず兵装の状態がよさそうです。
個人的に注目しているのが、魚雷発射管に残された3本の魚雷です。

7本の魚雷発射の記録がありますが、当時の【神通】の魚雷兵装は61cm四連装魚雷発射管が両舷1基ずつでした。
つまり発射できるのは8本で、うち7本の発射記録があります。
そしてさらに3本の装填が確認されているということは、彼女は一身に砲撃を受け続ける中で7本の魚雷を発射した上に、さらに人力で魚雷を装填しているということになるのです。

人力での魚雷の装填は、運搬車に載せて魚雷を運ぶ必要があります。
その作業時間は、時間はまちまちですが2~30分ぐらいというデータが多く、しかも戦闘中となるとより時間はかかるでしょう。
もし7本の魚雷発射が真実であれば、この大奮闘の中でさらに魚雷を3本搭載させている【神通】の乗組員は、なるほど精鋭中の精鋭であったことを疑う余地はありません。

2019年4月26日 加筆・修正

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