起工日 | 昭和15年/1940年12月23日 |
進水日 | 昭和16年/1941年9月26日 |
竣工日 | 昭和17年/1942年3月28日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年6月8日 |
ダバオ沖 | |
建 造 | 浦賀船渠 |
基準排水量 | 2,077t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
空母護衛の1942年 激戦ソロモンを駆け回る
【風雲】は太平洋戦争開戦から3ヶ月後の昭和17年/1942年3月に竣工し、まずは【夕雲】【巻雲】とともに第十駆逐隊を編成。
そして4月に【秋雲】が入ってきて4隻編成となりました。
【風雲】が竣工したタイミングでは日本が大攻勢を仕掛けていた時でしたが、【風雲】はその勢いをさらに増すために訓練に励みました。
4月10日に第十駆逐隊は新編された第十戦隊に編入。
これは機動部隊の護衛を主任務とする部隊で、空母の活発な行動に随伴するためには航続距離の長い「甲型駆逐艦」が選ばれるのも当然なことでした。
18日には「ドーリットル空襲」があり、まだ合流できていなかった【秋雲】を除いて第十駆逐隊は緊急出動。
ですが空母からまさかの双発機【B-25】を飛ばすという奇想天外な手段に出たこの空襲では、かなりの遠方から出撃しており発見はできませんでした。
第十戦隊は初の空母同士、水上艦から敵影を見ない海戦となった「珊瑚海海戦」には出撃していません。
【翔鶴】【瑞鶴】は第二十七駆逐隊などの護衛を受けてこの戦いに参加したのですが、艦載機も【翔鶴】も手酷いやられ方をしてしまい、これにより「MI作戦」に出撃することができなくなってしまいます。
もし【瑞鶴】だけでも「MI作戦」に参加していたら、直撃弾を浴びた【赤城】【加賀】【蒼龍】の運命は変わらずとも、【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】しか沈められなかったという結果はより良いものになっていたかもしれません。
その「ミッドウェー海戦」ですが、【風雲】の初期配置がはっきりしていませんが、基本的には【飛龍】護衛の行動をとっていたようです。
ただ【赤城】炎上の中司令部を救助する上で、【風雲】艦長の吉田正義中佐の証言では内火艇で【風雲】に移乗、その後【長良】に将旗が掲げられたと言われています。
しかし【野分】経由で、また直接【長良】へ移ったという記録もあり、今のところ戦史叢書の記録である【野分】経由説が真実だと認識されています。
3隻が次々に爆撃により破壊される中、【飛龍】は無事な我が艦が奮闘せねばと鉢巻を締め直したはず。
その【飛龍】のそばで【風雲】と【巻雲】(この他にも【夕雲】【谷風】の名前が上がりますが、絶対信頼できる情報がありません。ここでは【風雲、巻雲】コンビで話を進めます)が護衛を務めますが、攻撃はともかく、敵の狙いは【飛龍】に集中することから防御力が全く足りません。
【飛龍】の最後の力が不死身の【ヨークタウン】に引導を渡したのは確かですが、その代償に【飛龍】自身も他の空母とともにこの海で眠ることになりました。
火災が広がり総員退艦が決まった【飛龍】は、【風雲】と【巻雲】による救助が始まりますが、第二航空戦隊司令官の山口多聞少将と艦長の加来止男大佐は脱出を拒否し、【飛龍】とともに旅立ちました。
救助活動中に【風雲】は【飛龍】と接触してしまい、この時に後檣を損傷しています。
救助後に【飛龍】は【巻雲】の魚雷1本を受けて自沈処分されたのですが、実はこのタイミングでは【飛龍】は沈み切らず、翌朝【鳳翔】所属の【九七式艦上攻撃機】によって【飛龍】が健在であることが発覚し、【谷風】が単艦で敵制空権に突っ込むという恐ろしい任務を受けることになりました。
「MI作戦」の失敗により、日本の展望は完全に崩壊。
第一航空艦隊は大黒柱がボッキリ折れてしまったことで解隊され、新たに第三艦隊が編成されました。
第十戦隊もそのまま第三艦隊に所属となり、心機一転、改めて残された【翔鶴、瑞鶴】を中心とした空母達とともに日本に再び勢いをもたらそうと思ったことでしょう。
しかし「ミッドウェー海戦」を最後に、二度と大東亜に日が昇ることはありませんでした。
8月に入り「ガダルカナル島の戦い」が始まると、空母も当然出陣しますので、第十戦隊もともにトラック島へ向かいました。
ところがヘンダーソン飛行場を取り返すのが困難になったことで、空母は直接ソロモン海に向かって支援をすることになりました。
その結果、「第二次ソロモン海戦」が24日に始まります。
この戦いでは【龍驤】が沈没し、【翔鶴、瑞鶴】の力で【サラトガ、ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】に被害を与えたものの、陸軍への航空支援が見送られてしまいます。
制空権は引き続き連合軍が確保することになり、駆逐隊の働きはここから輸送船護衛ではなく自身が輸送の中心と鼠輸送に切り替わっていきました。
航空支援も満足に行えない中での低速の輸送船輸送だと、被害が重なるばかりでした。
ただ第十駆逐隊は第十戦隊という所属の関係上、早々に鼠輸送に加わることはなく、空母とともにトラックに戻って哨戒活動に従事しています。
ジャングルの激闘と空襲をかいくぐる海上輸送が日々行われる、しばらくトラックに止まっていた【風雲】ですが、10月下旬にようやく次の仕事が巡ってきました。
兎にも角にもヘンダーソン飛行場の奪還ができなければ「ガダルカナル島の戦い」の戦況をひっくり返すことができないわけですが、陸での戦いはなかなか前に進まず、海上支援のタイミングが掴めませんでした。
陸海総攻撃のタイミングはずるずると延長され、10月26日にようやく機動部隊は敵機動部隊と衝突することになりました。
「南太平洋海戦」です。
【風雲】ら第十駆逐隊はこの戦いでは機動部隊の前衛に配備されており、【比叡】【霧島】らとともに行動しております。
しかし前衛とは言えども対空兵装が充実していたたわけもなく、襲われたら襲われたで大変な目にあいます。
先頭だった【筑摩】は、燃料不足で【翔鶴】達のところへ向かえなかった【エンタープライズ】の艦載機による攻撃が次々に繰り出され、23ノットにまで速力が低下。
大破した【筑摩】は【浦風】【谷風】に護衛されて撤退、本丸の機動部隊も【翔鶴】が大炎上しながらも激走で戦場から離脱しています。
ですが日本もやられてばかりではなく、【ヨークタウン級航空母艦 ホーネット】を大破航行不能に陥れ、【エンタープライズ】も中破させています。
「南太平洋海戦」は結局ヘンダーソン飛行場の奪還という大目標を達成することはできず、頭を抱えます。
ただ大破した【ホーネット】は【巻雲】らが最終的に撃沈し、連合軍の機動部隊はこれで崩壊。
すぐに繰り出せる空母がゼロになったことは大きく、今度こそガダルカナルを取り返すべく、11月には「金剛型」4隻を大胆に投入した作戦に移ります。
その前に第十駆逐隊にも変化がありました。
「第二次ソロモン海戦」「南太平洋海戦」と第三艦隊に被害が及んだことで、ここまで戦いの中心になっている鼠輸送には関わってこなかった【風雲】達も、11月5日には第十駆逐隊も外南洋部隊に加わることになり、輸送支援を行うことになります。
ちなみに【秋雲】は「南太平洋海戦」後に推進器にトラブルがあり本土に戻っていて、この時からしばらく不在です。
そして11月6日のガダルカナルへの輸送は【巻雲】もおらず、第十駆逐隊では【風雲、夕雲】の2隻が参加。
初めての鼠輸送で早速空襲されましたが被害はなく、無事に往復に成功しています。
休む間もなく、戻ってきた2日後の10日に再び鼠輸送が始まります。
この輸送では至近弾を受けた可能性がありますが被害は軽微なもので、その後の魚雷艇との交戦でも撃退。
なんとか鼠輸送の地獄を経験せずに済み、そしていよいよ「第三次ソロモン海戦」が始まります。
「第三次ソロモン海戦第一夜」では第十駆逐隊は第七戦隊の指揮下に入り、ガダルカナルへの突入部隊には含まれておりません。
第七戦隊は12日深夜の段階ではショートランドにて待機しており、夜が明けてからヘンダーソン飛行場への艦砲射撃に向かうように命令を受けます。
第一夜で【比叡】を失ったものの、この時点ではまだ沈没しておらず、最後の好機を逸することがないようにすぐさま次の一手が打たれたのです。
【鈴谷】と【摩耶】を護衛して【風雲】達もショートランドを出撃します。
大量の砲弾をヘンダーソン飛行場に撃ち込むことはできましたが、榴弾で滑走路を破壊することはできないので、敵機をそこそこ破壊しただけで終わってしまいます。
しかも2本目の滑走路も存在していたため、今殴ってきた相手に帰り道で反撃を受けてしまいます。
第七戦隊は帰路で第八艦隊と合流して防御を固めていたのですが、追撃を受けて第八艦隊の【衣笠】が被雷、被弾。
そのまま沈没してしまったほか、【鳥海】や【五十鈴】も被害を受けており、第七戦隊の艦砲射撃はほとんど意味を成しませんでした。
【霧島】が【米サウスダコタ級戦艦 サウスダコタ】【米ノースカロライナ級戦艦 ワシントン】との砲撃戦を繰り広げた「第三次ソロモン海戦第二夜」も、【サウスダコタ】を追いやったものの【ワシントン】からの砲撃が致命傷となり【霧島】は沈没。
背水の陣で挑んだ「第三次ソロモン海戦」は多くの損害を連合軍に与えたものの敗北となり、「ガダルカナル島の戦い」は終焉を迎えようとしていました。
戦線維持が困難なガダルカナル島に戦力を投入し続けることは無駄だと判断した日本は、戦力をニューギニア島へ移転させることを決定。
「ブナ・ゴナの戦い」に合わせてやはり鼠輸送が実施され、この輸送の中核は第十駆逐隊となりました。