多号作戦

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【多号作戦】とは、1944年10月末から12月まで行われた、レイテ島への増援輸送作戦である。
第九次作戦まで実施された。

「レイテ沖海戦」において日本は歴史的大敗を喫し、太平洋戦争の終結は時間の問題だった。
しかし大本営からの嘘偽りの報告によって、アメリカ軍の艦艇は著しい打撃を受けていることになった。
これにより、陸軍はレイテ島奪還へ向けてレイテ島への増援を決定。
3師団をレイテ島へ送るべく、10月29日に【多号作戦】が発動された。

この【多号作戦】発動前の10月21日、第一次輸送として【青葉・鬼怒・浦波】と輸送艦によって同じくレイテ島への輸送が行われた。
この輸送では【青葉】が雷撃により離脱、【鬼怒・浦波】が沈没している。
第二次輸送は輸送艦2隻による輸送が実施されるも、ともに沈没している。
作戦発動前ではあるが、趣旨が同じであるためこの輸送を第一次輸送とすることが多い。

以下、主だった輸送を紹介する。

・第二次作戦「第二次輸送船団」
【多号作戦】最初の成果の高い輸送。
多くの駆逐艦・海防艦と航空護衛の下で、道中被害がほぼない状態で揚陸を開始する。
揚陸中の空襲により【能登丸】が沈没したが、【能登丸】含め各艦90%以上の輸送達成率を出している。

・第四次作戦
第三次作戦よりも先に行われた。
道中被害は軽微だったものの、上陸先のオルモックで用意されていた大発などの揚陸用舟艇の大半が台風によって破壊されていた。
また輸送船団搭載の大発も空襲によって破壊されており、揚陸に使えた大発はわずか5隻だった。
人員輸送は完了したが、物資輸送は困難を極めた。
結局空襲の危険から長時間居座ることは危険とされ、物資輸送は若干量で撤収が決定。
しかしオルモック島から離れた直後に空襲にあい、輸送船2隻と海防艦が沈没している。

・第三次作戦
 準備中

・第七次作戦 第三、第四梯団
 準備中

・第九次作戦
最後の【多号作戦】
オルモックへの輸送計画だったが、道中のパロンポン沖で空襲を受けて【たすまにあ丸・美濃丸】が沈没。
一部の船はパロンポンへの強行揚陸及びその護衛と、【たすまにあ丸・美濃丸】の乗員救助にあたり、残りの船は計画通りオルモックへ向かう。
パロンポンに残っていた【卯月】は任務遂行後にオルモックへ向かった船団を追ったが、道中で魚雷を受けて沈没。
オルモックへ向かった船団はおおよその揚陸を終えたものの、陸上からの砲撃によって【第159号輸送艦】が大破している。
その後【桐】はパロンポンへ、【夕月】【第140号輸送艦】はパロンポンへ向かわずにマニラを目指した。
途中先行した【桐】と合流したものの、空襲によって【夕月】は沈没、【桐】【第140号輸送艦】は損傷を受けたもののマニラへ帰投した。

この後、第十次作戦も計画されたが、アメリカがルソン島への上陸の傾向があることを察知し(実際に上陸したのはミンドロ島)、増援部隊はルソン島へ送られることになった。
これをもって【多号作戦】は終了した。