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第一次ベララベラ海戦/ホラニウ海戦

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第一次ベララベラ海戦
(非公式名称)
ホラニウ海戦

戦闘参加戦力

大日本帝国 連合国
夜戦部隊(司令官:伊集院松治少将) 指揮官:トーマス・J・ライアン大佐
・第一七駆逐隊  駆逐艦【ニコラス】
 駆逐艦【漣】  駆逐艦【オバノン】
・第二十七駆逐隊  駆逐艦【テイラー】
 駆逐艦【時雨】  駆逐艦【シャヴァリア】
・第一七駆逐隊  
 駆逐艦【浜風】  
 駆逐艦【磯風】  
輸送部隊  
・警戒隊  
 第一警戒隊  
  艦載水雷艇 1隻  
  武装大発 2隻  
  駆潜特務艇 2隻  
 第二警戒隊  
  陸軍装甲艇 1隻  
・輸送隊  
 艦載水雷艇 3隻  
 陸軍大発 10隻  
 海軍大発 3隻  
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アメリカの妨害も夜戦部隊の迎撃で軽微に 輸送成功

1943年2月7日、日本は3度に渡るガダルカナル島撤収作戦を成功させ、予想以上の成果を上げた。
しかし当然ながら戦線は後退し、日本はニュージョージア島南端のムンダの防衛を固めることになる。
4月にはムンダやラバウルの飛行場からガダルカナル島・ニューギニア島を空襲する「い号作戦」を発動させるが、大きな戦果を上げるどころか、多少の戦果に対して大きな損失を被った。
さらに6月16日の「ルンガ沖航空戦」も大損害を負い、この時点で日本の戦闘可能な航空機の数は激減した。

6月30日、アメリカはニュージョージア島侵略の足がかりとして、ニュージョージア島南方たった10kmのレンドバ島へ上陸。
日本はレンドバ島逆上陸を目論見、ニュージョージア島北西にあるコロンバンガラ島へ増援部隊を輸送したが、7月5~6日にかけてニュージョージア島とコロンバンガラ島の間にあるクラ湾で勃発した「クラ湾夜戦」で、【新月・長月】と第三水雷戦隊司令部を失った。

一方7月4日には米軍の一部がニュージョージア島ムンダの東方にあるザナナに上陸。
帝国陸軍は激しく抵抗し、足止めには成功したが、一方で増援部隊を送るところで発生した7月12日の「コロンバンガラ島沖海戦」では、輸送は成功するものの【神通】と第二水雷戦隊司令部を失った。
第二、第三水雷戦隊司令部を立て続けに失った海軍は、単純な被害隻数、被害人数以上の大きな穴に頭を悩ませることになる。
そして8月6日、「ベラ湾夜戦」ではアメリカの新戦術によってさらに3隻の駆逐艦を撃沈させられる。

この立て続けの損害によって日本は海空の戦力を尽く失い、ニュージョージア島への増援は不十分なままであった。
また、ザナナに上陸した米軍はついにムンダを制圧し、ムンダの飛行場は米軍の手に落ちることになった。

しかしアメリカはここで正攻法をやめ、先にベララベラ島を制圧することにした。
ニュージョージア島はジャングルが生い茂り、ザナナからの侵攻は決して順調ではなかったためである。
ベララベラ島を手中に収めれば、防衛が強固であるコロンバンガラ島とニュージョージア島をベララベラ島とレンドバ島で挟むことができる。
これは、かつてキスカ島とアッツ島で、遠方だが守備の薄いアッツ島を先に制圧し、キスカ島を孤立させたアリューシャン方面の戦いの経験が活かされている。

これに驚いたのは誰あろう日本である。
アメリカの予想通り、ベララベラ島の守備はコロンバンガラ島に比べて明らかに手薄であった。
人数にして守備隊の10倍の6,000人がベララベラ島に上陸し、とてもではないが600人の守備隊で防衛できるものではなかった。
それにベララベラ島の北方にはショートランド諸島やブーゲンビル島がある。
直接攻撃の危険性が非常に高まったのである。
日本は急遽ラバウルからベララベラ島ホラニウに向けて増援部隊を送ることを決定した。

8月17日早朝、夜戦部隊の4隻の駆逐艦がラバウルを、艦載水雷艇、駆潜特務艇、大発動艇などがブインを出発した。
21時にベララベラ島北東で両者は合流し、大きな問題なく輸送が続行された。

しかし22時32分、【漣】が南東15,000mの距離に敵影を発見。
この時【漣】は重巡もしくは軽巡4隻を含む駆逐艦を発見したとしているが、交戦に入ったのはアメリカの第41駆逐群である。
夜戦部隊は先制して魚雷を放つが、すべて命中せず。

23時頃に双方砲撃戦に移る。
この砲撃戦によって駆潜特務艇2隻と大発1隻が沈没した。
しかし30分の砲撃戦でお互い戦況を傾けるような結果は残せず、日本は深追いせずに輸送に戻ることとなる。
去り際に【磯風、浜風】が被弾し、負傷者も発生したが、船体に大きな被害はなかった。
この時報告でも証言でも巡洋艦もしくは駆逐艦1隻の撃沈と駆逐艦に対する命中弾多数とあるが、アメリカの記録では、実際に被害を受けた駆逐艦は存在しない。

上記の3隻の沈没のほか、艦載水雷艇1隻が座礁したが、輸送は概ね成功したと言える。
一方夜戦部隊は18日の13時30分にラバウルに帰投した。

しかし輸送は成功したものの、防衛に成功したわけではない。
9月には米軍の上陸部隊の本格的な進軍が開始され、また、日本の舟艇輸送はこれ以降は尽く妨害された。
またニュージョージア島も「ニュージョージア島の戦い」で敗北し、8月30日にニュージョージア島は放棄された。
そして「第一次ベララベラ海戦」で増援を送った日本は、「第二次ベララベラ海戦」において、今度は撤退作戦を実施することになる。

日本の作戦成功

両者損害

大日本帝国 連合国
沈 没
【特務駆潜艇】2隻  
【大発】1隻  
【艦載水雷艇】1隻  
1943年海 戦
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※1 当HPは全て敬称略としております(氏をつけるとテンポが悪いので)。

※2 各項における参考文献、引用文献などの情報を取りまとめる前にHPが肥大化したため、各項ごとにそれらを明記することができなくなってしまいました。
わかっている範囲のみ、各項に参考文献を表記しておりますが、勝手ながら今は各項の参考文献、引用文献をすべて【参考書籍・サイト】にてまとめております。
ご理解くださいますようお願いいたします。

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